第140話 交差する思惑
さすがに何週間も政府の重鎮たちを出仕させないと、日々の業務にも支障が出始めるので、謹慎処分を言い渡してから10日後の3月13日、十分に反省したと見なして、私は全員の処分を解いた。
「陛下! この10日間、毎夜貴女を夢に見るほどに恋焦がれておりました! 太陽が雲に隠れた空を仰ぎ見る花のような心細い日々に終止符を打ち、再び煌めく日差しの前にこの身を投げ出せる幸運を神に感謝します!」
長い脚でスキップしながら私室に参上し、飛びついてきたウサギさんの第一声である。
「えーっと……」
10日間溜めに溜めていたロバート節は絶好調だ。
しばらく身辺が静かだったもので、久しぶりのそのノリについていけずにいると、ロバートの指が私の顎をすくい、頬に唇を寄せてきた。
「どうか微笑んでください、俺の星の乙女……ぶ」
「反省した?」
「しました、しました!」
開いた扇子にぐいぐい顔を押し返される向こうから、必死にアピールしてくる。
「もう2度と馬鹿なことしないように」
「御意」
本当に分かってるのか、こやつは。
まぁ、ある意味一生懸命だから、いまいち憎めなかったりするんだけど。
「実は陛下、1つお話したいことがあるので、少しお時間を頂戴してもよろしいでしょうか?」
いつまでもベタベタしてくる男を引きはがすと、ロバートが意外と真面目な調子で切り出した。
「いいけど……」
「ならば人払いを」
背筋を伸ばし、えへん、とわざとらしい咳払いをして見せるロバートに、私は素直に疑いの眼差しを向けた。
「……人払い……?」
「警戒しないで下さい陛下。何もしません」
説得力がなさ過ぎて困る。
「じゃあ、2人でバルコニーで話しましょう。侍女を部屋に置いていけば話は聞こえないでしょう」
「うぅ」
自衛のために独断で決定し、さっさとバルコニーに向かう私の後を、ロバートが肩を落としてついてくる。
部屋から続きになったバルコニーに向かう私たちを、私室付きの侍女たちが頭を下げて見送った。
「トマスがメアリーと結婚?」
バルコニーで聞いた話に、私は目を丸くして隣に立つロバートを見上げた。
「ノーフォーク公爵と一晩話をしましたが、この結婚は、現在のメアリー・スチュアートに関する問題を、最も安全に処理出来る方法ではないかと、彼も考えているようです」
「国のための結婚ということ?」
「ええ。それに、公爵は27歳で、前妻と死別してからは、ずっと独身です。そろそろ新しい妻を迎えたい頃合いでしょう」
「…………」
メアリーは20歳だ。年齢的にも悪くないし、互いの身分、血統も申し分ない。
彼女が母国で起こした騒ぎについては、トマスも当然知っているはずだし、その上で受け入れると言ってくれるなら、何も問題はなかった。
見た感じだって、美男美女でお似合いのカップルだろう。
「国家のためにもなる結婚であると、俺も思います」
「そうね……」
ロバートの話に納得し、頷く。
なんとなく寂しいような気もするが、傷つけてしまった自覚があるだけに、結婚すると聞いて、安堵の方が大きかった。
メアリーは心配な子だが、今回の結婚は彼女の方からの打診だったというし、彼女としても、いつまでも捕虜の扱いを受けるよりも、イングランド一の大貴族の妻となることを選んだのだろう。
それに、トマスくらい真面目な人間の方が、彼女の夫には合っている気がする。
マリコだって、前の夫があそこまで酷い男でなかったら、あんなことにはならなかったはずだ。
もう1度、幸せになれるチャンスかもしれない。
そんな私の反応を、じっと窺っていたロバートが微笑んだ。
「……安心しました」
「何?」
「いえ、ノーフォーク公に感触はいいと伝えておきましょう。以前、陛下に求婚した手前、言いにくそうでしたので」
「そう。そうよね……でも、私はもう気にしてないし、ノーフォーク公が新しい人が見つけられたなら、それに越したことはないわ。祝福します」
こうやって、1人ずつ見送る役になっていくのだろう、と実感すると、そこはかとない寂しさも感じたが、めでたい話だと気を取り直して、私はロバートに微笑み返した。
※
「ロバートがそんな話を?」
「うん」
ロバートから、トマスとメアリーの結婚話を聞いた私は、その足でセシルの執務室に向かった。
