第130話 聖夜に祈りを
クリスマスを目前に控えバタバタしていた頃、マリコから私宛の私信が届いた。
『ちょっとアンタ! どーゆーつもり!? このアタシにあんなボロ着を着ろっての?! 性格悪いわよ!!!』
身に覚えのないことで、凄い勢いで怒られた。
はい~???
とにかく怒り狂っているのでわけが分からない内容だったが、世話係に派遣したノリスの報告と照らし合わせて見ると、ようやく状況が飲み込めた。
どうやら衣装係の侍女が、相当使い古したドレスをメアリーに送りつけたらしい。
その場に居合わせたノリスは、『侍女が間違えて送ったのだろう』と言い訳に苦しんだが、通じるわけもなく、メアリーの怒りは相当なものだったと、おののきを交えて報告している。
『ゴメン、忙しくて全部侍女に任せてたから……多分、私の伝え方が悪くて用途を間違えて選んだんだと思う。新しく私が選んだの送り直すから、受け取って』
すぐに謝罪の手紙を書き、気を遣って選りすぐったドレスや靴を送ったのだが、手もつけずに送り返されてきた。
うおー、これは怒ってる……
仕方がないので、ノリスに預けておいて、ほとぼりが冷めた頃にさりげなく渡してもらうことにする。
今回の件は、おそらく侍女達がわざとやったのだろう、ということは予想がついた。
女の集団では珍しくないことだが、どうもこういう、気に入らない相手に嫌がらせをしたいという気持ちはよく分からない。
「それをやって何か意味があるのか?」と思うし、誰かを不快にさせたところで自分が得をするわけもない。
むしろ、今回のように私の耳に入るなどして、お咎めを受ければ、不利益にこそなれ、利益にはならない。労力と知恵の無駄遣いだ。
……まぁ、今回は、そこまで彼女たちの気持ちに気が回らず、『何でもいい』と言って一任した私にも責任があるし、彼女たちは命令違反を犯したわけではないので、事実確認と忠告だけで、きつく咎め立てはしなかった。
今やイングランド中がメアリーを嫌悪しており、その彼女に厳しい態度を取らない私に対する苛立ちも募っている。
ここで重ねて彼女たちを叱責しても、不満が増すだけだろう。
感情的になりやすい分、女の集団の取り扱いは、男のそれの数倍難しい。1番苦手な分野だ。
ああ、めんどくさい。
そんな余計なことにも煩わされつつ、忙しないままに師走を突っ走り、あっという間に12月24日を迎えた。
メアリー・スチュアートという、とんでもないクリスマスプレゼントを受け取ってしまったイングランド宮廷も、ぶっちゃけ何も問題は片付いていないのだが、表面上は何事もなかったかのように、クリスマス期間に向けての念入りな準備が進められていた。
どちらにしろ、スコットランド政府が受け入れを拒否している以上、メアリー・スチュアートの取り扱いは、イングランド側で再度検討する必要がある。
メアリーはソルウェイ湾から上陸し、近郊の街カーライルで保護を受けていたが、スコットランド政府からの返答が来るまではと、宮廷からサー・フランシス・ノリスを派遣し、面倒を見させていた。
すぐにでもメアリーを帰せるようなら、その方が地理的に都合が良かったからだが、この分だと長く居座りそうなので、今後は、より内陸のボルトン城に移し、軟禁することになる。
どちらにしろ、12月24日から1月6日の公現祭まではクリスマス期間に突入するため、そのあたりの動きは、年が明けてからになるだろう。
何も片付かないまま迎える年末にもやもやするが、こればっかりは仕方がない。
イブの日没から始まる降誕祭に向け、この日は朝から、国王が出席する特別なミサのための準備が始まった。
この準備自体が、全て格式張った段取りが組まれていて、半日仕事だ。
まずは朝一で、特別な儀式として入浴をする。
大理石で出来た広い浴室で、数名の侍女に傅かれながら、身を清める。
かぐわしい花が敷き詰められた浴槽の中で、香油を頭からかけられ、後ろに控えた侍女が長い髪に櫛を通す。
別の侍女が恭しく手を取り、爪を整える。
それらを全裸でなすがままにされながら、時間を無駄にしたくないので、頭の中で来年度の節約作戦についてアイディアを練っていると、なにやら広い浴室の入り口付近が騒がしくなった。
「陛下はご入浴中です!」
筆頭女官のキャットが、誰かを厳しく叱責する声が聞こえる。
「何……?」
