第107話 いとこ同士
翌日。カール大公来英4日目。
「……で、何だってこんなことになったんですかねぇ」
そう私の隣でぼやくのは、女王の身辺警護、及び城内警備を担当する、警備隊長兼副侍従長のハンズドン男爵ヘンリー・ケアリーだ。
赤みの強い金髪を掻き回す、三十そこそこの若い隊長は、今は宮廷貴族らしい服装もしていなければ、女王から与えられた勲章もつけてはいない。
私はというと、ツバ付きの帽子を深くかぶり、スカーフを口元に巻いて手提げ籠を提げる、という田舎の婦人のような格好で、目立たぬよう道の隅を歩いていた。
雑然としていて人の出入りが多いロンドン市内では、仮に私に目を止める者がいたとしても、なんだ田舎のお上りさんか、という風に思われるだけで、すぐに視界から外される。
ケアリーも、田舎者の男が頑張って都心に出てきました的な出で立ちで、並んで歩いていたら夫婦のようにしか見えないだろう。
「守馬頭じゃダメだったんですかねぇ。俺、帰ったら護衛隊長に殺されちまいまさぁ」
女王のお忍びに付き合わされる羽目になったケアリーが、しきりに上の目玉を気にする。
「大丈夫よ。バレても、セント・ローには私が無理矢理連れ出したって言っとくから」
「あの頭にお花の咲いたボスなら、喜んでついてきたでしょうに」
お花の咲いたボス、とは宮廷ナンバー3の守馬頭のことだが、口の悪いケアリーはよくそう呼ぶ。
ケアリーは、血筋ではエリザベスの母方の従兄にあたり、アン・ブーリンの処刑で没落したブーリン一族の、数少ない生き残りだ。
とはいえ、エリザベスは庶子の王位継承権保持者という微妙な立場で、ブーリン家とは引き離されて育てられていたため、幼少期はほとんど会う機会はなかったらしい。
それでも、肉親に恩返しをしたがったエリザベスが、即位してすぐに宮廷に引き立て、ハンズドン男爵の爵位を与えて、警備隊長兼副侍従長に任命した。
そんな成り上がり者のブーリン一族の出ということもあってか、王と宮廷の陰謀で没落させられた不遇な生い立ちのせいか、反骨心が強く、生粋の貴族たちを平気で小馬鹿にしたりするところがある。
とはいえ、表立って大きな揉め事を起こすようなタイプではなく、世渡り上手で、頭は切れる男だ。
「ロバートじゃ目立ち過ぎるでしょう。一発でバレるわよ」
「まあ確かに、あのお人がボロまとってたらギャグですわ」
あんなの連れて歩いていたら、街中の女性が振り返る。
しかも守馬頭は、仕事柄結構顔が割れているので、気付く人は気付くだろう。
「あなたくらい冴えないのがちょうどいい」
「うわ、酷い。俺だってこれでも……」
「これでも?」
「何でもないっす」
言いかけて、ケアリーは目を逸らして口をつぐんだ。怪しい。
「……まさか、私の侍女に手を出したりしてるんじゃないでしょうね?」
「してませんって!」
「奥さん大事にしなさいよ」
「分かってますって」
全力で否定してくるので、そう忠告するに留める。
ケアリーは早くに結婚していて子供もいるのだが、宮廷の女性にモテるという噂は聞いている。
特別美男子というわけではないのだが、気安い空気がいいのかもしれない。雰囲気イケメンってやつ?
