第121話 キャサリン・グレイ懐妊騒動
スコットランドの動乱が、プロテスタント貴族側の勝利で終わり、ボスウェル伯が逃亡、メアリーがロッフレーヴェン城へ幽閉されている最中、イングランド宮廷でも1つの騒動が起こった。
「無理だ、頼む帰ってくれ!」
「そんな冷たいことを仰らないで! もうあなた以外に頼る方が……!」
「だからって、いきなり男の寝室に押し掛ける奴があるか。こんなところを誰かに見られたら……!」
それは、とある深夜、1人の青年貴族の寝室の前で密やかに交わされた、ある男女の会話だ。
レスター伯ロバート・ダドリーと、サーフォーク公爵の娘キャサリン・グレイの。
王位継承権を持つグレイ家の姫君と、反逆者の息子で女王の寵臣である守馬頭。
宮廷に敵の多いその2人の真夜中の逢瀬は、不運にも口さがない誰かの目に留まり、翌日には宮廷中に知られることとなった。
その話は、当然私の耳にも入った。
「ケアリー、ロバートの様子は?」
「朝から顔色悪いですよ。挙動不審だし。陛下のところに顔を出されてはいないんですか?」
「ええ……今日はまだ見てないわ」
ロバートと仕事上接点の多い警備隊長の姿を通りすがりに見つけ、声をかけた私に、従兄は細い眉を寄せて難しい顔を見せた。
「そりゃ怪しいっすね。こんなこと言っちゃなんですが、隠し事してるっぽく見えるというか……あくまで噂ですが、キャサリン・グレイが妊娠してるって話もあるし」
「……!」
「まぁ、噂ですよ」
顔色を変えた私に、ケアリーがそうフォローを入れる。
実際、午前中にケアリーから聞いたその噂はまだ可愛いもので、午後には、噂は凄まじい尾ひれをつけて宮廷を駆け巡った。
レスター伯は、いくら望んでも結婚してくれないエリザベス女王を諦め、次期王位継承者のキャサリン・グレイに乗り換えた。
前の妻と同様に、今度はエリザベスを亡きものにしようとするはずだ――と。
収拾がつかない事態に、噂の真相を知るべく、私はロバートを私室へ呼び出した。
……ことによっては醜聞になりうるので、謁見の間ではなく、私室へ。
キャサリン・グレイは、サーフォーク公爵家の末の娘だ。
元々は彼女の姉のジェーン・グレイが有力な継承権を持っていたが、病弱な少年王エドワード6世の崩御の際、当時摂政だったロバートの父、ジョン・ダドリーが強引に、自分の息子の1人とジェーン・グレイを結婚させた。
順当に行けばエドワード王の姉メアリーが次の王になるところだったのだが、ジョン・ダドリーは瀕死のエドワード王に遺言を書かせ、息子の妻となったジェーン・グレイを女王に即位させたのだ。
結局、ダドリー家に敵対する貴族の嫉妬と、国民の反感を買ったこの野心的な計画は、メアリー王女を推す一派によって逆襲を受け、内乱へと発展した。
即位からたった9日で玉座から引きずり下ろされ、夫となったロバートの弟と連座で処刑された『9日間の女王』の悲劇は、まだ記憶に新しい。
つまりはロバートにとって、渦中のキャサリン・グレイは義理の妹にあたる。
グレイ家の次期王位継承者とダドリー家の男という組み合わせは、宮廷の人間達に、否が応にも、その時の悪夢を思い起こさせるだろう。
女王の私室に呼び出されたロバートは、寝不足のような隈を作り、ケアリーの報告通り青ざめた顔でやってきた。
「義妹は妊娠しています」
「…………」
私の前に跪き、動揺を隠せぬように視線を彷徨わせながら、ロバートが告げた。
「……レスター伯」
一気に冷めた私の眼差しに晒され、狼狽したロバートが腰を浮かせて弁解した。
「違います陛下! 俺の子じゃありません!」
「みっともない言い訳はやめて。誠実な愛を示すならまだしも、保身の為にキャサリンを切り捨てると言うなら……」
「本当です! 信じて下さい!!」
妻の死を聞いて利己的な主張に走った姿を思い出し、顔を背けた私の膝に、ロバートが取り縋ってくる。
「相手は、シーモア家のエドワードです。あの2人は今年の2月、反逆を承知で陛下に無断で結婚していた!」
「……!」
その告発に、目を瞠る。
セシルを始め、その場にいた数名の重臣にも動揺が走った。
君主の許可を得ずに結婚した王族とその相手を死罪に科す『反逆法』は、1553年に廃止されている。
とはいえ、原則として、王室に連なる者、及びそれに殉ずる地位の高い人間は、君主に結婚の許可を得る必要があった。
何よりキャサリン・グレイは、有力な王位継承権保持者だ。
その身の上で、無断で結婚し、子供まで作ってしまったとなると――
