第111話 公と私
翌日の晩餐の後には、私の発案で夜会を開いた。
公には参加出来ない大公は、表向きはいないものとして、ホールの円柱と円柱の間にかけられた巨大なタペストリーの裏に隠れている。
たまにおどけて顔を覗かせたり、手を振ったりしてくるのに、私はロバートと踊りながら、こっそり手を振って応えた。
なかなか可愛いヤツだ。
「ほらほら見て、ウサギさん。あそこにいるのがハムちゃん」
多分、ここまで1度も顔を合わせてないであろうロバートに、遠目に大公を紹介する。
ロバートはチラリと横目でその姿を確認し、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「確かに太ったネズミのような間の抜けた顔をしていますが、俺には実に憎々しく映ります」
「こら、睨むんじゃない。大切なお客様なんだから、絶対に失礼な真似しちゃだめよ」
「承知しています。……だが、今宵のメインイベントが、あの男をもてなすためのものだと思うと、途端にやる気が……」
「やる気出してよ。別に、カール大公のためって銘打っているわけじゃないんだから」
実は今日の夜会は、日々練習を積んでいたグレート・レディーズのフラメンコのお披露目を目的に、女王の主催で開いた。
もう半年ほど前だろうか。私室で気が向いた時に踊っていたら、グレート・レディーズが私にフラメンコを習いたいと願い出てきたので、定期的に教えるようになったのだ。
いつか形になったら、折りを見てお披露目をしたいという思惑は前々からあったので、いい機会になった。
男性の方はロバート、ハットンを中心に、私のサロンに通う、ダンスに定評のある宮廷人を集めている。
ウォルシンガムに「何か理由をつけて夜会を開いて歓待すれば」と言われたので、自分はダンスには参加できないカール大公への、ささやかなもてなしでもある。
「ほら、そろそろ始めるわよ、ロバート」
ちょうど曲が終わったところで、私は手を叩き演奏を止め、周囲の注目を集めた。
「今宵集まって下さった皆さんに、私から特別なプレゼントがあります」
言いながら、私は周囲を見回し、最後に視線を、タペストリーから顔を覗かせるカール大公へと向けた。
全体に言い聞かせるふりをして、カール大公に投げかける。
「ささやかなおもてなしですが、せめてもの私からの感謝の気持ちだと思って、ご堪能ください――パリージョを」
両手を広げた私に、ロバートが恭しくパリージョを捧げ持つ。
それを合図に、鮮やかな赤いドレスに身を包んだ4人のグレート・レディーズが私の後ろに現れ、周囲のどよめきを誘った。
普段、『女王より目立つ格好はしてはいけない』という暗黙のルールがある彼女たちは、華やかではあるが節度を保った服装を心掛けている。
今夜は女王と同じ赤いドレス。宮廷選り抜きの美女たちのこの姿に、目を奪われない男はいまい。
なんとなく鼻高々な気持ちで、私はカール大公を見据え、パリージョでリズムを取り出した。
――そうして、私とグレート・レディーズによるフラメンコは、大いに舞踏会を盛り上げ、好評を博した。
教え子達の出来の良さに満足しながら、1度衣装を着替えて広間に戻った私は、グレート・レディーズを連れてタペストリーの裏に回った。
「あら、不思議なこと。こんなところに、いるはずのない高貴な方がお見えになるなんて」
ラベンスタイン男爵とヴォルフ親子を連れて、舞踏会を見物していたカール大公に、わざとらしく驚いて見せる。
「陛下のお姿を一目見たい一心で、魂だけが英仏海峡を渡ってしまったようです」
大袈裟な身振りで乗ってきた大公に、グレード・レディーズの軽やかな笑いが弾けた。
「残念、肉体がないなら踊れないわね。せめてもの歓迎に、特別な踊りをプレゼントさせてもらったけれど、お楽しみいただけたかしら?」
「とても素晴らしかった! 実はラベンスタイン男爵から陛下のスペイン舞踊の素晴らしさは話に聞いていて、機会があれば是非お目にかかりたいと思っていたのです。最高の思い出が出来ました。皆さんも本当に美しく、まるで天上の楽園にいるような心地でした」
ハプスブルク家の王子の賞賛に、グレート・レディーズたちが優雅に一礼をして応える。
「良かった。お忍びの貴人をお招きするのは初めてだったので、十分なおもてなしが出来ているか心配だったのですけど」
とはいえ、昨日のロンドン探索の大騒ぎを楽しめてしまうのだから、大抵のことは広い心で前向きに受け止めてくれそうだ。
「とても楽しいです。こんな形でパーティに参加したのは初めてですし、宮廷の皆さんも、僕がいるはずのない人間として、ユーモアのある対応をしてくださるので、面白いですね」
滞在5日目ともなると、大公の非公式の訪問は知れ渡っていたが、「あくまでお忍びなので、そのように対応すること」と言い含めており、大公と出会ったら、驚いたふりをしたり、誰と気付かぬふりをするという洒落が流行った。
また、大公もお茶目な反応を返すので、宮廷内でのハプスブルク家の王子の株は急上昇だ。
「陛下。大公殿下は、とてもお優しい感じの方でしたわね」
カール大公と挨拶を交わした後、席に戻る私についてきたグレート・レディーズのうち、最年少のイザベラが目を輝かせながら言った。
「そうでしょう。心が広くて、茶目っけがあって……何事にも前向きなところがいいわね」
褒めると、イザベラの隣で、別のグレート・レディーズが目を丸くした。
「まぁ陛下。大公殿下のことを随分とお気に召されたようですわね」
「王侯であんな感じの人がいるとは思わなかったから、ちょっと新鮮ね」