ちなみにケアリーは、アン・ブーリンの姉メアリー・ブーリンが『結婚していながらも公然とヘンリー8世の愛人を続けていた』時期に生まれた子なので、ぶっちゃけどちらの子か分からないのだが、この時代の技術では本当のところは知りようもない。
エリザベスとは髪の色は似ているが、顔は別に似ていないし。
しかも、メアリー・ブーリンの夫は、ヘンリー8世自らが宛がった、自分に恩のある臣下という、徹底した口封じっぷりである。
法律上はメアリーとその夫の嫡出子となるので、継承権に絡むこともなく、その問題が公に論じられることはない。
誰もが生暖かい目で疑惑は持ちつつも、表面上はなかったことにしてしまえる。
それは姦通罪と近親相姦の冤罪を着せられ、処刑台に消えた王妃アン・ブーリンを『いなかった』扱いにしてしまえるのと同様の、宮廷マジックだ。
ともあれ、このお兄ちゃんかもしれない従兄とは、今では軽口を叩ける程度には気安い間柄なので、真相などどうでもいいといえばどうでもいい。
ケアリーも、よくよく私を『変わり者』扱いするが、そんなことを言ってしまえるのは、宮廷で最も近い血縁という立場と、この男の性格だろう。
私にとっては大事な家族で、臣下の1人だ。
そういえば、前は長女だったから、お兄ちゃんが欲しかったんだよなぁ。
『優しくてカッコイイお兄ちゃん』限定で。
そんな会話を続ける私たちの後ろに、まったく関係ないような顔をして、カール大公とラベンスタイン男爵、2人の従者がついてくる。
こちらは、ラベンスタイン男爵が身なりの良い紳士階級といった出で立ちで、イケメン従者が息子か年の離れた友人、髭の従者が何らかの職人で、大公がその徒弟、という設定だ。
ちなみに、髭従者とイケメン従者はヴォルフという名で、親子らしい。
言われてみれば、顔の濃さが似てないこともない。
以上6名。本日はこの面子で、ロンドン市内をお忍び観光である。
今日も午後からカール大公とお見合いタイムだったので、本日は部屋でゲームをして遊ぶと言って、人払いをした。
必要な人間に口止めをして、こっそり2人で部屋を抜け出し、合流したラベンスタイン男爵たちと堂々と城を出た後、適当な場所で着替て変装し、街へ繰り出して今に至る。
まさか本当にラベンスタイン男爵まで付き合ってくれるとは思わなかったのだが、こういうワガママには自分の主人で慣れているのか、従者たちも含め、彼らの変装は堂に入っていた。
男爵も、2年越しの悲願を叶えるために必死なのかもしれない。
カール大公の方は、初めて観光するロンドンの街並みを、興味深そうに眺めていた。
粗末な服装と垢抜けない顔立ちが、なんとなく奉公に出て日の浅い徒弟という感じで、ハマっている。
「とても街がきれいですね」
「そうかしら」
感心してくる相手に、疑問形で返す。
今年に入り、ロンドンの中心部には上下水道を通す工事が済んだため、現在は街の美化と環境改善に力を入れていた。
街の美化のために頻繁に施行令を出したり、啓蒙活動を行ったりしているので、迷惑がる市民からは「女王様は綺麗好き」と笑われているらしいが、結構なことだ。
私の臣民ならば、みんな私のために綺麗好きになればいい。
不衛生は、病や犯罪の源となるため、ひいてはそれが国のためになる。
こういった意識改革には根気と時間が必要なもので、私の基準では、まだまだ清潔とは言い難かったが、カール大公の反応を見ると、この時代の基準ではかなり綺麗になってきている方なのかもしれない。
とはいえ、街の片隅に目をやると、やはり、ぼろ布をまとって蹲ったり、ズダ袋を引きずりながら徘徊する浮浪者が目につく。
イングランド最大にして、唯一の大都市ロンドンは、政治的な中心であることは勿論、経済的にも国内の商工業の発展を牽引しており、地方からの移入者や外国人移住者の流入によって、急激に人口が増加している。
移入者の多くは、高い賃金に引き寄せられてやって来るのだが、そのロンドンとて失業者の増加という問題を抱えており、合わさって増え続ける浮浪者は、深刻な社会問題となっていた。
どれほど健全な市民たちに美化と生活環境の改善を啓蒙したところで、最低限の生活水準にも達していない彼らをどうにかしないことには、根本的な解決にはならない。
