第131話 子どもを授かりました
1562年の新年を迎え、私、天童恵梨もエリザベス女王歴4年目に突入しようとしていた。
宮廷の生活は、儀式や慣例と表裏一体で、複雑怪奇な部分もあったが、4年目ともなると、そのあたりもすっかり板についてきた。……と思う。
1月6日の公現祭を終えた最初の月曜日は、いわゆる仕事始めで、王への新年の挨拶と贈り物をすることが習慣となっている。
そして、女王がその返礼として、銀の食器を臣下に贈るのも、また慣例だった。
時代柄か、宮廷という上流階級の世界だからか、ここでは、特に物を贈ったりお返ししたりという習慣が多い。
明確な打算で区切られた商取引は嫌悪され、ゆるやかな打算を善意のオブラートで包んだ、贈り物の贈呈や交換が美学とされる。
気前よく物を贈ることは、信頼、愛情、そして友情を表すツールなのだ。
ビジネスライクが進みすぎた21世紀の日本では急速に衰退しているシステムではあるが、横の繋がりを大切にする昔ながらのコミュニティーや、上流階級では、まだいくらか見られた感性だ。
臣下や外交官たちから山と贈られる品々を査定するのは宰相の役目で、いつものように玉座に座る私の左手に立ったセシルが、リストを手に、1人ずつ謁見希望者の名を読み上げていく。
朝一から始まったこの行事で、午前中はまるっと潰れる。
宮廷人たちから女王へと贈られてくる献上品は多種多様だ。
宝石や衣装の他にも、小間物や装身具、書き物机、書籍、黒壇の戸棚、金ボタン、黄金のカップ等々――価値ある品々が次々と持ち込まれ、それらの品にセシルが目を通す間、彼らは女王と直接会話を交わす機会を与えられる。
ちなみに今年のセシルからの贈り物は、銀に真珠母貝が埋め込まれた小物入れとペンナイフのセットだった。シックでとってもかわいい。
そんな中、ひときわ変わった贈り物があった。
「娘のアンです」
ベッドフォード伯爵フランシス・ラッセルが差し出したのは、6歳くらいの女の子だった。
ドレスで着飾った少女が数歩進み出て、恭しく礼をしてくるのを、私は目をぱちくりさせて見つめた。
「あなたがプレゼント?」
問いかけると、緊張からか、顔を紅潮させた少女が、目を伏せて黙って頷く。
すると、隣で、ほぅ……と、セシルが感心したような息を吐くのが分かった。ついで、手元のリストに何かを書き付けている。
「神が私に与えたもうた、この多大なる希望に満ちた宝を、この程、陛下に差し出したく思います。願わくば、私の陛下への愛が我が娘にも伝わり、娘が年を重ねるにつれ、その愛が増していくように望みます。どうか永遠の友情の証として、我が娘をお受け取りください」
……ええっと……
笑顔で我が子を差し出してくるベッドフォード伯爵に、私は女王歴4年目にして、その慣れない『慣習』に戸惑った。
この時代のイングランドの上流社会には、子供を贈与、もしくは交換するという、里子制度ともいうべき不思議な風習がある。
親しい人や恩のある人に宝石を贈るように、彼らは自分の子供を贈り合うらしいのだ。
女性の結婚相手が親に決められるように、子供の里親も親が決め、受け取った相手は子どもを贈られたことに感謝して、里子を我が子と同等か、それ以上に大切に育てる。
とはいえ、話には聞いていたが、現代日本人な私にはいまいち理解しづらい価値観だ。
実際に子どもを贈られるのは初めてなので、戸惑い、傍らのセシルに視線で縋った。
「喜んで受け取って下さい」
伯爵には聞こえないよう、小声で促される。
「彼にとっては、家宝を陛下に献上する以上の、忠誠の証です」
「な、なるほど……!」
私にも分かる比喩で、その『贈り物』にどれほどの価値と意味があるのかを教えてくれる。
「ありがとう、伯爵。驚きました。とても素晴らしい贈り物です!」
戸惑いを隠して喜びを表現した私は、改めて玉座の前にたたずむ少女を見つめた。
「こちらへいらっしゃい」
内心ドキドキしながら、両手を広げて呼ぶと、しずしずとお行儀よく少女が近づいてくる。
手を伸ばせば届くところにまで来て、ドレスの裾を広げて礼をした少女の頬に触れた。
小さな白い顔。青い瞳、黄金の髪――お人形のように整った顔立ちだが、今は緊張からか鯱鉾ばっていて、大きな瞳が今にも泣きそうなほど潤んでいる。
か、可愛い……!
今すぐギュッとしてやりたくなるが、ここはグッと堪えて、私は席を外し、少女の前に膝立ちになって視線を合わせた。
「はじめまして、アン」
「は、はじめまして、女王陛下」
微笑んで覗き込むと、フリーズしていた少女が、ようやく口を開く。
「これからよろしくね」
緊張をほぐそうと、柔らかいほっぺたにキスをすると、少女の顔が火を噴きそうなほどに真っ赤になった。
かわゆい……!
