第128話 迷惑な居候
その日、眼が冴えて眠れない夜を明かした私は、翌朝に緊急招集する予定の枢密院会議で論じる内容を、ずっと考えていた。
ウォルシンガムの叱責は、正直痛かった。
突然のことで、深く考え切れないままに希望を口にして、言い負かされてしまったことを反省する。
何か意見を通す時には、必ず根拠となる理由を用意しておかなければいけない、ということは、よく分かっていたはずなのだが。
とはいえ、メアリーをロンドンに迎えるのが危険だというウォルシンガムの意見は、確かにその通りだった。
そこは大人しく納得しておいて、朝の会議を招集する前に、セシルとウォルシンガムと話し合い、今後の方向性を決める。
つまり、一旦は仕方がなくメアリーを受け入れるが、ロンドンに決して近づけず、それ以上の要求は飲まないこと。速やかにスコットランド政府に打診し、安全かつ正当な形で彼女を祖国に送還すること、等だ。
唯一、服を送れという要求については、セシルから「衣装を送るかどうかは好きにしたらいい」と判断を任された。
そこは意地悪しても仕方がないので、後日、物を選んで送ることにした。
恐らく枢密院会議では、メアリーの処遇について、かなり苛烈な意見が飛び交うことが予想されるため、メアリーの身柄を一旦は受け入れることを、彼らに納得させるだけの論拠を練る。
「今すぐ船に乗せて、スコットランドへ追い返すべきです!」
「あの女は、女王陛下に伺いを立てる前に、勝手にカーライル城に乗り込んで、歓待を受けているということではありませんか。非常識にも程がある!」
メアリー上陸の報を聞き、恐慌した男たちの拒否反応は凄まじかった。
完全に疫病神扱いだ。
「メアリーはこの冬の寒空の中を、3日3晩馬で駆け、逃げ続けてきたのですよ」
メアリーを国内に受け入れなければいけない理由はない、と断固受け入れを拒否する彼らに、私はまず情に訴えかけて、態度を軟化させる作戦に出た。
「私の許に助けを求めて飛び込んできた小鳥を、放り出すような非情な真似は出来ません!」
「陛下のご厚情は理解できますが、あの女は犯罪者です! 清廉な君主たる陛下が、かの罪人を匿うことは、他国に不必要な疑心を与えはしませんか!?」
「いいえ、逆です。彼女は罪を犯したのかもしれない。だが、犯していないかもしれない。はっきりとしたことが分からない以上、十分に王族として敬意を払わなければ、礼儀を失します」
それから、体裁を語り、最後に国益の話に入る。
論拠として用意するのに理想的な数は3つ。ストーリー立てて相手の心理の階段を下っていく。
「諸君、よく考えて下さい。彼女は私の従妹です。どうして私が、血の繋がった女王に無慈悲な真似が出来るでしょうか?」
彼らが、リスクを取りたくなくてメアリーを拒絶する気持ちはよく分かる。
だが、彼女を拒絶することもまた、1つのリスクになるのだということを、彼らに悟らせる必要があった。
「今、このブリテン島を、全ての大陸国家が注目しています。私を肉親に情もかけない血も涙もない女と、諸君主の目に映すことがあなた方の望みですか? それは、イングランドが保身のためなら血の繋がりも過去の友情も顧みない、友好の結び甲斐のない国家であると思われはしませんか?」
「それは……」
私の指摘に、それまで威勢の良かった委員たちが怯む。
彼らもメアリー憎しの感情が先立っているが、メアリーの処遇は、何もスコットランドとイングランド間だけの問題ではない。
国際的な視野に立てば、これはもう1つ厄介な問題を含んでくる。
つまり、宗教問題だ。
「今この状況で、カトリックの女王を、プロテスタント国家が不当に扱えば、大陸で傍観するカトリック国家の敵愾心を煽ることになるでしょう。罪の確定していない者を、それも一国の君主であった人間を、軽々しく罪人と断じるべきではない」
騒動が起こった時は、メアリーを糾弾した大陸諸国も、彼女がプロテスタント国家に逃げ込む暴挙を犯したとなれば、今度は打算含みの目で、慎重に事の成り行きを見守るはずだ。
大陸は今や、カトリックとプロテスタントの対立が限界まで激化している。
その主役となっているスペインやフランスといったカトリック強国は、いざとなればいつでもメアリー支持に走るだろう。
「メアリーの身柄は受け入れます。ですが、スコットランドに宣戦布告をしろなどという妄言に耳を貸すつもりはありません。スコットランド政府と話がつくまでは、今のカーライル城で賓客として扱うよう、サー・フランシス・ノリスを世話係に派遣します」
このあたりは、朝一であらかじめセシルたちと話をつけた。
無論、外出などの自由は与えられないため、言わば賓客という名の囚人だ。頑強なプロテスタントのサー・フランシス・ノリスは、お目付け役ということになる。
