第139話 再会の宴
翌日、セシルの料理に毒を入れた厨房係の少年の証言から、彼に城外で金を渡した業者を逮捕した。
逮捕した業者は、尋問の末、オックスフォード伯エドワード・デ・ヴィアから金銭を握らされていたと自白した。
本人は容疑を否認しているが、確かに、オックスフォード伯の名前は、ウォルシンガムが調べてくれたリストにも挙がっていた。
動機については、私にもいくつか心当たりはあった。
彼が養父のセシルを嫌っていたのは周知の事実だし、私はこれまで、昇進を期待するオックスフォード伯の露骨なアピールをあしらい続けていたのだ。
というのも、2年ほど前、オックスフォード伯の庶民いびりが目に余った頃に、ウォルシンガムが独自に彼の素行を調査してくれたのだが、パラパラと低次元な悪行が散見し、とてもではないが信頼して重要な任務を任せられる人物ではないと判断した経緯がある。
とはいえ、若い貴族の間でカリスマ的な人気を誇る若き伯爵を、目に見えて蔑ろにするわけにもいかず、あまり重要ではないポストを与える形で、お茶を濁していた。
日頃、我が身の待遇に不平を鳴らしていたオックスフォード伯が、ここに来て何らかのきっかけで、セシルへの嫉妬や憎悪を爆発させたとしても、おかしくはなかった。
被害者のセシルが、ことを荒立てることを望まなかったため、結局逮捕命令は出さなかったが、宰相毒殺未遂事件の主謀者と見なされたオックスフォード伯爵は、私の怒りを買って宮廷での立場が悪くなることを察し、早々に外国へと飛び立つことを希望した。
ほとぼりが冷めるまでは各国を周遊して過ごすつもりだろう。それは、彼らしく小狡い判断だったが、彼の後見人であるセシルも、それを支持したというのだから仕方がない。
私としてはお灸の1つも据えてやりたいところだったが、下手に触って貴族派を刺激することを避けつつ、不満分子のオックスフォード伯を宮廷から追い出せるという意味では、まあ穏当な解決策ではあるか。
その後、デ・スペとオックスフォード伯が何度か会談していたという噂もウォルシンガムが掴んできたのだが、結局真偽の程は分からず終いで、今回の事件は内々に処理された。
別件で処罰した貴族たちも、2週間もすれば許してやるつもりだ。
というか、それ以上はさすがに業務に支障が出る。
ちょうど落ち着いている時期で、良かったといえば良かったか。
これがメアリーの件でバタバタしている時に起こったら、目も当てられなかった。
そんな、少しばかり人数が減って閑散としていた宮廷に、久しぶりに顔を見せた男がいた。
ロバート達を謹慎処分にした3日後、ノーフォーク公爵トマス・ハワードが、ロンドンに帰ってきたのだ。
※
「お久しぶりね、トマス」
懐かしい気持ちでその名を呼ぶと、玉座の前で跪いていた男が、静かに顔を上げた。
行事ごとに贈り物などはきっちり贈ってきてくれていたけど、顔を見るのは、最初の夏の行幸で、ノリッジを訪れて以来だ。
広い額と、理知的で涼しげな目元は、記憶の中そのままで、あれから3年も経ったような気がしない。
最後に別れた時は、こんなに長い間戻ってこないとは思っていなかったが。
……もしかしたら、戻りづらいのかな、などと思ったりもした。
「全然変わらないわね。でも、少し痩せたかしら?」
「……陛下も、最後にお会いした時から、何1つお変わりなく、お美しい。ますます輝きを増すばかりの威光に、我が身がすくむ思いです」
「ありがとう」
じっとこちらの目を見据えて述べてくる社交辞令に礼を言い、微笑む。
「しばらくはロンドンにいられるのかしら?」
「はい」
「また、あなたに支えてもらえることを期待します」
どことなくぎこちなく会話を続けていると、急にトマスが無言になった。
「トマス?」
返事がない相手に呼びかける。
「あ……」
目を開けたまま寝ていたのかと思うほど、こちらを見つめたままぼーっとしていたトマスは、慌てて顔を伏せた。
その後も、微妙に距離を感じる会話を交わした後、ノーフォーク公爵が辞去し、私は玉座の背に身を沈めた。
扇子で口元を多い、こっそり溜息をつく。
……なんだか、思っていた以上に気まずいぞ。
あれは、私がこの世界に来て、最初の夏。
湖上のプロポーズを、思いっきり拒絶したことを、私とて忘れたわけではない。