不穏な空気に耳をそばだてると、うろたえたような若い男の声が聞こえた。
「も、申し訳ございません! ただ、サー・ウィリアム・セシルから、降誕祭が始まる前にお伝えした方がいいと……!」
「――!」
ただ事ではないと悟り、私は浴槽を出た。
「へ、陛下! その格好で出られては……」
「かけるものを頂戴」
「ですが……」
「いいから」
湯と香油でしとどに濡れた髪のまま我を通すと、侍女たちが大急ぎで、身体を拭くために用意していた白い布をかけてくる。
大きなシーツを身体に巻き付け、私が大股で入口に向かうのを、侍女が慌てて追いかけた。
「陛下はこの後も、ミサに向けたご準備が立て込んでおられます。お話があるならば全てが整ってから、陛下のご意向を伺って……」
「サー・ウィリアム・セシルからの至急の報告ならば、最優先で聞きます」
キャットが厳しい口調で使者に断りを入れるのを、浴室を出た私が遮った。
「陛下! そのような格好で……!」
風呂上がりな私の姿を見て、キャットが悲鳴を上げる。
その隣で口をあけたまま呆けているのは、12、3歳程の、まだ年若い少年だった。
セシルは数名の親を亡くした子どもを引き取って、後見人として面倒を見ており、彼もその1人だ。
「早く言いなさい」
「……っ」
私に促され、我に返った少年は顔を真っ赤にしたが、跪いて顔を伏せ、必要以上に声を張り上げた。
「女王陛下にご報告申し上げます! 昨年8月に出航したエリザベス号が、プリマス港に帰還しました! 船長はジョン・ウィンターです!」
「エリザベス号が……!?」
一瞬、その言葉の意味することが悟れずに反復したが、理解した途端、血の気が引いた。
ジョン・ウィンターは、エリザベス号を指揮する副提督だ。
「エリザベス号だけ……?」
ドレイクが太平洋横断という巨大な夢を乗せて、大海原に旅立ってから、1年と4ヶ月。
去年の夏、彼は、彼自身が乗っていた旗艦ペリカン号を含め、5隻の船団を率いてプリマス港を出立した。
「ペリカン号は? ドレイクはどうしたの……?」
動揺を呑み込んでの私の問いかけに、少年は力なく首を横に振った。
「マゼラン海峡を越え、新大陸の西海岸を北上している折に嵐に巻き込まれ、沈没したと……」
「嘘……」
風呂から上がったばかりだというのに、唇が渇く。
嘘だ。
そんなことは、あってはならない。
彼は、英雄になる運命にあるのだから。
「嘘よ!」
「ですが、ウィンターは……」
「すぐにウィンターを呼びなさい! 事情は私が直接聞きます! この目で確かめるまでは何も信じません!」
「ハッ……ハイッ!」
腕を振り、声を張って命じた私に、少年が弾かれたように走り去る。
「陛下……」
「……準備を早めに終わらせて。ミサが始まるまでの時間に、ウィンターと接見します。例の計画に関わった人間を全員、私室に集めて」
キャットにもそう命じ、私はすぐに浴室に引き返した。
クリスマスのミサには、国王は、戴冠式で着た式服を纏って出席する。
裳裾の異常に長い式服を着て宮廷内をうろうろするのは困難なため、私は私室を出ることなく、帰還したウィンターと接見することにした。
「陛下!」
私室でほとんど用意を終えた私の前に最初に現れたのは、忙しいはずのセシルだった。
「朝は、うちの者が大変な失礼を。確かに急げとは言いましたが、まさか浴室にまで上がり込むとは……私の管理不行き届きです。厳しく叱っておきますので、何卒若輩者の無分別をお許し願いたいと……」
「別にいいわよ、中まで入ってきたわけじゃないし。それより、早く知らせてくれて良かったわ」
相当に決まりが悪いのか、弱り切った調子で謝ってくるセシルを慰める。
別に風呂を覗かれたわけでもなし、しかも子どもとなれば、さほど気にはしていない。
というか、ぐるぐると頭の中で回り続ける別の思考に取りつかれ、それどころではなかった。
ドレイクが死んだ――その信じがたい報告に、ただ衝撃を受けていた。
歴史は、どこまで彼を守ってくれたのか。もしかしたら、初めからそんなものは存在しないんじゃないか。
もしくは、私が下手に動いたせいで、歴史が大きく変わってしまったんじゃないか。
はたして、あの時ドレイクを、太平洋に送り出したのは正しかったのか――
「陛下……!」
答の出ない自問を続けていると、関係者の1人として呼んだハットンが、部屋に駆け込んできた。
