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処女王エリザベスの華麗にしんどい女王業  作者: 夜月猫人
第8章 スコットランド動乱編・前編
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第114話 お幸せに


「大公に改宗を強要?」

「そのようなことを仰ったのですか、陛下は」


 翌日、緊急で枢密院を招集した私は、昨日、部屋に戻ってからまとめた結婚の条件を委員たちに突き付けた。


 女王の呼び出しに、とうとう結婚の決意を固めたのかと希望に満ちた顔で集まってきた重臣たちの顔色が、一転して悪くなる。


「して、大公はどのように……?」

「譲れないものがある、と仰っていましたわ」

「それはそうでしょう!」


 恐る恐る聞くノーサンプトン侯爵に、扇子を扇ぎながら澄まし顔で答えると、クリントン海軍卿が怒気を含んだ声を張り上げた。


「とにかく、もう決めました。結婚するなら、これ以上の妥協はできません。大公殿下がこれらの条件を飲んでくださるというなら、ぜひとも結婚したいと私が言っていると、伝えてもらって構いません」


 机の上にぽつねんと放り出され、険悪な視線に晒される書類を、畳んだ扇子の角で叩き、私は会議テーブルを離れた。


「どう思う?」

「不可能だろう。決裂するしかない」

「あの女王は本当に結婚する気があるのか?」

「ないのだよ! また、あの優柔不断にしてやられたのだ。何ということだ……」


 背後に、男たちの落胆した声を聞きながら、私は知らぬ顔で会議室を後にした。



 そうして、1年と9カ月に及ぶ婚約交渉の末、ハプスブルク家との縁談は破談した。




 交渉決裂が決定した翌日、早々に帰国することが決まったカール大公とラベンスタイン男爵を見送りに、私は少人数の供をつれて港に立った。


 多忙で出れないセシルの代理でウォルシンガムと、市内お忍び以降、ヴォルフ親子と友情を育んだらしいケアリーが率いる護衛を少数連れて行く。


 後は、申し訳なくて顔向けが出来ない、こんな結果に終わってしまって非常に口惜しい、と悔みに悔みまくったクリントン海軍卿が、顔向けできないと言いながら、どうしても見送りに立ちたいと言うので同伴させている。


「カール大公、お元気で。あなたのおかげで、貴重な体験ができました。とても素晴らしい時間を共有できたことを感謝します」


 波止場に立ち、船を背にする大公らと向かい合う。


「こちらこそ、女王陛下にお会いできたことを、嬉しく思います」


 そう応えながらも、カール大公は曇り顔だ。傍らに立つラベンスタイン男爵も、渋い顔をしている。

 

 最後の婚約交渉は、特使と枢密院の間で行われたが、殺伐とした形で決裂したようだった。


 多少角が立つのは仕方がない。これ以上引き延ばして、年増女が馬に蹴られるよりはマシだ。


 イングランド女王にここまで飲めない条件を突きつけられて、交渉が決裂したとなると、ハプスブルク家も諦めて、バイエルン公爵の娘との結婚に賛成するだろう。


 悪かったわね、付き合わせて。


 とは言えないので、心の中で謝っておく。


 クリントン海軍卿がラベンスタイン男爵に向かって、これ以上イングランドにとって条件の良い相手は現れないだろう、女王は最良の夫を得る機会を手放した、と大声で嘆く声には聞こえないふりをする。