キュートな様子にテンションが上がり、私は笑顔でベッドフォード伯爵を振り返った。
「こんな素晴らしい子を、本当に頂いてよろしいの? ベッドフォード伯爵」
「勿論でございます。陛下にお喜び頂けることこそ至上の喜び。私が陛下の前に差し出せる最も価値あるものを献上することを、我が忠誠の証としてどうかお受け取り下さい」
「あなたの気持ちはよく分かりました。素晴らしい家臣を持てて、私は本当に幸せです。後ほど、格別に好意を注いだ返礼の杯を差し上げましょう――ご安心を、伯爵。彼女のことは、とても大切にします。いらっしゃい、アン」
「はい、陛下」
少女の手を引いて、私は玉座の隣に誘った。
山積みの献上品の隣に並べるのもかわいそうだったので、侍女に言って玉座の隣に椅子を持ってこさせ、ちょこんと座らせる。
そこから先の新年の挨拶を、女王と同じ目線から見るという特別待遇を受けた少女は、お人形のような顔に緊張を浮かべ、年に似合わぬお利口さで、最後まで姿勢正しく座っていた。
1562年1月某日。
私はその日、子どもを――文字通り――授かった。
※
うわー。
うわー。
うわー。
どうしよう……!!
いきなりコウノトリさんから子どもを授かった私は、かなりの勢いで舞い上がっていた。
人間の子どもとか育てたことないよ! 弟とか一緒になって喧嘩してた記憶しかないし!
犬猫とはわけが違うよ! なんたってしゃべるし、知能高いし。怖いよ。ぐれたらどうしよう。
だが頂いてしまったからには、養い親として、責任を持って育てるのだ。
服はどんなのを着せよう。家庭教師は何人くらい付けたらいいだろう。とりあえず寝室付き侍女として傍において、最初のお仕事はフランシスの世話くらいから?
午前中に新年の贈り物交換が終わり、昼に新年最初の御前の儀式を済ませ、ようやく通常の執務に戻れるようになった私は、はやる気持ちを押さえきれず、半ば駆け足で執務室に向かっていた。
早く、この興奮を誰かに伝えたかった。
広い城内で人を探すのは大変だが、執務室に行けば、あいつが先に待って準備しているという確信があった。
「クマさん!」
近衛兵が両脇に立つ両開きの扉を、彼らの礼を無視して片方だけ開けて部屋に飛び込む。
入って真正面奥にある女王の執務机の斜め後方に、書類の束を手にした男の姿を認めた私は、振り返った相手に猛る思いをぶちまけた。
「どうしよう、私、子どもを授かっちゃった!」
ウォルシンガムが傾いた。
「ベッドフォード伯爵がね、新年のプレゼントにって、6歳の娘さんをくれたのよ! びっくりしたけど、もらったからには大切に立派な淑女に育てる!」
拳を握って宣言すると、傾いていたウォルシンガムが直立不動に戻った。
「……陛下、度肝を抜かないで下さい。身に覚えがなさ過ぎます」
遅ばせながら、傾いた理由を悟る。
私は、慌てて両腕を振り回しながら否定した。
「はっ!? ななな何言ってんのよ! そんなことあるわけないでしょ有り得ないでしょ!」
「だから驚いたのです。あり得たら絶望します」
「絶望?」
「何でもありません」
「とにかくすっごく可愛いの。もーお人形さんみたい! しかも、まだ小さいのにお行儀が良くって」
ともあれ、この一大トピックを語り尽くさないことには、仕事が手に付かない。
私はいつものように執務机の前に座りながら、午前中のコウノトリ事件の一部始終をウォルシンガムに話した。
まあ、私にとって事件だっただけで、彼らにとっては自国の風習の一部なのだろうが。
「セシルも、今3人……だっけ? 里子を育てているのよね」
「サー・ウィリアム・セシルは、去年から被後見人裁判所長官を兼務していますから、里子制度の推進のため、模範を示しているのでしょう。清廉の士の誉れ高く、女王の寵も厚いあの方に、我が子を預けたい人間は多い」
クリスマス・イブの朝に、私の浴室に突入してきた少年もそうだが、セシルは、すでに3人の子どもの後見人を務めていた。
セシルは彼らを受け入れ、丁寧に教育を受けさせながらも、金銭的な利益は一切求めていない。
それでも、子ども達は養い親であるセシルに感謝と親愛の情を持つし、セシルと実の親の間の絆も深まる。
「子供の贈呈や交換は、貴族同士の絆を強め、横の繋がりを作ります。サー・ウィリアム・セシルは貴族ではありませんが、こういった上流階級の輪に入ることは、あの方の置かれた立場を思えば、将来的には有意義なものとなるでしょう」
セシルの置かれた立場……というのは、やはり彼が庶民出身でありながら、女王の寵臣として国政を掌握しているという点だろう。