「その後は……スコットランドとの交渉次第にはなりますが、国内外の事情を考慮して、最も穏便な形でこの危機を乗り切れるよう、皆さんで知恵を出し合って下さい」
私の言葉に、海千山千の政府の重鎮たちが、文字通り頭を抱えて溜息をついた。
メアリーを追い返すという選択肢を除いた上で、この地に押しかけた望まざる高貴な存在を、どう取り扱うか。
今後、イングランド政府は対応に苦慮することになるだろう。
メリットはほとんどない。ただ、リスクだけはどちらの方向を向いても存在する。
「……なんという迷惑な女だ」
誰かが呟いたが、それは、スコットランド、イングランド両陣営の総意の代弁だっただろう。
そうして、メアリー元女王がイングランドに亡命したという事件は、瞬く間に世界中が注目するところとなった。
なにせ、姦通罪と殺人教唆の容疑をかけられて廃位された王が、宗教的にも政治的にも相容れない隣国に逃げ込んだという珍事件だ。
イングランド政府がこの珍客にどう対応するかは、対岸の国家からすれば、まさしく見物というところだろう。
とはいえ、ことを荒立てたくないイングランドからすれば、スコットランドに熨斗つけて返す一択なのだが、これがまた上手く運ばなかった。
スコットランド側が渋りやがったのだ。
おいこら。
「自分とこの女王なんだから、自分とこで面倒みなさいよね~っ?」
「みぎゃー」
「陛下、フランシスをいじめてはいけません」
「いじめてないもん、可愛がってるだけだもん」
ベッドにダイブし、先客で寝ていたフランシスが逃げようとしたのを掴んで引き寄せると、キャットにたしなめられたが、私はふくれっ面で反論した。
だがフランシスの方は私に抱っこされたい気分ではなかったらしく、ジタバタと腕の中でもがいてすり抜けてしまった。
可愛がって欲しい時は自分からすりついてくるのに、気が乗らないとつれない態度だ。そんなところも小悪魔的でかわいい。
「結局、スコットランド政府からは色よい返事はもらえなかったようですわね」
「そーなのっ。なんかうだうだ理由つけてたけど、要するに戻ってこられるのが面倒なんでしょ! って感じ」
一応、こちらも諸手を挙げてメアリーを受け入れるわけにもいかず、名目上は『捕虜』という扱いとなっている。
……せめてスコットランド側がメアリーの身柄を強く要求しているならば、微々たる額でもいいので、身代金を支払わせてつき返すというのが、1番体裁がつくのだが……
普通は、自国の君主が外国に捕らわれている状態など喜ばしくないため、身代金を払ってでも身柄の返還を要求するものだが、スコットランド議会は、すでに幼少のジェームズ王をスコットランド国王として擁立しており、ぶっちゃけハタ迷惑な女王に帰ってこられることに難色を示していた。
身内の面倒くらい身内で見ろと言いたいが、いい加減、この女王の不品行に振り回され続けた政府側が、せっかく追い出せた相手が戻ってくるのを嫌がる気持ちも分からないではない。
だが、イングランドだって迷惑だ。
不満をぶちまける私の様子に、キャットが頬に手をあて、浮かない顔で鋭いことを口にした。
「これが、亡命した先がフランスならば、親類もいるわけですし、同じカトリック国家ということで手厚く迎え入れられたでしょうに……よほどカトリーヌ・ド・メディシスに助けを請うのが嫌だったのでしょうね」
「……やっぱりキャットもそう思う?」
「フランス王妃時代のメアリーと、カトリーヌの確執は有名ですし、当然それが理由だろうと、女官たちの間では話していますけれど?」
さすがに、女の情動には女の方が察しが良い。
私も、落ち着いて考えてみて、結局それくらいしか、今回のマリコの行動の理由が見つからなかった。
とはいえ、いくらなんでも、この期に及んでそんな理由!? という疑いもあったのだが、キャットたちはすでに断定しているらしい。
「従姉妹とはいえ、王位継承権を巡って対立している陛下の元に逃げ込んだ選択には、さすがに皆、不思議がっていましたけど、陛下の前世のお友達ということでしたら、その辺りの甘えもあるのでしょう」
フランスでちやほやしてくれた人達に惨めな姿を晒すのは嫌でも、私に迷惑かけるのはいいってことかいっ。
友達になった覚えはないが、向こうには今だけ友達認定されている可能性が高い。
なんかもう、色々頭が痛いのだが、1番痛いのは、強制イベント発生しまくりで、結局気が付けば、イングランドがメアリーという爆弾を抱える羽目になっていることだ。
これはもう、処刑コースまっしぐら!?
歴史を変えるってこんなに難しいのか!?
いや、この場合、変えるのが難しいのは歴史じゃなくて、1人の人間か。
彼女は彼女の本能にのみ従って行動し、その結果、世界を振り回しているのだから。