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処女王エリザベスの華麗にしんどい女王業  作者: 夜月猫人
第10章 デ・スペ暗躍編
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第134話 嵐の前の


 お騒がせ女王がイングランドに逃げ込んで来てから、2ヶ月と半月が経った頃、イングランド政府はメアリーに、1つの条件を飲ませることに成功した。


 この機に、これまで彼女が頑なに批准しようとしなかったエディンバラ条約に署名させ、今後、イングランドの王位を主張しないように文書を交わすことにしたのだ。


 これで、一応彼女は、私が現イングランド女王であることを認める形になる。


 当たり前のことだが、現イングランド国王を認めていない人間を、イングランドに留め置いておくわけにはいかない。


 さすがにこの状況で、それすら跳ね付けるほど命知らずではなかったらしく、メアリーは署名することには、しぶしぶ同意した。


 だが、ただでは屈しないところがこの女性の負けん気の強いところで、1度目の文書を突き返し、文面の修正を要求してきた。


 元の文面は、スコットランドでのプロテスタントの存続に合意すること、そしてエリザベスおよびエリザベスのいかなる子どもも存命する場合は、イングランド王位の継承権を主張してはならないこと、というものだ。


 この2つ目の条件について、メアリーは「いかなる子ども」という言葉は「摘出子」に変更するべきだと回答してきたのだ。


 私が愛人の子を孕んでも、そいつには継承権はない、と書くまでもないことをあえて明示しろ、という挑発行為である。


「……あまり看過できる発言ではありませんが、抗議文を送りましょうか?」


 私に愛人がいることを前提で揚げ足を取ってきたメアリーに、セシルが眉を顰め伺いを立ててくる。

 会議に同席していた他の枢密院委員達が、この挑発をまともに受け、女王の名誉への侮辱だ、挑戦だと騒いでいた。


 マリコ的には、多分、意に染まぬ条件を飲ませられることに対して、一言何か言ってやらないと気が済まなかっただけなのだろう。舌を出してる姿が目に浮かぶ。


「……まあいいわ。別に内容は変わらないわけだし、文面を変えるだけでメアリーが私を正統な王と認めてくれるなら、安いものでしょう。あの子のことだから、下手に触るとまた気が変わりそうだし」


 潔癖な男達が青筋を立てるほどには、この挑発に逆撫でされなかった私は、実利を取った。 


「メアリーのことを良くご存じですね」


 おっと。

 探る様な視線を感じ、思わず目を逸らす。


 私は粛々とその修正要求に同意し、「正統な結婚によって得た夫との間のいかなる子供」と文面を修正した。


 それでメアリーが気分よく署名をしてくれると言うのなら何でもいい。

 また気が変わって渋られてもたまらないので、本人がその気でいる間に、さっさとサインしてもらって、面倒事を片付けるのが吉だろう。


 メアリーの後見人には、大金持ちのシュローズベリー伯を選んだ。


 彼女を国内に留め置くにあたり、身の回りの世話を任せるのだが、元女王のメアリーの尊厳を尊重し、十分に満足させる生活を送らせるには、イングランド王室から割り当てられる手当だけでは足りないだろうということが容易に予想できるので、経済的に余裕があり、信頼できる人柄の人物に、この大変な仕事をお願いした。



 これらの一連のメアリー入国事件の事後処理に、2月いっぱいかかった。



 ほんと疲れる。



 でもまぁ、これでだいたい片付いたか。


「ただいま、アン、フランシス」

「おかえりなさいませ、女王陛下」


 1日の仕事が終わり、疲れ果てて私が部屋に戻ると、フランシスの毛づくろいをしていたアンが、膝に乗せていた黒猫を抱いて、笑顔で駆け寄ってきた。


 その笑顔に癒され、フランシスごと抱きしめる。


「お勉強はどうだった?」

「今日はラテン語とフランス語のお勉強をしました。先生がほめてくださって、今度は自分で考えた文章で、陛下にラテン語のお手紙を書かせていただくことになったので、とてもたのしみです」

「そう、すごいわね。楽しみにしてるわ。無理せずゆっくりでいいからね」

「はい!」


 アンは、驚くほど覚えが早い。

 たった2カ月で、先生が自作の文章で手紙を書くのを許可するのだから、この子は天才だと思う。いや、親バカじゃなく。


「今日も会議長引いて疲れちゃったー」


 頭を撫でながら愚痴ると、アンが素直な目で聞いてくる。


「おふろに入られますか?」

「そうするー。さぶいし」

「ご用意はできております」

「ありがと、キャット」


 すかさず答えてくる筆頭女官のキャットに礼を言い、私はアンの手を引いて立ち上がった。


「アン、一緒にお風呂はいろー。頭洗ってあげる」


 私がこの時代に来て以来、女王権限を駆使して身の回りのものを改造していったのだが、その中でも最初に着手したのが、『お風呂に毎日入れるようにすること』だった。


 今となってはずいぶん懐かしい話だが、当時は宮廷でも、頻繁にお風呂に入ることは、一般的ではなかった。


 当初は贅沢だ何だと文句を言われたこの習慣も、4年も経てば女王発の新習慣として受け入れられ、入浴というのが、一種の上流階級の娯楽として浸透していた。


 娯楽に金をつぎ込むのが生き甲斐の貴族たちの間では、邸内にどれだけ豪華な浴室を作るかで競ったり、ハーブや花を浮かべたリラクゼーションに拘りだす者がいたりと、様々な流行を生み出している。