「立会人となったらしいジェーン・シーモアは数ヶ月前に亡くなっており、彼女と秘密を共有していた実母も、エドワード・シーモアの姉も急死している。とりなしを頼む人間もいなくなり、何人にも打診をしたが断られて途方に暮れた挙げ句、義理の兄で、女王にも近い俺を頼ったようです」
私の膝元で手を握り、切々と伝えてくるロバートの表情には、鬼気迫るものがあった。
「そのような重罪のとりなしを頼まれても迷惑だ。巻き込まれてはかなわないと、あの場では追い返したのですが、真実を知ってしまった以上、女王にお伝えしないわけにもいかず……」
聞かなかったふりをすることも考えられたが、一晩悩んだ末、結局、義妹の罪を告発することを選んだらしい。
「……キャサリン・グレイを呼んで」
苦々しい気持ちで指示を出す。
もうこの時点で、私はどれだけ気の進まぬ采配を振らねばならないか、十分に予感していた。
どうやら体調不良を理由に、宮廷には出仕せず、ロンドン市内の私邸に引きこもっていたらしいキャサリン・グレイは、すぐに私の前に引き出され、包み隠さず全てを吐き出すことになった。
ロバートの告発の通り、私の前から何かと理由をつけて遠ざかっていたキャサリン・グレイは、妊娠8か月ほどの大きなおなかをしていた。
今にも倒れそうなほど血の気の引いた顔で、目の前に跪こうとした女性を止め、侍女に椅子を運ばせて座らせながら、愕然とする。
なんてことだろう。
――チューダー朝の王位継承者の子供。
このおなかの子がもし男の子だったら……もし彼女が正しい結婚の上で、その子を身ごもっていれば、まぎれもない私の後継者となる――はずだった。
人目を盗んでエドワード・シーモアと密会を重ねていたキャサリンは、やがて彼の子を身ごもり、私にばれるのを恐れて隠し続けたが、ついに隠しきれなくなって、何人もに取りなしを頼んだものの、すげなく断られてしまったらしい。
「私は、ただ、愛するあの人と結ばれたかっただけなのです……!」
そう泣きながら訴えるキャサリンの頬には、ぶたれたような跡があった。
この事態を引き起こした娘に対する、父親の折檻だろうか。
ヘンリー8世の遺言では、エリザベスの次の継承者には、メアリー・スチュアートではなく、このキャサリン・グレイが指名されている。
いくつもの異論はあれど、イングランドの国内法では、現時点で最も次期王位に近い立場であり、その身柄は、イングランド王位を狙う外国の王室に利用される恐れがあったため、キャサリン・グレイの婚姻には慎重を期すように、王家とグレイ家の間で了解が取り交わされた。
しかもキャサリン自身は、正式に私に後継者として指名されていないことに、以前から不満を表明していたのだ。
つまり本人には、己が正統な王位継承者であるという自負と自覚があったはずだ。
それでいて、王家との密約を破り、国王の許可を得ずに秘密裏に結婚したことに、彼女が王位というものをどれだけ重んじていたのか疑問が残るが、結果だけを見れば、グレイ家は、野心ありと取られ反逆罪に問われてもおかしくない。
20歳の娘が起こしたことには、それだけの重みがあった。
「陛下も、同じ女性であるならば、この気持ちをお分かり頂けると信じております。どうか、寛大な心でこの愚かな女の所業をお許し下さい……!」
さめざめと泣き続けるキャサリンが、何とか私の情に訴えかけようと、言葉を重ねる。
気持ちが分かるかどうかは別としても、同情の余地はある。
状況からしても、お粗末な発覚の仕方からしても、彼らの間に、政略的な意図がなかったのは明らかだ。
だが、個人的な同情と、政治的な事情は全くの別物だ。
今回の件は、彼らの若い愛ゆえの暴走であったとしても、これを陰謀であると考えたらどうだろう。
誰かが王の意向を無視して、王位を狙いキャサリン・グレイと秘密結婚を結び、男児を産ませ、それが後継者となることがまかり通れば、それはまごうことなき簒奪行為だ。
過去には、意図的にその計画を試みたノーサンバランド公爵ジョン・ダドリーが反逆罪に問われ、処刑台に消えた。
ここで彼らを不問にして前例を作れば、今後、必ず同じケースを装った陰謀が起こる。
「……エドワード・シーモアを拘束なさい。キャサリン・グレイをロンドン塔へ」
罪悪感を握りつぶし、私は目を瞑ってそう命令した。
キャサリンの顔は見なかった。
「2人を会わせてはなりません」
その日、私は、愛し合う恋人同士を引き裂いた。