「あ、見てください陛下」
「陛下って呼ばない」
「おっかさん、女王陛下の肖像画が売ってますよ」
「え?」
田舎くさい呼び方をしたケアリーが指をさした先の店は、絵画やメダルを売る店であるようだった。
狭い店内の壁に、所狭しと大小の絵画が飾られており、路上に迫り出した棚には、小さな絵や、金属メダルが並んでいる。
ぞろぞろと6人が寄っていくと、店の主人が愛想よく声をかけた。
「旦那様! エリザベス女王陛下の肖像画をお探しですかい? ならウチがいい。奥にはお貴族様ご用達の大判の肖像画もありますよ」
当然、主人が目を付けたのは、同時にやってきた3組の客のうち、身なりのいい紳士階級の2人だ。
店内奥には裸婦の絵なども飾られているが、表の方に並べられているのは、ほとんど女王の肖像画であるようだった。
ラベンスタイン男爵にいきなり薦めたあたり、この店の売れ筋商品なのだろう。
どうやら君主の肖像画というのは、一定の需要があるようで、特に貴族や紳士階級といった裕福な人間たちにとっては、自分の屋敷や別荘の回廊にかけ、忠誠心を表明しなければいけないという謎の強迫観念があるらしい。
「あー、今すごい流行ってるんですよねぇ。貴族や金持ちの郷士階級だけじゃなく、商人、職人、果ては女子供に至るまで、猫も杓子も女王女王って。たいした人気者ですよ」
「そうなんだ……」
ケアリーの説明に、人ごとのように感心してしまう。
日本でもたまに、首相が国民的アイドルばりの人気を博すことがあったが、似たような現象だろうか。
「あんたらはおのぼりさんかい? ならこれはどうだい。今1番の人気だよ。この街に足を踏み入れたなら、女王陛下のメダルを1つは持っていなきゃロンドンっ子失格だ」
興味深く店内を観察していると、ついでのように店主に勧められた。
ケアリーがメダルの1つを手に取って、日にかざしながら眇め見る。
確かに、棚に並ぶ大小の金属メダルにも、女王の顔が刻印されていた。
どうやらこちらは、肖像画を買えるほど裕福ではない民草に向けて販売されているようだ。
だが、実際に私が絵のモデルになったのは、即位してすぐに、スペイン大使に請われてフィリペ王に贈った肖像画1枚きりだ。
何もせずにジッと無為に時間を過ごさなければならない絵画モデルという作業は私には苦痛で、それ以来引き受けていない。
宮廷には何人かの画家がいて、彼らが私の絵を描くことは許しているが、こういった場所に出回っている大半は、実際に私を見たこともないような、腕の悪い庶民画家が描いたコピーだ。
こういった非公式の肖像画を販売することは禁止されているはずだが、堂々と街角に店舗を構えているあたり、ほとんど実効力のない条例なのだと実感する。
「どうです、世界一美しい女王、我らがエリザベス女王陛下の肖像画! 隣の国のメアリーなんか目じゃねぇや」
これだけ私の肖像画に囲まれてるくせに、店の主人はまったく私に気付かず、陽気に媚を売りながらラベンスタイン男爵を接客している。
「これは……粗悪ですね」
店の主人に全く相手にされていないカール大公が、壁にかかった肖像画を眺めながら呟いた。
「こりゃぁひでぇ。本物の100分の1も表現出来てねぇや」
ケアリーも、品定めしたメダルを棚に戻して一刀両断する。
……っていうか、なんかもう、デッサン狂ってるし。
世界一美しいという大仰な触れ込みで、この出来はどうなんだ。
「……帰ったら、非認可の肖像画販売の取り締まりを強化します」
「へい。ま、効果はあんまないと思いますが」
こっそり決意した私に、ケアリーが同意しながらも、現実的な見解を述べてくる。
こういう非認可隙間産業を根絶するのは、21世紀でも不可能だ。
しかも需要が忠誠心の発露からのものなので、市民の支持を考えると、あまり強硬な手段も取れない。
「ま。あんだけ別人の顔が出回ってたら、本物を見たことがある人間以外は、誰も陛下だと気付きませんよ」
もやもやしてる私の心境を察して、ケアリーがこしょこしょと耳元で付け足してきた。
「……確かに」
そういう意味では、安心ではあるが……
「でもさすがに、これが私だって世間に広まるのは嫌なんですけど!?」
「まぁまぁ」
ケアリーになだめられつつ、私は背中を押されてその店を出た。




