第110話 セシルの通信簿
そうして何事もなく(?)無事城には戻ったのだが、帰った時には、とうに日が暮れており、私とカール大公が部屋にいないことは、当然臣下達にバレていた。
ラベンスタイン男爵と共に城外に出た目撃証言も取れていて、とりあえずは無事に戻ってきたことを喜ばれた後、ゲストを丁重に客室に送ってから、私は私室で説教を受けることになった。
「皇帝特使と共謀して、大公を連れてお忍びで街へ出かけるなど! 陛下と大公の身に何かあったらどうするつもりです!」
勿論というかなんというか、こういう時の説教役はウォルシンガムで、厳格な髭面のまっくろくろすけが、迫力のある低音で怒ってくる。
最初の頃は怖かったのだが、私ももうだいぶ慣れたもので、椅子に座ったままふてくされて説教を聞いていた。後ろでセシルが苦笑いだ。
「だって、ハムちゃんがよくやってるって言うから、あ、意外とバレないんだーと思って」
「大公がバレないからといって、貴女もバレない保証がどこにあるのです。鏡を見てから言って下さい」
「ぶぅ」
「ふくれても駄目です。今後もこのようなことをされるようでしたら、各城門、裏門に陛下が無断で出かけられないよう監視をつけるという無駄な労力と費用がかかりますので、ご自重ください」
「分かりましたー」
ウォルシンガムの説教を、あまり反省していない体で聞き流すと、目に見えて眉間の皺の数が増えた。
意外にバレなかったし、私としては、こういう秘密パトロールはありなような気がしていた。ケアリーがいい案内役になりそうだし。
反省の色のない私をむっつりと見下ろすウォルシンガムの隣から、セシルが苦笑して聞いてきた。
「陛下、いかがでしたか、カール大公は」
「変わった子ね。でもいい人だと思うわ」
正直な感想を口にする。
「直接会ってみて、お気持ちが変わられる部分もあったのでは?」
「うーん……」
そう聞かれると返答に迷い、私は少し考え込んだ。
会う前に比べ、カール大公への印象が大きく変わったのは事実だ。
「……失礼します」
私が考えていると、ウォルシンガムがさっさと退室してしまう。あいつは私を叱りに来たのか。
セシルと残され、そういえば彼に尋問することがあったのだと思い出す。
「そうだセシル。もう今更だけど、今回の大公のお忍び計画の片棒担いでたそうじゃない。私にまで内緒で」
「すみません」
叱られることは予想していたのか、セシルが苦笑して謝ってくる。こいつも反省していない。
「ラベンスタイン男爵から大公のお人柄を聞いて、直接会ってみれば、陛下のお気持ちも変わられるのではと思いまして……お忍びというのは大公側の都合ですが、陛下も不意打ちの方が、身構えずにお会いになれるかと」
確かに不意打ちだったので十分な武装ができず、かなりゆるい状態でお会いしてしまったけれども。
「……セシルは……どうしても私に結婚して欲しいわけ?」
「いいえ陛下。私は、第一に陛下の幸せを望む者です。ですから勿論、陛下が好まざる方と結婚するよう強要したいとは思いません」
軽く拗ねてみせると、セシルは穏やかに否定してきた。
「けれど、もし、陛下が御心を許した相手が、夫となれる器の人物であったとしたら、それは国家と陛下のために最善の道であると私は思います」
「それは……確かにそうかもしれないけど……」
『処女王』という既定路線を考えなければ、そうかもしれない。
私の中に過ぎった思いを見透かしたように、セシルが言った。
「陛下、定められた未来に囚われて、可能性まで潰すのはお止め下さい。どうか、大公と真剣に向き合い、その上でご判断いただければと――そう願っています」
「セシル……」
彼の真摯な言葉を受け止め、そういえば初めから断るつもりで、大公と真剣に向き合っていなかったことに気付く。
――と、礼をして去ろうとするセシルが、腕に抱えていた書物を持ち直した時、ひらりと1枚の紙が落ちた。
「……ん?」
ちょうど靴のつま先の上に落ちたそれを拾い上げる。
「セシル、なんか落ちたわよ……って、なにこれ」
片面は白紙だったが、裏を返したらびっちりと表が書かれていた。
行には番号が振られており、それぞれの項目の内容を軽く目で追ってみると、「出生」「身分」「財産」「人脈」「年齢」「容姿」「マナー」「知識」「評判」「政治能力」「人格」……などという単語が並んでいる。
縦の列の項目には、それぞれ人物の名前が書かれていて、どこかで見たことがあると思ったら、全部過去の私の求婚者だった。
一番右端に、「カール大公」「レスター伯」という名が見える。
……通信簿?
