第106話 まずはお友達から
「さあさあ、陛下は大公殿下のもとへ!」
「さあ早く! 後のことは、こちらでやっておきますので!」
カール大公訪問発覚の翌日、いつもは稟議を早く通せとうるさい枢密院委員たちが、今ばかりは全部の仕事を私から引き上げ、大公の元へと無理やり送り出した。
現金なやつらめ!
「何なのよもー。そんなに私に結婚して欲しいわけ?」
「それはそうでしょう」
そうだろうけども!
キャットにあっさり肯定されながら、侍女4人がかりで大鏡の前で着せ替え人形にされる。
重臣達の手のひらの返しっぷりにブツブツ言いながら、私は鏡の中でどんどん飾り付けられていく自分を眺めていた。
仕事を取り上げられた私は、午前中で今日の業務を終了してしまい、午後は賓客の対応を優先することになった。
要するに、おめかしをしてピクニックである。
人払いをした離宮の庭に出て、湖の畔でお話をする。セッティングは全て、臣下達のプロデュースだ。
他に人目もないため、さすがにカール大公も、今日はちゃんと王侯らしい衣装に身を包んでいた。
立ち振る舞いなども、昨日の従者の格好をしていた時と違うのは、ちゃんと意識して使い分けているのだろう。なかなか役者だ。
あのどんくさいのも演技なのだろうか。だとしたらすごいけど。
目の前のテーブルには、珍しい果物やお菓子が所狭しと並んでいた。
ほとりに設えられた急ごしらえの四阿の下で、昨日会ったばかりの男女が、探り探り会話を交わす。
日除けの天蓋に覆われた四阿の中にいるのは、私と大公以外だと、隅に控えた配膳の召使が1人だけだ。
ラベンスタイン男爵や枢密院委員は、気を利かせて姿を消していた。
「さあさ、後は若いものに任せて……」とはさすがに言ってなかったが、雰囲気としてはそんな感じだ。
完全にお見合いである。
「こんなに美しい人とご一緒させていただくと、なんだか緊張してしまいますね」
「そう? 殿下の周りなら幾らでもお美しい方がいらっしゃるでしょうに」
「まさか」
軽く笑う。
どこまでも無難な社交辞令だ。変にがっついて来られるよりは楽だけれども。
昨夜のウォルシンガムとの話し合いを頭に留めつつ、私はさりげなく話題を振った。
「今回はお忍びでいらっしゃったということだけど、何か理由があって? ラベンスタイン男爵からは、来月の頭に訪問されると聞いていたので、驚きました」
すると、大公は独特のはにかみを見せて答えた。
「実は、我々の周囲でも、フランスのユグノー戦争の煽りを受けて、プロテスタントへの当たりが厳しくなっていまして……この時期に、僕がブリテン島に赴くのは好ましくないと考える人間も大勢いたのです」
「それは……そうでしょうね」
あまり外聞が良くない内容を、ごまかさずに伝えてきたことに多少驚いたが、私は同意して相槌を打った。
ハプスブルク家は、古くから中部ヨーロッパで絶大な権力を奮う名門中の名門で、彼の父フェルディナント1世が治める神聖ローマ帝国は、カトリックの擁護者だ。
ラベンスタイン男爵の言葉を信じるなら、大公個人は宗教に対して寛容な気質を持っているようだが、当然、周囲にはプロテスタントを憎悪する声も多いだろう。
しかも私は、「来てもらったら結婚する」とは一言も言っていない。
「直接会った事のない人とは結婚はできない」「もしカール大公がご自分の意志で来英されることがあるのならば、それは両国の友好にとって、とても喜ばしいことなので歓迎する」とは言っているが、こちらから「来てほしい」と要請はしていない。
女の優柔不断と居丈高を装っての引き延ばしと逃げ道の確保だが、プロテスタントの女王に『請われて行く』、もしくは『結婚が確約されているから行く』というのであれば、ハプスブルク家の面子も立つが、私の言い方では、大公は『結婚が確約されているわけではないが、自分の希望で女王に会いに』行かなければいけないわけで、立場は非常に弱い。
プロテスタントとカトリックの対立激化が続いている今、そのことに不快感を示す者も多いだろう。
単純なプライドの問題というのも勿論あるが、王族の結婚が国家間の同盟である以上、何よりも大事なのは結婚時に取り決められる条約の条件だ。当然、どちらの立場が強いかによって内容は変わってくる。
