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処女王エリザベスの華麗にしんどい女王業  作者: 夜月猫人
第10章 デ・スペ暗躍編
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第141話 変わるもの、変わらないもの


 一体どこから漏れたのか、私がロバートから聞いた翌日には、その結婚話はほとんど既成事実のように、宮廷の話題をかっさらっていた。


 さすが、噂好きな宮廷人たちは耳が早い。


 そして、2日後の3月15日には、私は、再びロバートの計らいで、改めてトマス本人から結婚許可の申し入れを受ける時間を設けた。


 前王朝プランタジネット朝の血を引く由緒ある家系で、名声、財力ともにイングランド随一の大貴族の結婚ともなれば、国政に大きく影響を与えかねない。

 慣例的にも、実際的も、国王から正式に許可を得るというのは、必要な儀礼だった。


「陛下、ノーフォーク公爵がいらっしゃいました」


 私室のバルコニーでロバートと話しながら、トマスの到着を待っていた私に、侍女が伝えてくる。


「陛下、少し失礼します」


 隣に立っていたロバートが断りを入れ、私室に姿を見せたトマスに近づいて行った。

 今回のトマスの結婚に関しては、随分とロバートが積極的に取り持ってやっているらしい。


 昔はいがみ合っていたこともあったが、スコットランド遠征で協力し合って戦果を上げてから、男の友情が芽生えたようだ。


 ロバートと入口付近で、何やら小声で会話を交わしていたトマスが、バルコニーで待つ私を見た。


 緊張の面持ちで居住まいを正した若き公爵が近づいてくるのを、私も妙に緊張した気持ちで待つ。



 何か、まるで私が結婚の申し入れを受ける見たいな雰囲気になっている。



 ……いや、あんまりにも、トマスが思い詰めた目をしてくるもんだから。


 一応、ロバートから感触は聞いていると思うのだが、やはり王に結婚を報告するとなると、それなりに気負うところもあるのだろう。


 ロバートの方は、バルコニーと部屋の境で立ち止まり、遠巻きに様子を見守っていた。


「あ……」


 だが、バルコニーに足を踏み入れ、すぐ目の前まで来たところで、トマスは戸惑うように息を吐いた。


 緊張で挨拶をするのも忘れたように、向かい合ったまま奇妙な沈黙が落ちる。


 会話を求めて見つめ返すと、目が泳ぎ、トマスは救いを求めるように外の景色へと視線を向けた。


 つられて私も、バルコニーの柵の向こうに広がる光景に目を転じた。


 西の空が赤く染まり始め、東から紺色の空が迫ってくる。大きな虹色のグラデーションを描いた日暮れ前の空は、私の好きな景色の1つだ。


 中学、高校と、山の上の学校に通っていたので、よく下校路から、この色合いの空がかかる街を一望し、「世界で一番でっかい虹だ」と思ったものだ。


 何百年経っても、どの場所から見ても、この空の色だけは変わらないのだと思うと、少し安心する。 


「相変わらず、貴女は空を見るのが好きだ」


 いつの間にか見入っていた私の耳朶を打った声に、ふと視線を隣に向けると、眩しげに眼を細めたトマスが微笑んでいた。


「好きなのよ、変わらないから」

「変わらないから?」

「変わってしまうものの方が多いでしょう、生きていると」

「…………」


 今と過去――あるいは未来に思いを馳せ、つい感傷的になってしまった私の言葉に、何を思ったか、トマスが辛そうに眉を顰めた。


「陛下……俺は――」


 拳を握り、口を開いたトマスの台詞が、中途半端に飲み込まれる。