滅私奉公を絵に描いたような宰相の貢献は誰の目にも明らかなため、貴族を中心に構成される宮廷人たちも、彼の地位には納得していると思っているが、どうしてもその出自を理由に、浮いたり妬まれたりすることもあるのだろう。
セシルはそんな様子は一切見せないので分からないが、今のウォルシンガムの言葉から、なんとなく推察する。
「亡くなった親からの遺言で、遺贈された子を育てるっていうのは、なんとなく感覚的に分かるんだけど、実の親が元気なうちから、子どもを送ったり交換したりするのって、なんかすごく私の感覚では不思議な感じがするんだけど、それってこの時代だと一般的なの?」
譲り受けた子を、さらに別の誰かに授けるということもあるらしい。勿論、実親の合意の上でだ。
犬猫じゃあるまいし……という気にはなるが、この時代には、女性が男性の所有物であるように、子どももまた、大人の所有物であるのだろう。
子どもの死亡率が高いこの時代では、子は家にとって、とても貴重な財産だ。
だからこそ、贈り物を贈り合い友情を示す文化にあっては、大切な子どもを贈呈するということに、格別な意味がもたらされているのかもしれない。
などと、極力、自分の常識を取っ払い、客観的な立場に立って分析してみたのだが……
「我が国独自の風習ですね。外国では聞いたことがありませんので」
私の素朴な疑問に、博識なウォルシンガムが意外な答えを返した。
どうやら、この里子制度は、この時代においても特殊なものであるらしい。
「恐らくはアイルランドの旧習の影響を受けているのでしょうが……」
「アイルランドの?」
「あの国は氏族制で、生まれた子をすぐに里子に出す風習があります。あの国では里子が家督を継承することも可能なので、我が子をどれだけ有力な人間に贈るかが、出世の鍵となってくる。そうして家族的な繋がりを深め、氏族内の結束を固めてゆくのです。だからあの国は、氏族ごとの独立色が強く、縄張り争いで原始的な抗争が続いているため、統治が難しい」
「なるほど……」
アイルランドは、一応イングランド国王が支配していることになっているが、実際には昔ながらの有力氏族が縄張りを争いながら支配しており、ほとんど未開の地だ。
「わが国では相続権自体は実子の長子にしか発生しませんし、露骨な出世や婚姻に結びつく制度ではないため、貴族たちはアイルランドの里子制度を野蛮だと嫌悪しているきらいがありますが、源流は同じでしょう。我が国とアイルランド以外では、このような風習は聞いたことがありませんので」
外国を転々としていたウォルシンガムは、この文化自体が異質なものであることを、客観的に認めているようだった。
ウォルシンガムの言う通り、イングランドの里子制度では、相続権自体は、実子の長子にしか発生しない。
そのため、例えば男爵の養い子が幼くして家督を継いで、伯爵だったりすることは普通にある。
だが、里親と里子の間には深い絆が結ばれることが多いので、その男爵の娘と養った伯爵が結婚したりして、男子が生まれれば、その子が伯爵位を継ぐので、養う側のメリットになる可能性もある。
そのあたりの打算を前面に押し出さず、友情の証の贈り物として扱うところが、イングランド貴族的にはアイルランドと違って『優雅』な部分なのだろう。
「いろんな国があるもんねー」
独自色が強いのは島国ならではというところか。日本も、海外から見たらかなり独特の文化を持っているみたいだし。
他人の子供を譲り受けて、十分に養育できるというのも、経済的に豊かな上流階級ならではだ。
小さく完結した宮廷という世界で、彼らは家族的な横の繋がりを持つことで、一種の一体感を生み出すのかもしれない。
「まぁ、自分の子供が出来る予定もないし、ちょうどいいかも。実際に産むとかなると、大変過ぎてちょっと想像つかないけど、ちっちゃい子って可愛いわよね」
「…………」
出産とか怖くて考えられない私には、人の子を預かるくらいが精一杯だろう。それも多分、キャットとかレディ・メアリーに頼りきりになるだろうけど。
「クマさんも贈り物ありがとうね。可愛くて気に入っちゃった」
ウォルシンガムの新年の贈り物は、白のもふもふの毛皮に銀糸で小粒真珠のボタンを縫い込んだマフで、これまた私好みのデザインで気に入ってしまった。
「フランシスに見せたら仲間と思うかなー」
「敵だと思うのでは」
ウキウキ妄想する私に、ウォルシンガムが水を差す。
「ねぇねぇ、今日ちょっとだけ、あれでフランシスと遊んでもいい?」
「陛下にお贈りしたものです。ご自由にお使いください」
「わーい、ありがと。きっと喜ぶと思うのよねー。大きさも形も似てるし」
ようやく仕事に手をつけ始めながら、私は今から、夜にアンと一緒にフランシスにマフをけしかけるのを楽しみにしていた。




