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処女王エリザベスの華麗にしんどい女王業  作者: 夜月猫人
第10章 デ・スペ暗躍編
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第144話 リドルフィの陰謀


「おくつろぎのところを失礼します。陛下、少し、お時間を頂戴してよろしいでしょうか」


 復活祭(イースター)から2週間ほど経った日の平日。

 その日の夕方、私が早めに寝室に引っ込んで、アンとフランシスと戯れていると、セシルが部屋を訪れた。


「セシル? どうかしたの?」


 膝に乗せていたフランシスをアンに託し、ベッドを降りて声をかけると、セシルは硬い表情で礼をし、視線を壁際に座っていたレディ・メアリーに向けた。


「レディ・メアリー。アンを連れて出てもらっていい?」

「かしこまりました。行きますよ、アン」

「はい。失礼します、女王陛下」


 フランシスをベッドに置いて、アンがお行儀よく退室するのを見送った後、セシルが静かな声で話を切り出した。


「――2週間前、チャールズ・ベイリーなる男がドーヴァー港で拘束されました」

「ええ、聞いているわ」


 スペインから送られてきた不審な暗号の手紙を所持していたため、ロンドン塔へ護送されたという話は聞いていた。


「尋問の末、ベイリーは、ロス司教ジョン・レズリーの従僕であることが分かりました」

「……!」


 セシルの報告に、息を飲む。


 ロス司教は、メアリー・スチュアートの代理人だ。


「そして、解読した暗号の内容から、ある陰謀が判明しました――端的に言えば、スペインのイングランド侵略と、カトリック回帰計画です」

「スペインの侵略計画……?!」


 予想外の大がかりなその内容に、耳を疑う。


「手紙には、差出人であるロベルト・リドルフィがブリュッセルでアルバ公と会見をしたことや、フィリペ王からこの計画の承諾と援助の約束を得た旨がしたためられていました。リドルフィは間違いなく、スペインと通じ、国家転覆を狙う陰謀に関わっているスパイです」

「……そのリドルフィが、ロス司教と接触していたっていうのは……」


 目を瞑り、私は低く呻いた。

 私の心配に先回りし、セシルが付け加える。


「メアリー・スチュアートが陰謀に関与している可能性もありますが、はっきりとしたことは言えません。ロス司教には本日、枢密院委員が質問に向かいましたが、現在のところは大使の身分を主張して、尋問を拒否しています」

「その手紙の宛先は?」

「それが、暗号になっており、まだ分かっていません。2通の手紙の宛先は、イングランド貴族だとベイリーは告白していますが、その名は知らないと言い張っています」


 セシルは首を横に振り、話を戻した。


「計画は大きく2つに分けられます。1つは、国外からのスペイン軍の上陸計画。もう1つは、国内での反乱計画」

「国内の反乱……!? まさか……」


 察した私に、セシルが硬い表情で頷いた。


「――はい。北部のカトリック勢力の蜂起が計画されています。それに連動しての、スペイン軍のブリテン島上陸、メアリー・スチュアートの救出とエリザベス女王の廃位――それが、計画の全体像です」

「…………」


 思わず、膝から力が抜け、私はベッドサイドに腰を落とした。

 その膝に、するりと乗ってくる黒猫の毛並みを撫で、気を落ち着かせる。


 そんな私を見下ろしながら、セシルは普段優しい面持ちに緊張を浮かべ、続けてくる。


「大胆に過ぎる計画ではありますが、看過できるものではありません。ベイリーはロンドン塔に拘束し、ロス司教も監視をつけて屋敷に軟禁しています。彼らの動きを封じているうちに、一刻も早く、すでに陰謀が明らかになっていることをスペイン側に警告し、激しく抗議を申し立てるべきかと」


 イングランド侵略の計画が本当ならば、スペイン軍が出軍してからでは、戦争は避けられない。

 スペインに、上陸作戦がイングランド政府に筒抜けになっていること知らせ、彼らに計画を思いとどまるように仕向けなければ。


「……すぐにスペイン政府に警告を出して。私からも、直筆でフィリペ王に事実の確認を求めます。それから、万が一、スペインが軍事介入してくる場合に備え、全港を封鎖して」