「……?」


 視線を落とし、沈黙してしまう男に、もどかしさを感じた。

 用件は決まっているのに、いつまでも言いにくそうにする相手に、私はこちらから話を切り出してやることにした。


「噂には聞いています。メアリー・スチュアートと結婚するんですって? おめでとう……と、もう言ってしまっていいのかしら?」

「……っ」


 彼の口から聞くまでは確定事項ではないので、遠回しに言いやすい空気を作ろうとしたつもりだったのだが、私の台詞に、トマスは顔を強張らせた。


「結婚など……」


 次に、歯を食いしばり、耐えるように目を伏せた男の口から洩れたのは、意外な言葉だった。


「結婚などするわけがありません。あのような不義を重ねた女……それも、夫を殺した女となど床を共にして、おちおち眠れるわけもない」

「え……?」


 話が違う。


 眉を顰め、ロバートを振り返ると、彼も訝しげに首を傾げただけだった。


「俺は、イングランド女王に忠誠を誓っている男です。なぜ他の国の女王を愛することができるでしょう」

「……臣下の忠誠と男女の愛は別物ですよ、ノーフォーク公」


 話が混濁している。メアリーと結婚したからといって、それがイングランド女王を裏切ることにはならない。


 だが、私の忠告に、トマスは余計に追い詰められたように声を大きくした。


「それに、ノーフォーク公爵家には、スコットランド王室の歳入を凌ぐだけの財力がある! あの王室と縁を結ばなくとも、ノリッジの広大なテニスコートに立てば、己が王族に並ぶだけの力を持っているのだと十分に実感できます!」

「ノーフォーク公、何を……」


 ますます混乱を深める言い分に、困惑する。


 今更何を言ってるのだろう。


 ノーフォーク公爵家が、王家が無視できないほどの財力と北部での勢力を誇っていることは十分知っているし、ノリッジの屋敷の見事さも、テニスコートの広さも、最初の行幸で訪れた時に散々自慢してもらった。


 そして、この場は、彼がメアリー・スチュアートと結婚することを、私に許可を得るためのものだったはずだ。


 彼の伝えたいことが分からず、眉をひそめて見返すしか出来なかった私に、トマスは絶望的に顔を歪め、礼もせずに踵を返した。


「失礼します」

「お、おい……!」


 早足にバルコニーから立ち去ろうとする公爵を、様子を見守っていたロバートが慌てて引きとめる。


「トマス!」


 それすら無視して去っていく後ろ姿に、私が呼びかけると、トマスは袖を引かれたように、1度だけ足を止めた。


「…………」


 だが結局、振り返ることなく、扉の向こうに姿を消してしまった。


「ノーフォーク公!」


 足早に退室した男の後を、顔色を変えたロバートが追いかけるのを、私は呆然と見送っていた。







~その頃、秘密枢密院は……



「待つんだ! ノーフォーク公!」


 追いかけてくるレスター伯には取り合わず、大股に廊下を突き進んだノーフォーク公爵トマス・ハワードは、入り組んだ城内の行き止まりに突き当たり、ようやく足を止めた。


 追いついたレスター伯が、わずかに乱れた息を整えながら問い詰めてくる。


「どうしたんだ、ノーフォーク公。あんなことを言って、どうするつもりだ」

「……なぜ俺が、手に入らなかった女の前で、他の女との結婚の許可を乞わねばならないんだ?」


 やりきれない苛立ちを壁にぶつけると、跳ね返って届いた台詞に、レスター伯が狼狽する。


「何を言っているんだ、わけが分からないぞノーフォーク公。閣下の身分なら当然のことだろう。閣下は第一級の貴族で、しかも相手は一国の女王だ。女王陛下の許可なく結婚など……」

