第137話 ほんの出来心で
ウォルシンガムの正体を知ったところで、何が変わるというわけでもなく、その後も私は普通に、彼を第一秘書代理として便利に使っていた。
今日も、朝の散歩には必ずついてくるし、その辺で見かけても刺すような視線が痛いし、小言は多いし、執務室では先に待機して仕事を山もり積んでいるし。
……まぁ、毎日国中から流れ込んでくる嘆願、要望、報告、意見書を精査し、私に回す分の内容を把握するだけでも、相当な作業なので、本当はいつも感謝はしているのだけど。
そう思えば、ウォルシンガムは私に持ち込まれる国家の大から小までの情報の全てに目を通していることになる。
勿論、私に直接持ち込まれる案件も多いが、公職についてない一議員がこれだけの国家情報を掌握しているというのは、凄いことなんじゃないだろうか。
本来ならば国王第一秘書であるセシルの仕事を、そのまま任されているのだから、それだけ信頼されているということなのだろうけど。
そんなウォルシンガムの補佐をいつものように受けながら、私は執務室で本日のサイン会に励んでいた。
毎日のように私の署名を求める書類が山と届くのだから、人気者は大変だ。
「それにしても、セシル落ち着いてるわね。自分が殺されかけたのに」
途中で集中力が切れてくると、手を休めずに雑談に入るのも、日常だ。
そういう時には、ウォルシンガムはさりげなく、あまり考えなくてもいい事務的な書類を渡してくる。全く出来た男である。
気遣いというよりは、単に私に間違われたくないだけだろうが。
暗殺未遂事件から数日が経つが、相変わらずセシルは、ハイペースにマイペースで働いている。
一応、ウォルシンガムの諫言を受け入れ、食事には毒味をつけるようになったのが唯一の変化だろうか。
見た目はひょろっとしてて華奢な感じなのに、中身はかなり肝が据わっていてタフだ。
あれだけ休みなく働いていて、風邪ひとつ引かないし。
「妬まれることに慣れているのでしょう」
私の感想に、ウォルシンガムは平然と答えた。
「狂信的なカトリック教徒であったブラッディ・メアリーですら、サー・ウィリアム・セシルの有能さを高く評価し、重鎮に取り立てようとしたくらいです。その件は、本人が宗教の違いを理由に辞退し、個人的に女王に仕えるに留めたようですが」
現宰相が宮廷に仕えるようになってから、4人の君主が入れ替わったが、そのいずれもの治世で、セシルは出自や信仰のハンデをものともせずに重用された。
まさにセシルは、己の才能だけで身を立てた男だった。
「サー・ウィリアム・セシルほどの若さなら、まずは地道に宮廷内での足固めをし、派閥を形成して勢力を広げていくのが常套ですが、いかんせんあの方は抜きん出ている。個人の能力のみで政治の中枢に躍り出し、確実に実績を残しています。誰もが彼の有能さは認めるでしょうが、庶民出身で支持基盤を持たないまま権力を掌握することは、鎧を身に着けずに前線に出るようなものです」
「そう……じゃあ今までもそういうことってあったのね。全然知らなかったけど」
あのセシルの落ち着きっぷりは、初めて命を狙われた人間の反応ではない。
「ウォルシンガムが守ってくれたの? ありがとう」
「仕事です」
素っ気なく応えてくるが、その頑なさが、逆に信頼できた。
仕事である限り、決して彼は手を抜かないし、裏切らない。
「よく分かったわ。どれほど優秀な人材であっても、1人の人間に権力を集中させることは危険だってことが。すぐに……というわけにはいかないけれど、少し、人事を考えます」
それに、つい人材不足で、信頼できるセシルに何でも任せてしまっていたところがある。
私が反省していると、ウォルシンガムが話を変えた。
「実は、先日の事件の調査のために、臭い人間の近辺を調べていたところ、サー・ウィリアム・セシルを狙った、別の企てに行き当たりました」
「別の企て?」
不穏な響きに眉をひそめる。
「これが、その関係者のリストです」
そう言って、ウォルシンガムが渡してきた1枚の紙には、現枢密院メンバーの名前がずらりと並んでいた。
クリントン海軍卿やノーサンプトン侯爵の名前もある。
「はぁ?」
政府の中核を担う彼らの名前をこんなところで目にして、文字通り目を疑う。
「ドイツのハンブルク港との貿易が軌道に乗ったため、現在、サー・ウィリアム・セシルがスペインとの交易の回復に向け取り組んでいますが、これを何者かが一部の宮廷貴族と共謀し、妨害工作に出ていることが分かりました」
長い間取り組んでいたハンブルク経由の貿易ルート開拓がようやくセシルの手を離れ、2年前から取引停止が続いているアントワープ港の再開に宰相が着手したのは、去年の暮れ頃からだが、今のところ、あまり芳しい成果は上がっていなかった。
「これは、その妨害計画に賛同し、同意書に署名していた人間のリストになります」
「どういう目的?」
「スペインの経済制裁解除に失敗し、イングランドの経済が打撃を受ければ、責任者のサー・ウィリアム・セシルの失策となり、女王の寵を削げると考えたのでは」
ほほぅ。
「サー・ウィリアム・セシルの失脚を望む宮廷内の有力者という意味では、このリストの中の誰かか、先日の暗殺未遂事件に関与している可能性は極めて高いと思われます。とはいえ、実際に殺害計画に及んだ人間までは、まだ割り出せていません」
「毒を入れたのは、厨房係の下働きの少年の1人だったのよね?」
「宮廷に出入りしている業者の雇われ人に、城外で金を握らされての犯行のようです。詳しい情報などは何も知らされておらず、それ以上は追跡できませんでした。少年から特徴を聞き出し、さらにその業者を割り出して自白を取るよう動いています」
まるで警察だ。この手際の良さには感心する。
「ご苦労様。それにしても……出る杭を打ちたがる奴らばかりで困っちゃうわ」
国益を損ねてまでセシルに失策をかぶせて失脚させようなど、どういう脳みそをしているのか。
ふつふつと湧き上がる怒りを抑えながら、リストに載る名を舐めていく。
「ん?」
リストには枢密院委員の他、高位貴族の名が多く目についたが、その1番下に並んだ名前に目を疑った。
「レスター伯ロバート・ダドリー……だぁぁぁ!?」
※
「何考えてんのあんたはぁぁぁ!」
リストを放り出し、その足でロバートを探して城内を走り回った私は、脳天気に目を輝かせ、両腕を広げてくる馬鹿の懐に飛び込んで胸倉を掴み上げた。
激昂する私に、初めは訳が分からない様子だったロバートだが、後から追いかけてきたウォルシンガムに例のリストを見せられ、顔色を変えた。
力任せにガクガク揺さぶると、男は目を回しながら情けない声で言い訳を始めた。
「こ、これは……ほ、ほんの出来心で……ったまには、ちょっとくらい失敗したらいいと……っ」
「子どもかぁぁぁ!」
私の剣幕にロバートは涙目だ。
泣いても許さん!