「御意」

「問題は、国内の反乱ね……首謀者のあたりはついているの? 手紙からは何か読み取れた?」


 私の質問に、初めてセシルの歯切れが悪くなった。


「計画の内容から、イングランド高位貴族の誰かがこの反乱に関わっていることは確かですが、具体的には、まだ……判明していない手紙の宛先の人物が関わっている可能性があるため、今、ウォルシンガムが解読を急いでいます」

「ウォルシンガムが?」


 聞き返すが、セシルはあっさりと話題を変えた。


「いずれにせよ、国内の反乱の鎮圧は最優先課題です。今回、我々がすでにリドルフィの計画の大半を把握していることは、極一部の人間でしか共有されていません。このまま情報を遮断し、増援が来ると思い込んでいる北部の反乱軍を孤立させたまま蜂起させ、反乱分子を一網打尽にすることを提案します」

「それは……」


 セシルの提案に、私は一瞬怯んだ。


 罠を張る、ということだ。


「……それは、最後まで首謀者の名が明らかにならなかった場合の、次善の策ということよね……?」

「勿論です」

「…………」


 はっきりと言い切ったセシルに、私は目を閉じ、慎重に考えた。


 あえてこちらが掴んでいる情報を秘匿し、蜂起させるという作戦は、孤立無援の北部の反乱軍程度であれば、事前に準備をすれば鎮圧できるという確信があってのものだ。


 出来ることならば犠牲者を出さないよう、首謀者を早めに割り出し、未然に防ぐのが望ましいが、希望的観測に縋って、次善の手を打たないわけにはいかない。


「分かりました――北部に派兵準備を。指揮官にはサセックス伯爵を任命します。蜂起の事実が認められたなら、最小限の被害で鎮圧するように」


 処分は解いたとはいえ、直近に陰謀に加担したロバートに任せるわけにはいかない。


「……願わくば、そのような事実自体が、現実に起こらなければ良いのだけど」


 まだその計画自体が、本当に実行されると決まったわけではない。

 どこかで彼らが改心するかもしれないし、計画自体が立ち消えになるかもしれない。

 

 だが、それが希望的観測であることは、自分でも重々承知していた。


 ため息交じりに窓際に寄り、見上げた空には、夜の訪れを早める分厚い雨雲がかかっていた。



 トマス……大丈夫かな……



 こういう事態に陥り、ふと彼のことが気にかかった。


 メアリー自身がリドルフィの計画に関わっているとは限らないが、どういう形であれ、この陰謀が明るみに出れば、周囲は一層彼女の存在を危険視するだろう。


 いずれメアリーを、ジェームズ1世との共同統治などの制限付きで女王に復位させるなり、何とか条件をすり合わせて安全な形で帰国させることを目標に、スコットランド政府と地道に折衝を続けていたのだが、それも大きく後退しそうだ。


 メアリー問題の解決策の1つとして考えられていた2人の結婚話は、いまだ宙ぶらりんのままだったが、今となってはこの話自体、1度白紙に戻してしまった方がいいように思われた。 


 トマスは誠実で実直な人柄だと信用しているが、こんな大それた陰謀が水面下で動いている最中、結婚の話が進んでいるとなると、周囲からどんな疑いを持たれるか分かったものではない。