現在のところ、私の引き延ばしに付き合わされているうちに、ハプスブルク家側はかなりの譲歩を引き出されている。
向こうとしては苦渋の決断であろう、『女王の夫』が王としての実権を持たないこと、国教会の方針に口に出さないこと、といった最も肝となる部分についても、ほぼほぼ先方が妥協する見通しが立っていた。
だから、イングランド政府の重鎮たちが、何とかこの結婚をまとめようと躍起になっている理由も分かる。
これだけの好条件が引き出せる相手は、今後現れないかもしれない。
だが当然、ハプスブルク家側には、そこまでして小国の女王に譲らなければならないのか、と憤慨する人間もいるだろう。
この結婚の旨味を、イングランドをカトリック国家に戻すことにあると考える人間ならば、宗教問題や政治問題の譲歩に、強行に反発することも予想できる。
「実は、来月に予定している渡英も、政情を鑑みて頓挫する予定になっています。反対派の妨害が激しいのです」
なるほど、来月の公式訪問の表明は、国内向けのブラフで、頓挫させることを前提に、今回のお忍び訪問の目くらましに使ったということか。
向こうは向こうで、結婚反対派と賛成派でしのぎの削り合いが激しいらしい。
「ですが、このままではいつまでも状況は進展しない。はっきりした結論を出すためにも、自分から動くべきだと考えました」
彼の話を聞いて、私は納得して頷いた。
「理由は分かったわ。でも、だからといって、よく従者になりきる気になったわね……全然気付かなかった」
大公もそうだが、周りがよく合わせていた。
同伴していた護衛の2人は、慣れない貴人の世話でもたついている大公を助けようともしなかったし、ラベンスタイン男爵も、さすがに叱りつけたりは出来なかったようだが、大公相手に主人役を我慢強く演じていた。
「実はたまにやってるんです」
「やってるの?!」
驚いて皮が剥げた。
つい突っ込んでしまったが、大公は気にした様子もなく、のほほんと続けた。なんだこのまったりさん。
「僕はこの通り目立たないので、庶民のふりをして街をうろついていても、誰も気付きませんから」
確かに、背景に溶け込むのは上手そうな顔をしている。
「なんと言いますか、僕は好奇心の強い人間なので、自分と違う人間の思考を知りたいと思うんです。人を動かす立場である以上、他人を知るというのは大切だと思いますし。でも、なかなか、自分より下の階級の生活を見ることは出来ないので、いっそなりきってみようかと」
「……あなた、変わってるって言われるでしょう」
彼が口にする内容は、一般的な王侯貴族に持つイメージとはかけ離れたものだ。
確信を持って推測すると、大公が笑って答えた。
「よく言われます」
だが、そういうのは嫌いじゃない。
「ふぅん。私もやってみようかしら」
綺麗な形をした砂糖菓子を1つ口に放り込みながら、半分本気、半分冗談で言ってみる。
すると、カール大公が苦笑した。
「陛下は目立ってしまわれると思いますが」
「そう?」
「そのお美しい髪や肌は、到底庶民には持ちえないものですから、いくら粗末な衣を着ても、かえって浮いてしまいます。ちなみに、僕の1番得意な変装は、職人の徒弟ですが」
ああ、いそう。
などと失礼な感想を抱いてしまうが、気難しそうな職人のおっちゃんに叱りつけられながら働いている姿が目に浮かんだ。
「あ、でも修道女とか、お金持ちの家のマダムとかならどうかしら。肌とか髪とか隠してる人多いし」
「……ああ、なるほど。でも修道女は、あまり外を出歩かないと思いますが……って、何を具体的に考え出しているんですか」
「え? 明日変装して街へ遊びに行くって話じゃないの?」
「そんな話だったんですか!? って明日?!」
ガタリと立ち上がって驚くカール大公に、テーブルの上のワイングラスが傾いて倒れた。
「ああっ、すみません!」
派手に中身が地面にぶちまけられるが、テーブルから転がり落ちそうになったグラスだけは、何とか掴みとって事なきを得る。
この子、反応面白いなー。
しかも流されやすそうだ。
「いいわよ地面だから。それより、服濡れてない?」
「あ……だ、大丈夫です。あの、さっきの話……」
「面白そうじゃない?」
聞くと、カール大公は、不思議と愛嬌のある顔ではにかんだ。
「……ですね」
何というか、いい友達になれそうな。




