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処女王エリザベスの華麗にしんどい女王業  作者: 夜月猫人
第8章 スコットランド動乱編・前編
113/242

第113話 大公の秘密


「少し、元気がないように見えますが」


 カール大公の声に、私はふと我に返り、水面に映る自分の顔を認識した。


 朝からずっともやもやが溜まっていて、気が付くと迷路庭園での会話を思い返していた私は、湖面を眺めながらしかめっ面をしていたらしい。


 午前中に巻きで必要な謁見だけを済ませた私は、昼前にはカール大公と顔を合わせていた。


 今日は離宮の湖に、小舟を浮かせてのデートだ。

 なんとなく、トマスと遊んだ時のことを思い出す。あれは夏だったか。


 ボートには、私たち以外は漕ぎ手が1人乗っているだけで、演奏者などは乗せていない。

 代わりに、私が直々にもてなそうと、フルートを持って来てはいるのだが、どうにも気乗りせず、ケースを開けてもいなかった。


 今吹いても、多分いい音は出ない。


「ちょっと臣下と喧嘩した……かも」


 良い言い訳も思い浮かばなくて、正直に答えてみる。


 あれを喧嘩と言っていいのかわからないが、私もカチンときて意固地になってしまった気もする。


 冷静になって思い返せば、きっと、多分、恐らくは……ウォルシンガムは、セシルと同じことが言いたかったのだろう。

 歴史に捕らわれずに、ちゃんと『今』目の前の人物と向き合え、と。

 言い方がキツいから、少し――いや結構、へこんでしまったが。


 うん、あいつは言い方が悪い。


 今思えば、なんか機嫌悪かったような気もするし。

 普段からご機嫌なところを見たことがないので、いまいち判別つかないけど。


 と、またすぐに眉間に皺を寄せて、あの男のことを考えていると、向かいに座っていたカール大公が苦笑した。


「喧嘩ができる相手がいるのはいいことかもしれませんよ」

「……そうかも」


 のほほんと言われると、こちらも尖っていた気持ちが和らいだ。


「誰も何も言ってくれなくなったら、何が正しいか分からなくなるから」

「我々は、いつもその危険をはらんでいます」

「そうね」


 謙虚でいることの難しさは、地位と権力を持つ者ほどよく知っている。


『ウォルシンガムを手放してはいけません』


 女王になったばかりの頃に、セシルに言われた言葉を思い出す。

 

 王としての権威が増せば増すほど、周囲には私の耳に痛いことを言う人間がいなくなる。

 媚びずに、率直にものを言える人間は貴重だ、と。


「喧嘩をしたというのはレスター伯ですか?」

「え?」


 予想外の名前が出てきて、驚いた。


「いえ、昨夜何度か目が合ったのですが、とても警戒されているように見えたので」

「あいつ……」


 威嚇するなと言ったのに、だだ漏れである。


「ずっと陛下のダンスの相手をしていましたし、仲が良さそうに見えたものですから」


 まさかロバートに言及されるとは思わなかった。

 相変わらずのほほんとしているが、これはもしや遠回しな嫌味なのか? 私が受信できてないだけか?


「僕のせいでお二人が喧嘩をされたのかなと思うと、申し訳ない気もしまして」


 んん?


 その感想はおかしいだろう。


 ロバートが私の愛人だというデマは未だ出回っているし、ラベンスタイン男爵は絶対そんな話はしないだろうが、他の宮廷人たちが面白がって大公に吹き込んでいる可能性は高い。


 仮にも婚約者になり得る女の愛人(と思しき男)との痴話喧嘩に遠慮してどーする!?


 まさかそんなところまで大らかなのか? そういうフリーダムなのか?


 拭い去れない違和感を感じつつも、私は否定した。


「違うわよ。レスター伯じゃありません。痴話喧嘩でもないし」


 カール大公が原因だったのは確かだが。


「むしろ、臣下は皆、あなたとの結婚を心待ちにしているわ」

「そうですか……」


 ん?