「では、ご結婚をお考えに?」
「どうかしら? まぁ……ちゃんと向き合わないのも悪いから、真剣には考えてみるけど」
そう答えると、4人の公女たちが、急に色めき立った。
「お聞きになって? ついに陛下が結婚をお考えに……!」
「素晴らしいこと!」
いやいやいや。
真剣に考えるとは言ったが、結婚する、とは一言も言っていないのだが……
大公のことをちょっと褒めただけでこのありさまだ。
周囲が勝手に妄想して暴走するのはいつものことなので、いちいち気にしてもいられないのだが、油断すると知らない間に外堀を埋められそうだ。
全く……言動には気を付けなければ。
~その頃、秘密枢密院は……
2日前に急に女王が言い出した夜会は、女王を含めた5人の高貴な女性によるスペイン舞踊で大いに盛り上がりを見せた。
あれほど情熱的なダンスを、彼女たちのような身分の女性が踊ることは、少し前までなら考えられなかったが、この宮廷を女主人が支配するようになってから、徐々に女性の立ち位置や意識にも変化が見られてきたのは確かだ。
「イングランド宮廷の女性は、我が国に比べ自由を謳歌しているように見える」とは、最近赴任してきた、ある外国大使の言葉である。
舞台を終えた貴婦人たちが、1度ホールから姿を消した後、衣装を替えて戻ってくると、その足で、女王はグレート・レディーズを引き連れ、タペストリーの裏側へと姿を消した。
セシルがその様子を遠目に眺めていると、夜会に参加していた枢密院委員たちが、続々と集まってきた。
ワインを片手に彼らが機嫌よく談笑する内容は、もっぱら大公と女王の親密さについてだ。
「今回の、女王陛下御自らの催しは、カール大公を思ってのものだというではないか」
「ラベンスタイン男爵の話では、ロンドン市内への散策では、かなり大公殿下に親しみを感じていらっしゃったとか」
カール大公本人を見た時は、がっくりと肩を落とした枢密院だったが、ここにきて女王が大公の人柄を好ましく思っているという見立てが流れ、「これはいけるのでは……」という希望に沸き立っている。
若い独身の女王が、数ある婚約話を一向に本気で取り合わず、検討する振りをしては先延ばし、外交戦略に利用していることは、すでに女王に近い枢密院は気付いている。
その上で、相変わらずレスター伯とは仲睦まじい様子を見せるものだから――これも半分はフェイクだということを、セシルだけは見抜いていたが――いつ女王の恋の熱が再燃して、ロバートと結婚する! と言い出さないかと、彼らが気が気でないのも仕方がなかった。
……もっとも、ごく一部ではあるが、もういっそ結婚して跡継ぎを産んでくれるなら、レスター伯でもいいんじゃないか、という妥協案も囁かれ出しているのは事実だ。
彼らにとってなによりも優先すべきことは、女王に出来るだけ早く結婚してもらい、チューダー朝の後継者を生んでもらうことに他ならなかった。
万一、女王が命を落とすことになれば、スコットランドのメアリー・スチュアートが王位を要求してくるだろう。
英国国教会が成立し、教皇の支配から逃れて27年。
再びカトリックの王を戴くことは、海の向こうで繰り広げられるフランスの宗教戦争の惨劇を、自国の領土で再現するに他ならない。
臣下たちの中に漠然とある不安が、ここにきて先走り気味の期待に反映されていた。
「わざわざ、このような扇情的なダンスを見せつけるということは、陛下には大公を魅了する思惑があるのでは?」
「おお、そうだ。そうに違いない」
「これは祝宴も近いですな」
はたしてそうだろうか。
酔いの回った男たちが、口々に希望的観測を口にするのを、輪の外で懐疑的に聞き流す。
彼女が得意の踊りを披露したことは、カール大公に歓迎の意を示したことは間違いないが、それが、若く御しやすいカール大公を籠絡する手管であると断じるのは、セシルには難しかった。
政治的駆け引きには長けても、男女の駆け引きには途端に尻込みする女王が積極的に出る時は、大抵無自覚の行動だ。
「そこまで深く考えていないような気がする」というのがセシルの感想だった。
「陛下も、もう御年27歳だ。王としての落ち着きも出て、現実的に結婚をお考えになる時期だろう。今回は、実にタイミングがいい」
「カール大公こそ、陛下の運命のお相手だろう」
熱く語る男たちの会話を、聞くともなしに聞いていたセシルは、グラスに入ったワインの液面を見つめながら、どことなく落ち着かない気持ちを自覚していた。
「サー・ウィリアム・セシル。今回は、貴殿の奇襲作戦が功を奏したな。いや、実に名案だった。あの方には、正攻法では通用しない」
「ええ……まあ」
赤ら顔のノーサンプトン侯爵の賞賛に、気乗りしない相槌を返す。
「…………」
手にしたグラスワインの残りを煽ると、視線を上げた先に、グレート・レディーズたちと談笑しながら、王の席に戻っていく女王の姿が見えた。
いつも、公衆の面前では近寄りがたいほどの威厳を見せる女王が、今は女性らしい柔和な笑顔を見せている。
これも、カール大公の効果だろうか。
この国には、等身大の彼女を引き出せるような、同等の立場の男は存在しない。
「ここはぜひとも我々が後押しを――」
「この機を逃せば、もう――」
おせっかいな男達の雑談が続く。
これが、最後のチャンスかもしれない。
彼らの中には、期待以上の明確な焦燥があった。
この機を逃せば、もう外国に女王にふさわしい相手を求めるのは難しいかもしれない。
この機を逃してしまえば――
もう少し、この落ち着かない気持ちも、楽になるだろうか。




