第147話 女の生き方
「陛下、今一度お考えを変えて頂ければと思います。メアリーとノーフォーク公の結婚は、御身に危険を伴うものになるかもしれません」
手を握り、ロバートが真剣な表情で訴えてくる。
「陛下がローマ教皇に破門されたことが広まれば、メアリーとノーフォーク公にカトリック信徒達が勝手な期待を抱き、より過激な行動に出る可能性があります。今この時期に、2人の結婚を許すべきではないかと」
「そう! 実は……! わ、私も、そう思ってたの!」
珍しく鋭いところを見せたロバートに、思わずそういう計画があるのだと言ってしまいそうになる。
危ない。一連のリドルフィの陰謀対策は、極秘で進めることが重要になってくるので、実行部隊であるごく一部の人間以外には、口外しないことになっていた。
未だ尻尾の掴めないデ・スペが、宮廷でどれだけのネットワークを有しているか予想出来ない以上、以前あの男の影がちらつく陰謀に関係し、処分を言い渡したメンバーは、全員、今回の作戦から外している。
「では、陛下がそのようなご意向であるという形で、俺が使者としてノーフォーク公を説得に行きます。今すぐにでも」
やる気のあるロバートの志願は有り難かったが、それが叶わないことは知っていた。
「それが、トマスはもうロンドンにいないようなの。私も彼と話がしたくて、昨日伝令を送ったのだけど、数日前に、ノリッジに帰ったって……」
「なんですって? 何の連絡もなしに……?」
ロバートは驚きに目を見開いたが、しばらく考えるようにしてから、再び志願した。
「俺が追いかけましょう。御身のお傍を離れるお許しを頂けますか?」
「ロバート……」
「――陛下、謁見のお時間です」
後ろから声をかけられ、私とロバートは同時に振り返った。
「セシル……」
そこには、従者を連れたセシルが佇んでいた。
「私室にもいらっしゃらないので、探しました」
「……ごめんなさい」
時間までには戻るつもりだったのだが、間に合わなかった。
「――また後で」
「…………」
「さ、陛下。お急ぎ下さい」
「う、うん……」
短く告げ、去っていくロバートの背を見送っていると、セシルに急かされ、私は謁見の間へと向かった。
※
その日の謁見は、いつもよりも緊迫したムードの中で行われた。
謁見の間に配備された近衛兵の数が大幅に増員され、謁見の順番を待つ者たちの間にも、互いを品定めするような胡散臭い視線が交わされる。
誰もが先日の女王破門事件に動揺し、他の人間はどういう思惑を抱えているのか、見定めようとしているようだった。
そして――こんな時だからこそ現れる珍客もいる。
「これは全くもって信じがたい暴挙であります! 陛下、私は何度も申し上げたはずです。そしてこれからも申し上げ続けましょう! 教皇の手先に慈悲を持つべからず。異端の徒には断固たる措置を。根を断ち切らねば、折れたように見える枝もいずれは芽吹くであろう。言葉は悪魔には通じはしない。今こそ剣を抜く時が来たのです!」
私の破門を知り、意気揚々と乗り込んできたのは、清教徒ご一行様だ。
謁見の間で勇ましく吠えたて、待合の聴衆の拍手喝采を買ったのは、どこからその覇気が湧いてくるのかと思うほどかくしゃくとしたご老人、ジョン・フィールドだった。
有名な清教徒のリーダーで、信者たちに強い影響力を持つ老人の周囲を、比較的若い幹部たちが囲んでいる。
いかにもな宗教のカリスマ指導者とその信者たちの図に、私は内心頭を抱えつつ、盛り上がる彼の説教を大人しく聞いていた。
要約すると、「ホラ見たことか、さっさとアンタがカトリック叩きのめさねーから、こういうコトになんだよ! バーカバーカ!」と言っている。
うるさいわっ!