 今では、お上りさんや新しい外国大使が初めて宮廷に上がった時には、「女王に謁見する前には必ず風呂に入ること」というマナーがこっそり教えこまれるのだとか。


「ん? なに、フランシスも入りたいの? ……あ、逃げた」


 少女の腕の中から見上げてくる黒猫に声をかけると、ぴゃっと逃げ出した。


 まあ猫だしな。


 女王のベッドの上に無断で乗ることが許されているお猫様が、お気に入りの枕の上に丸くなるのを見届けた後、私とアンは手をつないで浴室に向かった。







~その頃、秘密枢密院は……



「シュローズベリー伯は、随分メアリーの我がままに振り回されているようですね」


 件の元女王の後見人から届いた定期報告書を繰りながら、主席国務大臣が苦い笑みを浮かべた。


 メアリー・スチュアートがイングランドに入国してから、すでに2カ月以上が経過していた。


 罪を立証できない以上、現スコットランド王の実母である女を、客人として遇せねばならないという女王の主張は確かにその通りで、冷遇すれば彼女と縁のあるフランスやスペインから非難を受けるのは目に見えていた。


 好んで受け入れたのでもないのに腹立たしい話だが、かといって今さら大陸のカトリック国家に渡すわけにもいかない以上、イングランド政府は、メアリー・スチュアートを緩やかな軟禁状態で、監視のもと置いておく他はない。


「彼女の望むように城を改築し、料理人を外国から雇って、衣装や召使の数を揃えるとなると、とても月々の手当だけでは足りないと、早くも嘆いています」

「あの女は自分の立場が分かっているのか……」


 シュローズベリー伯の報告を読み上げるセシルに、ウォルシンガムは低く呻いた。

 そんな不機嫌なウォルシンガムを、セシルが苦笑混じりに宥める。


「まぁ、このくらいはあの方の想定の範囲内でしょう。だからこそシュローズベリー伯が選任されたようなものですし」 

 

 セシルの言葉通り、メアリーが金のかかる女であることを見越して、女王は富豪のシュローズベリー伯に後見人を任せた。


 とはいえ、シュローズベリー伯には、メアリーの世話に必要な経費として、毎月多額の手当を支払うことになっている。


 それで足りないというのだから、常に節約節約とうるさい彼らの女王を少しは見習ってもらいたいものだ。


 セシルが読み終わった報告書を揃え、ウォルシンガムに回しながら言った。


「メアリーのことは、女王の強い意向で、王侯として相応しいだけの生活は保障しています。シュローズベリー伯は温厚で信頼できる人柄です。いくらメアリーが扱い辛かろうと、陛下のご意思に背くような真似はしないでしょう」

「ですが、もうあの女に自由はない。事実上の幽閉です」


 受け取った報告書を睨みつけ、ウォルシンガムが低い声で断定する。


 イングランドの国庫に負担をかけ、隠居した元王妃のような優雅な生活を送る女に不満はあるが、メアリーは今のところ大人しくイングランド政府に身を委ねていた。


 女王も、メアリーをロンドンに呼ぶことは断念したらしく、ウォルシンガムが大反対して以降は、そんなことも言ってこなくなった。


「2度と、あの女を女王に近づけてはいけない」


 人を魅了する魔女に、女王の周囲の人間が取り込まれないとも限らない。

 また、それでなくとも同じ王という立場の若い女性に同情を見せている女王が、今以上に情を寄せてしまうことは避けねばならない。


 メアリーの奔放さに嫌悪感を抱くウォルシンガムでも、ここまでの経緯を客観的に辿れば、かの女が持つ抗いがたい魅力と、波乱を引き起こす星の下に生まれた強烈な存在感を、認めざるを得ない。


「1つの王国に2人の王が共存することは有り得ない。太陽は2つ天には輝かない」


 かの女の危険性を十分に認識したウォルシンガムの言葉に、セシルが黙って頷いた。


 王という定めを背負った2人の女性。

 まったく対照的でありながら、どちらも強烈な存在感で男を舞台の影へと押しやっている。


 影で構わない。

 だが、盾であることを譲る気はなかった。






 そうして、イングランド宮廷でメアリー問題が落ち着きを見せ始めた頃――1つの事件が起こった。


 サー・ウィリアム・セシルの命が狙われたのだ。




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