 なんか、イマイチ反応が薄いような。


 まぁいいか。


 変にがっつかれてもしんどいしな。


 あまりガンガン来られると引いてしまう私としては、これくらいが話しやすくてちょうどいい。


「もうロンドンに来て6日目だけど、どう? 住めそうかしら」

「え? ええ。街は活気があって、宮廷の皆さんも親切なので、居心地は良さそうですね」


 実に無難な回答が返ってくる。


 仮に大公と私が結婚するとなると、彼はほとんどの時間をイングランドで過ごすことになるだろう。

 夫の婿入りを希望するイングランド側にとっては、それが可能になる三男という立場は、都合がいい条件の1つだ。


 宗教に関して言えば、カール大公自身はカトリック教徒だが、信仰を押しつけることはせず、公には国教会の方針に従うという風に言ってくれている。


 国政についても、結婚すればイングランド王の称号は与えられるが、実権はなく、イギリスの法律や慣習を守り、国務の補佐はしても国務に口を挟むことは出来ず、人事の任命権も持たない――という、メアリー女王とフィリペ王の婚姻契約時と同等の条件を飲むことになっている。


 その上で、スペインとの関係が微妙になり、フランスとは相変わらず互いに警戒し合っている今、神聖ローマ帝国の後ろ盾を持つハプスブルク家との結婚同盟は、孤独なイングランドに安心感を与えるだろう。


 ほんと、そういう意味では、条件は揃っているんだよなぁ。

 

 それに、大公の人柄は好きだ。

 

 正直、恋愛感情というものはまったく湧かないのだが、この人なら、結婚しても国は上手くいくような気がしなくもない。


 現時点で、国のことを考えるのなら――エリザベス1世が独身を貫いたという歴史を無視するのなら――カール大公との結婚は、最良の策のように思えた。


 多分今後も、彼よりも女王の夫として条件の良い相手は現れないような気がするのだが、本物のエリザベスはカール大公とも結婚しなかったわけだ。


 ……とはいえ、本物のエリザベス1世が、この孤独な小国を独力で守り抜き、大陸に比肩する一流国家へと導いたからといって、彼女に見劣りしない舵取りを、私が出来るという保障はどこにもないのだが。


 などと考えると、また今朝のウォルシンガムとの会話を思い出す。くそぅ。



 うーん、だがしかし……


 

 大層な理屈を並べてみたが、ふとここで、私個人の問題に立ち返ってみる。



 現実的に考えて、夫婦になるということは、大公の子供を産まないといけないわけで……


 この恋愛感情がまったく働かない状態で、彼とそのような諸々の行為が出来るのかというと……



 あ、無理だ。


 

 想像力の限界が来て。私はギブアップした。


 いかん、個人の問題に立ち返った瞬間、ものすごく初歩的なところで躓いたぞ。さっきまでの偉そうなマクロ視点は何だったんだろう。自分が残念でならない。


 よく結婚と恋愛は別物とかいうけど、本当にそんなに割り切れるもんなんだろうか。

 私は好きな人じゃないとそういうのは無理だ。


 ……実際1度だけ、「付き合い出したら好きになる」という周囲の言葉を信じて、思い切って仲の良かった男友達の告白を受け入れたことがあるのだが、同じような理由で3日ともたずに振ってしまった。

 

 私の迂闊な判断で相手を振り回して傷付けてしまった、その時の罪悪感たるや半端なく、以来、「とりあえず彼氏を作る」というような器用な真似は諦めて、「好きな人以外とは付き合わない」と決めた。


 ……まぁ、なかなか好きな人というのも現れなくて、ずるずる彼氏いない歴を更新し続けていたのだが。


 とはいえ、この時代だと、結婚は家同士の契約みたいなところがあるから、好きな人と一緒になること自体少ないだろうし……

 そりゃ、結婚してから好きになる努力をするんだろうけども、その努力して好きになるというのが、私には出来ないらしいことは、すでに実証済だ。


 人には向き不向きというものがあるわけで。


 結局、真剣に向き合って考えても、答えは出てしまっているような気がするのだが、良い子なだけに、実際に会ってしまうと、引き延ばすだけ引き延ばしたあげく振るということに罪悪感が湧く。