「違う!」


 見当違いの――それは至極正論だったが――意見を、苛立って否定する。

 自分でも頭に血が上っているのは理解していたが、この男に冷静に諭されているのが、また気に入らなかった。


 この男と己は、対等でもなければ同類でもない。


 この男が現状に満足していようと、己が同じような屈辱を味わって黙っていられるわけがない。


 反逆者3代目の烙印を押され、一時はロンドン塔に拘留された身の上の成り上がり貴族が、十分過ぎる地位と名誉と王寵を得ている現状に満足しているというのは、分かる。


 だが、己はどうだろう。


 前王朝プランタジネット朝の血を引く、イングランド唯一の大貴族ノーフォーク公爵の地位。荘厳な宮殿と、尽くことのない黄金。


 この上、求めるものがあるとすれば、それは王という至高の地位以外にはない。



 ……唯一、本当に欲しかったものは、手に入らなかった。



 手持ち無沙汰を補うように転がり込んできた、王位の可能性に手を伸ばしたのは――傷つけられた誇りを取り戻す手段が欲しかったからだ。


 前にも後ろにも進めなくなっていた己の背中を、あの男から託された1通の、メアリー・スチュアートの手紙が押したのだ。


 忘れようと思った。

 スコットランド女王と結婚することで、傷ついた自尊心を癒し、イングランドの女王を得られなかった事実を消してしまおうと。


 これで、この鬱々とした苦い感傷から解放される――そう思った。

 それなのに――


「こんな屈辱は生まれて初めてだ!」


 一目見て、あの時の想いが蘇った。


 あの時の神聖な恋心に比べれば、己の自尊心を再構築するために描いたシナリオが、あまりにも滑稽で、安っぽい代物に思えた。


 プライドにしがみつき、ただ打算と虚栄だけの結婚に全てを賭けようとする己の卑しさに比べれば、例え受け入れられなくとも、傍にいられるだけでいいと、愛し続けることを選んだレスター伯すら輝いて見えた。


 離れているうちに、一層王としての威光を増した彼女の目に晒される己が、耐えられぬほどに惨めに落ちぶれたように感じ、前に立っていられなくなった。


「本気で愛した女に振られて、その未練も絶てぬうちにその前に跪き、他の国の女王と結婚したいと許しを乞うている。彼女の目に俺はどう移っている? 王になりたいだけの浅ましいコウモリか? 負け犬の道化男か?」

「彼女はそんなことは思っていない!」


 壁に向かって慟哭するトマスの背中に、ロバートの叫びが届いた。


「メアリー・スチュアートはあの方のご親戚で、陛下ご自身も憎からず思っている。それに、諸外国との情勢を考えれば、忠臣である貴方が彼女と結婚することは、国家の安定にも繋がると、貴方の決断をとても喜んで……」

「男としては歯牙にもかけていなかったということか!」

「ノーフォーク公!」


 怒りを含んだ声が、己の称号を呼んだ。


「あの方は理性の女性だ。私情で公爵の結婚に口を出そうとするわけがない。内面にどんな思いを抱えていようともだ」

「だが所詮は女だ!」

「…………」


 勢いだけで言い返したトマスに、不機嫌な沈黙が答え、怒りを帯びた足音が近づいた。


「……彼女はただの女ではない、と俺に言ったのは貴方だ」


 低く抑えた声が、先程より近くなった距離から届く。


「あの方は、貴方が唯一手に入れられない女性だった。ただ、それだけだ」

「俺は貴殿とは違う!!」

「……!」

「俺には資格があった。俺以上に女王に相応しい男などいないはずだ。なのに、なぜあの女は俺を拒絶した?!」

「やめろ、ノーフォーク公」


 耐えかねたように、ロバートの腕が肩にかかり、強い力で引かれた。

 殴られるかとも思ったが、さすがに手は出なかった。


 振り向けば、握った拳を下げたままの男が、腹立たしいほど整った顔を悲愴に歪め、見つめてきた。


「貴方の言葉は、まるで女王陛下への敬意に欠いている。それ以上、あの方を侮辱することは許さん。それに……」


 悲しげにトーンが落ち、肩を掴んでいた手も力なく離れた。

 

「俺はこれ以上、貴方のそんな姿を見たくない」

「…………」

「失礼する」


 うなだれ、背を向けた男が離れていく。その後ろ姿が、振り返りもせずに付け足した。


「陛下には何も言わない」

「……!」

「安心しろ。貴方の無様な姿を、彼女に報告するようなことはしない」


 それは切実に彼自身が望んでいたことだっただけに、そう気遣われたことは、何よりも屈辱だった。







 翌日も翌々日も、トマス・ハワードは宮廷には出仕しなかった。


 あのような態度を取って謝罪にも訪れなければ、君主の不興を買っても当然だったが、女王の私的な伝令として屋敷を訪れたレスター伯の言付けは、トマスを気遣うものだった。


「巷で流れているメアリー・スチュアートとの結婚の噂が本当ならば、一度出仕して許可を取りに来るように、とのことだ」


 ソファに身を沈め、背を向けたまま、トマスは、扉口に立つ伯爵の伝言を、聞くともなしに聞いていた。


「陛下に反対する気はないから、形式的なものだ。何せ国を追われたとはいえ、隣国の女王との結婚だ。宙ぶらりんのままというのは、貴方の体裁上も良くないし、外国への印象も良くない」