公爵と隣国の元女王の結婚だ。彼らの結婚に許可を与えるのは私の仕事だが、話くらいはあらかじめ耳に入れておいた方がいいと思ったのだ。
「どちらにしろ、了承するのは、トマスから直接聞いてからになるけど……今のメアリーの問題を解決するにも、悪くない話だと思うの」
「…………」
メアリーをこれ以上、幽閉しておかなくて済むという点にも魅力を感じ、前向きに報告した私に、しかしセシルは固い表情で黙り込んだ。
「セシル?」
その反応に不安になり、1歩引いて伺う。
「駄目……?」
私の視線を受け、セシルは安心させるように穏やかに微笑んだが、続く台詞は慎重そのものだった。
「……今の段階ではお伝えできませんが、少し、確認したいことがあります」
~そのころ、秘密枢密院は……
宮廷に出廷して第一に女王に愛の詩を捧げるという重要な任務と、ついでに頼まれていた事案を片付け、意気揚々と仕事に戻ろうとしていたレスター伯ロバート・ダドリーは、広い通路の一角で、先程片付けた案件の依頼人を見つけた。
ノーフォーク公爵トマス・ハワードが、ロバートと同じく今日から出廷を許された数名の枢密院委員と、話し込んでいる。
「レスター伯」
ロバートに目を止めたノーフォーク公爵が、年長の委員達と別れ、近寄ってくる。
「女王陛下のご機嫌はどうだった?」
「まあまあかな」
さすがに、上機嫌というわけにはいかなかったが、セシルを嵌めようとしたことがバレた時の、烈火の如き怒りは収まっていた。
どうやら許しは得れたらしい。今はそれだけで十分だ。
「感触は悪くない。俺からも薦めておいた」
緊張している様子の男の肩を叩き、励ましの言葉を投げかける。
「大丈夫だ。きっと上手く行く……だが、言うなら早い方がいいかもしれない」
「なぜだ?」
「陛下は前向きに考えておられるようだが、あの方の近くには、メアリー・スチュアートを毛嫌いしている連中がいる。陛下は彼らの意見もお聞きになるだろうから、あまり時間を置くと、考えを変えられる可能性もある」
「ウィリアム・セシルか……」
察したノーフォーク公爵の表情が曇る。
「陛下は、まだあの男を重用しておられるのか」
「『まだ』どころか、日増しに寵は深まっている。だがまぁ、確かに、よく出来た男だ。それは認める」
「…………」
「それより閣下、日取りはいつにする? 俺が陛下に話を通そう」
「あ、ああ。そうだな……ならば――」
※
「…………」
人を待つ間、セシルは、1人執務机の前に座って手を組み、厳しい表情で虚空を睨んでいた。
先程、女王が持ち込んできた話を吟味する。そのメリットと、リスクを。
確かに、ノーフォーク公爵とメアリー・スチュアートの結婚は、現在この国が抱えている問題のいくつかに解決策を提示する。
だが、相手はあのメアリー・スチュアートだ。ことは慎重を期するべきだと、セシルの本能は警告していた。
たかが20歳ほどの小娘に何をそこまで、と他の者なら思うかもしれない。
だが、そのたかが20歳の小娘が、隣国で戦争を引き起こした事実を無視してはならない。
メアリーとノーフォーク公が結婚すれば、多くの者が、エリザベスがメアリーを次期後継者に指名する可能性が高くなると考えるだろう。
メアリーは、エリザベスよりも9つも若い。表向きは国家のためという体を払っているノーフォーク公爵にも、メアリーの夫となることで、いずれはイングランド王に、という欲はあるはずだ。
だが、まだ20代の現女王の『順番待ち』というのは、いかにも気の長い話だ。
そうなれば、届きそうで届かない王位を前に、彼らは、エリザベスの死を待ちきれずに、玉座に座る早道を取るかもしれない。
トマス・ハワードにそこまでの博打を打つ覚悟があるようには見えないが、メアリーはどうだろう。
あの女の行動だけは、どうにも予見しきれなかった。
「――失礼します。お呼びですか、サー・ウィリアム・セシル」
その時、生真面目なノックの後に、黒衣の男が姿を見せた。
女王が部屋を立ち去った後、セシルは急ぎ、彼の『目』を呼び出したのだ。
「ウォルシンガム、忙しところを、急に呼び出してすみません」
「いえ、どのような御用でしょうか」
セシルは、己以上に、メアリー・スチュアートの『不確定さ』を恐れる男の力を借りることにした。
「少し、調べてもらいたいことがあります」