 などと、また私が悩み出したせいで、会話が途切れた。


 なんとなく手持無沙汰になり、私はフルートの木箱に手を伸ばした。


「1曲、吹いてもいいかしら?」

「もちろんです。ラベンスタイン男爵からは、陛下の多彩な音楽の才能もお聞きしています」

「今日はちょっと調子が悪いから、あまり期待しないでね」


 失敗しないよう、一番得意な曲を吹こうと、リクエストも聞かずに演奏を始める。


 フルートの音色が湖面を走り、春の風を誘った。


 ……あ、やっぱりイマイチかも。

 

 音がしょんぼりしている。呼吸も、いつもより浅く、音色に深みがない。

 それでも何とかそれなりの形にまとめ、演奏を終えると、カール大公が惜しみない拍手をくれた。


「素晴らしい技術ですね。そのフルートも、そんな精巧で複雑な形のものは見たことがない」

「ありがとう。でも自分では納得できる出来ではないから、今度はもっと万全な時にお聞かせしたいわ」


 そう言って、楽器をケースに片付けていると、視線を感じた。

 虚ろな眼差しでこちらを見つめる大公を振り返る。


「どうかした?」

「ああ……すみません。実は貴女に見とれて、ぼーっとしていました」

「そう? そんな風には見えなかったけど」


 そう言い返すと、相手は少し表情を改めて聞き返した。


「どうしてそう思いました?」

「本気で見とれてくる相手の視線を知っているから」


 不敵に微笑んで答えると、カール大公が頭をかいた。


「ははは、これは参ったな」

「私には魅力を感じない?」


 なんとなくカール大公も、言うほど私に異性としての好意を持っていないのではないかと感じ出し、わざと踏みこんで聞いてみる。


 まぁ、言ってもイングランド王位という持参金目当ての政略結婚だろうし、自分より6歳も年上の女性を好きになれと言う方が難しいのかもしれないが。


 でもやっぱり、好きじゃない者同士の結婚ってどうなんだろうなぁと思ってしまう。


「そういうわけではないのです。本当に、貴女はとても魅力的な女性だと思います。ただ……」


 フォローを入れた大公の表情が、ふと曇った。


「出会うまでに時間がかかり過ぎてしまったかもしれません」

「え?」

「もっと早く、貴女に出会っていたら……」


 切ない表情で呟いたカール大公に、色恋沙汰にはとんとアンテナが働かない私が、奇跡的にもピンと来た。


「あなた、もしかして好きな人いる?」

「……!」


 大きな目を分かりやすく見開いた青年に、合点がいく。


「誰? まさかお兄さんのように、身分違いの……」

「あ、いえ! そういうわけではないのですが!」


 慌てて否定した大公は、その反応で私の推測を肯定してしまった。


「話してもらえない? 殿下、私は、もしかしたらあなたの妻となるかもしれない女です。何も知らないままでは嫁げません」


 有無を言わせぬ口調で問い詰めると、カール大公は観念したように1人の女性の名前を口にした。


 マリア・アンナ、と。


「マリア・アンナって……バイエルン公の娘の?」

「はい。僕とは、叔父と姪の関係にあたるのですが、出会ったのは半年前で……」

「若かったわよね、確か」

「その、まだ15歳で……」


 27歳の私を前にして答えにくいのか、しどろもどろになるカール大公。


 若いな!


 15歳は普通に結婚出来るので、ロリコンとは言わないが、年下好みならこの婚約話は結構辛かったんじゃなかろうか。


 ハプスブルク家では叔姪婚は珍しいことではなく、バイエルン公の娘との結婚というのは、身分としても釣り合うし、政略的にもおいしいはずだ。


 しかも、それが恋愛結婚というなら万々歳である。


 愛のない政略婚に常々複雑な思いを抱いていた私は、諸手を挙げてその結婚を後押しした。


「全然問題ないじゃない。結婚できない理由でもあるの?」

「それは……」


 カール大公の大きな目が、遠慮がちに私を伺う。



 私か!!!