「陛下に相応しい花婿候補を選定するための査定表です」
「な、なるほど……」
超事務的な評価システムに、サー・ウィリアム・セシルの真骨頂を見る。
一応、結婚問題に関しては私の気持ちを最優先にしてくれているようだが、本来、政治には全く私情を挟まない人なんだろうなぁ……
「ごめん見ちゃった。返すわ」
「差し上げます」
「え?」
「陛下が今回の結婚について向き合われる際の、参考の1つになさって下さい」
と、言われましても……
夕方のセシルとの会話を思い返しながら、私は寝室のベッドに転がりながら、『セシルの通信簿』を眺めていた。
フィリペ王を筆頭に、死屍累々とこれまで求婚を断ってきた面々の名前が連なっている。今見ても錚々たる面々だが、そのあたりの罪悪感はとりあえずスルーして、右端の問題の欄を読む。
カール大公の横に、一応のようにロバートの名前が連なっていた。
カール大公の場合、「出生:◎」「身分:◎」「財産:◎」「人脈:◎」「年齢:○」「容姿:△」「マナー:◎」「知識:◎」「評判:◎」「政治能力:○」「人格:◎」「愛情:不明」と、ほぼほぼ非の打ちどころのない評価であるのに対し、
ロバートの場合、「出生:△」「身分:△」「財産:△」「人脈:×」「年齢:◎」「容姿:◎」「マナー:◎」「知識:○」「評判:×」「政治能力:×」「人格:△」「愛情:過剰」
と、惨憺たる結果である。
相当客観的な評価だとは思うが、これはかなりキビシイ。
ロバート……うん……
まあなんだ。結婚相手としてどうかというのと、臣下としてどうかというのは全く別物だから、ホラ。
などと、思わずいない相手を励ましたくなる。
11項目ある表の下に、2人のところにだけ『愛情』という項目が付け加えられているのは、なんとなくセシルなりの優しさな気がした。『過剰』って書かれてるけど……
実にシビアな表だが、本来、身分の高い女性の結婚とはそういうものなのだろう。
一番家にとって条件の良いところを決められ、そこに唯々諾々として嫁いでいく。
私は女王という立場だから、誰も強制ができないだけだ。
通信簿を手にしたまま、枕を抱えてごろりと転がる。180度回転すると、壁際の椅子に座って静かに刺繍をするキャットの姿が見えたが、特に声をかけることはしなかった。
独りで、とっくりと考える。
こうして見ると、確かに、カール大公は、条件はすごくいいんだよなー。
人間的にも嫌いじゃないし。
……あれ? なんで私断ろうとしてたんだっけ?
ふと大前提を忘れかけた。
そうそう、エリザベス1世が結婚してないから……って、でも、セシルにはそこに囚われずに考えろって言われたんだよなー。
囚われるなと言われても、処女王のインパクトがデカすぎて、なかなか度外視して考えにくい。
……私がもし、エリザベス1世の未来を知らなかったら?
この結婚について、もう少し真面目に考えただろうか。
直接会ってみて触れたカール大公の人柄の良さを思うと、ここまで来てもらって、真剣に向き合わないというのも悪い気がした。
明日からはちょっと、ちゃんと向き合ってみようか。
そんなことを思いながら、あくびを噛みしめる。
今日は街中を動き回ったので疲れた。早めに寝よう。
「これどうしよう……」
小さく呟き、手の中の『通信簿』を2つ折りにする。
もう大分眠気が襲ってきていて、起き上がって机の引出しにしまうのも面倒臭かったので、私はベッドをころころ転がり、枕元の棚に手を伸ばして、さっき読み終わった本の間に挟み込んだ。
これでいいや。
「キャット、おやすみ」
「はい、おやすみなさいませ、陛下」
いつものようにキャットが灯りを消す気配を感じながら、私は眠りに落ちた。