また元みたいな関係に戻るのは……難しいんだろうなぁ。
少し期待していただけに、失望感に気が沈む。
年が近くて、身分も近くて、性格も少し似たところがあって――
友達になれると思ったのだ。
~その頃、秘密枢密院は……
トマス・ハワードが宮廷に出仕したという話を耳にしたロバートは、その日の夕方、さっそくノーフォーク公爵の所有するロンドンの屋敷へと赴いた。
部屋から出ることは許されたものの、未だ宮廷に出仕することは叶わず、正直に言えば、暇を持て余していたところだった。
初老の執事の案内を受け、通された私室は王室並みの豪華な丁度で、イングランド一の大貴族の権勢をうかがわせた。
暖炉や革張りのソファ、絨毯、大理石のテーブル、壁に掛けられた絵画――と、洗練された調度品の数々を眺めていると、奥の扉が開き、その部屋の主が姿を見せた。
「久しぶりだな、レスター伯」
「ノーフォーク公、元気そうで何よりだ」
完全に個人的な訪問なので、堅苦しい礼は尽くさず、フランクに握手を交わす。
彼とは、スコットランド遠征で戦果をあげた凱旋の時、ノリッジで別れて以来の再会だ。
「貴殿も、北部で会った時よりは、大分顔色がいいじゃないか。やはりロンドンの空気が合うか」
「そうだな。というよりも、やはり陛下のお顔が見れなければ、世界が色褪せてしまう」
笑って言ったロバートの台詞に、ノーフォーク公が手を離しながら視線を落とした。
「……そうかもしれないな」
「ノーフォーク公?」
トーンの落ちた相手の顔を伺うと、ロバートより2つ年下の若き公爵は、端正な顔を上げ、からかうような笑みを浮かべた。
「だが、今は出廷を禁じられていると聞いたが」
「また馬鹿をしでかしてご不興を買った」
肩をすくめて答えると、公爵が苦笑した。
「懲りない男だ」
「恋は盲目なんだ」
「貴殿も、もう少し賢ければ上手く世を渡れるものを」
呆れ交じりの忠告を聞き流す。
味方より敵の多いロバートが女王の怒りを買ったことに、内心ほくそ笑んでいる人間も多いだろうが、ロバートにはどうでもいいことだった。妬まれるのは、それだけ彼らにとって羨ましい立場に己がいるからだ。
「じきにお許しも出るさ。陛下からは、愛するロバートへと書かれた、情のこもったお手紙も頂いている」
鼻を高くして自慢する男のニュアンスは若干事実と異なる部分はあったが、ノーフォーク公はそのまま受け取ったようだった。
「そうか……身を引いたのは正解だったようだな」
「そうだろう、そうだろう」
「つくづく、あの方は男を見る目がない」
「そうでもないぞ」
「自分で言うな。馬鹿に見えるぞ」
呆れたトマスの突っ込みには、宮廷中の男達が同意しただろうが、打っても戻る形状記憶男のハートには響かない。
「陛下は馬鹿な男も嫌いではない。あの方が嫌うのは、彼女を女と侮り、王として認めない人間だけだ」
ロバートが恐れることがあるとすれば、女王の寵を失うことだけだった。実際のところ、それさえあれば、この宮廷で生きていくのには事足りた。
「忠義と愛を尽くせば応えてくれる」
そう言い切ったロバートに、公爵は口を噤んでしまったが、特には気にせず、手土産に持ってきたワインを差し出す。
「貴方がロンドンに戻ってきたら、一杯やろうと思ってたんだ。時間はあるんだろう?」
「ああ、ならば何か軽く食べるものを用意しよう。どうせ謹慎中の暇つぶしだろう」
「まぁ、それもある」
動機はバレバレのようだが舌を出してごまかすと、公爵が若い表情で笑った。
ノーフォーク公に席を勧められ、ロバートが座ると、ちょうどそのタイミングで、テーブルにグラスが運ばれてくる。
持参したワインで乾杯し、一気にあおると、ロバートは天井を仰いで嘆いた。
「陛下にご挨拶に行ったんだろう。羨ましい。俺はもう3日もお顔を拝見していない。愛に飢えて死にそうだ」
「大袈裟に嘆くな。俺は3年見てないぞ」
空いたロバートのグラスにワインを注ごうとした召使を止めたノーフォーク公が、手ずから注いでくる。召使には、新しく何やらのワインを持って来いと命じていた。
「貴殿の愛情表現はいちいち芝居がかっている。そういうところが男の反感を買うんだ」
「別に構わない」
「そうだろうな」
