第112話 王と臣
カール大公歓迎の夜会を催した翌日の朝、散歩に出た私は、いつものようにウォルシンガムと近衛兵を連れて、久々に迷路庭園を歩いた。
前にセント・ジェイムズ宮殿を利用したのは1年前の秋から冬にかけてだったが、春の花が咲きはじめた庭園には、以前とはまた違った趣がある。
いくつか所持している城を、定期的に転々と移り住むのはこの時代の貴族の習慣だが、私もこの2年で、いくつもの宮殿を移り住んだ。
唯一、臣下に勧められた城で利用を断ったのはロンドン塔で、王族や政治家の幽閉&処刑場として悪名高いこの城塞には、実は王室用の居住区もある。
けど、そんないわくつきの場所に住みたいとはとても思えず、断固拒否した。
だって怖いもん。幽霊出るって噂もあるし。
そんな一カ所を除き、ロンドン周辺の城を一通り巡った私は、この春に、再びセント・ジェイムズ宮殿に宮廷を移していた。
「そうだクマさん。今日は私、1日仕事お休みだから、付き合わなくていいわよ」
ふと思い出して言うと、ウォルシンガムが察した。
「大公の御相手ですか」
「そうそう、枢密院が今の1番の仕事はそれだっていうから、デートしてくる」
「…………」
事務的な連絡だけだったので、そこで1度会話が終わったが、かなり間が空いてからウォルシンガムが繋げた。
「正直意外でした」
「何が?」
「思いの外、気に入られているようなので」
そんなに気に入っているところを見せただろうか。
あまり心当たりはないが、この男の情報収集能力と読心術は並じゃないので、深くは考えずに答えた。
「だっていい子だし、愛嬌があるわよね。なんていうか、癒し系? アニマル的な可愛さ?」
「失礼にもネズミ呼ばわりしているようですが」
「ハムちゃん、って可愛いあだ名じゃない?」
「何ともお答えできません」
賢く黙秘権を行使される。
「後は、なんて言うか……あの心の広さはすごいわよね。おおらかっていうか。私も細かいこと気にしないタイプだから、話してて楽だし」
セシルに真面目に向き合えと言われて、昨日1日、私なりに、相手に失礼がないよう、きちんとカール大公その人を見て考えてみた。
「なんとなく、結婚するならこういう人がいいんだろうなーとは、思うのよね」
それは、客観的に見た感想だ。
私のずぼらで結果オーライな性格を考えると、大抵のことを笑って許せるような人じゃないと厳しいような気がするし。いくら政略結婚とはいえ、お互いにストレスをためるような生活は嫌だ。
「優しいし、明るいし……多分、結婚して幸せになる子は、こういう人を捕まえるんでしょうねー」
「なぜそこまで他人事なのです」
「え?」
「そこまで評価していながら、まるで断ることを前提に話しているように聞こえますが」
意識していたつもりはなかったが、言われてみれば、自然とそういう話ぶりになってしまっていたか。
「貴女には、結婚して幸せになる選択はないと?」
「うーん……っていうか……」
別に結婚そのものに魅力を感じているわけではないので、『誰かと結婚して幸せになる』というのが、いまいちピンとこないというか。
『誰か』が誰でもいいわけじゃないというか。
結婚=幸せじゃなくて、『好きな人との結婚』で、かつ具体的な相手がいるのなら、幸せ妄想も出来るのかもしれないけど……
この『好きな人』という部分が、結構な曲者なわけで。