「…………」


 実にもっともらしい忠告が、右から左へと流れていく。

 もう1度彼女の前に立つ。ただそれだけのことが、ひどく恐ろしく思えた。


 理性よりも何よりも、惨めな己の姿を晒してしまった、という思いが先立つ。



 ――バルコニーで虹色の空を見つめる、変わらない横顔に、見入らずにはいられなかった。


 ようやく薄れかけてきたはずの、3年前の記憶が、鮮明に蘇る。


 玉座から男たちを睥睨する冷厳な眼差し、会議室で見せる気難しく知的な表情、湖上で美しい調べに身を委ねる透き通った横顔、プライベートで見せる拗ねた顔や、いたずらっぽい微笑、陽の下で眩しく輝く無邪気な笑顔――人生で最も心躍った、その短い時間を、もう擦り切れそうなほど何度も再生した。


 そしてその回想はいつも、己を絶望の淵に叩き落した拒絶の表情で終わるのだ。



「……失礼する」


 何の反応も返そうとはしないトマスに業を煮やしたように、レスター伯が部屋を立ち去る。


 あの男は、女王に何と報告するだろう。


 今さら、彼女にどう思われるかばかりを気にしている己の小ささが疎ましかった。


「――閣下。お客様が……」


 邪魔者がいなくなり、ただ虚しい夢想と戯れるだけの静かな時間を、執事の呼びかけが打ち壊す。


「今度は何だ!」


 気が乗らず、八つ当たり気味に振り返ったトマスは、執事がすでに来客を伴っていることを知った。


「……貴方は……」


 見覚えのない顔だったが、すぐに理解する。彼は、トマスがロンドンに着いたらすぐに面会をする予定でいた人物だった。


「お初にお目にかかります、閣下。……手紙では、もう何度もご連絡を差し上げておりましたが」


 それは、彼にメアリー・スチュアートとの結婚を持ちかけた人物――


 スペイン大使デ・スペだった。


 スペイン風の髭を生やした小男は、細い目をさらに細めて笑い、イングランド流の礼をしてみせた。


「約束通り、すぐにご訪問が出来ず申し訳がございません。閣下がロンドンにいらっしゃるまでに、全ての準備を整えておこうと思ったところ、少し手間取りました」

「準備……?」

 

 何の準備かピン来ず、眉をひそめたトマスに、デ・スペは独特の微笑を洩らして進み出た。

 その後ろに、影のように佇む男がいることに、遅れて気付く。


 帽子を目深にかぶった男は、浅黒い肌を持ち、どことなく南欧の雰囲気を漂わせていた。


「閣下に、ぜひともご紹介したい者を連れて参りました」


 腰の低いスペイン大使に促された男が、帽子を脱ぎ、奇妙な動作を交えて膝をつく。


「イタリアから派遣された教皇特使で、ここ最近、ロンドンに来たばかりです。なのでまぁ……全てがイタリア風ですな」


 イタリア風の、華やかで芝居じみた社交辞令は、重々しく厳かな儀礼を好むスペイン人から見ると、時に滑稽に映るものらしい。小馬鹿にしたような笑いを含んだ補足を受け、トマスは恭しく膝をつくイタリア人を見下ろした。


「教皇の特使……?」

「ええ。ある重要な任務を猊下から仰せつかり、参りました」


 顔を上げた男は、イタリア人らしい彫の深い顔に、不敵な笑みを浮かべて名乗った。


「リドルフィと申します」




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