呆れたような相槌を打ち、公爵の方もグラスの中身を煽った。
だが、ロバートにも言い分はある。胸を張り、ロバートは持論を展開した。
「宮廷では、誰もがあの方の美しさ、聡明さを褒め称える。そんな中で、通り一辺倒な表現で彼女の気を引こうなど甘い。例え本心でも、社交辞令だと思われて終わりだ」
「…………」
思い当たる節があるのか、公爵が微妙な顔で黙った。
「いっそ、一切媚びないというクマ男のような手段もあるが……アレは人を選ぶ。リスクが高い」
「貴殿も色々考えているのだな。というか、女を落とすことしか考えてないのか」
「いいや違うな。普通の女を落とすつもりで考えると痛い目を見る」
「…………」
また公爵が微妙な顔をした。
「彼女は……」
「ん?」
ぽつりと呟いたノーフォーク公を目で促すと、彼は躊躇いがちに続きを口にした。
「……変わらないな。3年前のあの時から――何1つ変わらない」
「ふむ……確かに外面は変わっていらっしゃらないが、内面はより王としての磨きがかかられたように思うぞ」
「……そうだな、輝きを増しておられる。眩しくて、己の卑小さが嫌になるくらいだ」
「どうした? ノーフォーク公」
自虐的な呟きを軽い気持ちで聞き流しながら、ロバートは公爵のグラスに無断でワインを注いだ。
「傷がな……癒えないんだ」
「傷?」
「恥ずかしい話だが、あれから何度も、あの舟の上で彼女に受け入れられる夢を見る」
思いもよらぬ赤裸々な告白に、思わず、ワインを傾けていた手が止まる。
「そうなることしか考えていなかったからだ。どうやら、俺の心はまだ現実を受け入れきれていないらしい」
真面目な顔で言った男の目が、自分の手元のグラスに留まる。
「おい、こぼれるぞ」
「あ、ああ。すまん」
注ぎ過ぎてしまったワイン瓶を慌ててグラスから離し、テーブルに置き直す。
そして、奇妙な親近感を感じ、ロバートは小さく笑った。
「……あの方は男に残酷だ」
「あぁ」
が、少々気真面目過ぎる若き公爵は、どこか思い詰めた顔で心境を吐露した。
「もう3年も経つのにな。正直、自分がこんなに女々しい男だとは思わなかった」
「…………」
そこで、沈黙が落ち、しばらく杯を重ねるだけの時間が過ぎた後、ふと、ノーフォーク公爵が話題を振った。
「そういえば、貴殿はスコットランド女王との婚約話を断ったのだったな」
もうずいぶんと前の話し過ぎて、今更な感じがしたが、ロバートは頷いた。
「ああ、そんなこともあった」
「あの時は、女王陛下に激怒されたと聞いたが」
「激怒まではしていない。周りがおもしろおかしく触れ回ったんだろう。あの方は、自分が結婚を強要されるのが好きではないから、他人にもしようとはしない」
「その理屈では、命令されるのが好きではないから、他人にもしないということになる」
「確かに。だが、あの方は命令するのが仕事だ。本来、するのが好きかどうかは俺は知らない」
なぜ、今さら2年も前の話なのだろうと思いつつ、話題に付き合うと、公爵がもう1つ妙なことを言い出した。
「だが不思議だな」
「何がだ?」
「貴殿がスコットランド女王との結婚を断ったということが」
「イングランド女王との結婚なら喜んで受けたぞ」
それは冗談めいた本心だったが、公爵はむきになったように食い下がった。
「とぼけるなよ、一国の王になるチャンスだったはずだ。それとも、本気でまだ女王陛下との結婚の希望を捨ててないとでも?」
「いや、実際のところは諦めている」
あっさり答えると、公爵は肩透かしを食らったように目をしばたたかせた。
「正直、あの方が英国人と結婚するつもりがおありなら、俺以外には有り得ないだろうと思っている」
「大した自信だな」
大真面目な顔で言い切るロバートに、公爵が苦い顔で突っ込んだ。
「だがどうやら、あの方は、生涯独身を貫くおつもりらしい」
その言葉を吟味するように、ノーフォーク公爵は乗り出していた身を椅子の背に沈めた。
「……ああ、そんなことを言ってたな。だが、到底本気ではあるまい。陛下はまだお若いから、潔癖なだけだ。修道女でもあるまいし、本気で処女のまま死にたいと思っているとは――」
「俺はあの方が8歳の頃から知っているが、あの頃からそんなことばかり言っている。きっと、母や継母の哀れな末路が彼女の心に傷を負わせたのだろう。結婚を恐ろしいものだと思っている」