「ほら、本物のエリザベスは、生涯結婚しなかったわけだし?」
説明するのが難しく、そこだけ変に理想の高い自分が気恥ずかしくもあって、ついその一言でまとめてしまうと、隣を歩いていたウォルシンガムが立ち止まった。
「どうしたの? クマさん。おなか痛い?」
「……陛下、恐れ入りますが、内密にお話ししたいことがございますので、人払いをお願いできますか」
「へ?」
突然の改まった頼みごとに、私は目を丸くした。
私としては一向に構わないが、何かと外に出る時は監視の目を付けたがる男が、珍しい。
「こちらへ」
私が2人の近衛兵を帰すと、ウォルシンガムが短く誘導してきた。
スタスタと先に行ってしまう黒い背中を追いかけ、曲がりくねった道を進んでいく。
なんかもう、帰り道分からなくなりそうなんだけど……
立体迷路とか好きなくせに、店から出た途端左右が分からなくなるレベルの方向音痴だ。
大学を卒業して営業回りをしているうちに大分マシになったが、それでも初めて行く所は、あらゆる倍率の地図を印刷して、電車の時間も全て調べてメモして出かけなければ、とてもではないが辿り着ける自信がなかった。
よく地図を読めるのは男脳とかいうが、なんで女子力ないくせにそういうところはキッチリ女脳なのかと恨みがましく思ったものだ。
そんなことを思い出しながらついて行くと、やがて行き止まりに突き当たり、振り返ったウォルシンガムと向き合う形になった。
「何よ、話って……」
改まって二人っきりにされると、意味もなく緊張する。
なんかちょっといつもと雰囲気違うし、何なんだろう。
ドキドキしながら待っていると、ウォルシンガムがいつも以上のしかめっ面で口を開いた。
「貴女が大公に好意を寄せていながら、結婚を迷う理由がそこにあるというのなら、非常に愚かであると言わざるを得ません」
「はい?」
なんかいきなり喧嘩売られたんですけど!?
「貴女は自分が結婚することで歴史が変わることを恐れているようだが、変わることに何か問題がありますか?」
「も、問題はあるんじゃないかしらねー? やっぱり」
言い方が険悪なので、なんとなく反感を覚えながら言い返す。
エリザベスが結婚してチューダー朝が継続すれば、スチュアート朝によるスコットランドとの合同君主はありえないし、ひいては大英帝国も出現しない。
はたして南北に分かれて争い続けている島国が、世界を牽引する大帝国になり得るだろうか?
それに、この微妙な転換期に、大陸のカトリック国家と結婚同盟を結べば、国教会の維持とイングランドの独立を阻む大きな障害となりかねない。
エリザベス1世が独身を貫き、半世紀近く君臨したことで得たものは、あまりにも大きい。
「貴女が生きていたという、450年後の世界が記憶する歴史と、同じ道を辿らねばならない理由が分かりません」
「それは……そうしないと……!」
そうしないと、どうなるのだろう。
言い返そうとして、一瞬考えてしまう。
もし、エリザベス1世の統治が永く続かなかったら?
もし、エリザベス1世がスペインやフランス、神聖ローマ帝国と結婚していたら?
大英帝国が生まれず、大陸国家の一部になってしまったらどうなる? アメリカは? オーストラリアは?
その状態でフランスが革命を迎え、そして、あのナポレオンが生まれたら?