そもそも、彼ら清教徒は国教会の方針に従う者たちではなく、私が制定した礼拝統一法にもしつこく異議を唱えている。
度々国教会の体制を批判するパンフレットを出版しては、禁固に処されてもなお頑固な連中だ。
当然、私に快く思われていないことは分かっているはずだが、この度ノコノコと姿を現したのは、破門を受け、私が清教徒思想に傾くことを期待してのものだろう。
だが私は、教皇派の連中と同じくらい、清教徒と呼ばれる連中が危険だと持っている。
17世紀のピューリタン革命で王政が廃止され、一時的に共和制が樹立されたように、清教徒はその思想が、本質的に王権による専制君主制を敵視する性質を持っている。
この時代の君主国家で彼らをのさばらせることは、自分の首を絞め、現在の秩序を崩壊させることに繋がる。
……そもそも私は、自分と思想の違う人間を破滅させることしか考えられない、偏狭な人間の意見に共感できるような、お国と時代柄には育っていない。
中庸万歳、曖昧上等、二言目には「どっちでもいい」な日和見平和主義の日本人だ。
そんな私の耳を、右から左にジョン・フィールドの説教が流れていく。
良くも悪くも純粋で独善的な彼らは、自らの言葉が正しいと信じて疑わない。
彼が遠慮も恐れもなく、私に説教を垂れるのは、自分が『間違った思想の女』を、『正しい道に改めさせる』正義の味方だと固く信じているからだ。
彼のような熱狂的なプロテスタント指導者でいうと、ジョン・ノックスという大御所がスコットランドにはいるが、この男のどぎつい説教には、在位中のマリコも散々泣かされたようだった。よく手紙でブチ切れていた。
さすがの魔性の色気も涙も、こういう理念の塊のような男の前には無意味ならしい。
そもそも、この種類の人間には妥協というものがない。
出来たら避けて通りたいタイプだが、相手をする場合は、大抵のことを聞き流すスルー力と、大事なところでキッパリ跳ねつける、断固たる態度が必要だ。
「陛下が異端を甘く扱い、忠実なる者たちを正当に扱わなければ、異端は貴女を裏切り、忠実なる者は貴女に背を向けることになりましょうぞ!」
ついには私の政策を直接批判するに至ったジョン・フィールドに、私は玉座の肘掛けで強かに扇子を打ち付け、彼の説教を終了させた。
女王を前にしても臆さず見上げてくるジョン・フィールドを見返し、私ははっきりと告げた。
「貴下の意見はよく分かりました。しかし、私は真摯なプロテスタントとして、この国の平和を守る使命を負う者として、こうお答えしましょう。私は国教会の改革について、私の読みと女王としての判断に、完全に満足していると」
ジョン・フィールドの演説に拍手していた男達が、シンと静まり返る。
『女王はカトリックにもプロテスタントにも嫌われている』などという悪口は、間接的に私の耳にも入るが、『極端な』プロテスタントやカトリックに嫌われている自信は、大いにある。
だが、はっきり言ってしまえば、そんな極端な人達を全員満足させるつもりなど、はなからないのだ。
1番満足させたいのは、『声』を持たないその他大勢の人達だ。
歴史に名を残さない、ただ慎ましやかに生きることを望む、何万という民の生活だ。
「声が大きい者の数が多いわけでも、ましてや正しいわけでは決してありません。私は私の良心に従い、神の声を聞き、己が正しいと信ずる道を国民に示します」
※
いつもよりプレッシャーのかかる謁見を終了し、謁見の間を出た私は、人目がなくなったところでようやく息をついて、緊張を解いた。
その隣で、セシルが物憂げに口を開く。
「陛下、ジョン・フィールドに仰ったことは――」
「言った通りです。破門宣告を受けたからと言って、慌てふためいて方針を変えるつもりはありません。分かってるわね、セシル」
「……御意」
私の念押しに、セシルは微妙な沈黙の後、頷いた。
セシルですら、カトリックの狂信者に比べ、清教徒に対しての対応は甘くなりがちだ。
彼らの判断に、個々の持つ信仰が影響してくるのは避けがたい部分なので、その辺の手綱を握るのは私の役目になる。
目先の事に惑わされて、大局を見失ってはいけない。
今、国家のトップが清教徒に迎合すれば、この国は本格的に宗教闘争に突入してしまう。
それ以上、セシルが私の判断に口を挟むことはなく、彼は私室へ戻る私の隣を歩きながら、話題を変えた。
「陛下、ノーフォーク公が、女王の出仕要請を無視し、ノリッジへと無断で帰郷したようなのですが」
「あ、そうみたい。私も昨日聞いて、知ったわ」
セシルがどこからそのことを聞いたのかは知らないが、私はタイムリーな話題に、立ち止まって相談した。
「それでね、トマスのことなんだけど、例の計画が進行している中で、メアリーと結婚することは、彼にとっても危険が大きいと思うの。この間のトマスの態度も煮え切らないものだったし、もしまだ結婚の意思を固めていないのならば、1度、縁談自体を白紙にしてしまった方が、彼のためなんじゃないかって……」
「陛下、それは大変結構な判断ですが」
私の提案に頷いた後、セシルはどこか冷めた口調で答えた。
「それは、ノーフォーク公が無実であることが前提での話です」
「でも、トマスは……!」
「……陛下、いくら公爵といえど、今回のノーフォーク公の態度は褒められたものではありません。渦中のメアリー・スチュアートの婚約者として名の挙がっている人物の行動としては、疑わしいものがあります」