 その向こうでは、ケアリーがヴォルフ親子と別れの挨拶を交わしていた。


「陛下」


 クリントン海軍卿の嘆きっぷりに周りが気を取られている中、カール大公が遠慮がちに口を開いた。


「すみません……貴女を、悪役にしてしまった」

「……!」


 浮かない顔のまま謝ってくるカール大公に、初めて、彼が私に負い目を感じているのだと気付く。


 どうやら、改宗問題が断るための口実だというのはバレてしまったらしい。

 でも、私も元々断るつもりだったのだから、謝られる筋合いはない。


 今回はたまたま、利害が一致しただけだ。


「貴女に心惹かれたのは本当です。でも……」

「私も、あなたに心惹かれたのは本当よ。でも……多分、同じ意味だと思うわ」


 結婚相手として出会っていなければ、きっと良い友人になれたんじゃないかと思う。


 言葉を返し、右手を差し出すと、自然と指輪に口づけようとした大公を押しとどめ、私は手のひらを返した。


 意図を汲み取った大公が手を伸ばしてきて、握手を交わす。


「お幸せに」


 誰にも聞こえないくらい小さな声で囁くと、唇の動きで読み取ったカール大公がはにかんだ。

 この、不思議と愛嬌のある笑顔は、実は結構好きだった。


 顔を見合わせ、無言で別れを惜しんだ後、背を向けたカール大公を見送る。


 船に向かう大公の背を追ったラベンスタイン男爵の謝罪する声が、風に乗って聞こえた。


「ここまで殿下にご足労いただきながら、まことに申し訳ございません。このブルンナー、いかようなるお叱りも……」

「いや……ありがとう」


 そんな男爵の台詞を押しとどめ、大公は1度、気にするようにこちらを振り返った。


 目が合い、彼がいたずらっぽい笑みを浮かべるのが見えた。


「いい人に出会えた!」


 私に聞こえるよう、あまりに大きな声で言うので、思わず吹き出してしまった。


「は?」


 ラベンスタイン男爵が拍子抜けした声を出す。



 そうして一行が船に乗り込み、帆船がゆっくりと波止場を離れていく。


 薄曇りの空の下、暗い青の海面を滑る一艘の船を、私達は潮風に吹かれながら、立ち尽くして見届けた。


「最後は、随分と強引な手段を使いましたね」


 小さくなった船影をいつまでも見送る私の隣で、ウォルシンガムが言ってくる。


 この男の情報では、今回、カール大公との縁談を断ったことで、宮廷内でも、私の結婚しないという主張が、にわかに信憑性を帯び出したらしい。


 だから最初から言ってんじゃん。


「いやまぁ、馬に蹴られる前にね」

「馬?」

「なんでもなーい」


 ごまかし、うんと伸びをして深呼吸すると、潮の匂いが胸に一杯に広がった。


「結局、弱みを握って恩を売りましたか」

「何の話?」


 とぼけてみせるが、きっとこの男にはお見通しなのだろう。


「いえ、貴女らしい籠絡の仕方だなと感心していただけです」

「なにそれ」


 気の抜けた心地で相槌を打つ。

 潮騒の音を聞きながら、英仏海峡を眺めていると、なんとなく物寂しい気持ちになった。


 そんな私の横顔を見つめ、ウォルシンガムが指摘してくる。


「少し、後悔しているようにも見えますが」

「別に。これ以上条件のいい人は現れないだろうから、本当にこれで良かったのかなって、ちょっと思っただけ」


 1歩ずつ、エリザベス1世が辿った道を歩んでいる。


 ウォルシンガムの言うように、それ以外に道がないわけじゃないのかもしれないけど。


「でも、私個人としてはホッとしてる。やっぱり、政略結婚とか無理だし」


 いろいろ理由を振りかざしてみても、結局、好きな人以外と結婚することに抵抗があるというのが、本音なのかもしれない。


 頑固と言われようが、やっぱり歴史の知識は、私がこの世界で唯一持つアドバンテージだから、捨てることはできない。


 それでも、今回切り離して考えてみて、やっぱり好きな人とじゃないと結婚できないと言う結論に至ったことで、どこかスッキリとした気持ちで、その選択を受け入れることができた。


 歴史のために、無理に自分を曲げるわけじゃない。 


「次に迷うなら、好きな人が出来た時かしらねー」

「…………」

「もしかしたら、本物のエリザベスも、本当に好きな人とじゃないと結婚したくないって思ってたのかも」


 歴史に名を残す名政治家が、未婚という武器を外交に利用していたのは間違いないが、彼女もきっと、私と同じように何枚も仮面をかぶっていただろうから、誰も知らない心の奥底に、そんな本音が隠れていてもいい。


 しばらくセンチメンタルな余韻に浸りながら、ウォルシンガムと並んで、黙って波の往来を目で追った。


 そういえば私、こいつとちょっと喧嘩してたような?


 あまりにも当たり前のように隣にいるので、つい忘れていた。


 なんで喧嘩したんだっけか。


 考えるが、とっさに思い出せないということは、もう遺恨を残していないということだから、まあいいか。


 ふいに、強い風が吹きつけて、私は小さく首をすくめた。


 もう春だし、と舐めてかかってあまり厚着をしてこなかったのだが、海の近くはさすがに寒い。

 

「風が強いわね。そろそろ帰りましょうか」

「そうですね」


 すでにケアリー達が帰る準備をしている馬留めに向かって歩き出すと、ウォルシンガムがいつものように斜め後ろに付き従ってくる。


 3月半ばの波止場はまだ肌寒かったが、馬に乗って海の傍を離れたら、風が弱まった分マシになった。


 港町を横目に通り過ぎ、ロンドンへ続く街道を上っていく。


 雲の切れ間から太陽が覗き、陽に照らされた道を進むと、ほのかに暖かさを感じた。



 移ろう季節の隙間の1日が、何食わぬ顔で通り過ぎていく。

 


 もうすぐ、私がロンドンに来て、3度目の春が訪れようとしていた。 




第8章 完

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