「まさか、この前の毒盛り事件にも何か絡んでるんじゃ……」
「そ、そんな恐ろしいことは、神に誓ってしていません! 信じて下さい!!」
私が疑いをかけると、ロバートは襟首を掴まれたまま、もげそうなほど首を横に振った。
……まぁ、毒盛り事件が発覚した日に、その話を耳にしても、素知らぬ顔をしていたのだから、自分には関係ないと思っていたのだろう。
別の陰謀には加担しておいて、関係ないと思えるのも相当楽観的だが。
「何だってこんなバカなことに手ぇ出してんのよ?!」
「うぅ、だって、セシルが……っ俺が、陛下に相応しくないと……っ!」
「はいぃ~?」
半泣きで言い訳を続けてくる男の言い分に、首をかしげる。
ロバートが私の結婚相手に相応しくないなど、彼の姉も含め、ほとんど全世界の人間から散々言われていることだが、何が今更この図太い男の逆鱗に触れたのだろう。
「これはセシルの字でしょう!」
私の勢いが弱まり、威勢を取り戻したロバートが、ポケットから取り出したのは、小さく折りたたんだ紙片だ。
「これって……」
ロバートを解放し、受け取った紙切れを広げてみると、それは随分前に私がなくしたはずの、セシルが作った婚約者候補の査定表だった。
一番右の欄に、ロバートの査定が載っているが、今見ても、「出生:△」「身分:△」「財産:△」「人脈:×」「年齢:◎」「容姿:◎」「マナー:◎」「知識:○」「評判:×」「政治能力:×」「人格:△」「愛情:過剰」という最低評価である。
ああ。
これは怒る。
ちょっぴり納得した私は、一旦矛先を収め、ロバートに同情を示した。
「あー……うん、これはさすがに傷つくわよね。いくら本当のこととは言え、ここまでズタボロに書かれたら……」
「俺の陛下への愛が『過剰』だなどと!」
「そこ?!」
「『年齢:◎』『容姿:◎』『マナー:◎』『知識:○』という高評価は、まぁ当然というか、さすがのセシルも文句のつけようがなかったようですが!」
超内容覚えてるよ! しかも都合の良いところだけ!
恐るべしポジティブシンキング。
「ちょ、ちょっと待って。まあそれはいいわ。それより、この紙どこで手に入れたのよ?」
「スペイン大使のデ・スペに渡されたのです。セシルの書いたものだと言われて、確かに、言われてみればこの字体はそうだなと……」
「!」
斜め上の怒りを爆発させるロバートを落ち着かせようと話題を逸らすと、意外な名前が出てきた。
それまで無表情で話を聞いていたウォルシンガムの眉が跳ね上がる。
確かに、所轄の被らない守馬頭よりも、外国大使の方が外務を管轄しているセシルの筆跡を見る機会は多いか。
あの書類を本に挟んだことは誰も知らないはずだし、彼が盗んだというよりは、書庫に戻しに行く途中に侍女が落としたものを、誰かが拾ったと考える方が自然だろう。
宮廷に出仕していたデ・スペがたまたま拾ったという可能性もゼロではないだろうが、誰か別の人間が拾ったものが、回り回ってデ・スペのもとに届いたと考えた方が自然だ。
となると、デ・スペが宮廷内に、それだけのネットワークを持っているということで……
いかん。ちょっと落ち着いて考える案件だ、これは。
ややこしい話になりそうなので、一旦脇に置いておく。
「理由は分かったわ、ロバート。セシルにとってはあくまで仕事の一環で、あなたに見せる意図はなかったとはいえ、こんな査定を見せられたら、人情として憤る気持ちは分かります」
「陛下! 慈悲深いお言葉に感謝します!」
「でも、蟄居」
「え」
許しが得られるかと一瞬、顔を輝かせたロバートを睨みつけ、私は決然と言い放った。
「今回のリストに名前の挙がった者は全員、明日から宮廷への出仕を禁止します!」
同意書への署名という証拠が挙がっている以上、彼らにも言い分はあっても、処分への言い逃れは出来まい。
それには、宮廷の有力貴族の3分の1相当の面子が関わっていたが、私はこの件に関して断固たる措置を取ることを決めていた。
「セシルは私の精霊です。セシルを裏切ることは、私を裏切ることになると思いなさい!」