 そのあたりの話もしておきたかったので、私は明日にでも、語調を変えて、もう1度トマスに宮廷に来るように呼びかけることにした。







~その頃、秘密枢密院は……



 蝋燭の明かりに頼る薄暗い仕事場。


 執務室というほど整頓もされていない、書斎というには雑多なものが多過ぎるその部屋は、ウォルシンガムのロンドンの屋敷の一室だ。


 壁には世界中の地図が貼られており、紙で埋もれた大きな円卓には、大小の地球儀が置かれている。


 床から堆く積まれた書籍の壁に埋もれるようにして、ウォルシンガムは1人、卓に向かっていた。


 彼の目の前で揺れる1本の蝋燭が、敵と対面しているかのような厳しい表情を映し出す。


 手元には、複写した暗号文と、試行錯誤の跡が見える解読後の平文が書かれた紙。


「『30』……『40』……」


 解析した暗号の中に埋まっていた2つの数字を、口に出して唱える。


 これは、『人名』だ。


 2通の暗号で書かれた手紙の、謎の宛先。


「失礼します」


 静かなノックの後、入ってきたディヴィソンが、白い封筒を差し出した。


「サー・ウィリアム・セシルからお手紙が届いています」


 受け取り、手早く開いて内容を確認する。

 そこには簡潔に、女王への報告の首尾がしたためられていた。


 どうやら首尾良く、北部への派兵の約束を取り付けたらしい。

 戦争嫌いの女王を動かすのは、実際、なかなか骨の折れる作業だった。


 2通の手紙の宛名が判明していないのは事実だが、デ・スペの動きを監視する中で、反乱軍の実行犯と思しき人物には、大方当たりがついていた。


 ウェストモーランド伯爵と、ノーサンバランド伯爵だ。


 だが、決定的な証拠がない。そして、ウォルシンガムは直感的に、『まだ足りない』と感じていた。


 まだ――おそらくは、もっと大きな獲物が控えている。


 だが、この2人の反セシル派の高位貴族の名を出せば、平和的な解決を望む女王は、未然に反乱を防ぎ、彼らを相応の処分に処することで手打ちにしようとするだろう。


 確かにそれは、多くの血を流さないという意味では最善の策かもしれないが、この機に不満分子を一掃し、女王の玉座を安泰にするという意味では、うまくない。


 セシルやウォルシンガムの目から見れば、これは、反体制の過激派をあぶりだす、絶好の機会だった。


「ロス司教はまだ吐かないのか」

「はい。今のところ、何も知らないという主張を繰り返しており、外交官特権を振り回して尋問をかわそうとしています」


 答えるディヴィソンは、現在はウォルシンガムの私設秘書だが、元々は彼の『組織』に所属するスパイだった男だ。


 ウォルシンガムが卒業したカレッジの後輩であり、裕福な郷士(スクワイア)の家柄の出だ。

 こう見えても秀才と名を馳せた男で、複数の外国語を操る言語能力、国家への忠誠心と理念を買い、直々にスカウトした。

 育ちが良いため、少々お人好し過ぎるところと慎重さに欠けるという欠点があるが、仕事に忠実な信用のおける部下だ。


「往生際の悪い――少し揺さぶりをかけろ。いくつか交渉材料になる情報を提供する。ただし、仮にも特使だ、扱いには気を付けるように」

「かしこまりました」

「チャールズ・ベイリーは、次吐かなければ拷問にかけると伝えておけ。強情なようなら拷問部屋まで連れて行ってやれ。どちらからでもいい、『30』と『40』の正体を吐かせろ。必ず知っているはずだ」


 怪しいと感じている人物は何人かいる。だが、証拠がない。


 手元の2つの数字を睨みつけながら、ウォルシンガムはディヴィソンへの指示を追加した。


「メアリー・スチュアート周辺の監視を強めろ。必要であれば、現地で何人かスパイを雇ってもいい。あと、新たにノーフォーク公爵の身辺を探る人間を用意しろ……それと、レスター伯ロバート・ダドリーにも」

「えっ……」


 比較的近しい間柄であるはずのレスター伯にスパイをつけろと命じたことに驚いたのか、それまで従順に頷いていたディヴィソンが声を詰まらせた。


「何だ?」

「あ、いえ……了解しました。では、失礼します」


 顔を上げると、慌てて頷いたディヴィソンが辞去する。


 一瞬静まった部屋で、窓を叩く雨音が響いた。


 次第に強まっていくその不吉な音を聞きながら、ウォルシンガムは卓に立つ蝋燭を睨みつけた。


「メアリー・スチュアート……」


 漆黒の双眸が蝋燭の炎を映し、妖しく揺らめいた。



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