私が生きていた時代の、世界地図が変わる。
あったはずの戦争がなくなって、あるべきでない戦争が起こる。
そうなれば、450年後の世界が一体どうなっているのか、想像もつかない。
「あなたが生きた21世紀という未来は、それほどまでに忠実に再現する価値があるほど、幸福で満ち足りた世界なのですか?」
「……!」
その問いかけに胸を突かれ、私は押し黙った。
私の行動によって、あの未来でない別の未来が生まれたとして――それが、あの未来よりも不幸であるか幸福であるかは……誰にも分からない。
「でも……エリザベス1世が独身を貫いたことによって、イングランドは最も栄える時代を迎えるわ。それは、確かよ。正解が分かってて、違う答が選べる?」
「正解が1つだと、誰が決めたのです」
かろうじて絞り出した反論を、あっさり弾き返される。
「貴女が知るエリザベス女王の選んだ道が、黄金の時代へ続くものであったとして――はたして、それ以外に繁栄の道は存在しないのでしょうか」
「……そんなの――」
そんなの、分かるわけない。
私だってその未来しか知らないのだ。他の道を選んだ時、その先にどんな結果が待っているのかなんて分からない。
だから――
分からないから、怖い。
ウォルシンガムにそこまで詰められて、己の本音がそこにあることに気付く。
模範解答があるなら、そこに縋りたくなる。
歴史を守らなければ、与えられた役を演じなければと、そればかりに必死だったが――
私は、怖かったのだ。こんな重責を背負って、見えない未来を歩くのが。
「仮にそうであったとしましょう。だが現実として、その黄金時代を作るべき女王は死んだ。後に残ったのは、その肉体に宿った、450年後の未来から来たという女性の魂を持つ新しい女王……もうその時点で、貴女の知る歴史は変わっているのでは?」
「それは――」
「それに、貴女自身、貴女の未来が記憶するエリザベス女王のことを知り尽くしているわけではないのでしょう。数百年前の歴史の記述でしか知らない人物の足跡を踏襲しようとして、一体どこまで忠実に再現出来るのか。中途半端な知識で行動し、取り返しのつかない事態を引き起こす恐れの方が高いのでは?」
「それは分かってる! 分かってるけど……」
リスクがあるのは承知している。
それでも、敷かれたレールからあえてはみ出すよりは、あるべき方向へと向かう努力をする方が安全だ。
そう考えるのは、間違っているだろうか?
「今は、貴女が王です。貴女の他にはない。この国は、臣下は、民は、未来は――貴女のものです。貴女自身で判断し、決断されることを望みます」
自分で考えろって?
私の知っているエリザベス女王が処女王だからって、私までそうである必要はないって?
「……分かったわよ。大公との結婚を、真面目に考えればいいんでしょう」
それ以上反論する気持ちも折られ、ため息交じりに、私は答えた。
結局ウォルシンガムも、本音では私に結婚してほしいのか。
なんかショックだ。
「それが望みならそう言いなさいよ。別に怒らないから」
「…………」
「悪かったわね。色々相談しちゃって」
「……私は、貴女が……!」
早々に会話を締めくくり、踵を返した私に向かって、ウォルシンガムが珍しく思い詰めたように何かを言いかけたが、すぐに口を噤んだ。
その中途半端さが気になり、足を止めて振り返る。
「私が、何? 気持ち悪いから途中で止めるのやめてよ」
「……いえ――私の立場では出過ぎたことを申し上げるところでした。忘れて下さい」
「……?」
苦虫を噛み潰したような顔で、そう言うに留めた男に眉をひそめる。
何か分からないが、割とズケズケものを言っているように見えるウォルシンガムでも、立場上飲み込んでいる言葉はたくさんあるのだろう。
この距離感――立場の違いだけは、どうにもならない。
なんか寂しいけど。
それ以上は何も言わず、私はウォルシンガムに背を向けて来た道を戻った。
「…………」
その後ろを少し距離を空け、ウォルシンガムがついてくる。
「…………」
「………………」
険悪な空気のまま歩き続けていると、目の前に緑の壁が立ちふさがった。
「あれ??」
……道間違えた!?
後ろには、黙ってウォルシンガムが立っている。目の前には、春の花をつけた植え木の壁。
うおおっ。袋小路!?
くっ……ここは格好がつかないが、ウォルシンガムの隣を通り過ぎて引き返すしかあるまい。
あまり顔を合わせたくなかったので、私は目を伏せ、ダッシュでウォルシンガムの隣を駆け抜けた。
「陛下」
すれ違った瞬間、腕を掴まれて引き止められる。
「な、何よ! 別に怒ってないしっ! 別に未婚同盟裏切られたなんて思ってな――」
「そちらは行き止まりです」
「…………ハイ」
先回りして喚いた私に、ウォルシンガムの冷静な忠告が入る。
2メートル先を歩く男に連行されながら、よっぽど植え木の壁を突き破って帰りたいと思った。