 なんと、人の恋路を邪魔してたよ! 


「ごめんなさい……そうようね。イングランド女王と結婚できる望みがあれば、周囲が他の結婚を許さないわよね」


 完全に外交戦略としてカール大公との婚約交渉を引き延ばしていたので、反省する。

 

 若いカップルを邪魔する年増女とか、完全に悪役である。馬に蹴られても文句は言えない。


 肩を落とした私の反応をどう取ったのか、カール大公が身を乗り出して謝罪した。


「申し訳ありません。やはり、このようなお話を、貴女に聞かせるべきではなかった」

「いいのよ、本当のことが知れて良かったし」

「僕は本当に、貴女に惹かれました。素晴らしい女性だ。もし、もっと早く出会えていれば……」


 嘘がつけない青年の、必死の訴えを聞きながら、静かに微笑みを返す。


 それ以外に、今の彼に返せるものがない。


 マリア・アンナと出会ったのは半年ほど前のことらしいから、私との結婚交渉が延び延びになっている最中に恋に落ちてしまい、彼としてはどういう形であれ、決着をつけたいと思ったのだろう。

 

 反対派の目をかいくぐって、強硬にブリテン島に足を踏み入れたカール大公の真意を悟る。


 彼女の方も15歳となれば、いつ他の男との縁談が舞い込んでもおかしくはない。焦りはあったはずだ。


 なるほどそういうことか。

 真実を知ってみれば、色々納得できることが多い。


 話していて付き合いやすかったのは、見合いの場だというのに、大公からは異性としてのアピールや下心をほとんど感じられなかったからだ。


 彼には、祖国に心に決めた人がいたのだから。


「兄のように、個人の欲の為に、大勢の者たちの期待を裏切るつもりはありません」


 それでも、彼には王侯としての責任と使命感がある。


 本心では愛する人と結婚したいという気持ちがあっても、公の立場では、この婚約交渉を成功させなければいけないという気負いがある。


 立場と身分に縛られたこの世界では、誰もが公と私の2つの心を持ち、多くの場合、私を犠牲にしている。


「殿下、あなたはプロテスタントに改宗する気はおあり?」

「いえ……それはさすがに……」


 急に話を変えられ、カール大公は戸惑ったように身を引き、浮かせていた腰を落とした。


「ただ、このイングランドがプロテスタント国家であることは承知していますし、カトリックの教義を押し付けるような真似は……」

「なら、結婚してこちらに来られたら、ミサはどうなさるの?」


 プロテスタントの教義では、カトリック式のミサは行わない。

 英国国教会でも、国教会の祈祷書に定められた礼拝以外を行うことをは禁じている。


「陛下と共に、国教会の礼拝に出席することは厭いません。ミサは、あくまで個人的な信仰として、個別に行わしてもらえれば……」

「それはいけないわ」


 カール大公の妥協に、私は強硬な姿勢で首を振った。


「夫婦が別々の信仰を持ちながら、共同生活を送るなんて不可能です。イングランドの王となるつもりなら、プロテスタントに改宗していただかないと」

「それは……!」


 改宗の強要は、個人の魂の拠り所を踏みにじる行為だ。

 さすがに気色ばんだ大公に、私は重ねて要請した。


「あなたのことはとても好ましく思っております、カール大公。でも、こちらも譲れない部分があるのです」

「それはこちらとて同じです!」

「……後日、婚姻を結ぶにあたって、具体的な条件をまとめたものを提示します」


 相手の反応には取り合わず、私は一方的に告げ、漕ぎ手に岸に帰るように命じた。


「陛下……」


 率先して小舟を降り、立ち上がった私の手を取った大公が、複雑な顔を見せる。


「よくお考えになって、大公殿下……出来たら、色良いお返事を期待していますわ」


 微笑んでそう告げ、ボートを下りた私は、舟付場で待機していた従者にカール大公を送らせて、湖岸を後にした。





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