だがそれは、ロバートが幼い頃から知っている女性の話で、今の彼女とは無関係なはずだった。
「……だが中身が変わっても、そこは変わらない。実に不思議なことだが……彼女も結婚を恐れているのだろうか」
「中身?」
「ああ……いや、すまない。こっちの話だ」
ロバートは、脱線した話を元に戻した。
「俺としては、今の宮廷での生活を捨ててまで、スコットランドに行く気にはなれなかったというだけだ。あの方と結婚出来ないということ以外は、別に今の生活に何の不満もないからな」
そう言ってから、地味にいくつか不満があることを思い出す。
「まぁ、少しばかり精霊やクマやヒツジが煩わしいが」
「牧場でも営んでいるのか?」
「それもこっちの話だ」
ごまかすと、公爵がどこか遠い目で呟いた。
「……俺なら、届かない太陽に手をかざすより、手中に出来る宝石を選ぶ」
「ノーフォーク公……?」
含みのある台詞に、不思議に思い見返すと、ノーフォーク公は目を泳がせ、気持ち声を落とした。
「ある人物から、メアリー・スチュアートとの結婚の打診が来た」
「……!」
息を飲む。
ようやく、それまでの不可解な前振りが、この話に繋げるためのものだったのだと悟る。
「悪くない話だと思っている」
「…………」
その打診を前向きに考えているらしい公爵の言葉に、一気に酔いの覚めたロバートは、猛スピードで脳裏に打算を巡らした。
「ノーフォーク公とメアリー・スチュアートの結婚……か」
それは、確かに悪くない話に思えた。
大富豪のノーフォーク公爵に嫁がせてしまえば、ただでさえ逼迫している国庫で、金のかかる元女王を養わなくて済む。
メアリーがノーフォーク公の妻となれば、彼女がイングランドにいることに正当な理由が生まれ、スペインやフランスに身柄を利用される危険がなくなる。
もし今後、キャサリン・グレイに何かあれば、メアリーが次期王位継承者として有力になるが、由緒正しいイングランド貴族であるノーフォーク公爵が夫として王になれば、メアリーに反感を持っている国民も、納得させることはできるだろう。
ノーフォーク公爵がメアリーの夫となるなら、エリザベスも安心してメアリーを後継者に指名するかもしれなかった。
そうすれば、後継者に関する彼女の憂いも晴れ、自分のための結婚を、現実的に考え出す後押しにもなるのではないか。
諦めていると言った端から、そんな期待がむくむくと顔を出す。
ロバートの頭の中で都合のいい結論が出たところで、向かいからノーフォーク公が身を乗り出してきた。
「今日、久しぶりにあの方にお会いしたが、とても平常心ではいられなかった。こんな話を持っていくのは、さらに気まずい。だから、協力して欲しいんだ」
「いいだろう。上手く取り持つさ」
あっさりと請け負い、ロバートは右手を差し出した。
「俺も、貴方が未だに、陛下の婚約者候補として名が挙がる度に、心中穏やかではないんだ。早く片付いてくれ」
「貴殿らしい理由で安心するよ」
握手を交わしながら、ノーフォーク公が苦笑する。肩の荷が下りたように、声が明るくなった。
「頼んだぞ、相棒」
「その前に、俺への怒りが解けるのを待たなければいけないが」
「何、すぐだ。貴殿は陛下に愛されている」
「知っている」
「ふっ……その自信は羨ましいな」
また呆れられるかと思ったが、笑みを漏らした公爵にそう言われ、ロバートはおどけてみせた。
「この成り上がり者が、ノーフォーク公爵に羨まれるものがあったとは光栄だ」
「何を柄にもなく殊勝なことを。貴殿が持たないのは、家柄と人望と誠実さくらいだ。それ以外は、すべて俺以上に持っているだろう。陛下からの愛も」
「それは喧嘩を売っているのか褒めているのかどっちなんだ」
「まぁ、半々だな」
分かりやすい皮肉に唇を曲げ、ロバートは新しいボトルを掴んで公爵のグラスに注いだ。
「ならば結婚の前祝だ」
「おい、入れ過ぎだ」
調子に乗ってなみなみと注ぎこんだ男に、生真面目に公爵が突っ込むが、気にせずロバートは杯を掲げた。
「スコットランドとイングランドの大いなる架け橋となる男に乾杯!」
その日は、明け方まで2人で飲み明かした。