「トマスはそういう人間ではないでしょう?」
聞き返すと、セシルは考えるような間の後、慎重に答えた。
「……確かに、実直な人柄である公らしからぬ行動ではありますが、人は変わるものです」
「滅多なことを吹きこむな、セシル!」
「きゃっ?」
廊下での立ち話に集中していると、角からにゅっと顔を出したロバートに、私は驚いてよろめいた。
「レスター伯……どこから出てくるのですか、貴方は」
「陛下とお話するために来ただけだ。こんなところで立ち話をしている方が悪い」
呆れるセシルに、悪びれもせずに胸を張るロバート。
そう言えば、別れ際に『また後で』と言っていたか。
真っ先にロバートは、セシルに対してトマスの行動をフォローした。
「ノーフォーク公の行動には理由がある」
「理由?」
「それは、男の友情に誓って言えないが」
「……まあいいでしょう」
微妙に中途半端なフォローだったが、セシルはそれ以上は言及せず、近くの空いた部屋に入った。
私とロバートも、その後をついていく。
「陛下、公爵とメアリー・スチュアートの結婚を阻止するという方針には、私も賛成です」
扉を閉め、3人だけになった部屋で、セシルが先程の話題を続けた。
「その方法として、公爵に別の縁談を持ちかけるのはいかがでしょう」
「別の?」
「ノーフォーク公が独身である間は、常にメアリーの婚約者になり得る恐れがある。国家にとって不安のない十分な相手と縁談を持たせ、可能性を潰す方が賢明かと」
セシルの提案には、なるほど、と思わざるを得なかった。
私には全くなかった発想だ。
「仮に女王に推薦された縁談を断ってまでメアリーとの結婚に固執するならば、野心ありとみなされてもおかしくはない。これは、彼の忠誠心を問う選択です」
「でも、急にそんなこと言ったって、誰と……公爵の結婚相手よ。そんなに都合のいい子は……あ」
言いながら、ちょうど適齢期を迎えた、宮廷で最も高貴な女性の存在を思い出す。
「……イザベラ?」
「すでに結婚相手の選定を希望されているのでは?」
セシルは当然、候補者を想定した上での提案だったようで、あっさりと確認される。
「それはそうだけど……」
どちらも王家の血を引いており、家格的には、互いに悪い話ではないはずだった。
だが、降って湧いたような政略結婚に、微妙に釈然としないものも感じ、私は口を濁した。
今、この国でトマス以上に条件の良い独身貴族はいない。イザベラの親は、話を持っていけば、これ以上ない縁談と承諾するのは目に見えていた。
きっと先に話してしまえば、イザベラの意志など無関係に進めようとするだろう。
「でも、まずは本人の意思を確かめるわ。望まない結婚はさせたくないもの」
※
翌日、さっそく私は、イザベラと落ち着いて話す機会を設けた。
夕方、私室でグレート・レディーズたちとカードに興じていた私は、適当なところで席を立ち、イザベラだけを呼んでバルコニーに出た。
「ねぇイザベラ。この前、話していた件なんだけど……」
「この前?」
「ほら、結婚相手の話」
「ああ……」
上手い切り出し方が思い浮かばず、私は率直に聞くことにした。
イザベラは曖昧に頷いた後、多くは語らず、私の言葉を待った。
「ノーフォーク公なんてどうかしら?」
だが、推薦された人物の名には、度肝を抜かれたらしく、イザベラは口を押さえて大きな目を丸くした。
幾分か動揺が収まるのを待ってから、慎重に聞き返してくる。
「でも、公爵閣下は、メアリー・スチュアートと結婚されると言う噂では?」
「うーん、そんな話もあったんだけど、なくなったというか……」
その辺は国家機密なので、曖昧に答えざるを得ない。
それでも、さすがにこの2人の結婚がうやむやになったとなれば、何かしら政略的な意図が働いているということは、イザベラにも察しはつくだろう。
「彼なら、そんなにおしゃべりな方じゃないし、ミステリアスな感じはしないけど、真面目だし……」
えーっと、あと何て言ってたっけ。異国風? トマスはいかにもイングランド人な感じだな……
この前聞いた彼女の好みを思い起こしながら、私なりにトマスをオススメしてみる。
「あ、でも、まだ本決まりじゃないから! 実はまだ本人にも、あなたの親の方にも言ってなくて、まずイザベラの気持ちを確かめてからにしようと思っているの。今なら十分引き返せるから、遠慮なく断っていいのよ」
慌ててそう付け足すが、イザベラは即決した。
「素晴らしい縁談ですわ」
「え、いいの……?」
「お断りする理由がありませんもの」
「そ、そう? それならいいんだけど……無理はしなくていいのよ? もし、心に決めた! って人がいるなら……」
「いいえ。妻としてお仕えするのに、これ以上ないお方です。陛下のご厚情を受けてこのような幸運なお話を頂いておきながら、私の方からお断りするなど、天から罰を受けてしまいます」
前に話した雰囲気から、もしかして、もうそういう人がいるのではないかと疑っていたのだが、イザベラはいつになく強い口調で否定し、明るい笑顔を見せた。
「女として、これ以上ない栄誉に浴せることを神に感謝します。このお話がまとまり、主が素晴らしい夫を私に恵んでくださいましたならば、これまでの陛下のご恩とご寵愛に報いられるよう、立派に務めを果たしたく存じます」
多分それが、この時代の女性としての、気高い生き方なのだろうと思った。