「陛下! プリマスに、エリザベス号だけが戻ってきたと……!」
彼の方も顔をこわばらせ、いつものような天真爛漫な笑顔はない。
「ドレイクは……!」
「ハットン……」
青ざめた少年を傍に呼んで抱きしめ、自分自身を落ち着かせるように、言い聞かせる。
「大丈夫、大丈夫よ。ジョン・ホーキンズだって帰ってきたじゃない」
あいつは海の男だ。あんな豪胆で図太い男が、そんな簡単に死んだりしない。
「大丈夫。ドレイクは絶対帰ってくる」
「陛下……」
「あいつは、英雄にならなくちゃいけないんだから」
その日の日没前、プリマスから馬を走らせ、宮廷に参上したウィンターの話から、ドレイクの足跡が判明した。
去年の8月、ドレイクの船団は順調に航路を進め、途中ポルトガル船を拿捕するなどしながら、2ヶ月で新世界――南アメリカ大陸の海岸に辿り着いた。
そこから先は危機の連続で、嵐に遭ったり、船団内で分裂が起こり、裏切り者や離脱者が出たりもしたようだが、これを提督のドレイクが類い稀なリーダーシップを発揮して統率し、いよいよ未知の海域への関門であるマゼラン海峡を通過したらしい。
だが、太平洋に入るやいなや、恐ろしい嵐に遭い、船団の1隻、マリーゴールド号が行方知れずになり、後にエリザベス号もペリカン号とはぐれてしまった。
副提督のウィンターは、これ以上進むのは困難と判断し、引き返して祖国へと帰還した。
今回の計画に出資した者たちに、ことの顛末を伝えたウィンターは、マリーゴールド号は遭難し、おそらくドレイクの乗っていたペリカン号も遭難したであろうと発表した。
誰もが葬式のような暗い顔でその話を聞き、重苦しい空気が立ちこめる中、私は希望を込めた声で、ウィンターに確認した。
「ならばウィンター卿。あなたは、ドレイクの死を目撃したわけでも、ペリカン号の沈没を目の当たりにしたわけでもないのですね」
「はい、ですが……」
「私は、彼がこの国を救う救世主として戻ってくることを、誰よりも固く信じている者です」
そう言い切ることで奇跡が起こる呪文のように、断言する。
その見えざる力に慄くことも多い歴史の流れに、今ばかりは縋りたかった。
歴史がそう示しているのだから、ドレイクは絶対に、英雄になるために帰ってくると。
「彼は私よりずっと若いのですから、私の命ある限りは彼の帰還を待ち続けます」
断固たる決意のもと彼の意見を否定した私に、ウィンターは恐縮して顔を伏せた。
ウィンターが立ち去った後、私は両手で顔を覆って息をついた。
縋るにはあまりにも細い希望の光を前に、押し寄せる不安に胸が塗り潰される。
大丈夫。生きてる。あいつが死ぬわけない。
「陛下……」
ハットンが、椅子に座る私の傍らに膝をついた。
「僕も待ちます」
「ハットン……」
「陛下が、ドレイクが救世主となるというなら、それは、必ずそうなることですから。僕は待ちます」
「……そこまで信用されちゃうと、なんだか心強いわ」
不安になっている私を、励ましてくれているのだと分かり、私はハットンの手を取って、両手で祈りの形に包み込んだ。
「祈りましょう、ハットン」
「――はい」
世界でたった2人だけでも、信じている人間がいる。
だから、ちゃんと生きて帰ってこい。
「陛下、お時間です」
ハットンと2人、手を握り合って祈り続けていると、本日のミサを執り行う司教がやってきた。
「ええ、行きましょう」
ハットンの手を離し、司教の前に膝をつく。
後ろに従っていた司祭から王冠を受け取った司教が、恭しく王冠を捧げ持ち、私の頭に乗せた。
例の、儀式の時にしか被らない、背が縮みそうな重量の、純金の王冠だ。
正統なるイングランド国王の証――聖エドワードの王冠。
その場に居合わせた者たちが膝をつき祈りを捧げる中、ハットンも私の傍を離れて、遠巻きに人の輪の中で身を低くした。
その王位に負わされた重責を表すような、重たい王冠を頭上に戴き、立ち上がった私は、司教と司祭に導かれ、長い裳裾を持つグレート・レディーズに付き添われながら、私室を出てチャペルへと向かった。
その後ろを宮廷人達が続き、厳かな行列が城内を進む。
イブの日没から1月6日の公現祭までの12日間、ミサと祝宴に明け暮れるクリスマスが始まった。
そうして、慌ただしいままにクリスマスを通り過ぎ、私達は、新しい年を迎えた。
第9章 完




