第105話 カール大公、来たる
衝撃の事実を知らされ、私は驚いて、目の前の青年をマジマジと見つめた。
くりくりとした大きなどんぐり目。丸顔なせいか、身体はそうでもないのだが、一見小太りなようにも見える。団子鼻で口が大きく、ちょっと前歯が出てるので、なんとなくハムスターに似てる。
あるぇ? 肖像画見たことあるけど、こんな顔してたっけ。
ヘンリー8世が、4人目の妃になったドイツのアン王女が肖像画と全然違うと激怒して、紹介したトマス・クロムウェルを処刑したり、フィリペ2世が結婚後、エリザベスの姉メアリーとの初顔合わせで、肖像画よりずっとオバさんだったことにガッカリしたりと、王侯の見合いと肖像画にまつわる悲喜こもごもなエピソードはよく聞くが、現物映してる写真ですら、お見合い用だと修正しまくるんだからさもありなん。
ちなみに、フェリペ王が結婚後に初めてメアリー女王の顔を知ったというのは、婚約の条件交渉は彼の知らぬ間に皇帝使節団とイングランド政府の間で交わされた上、結婚の誓いの儀式には、本人は渡英せずに代理を立てたからだ。
当時スペイン人と女王の結婚を国民が大反対していたから、安全を考慮してのものだったようだが、花婿代理と指輪交換とか、想像するとシュール。
などと色々思いを巡らせていると、ハムスター君……もといカール大公が、頭を掻きながらはにかんだ。
「えへへ……本当はもっと格好良いタイミングで驚かせたかったんですけど、すみません、どんくさくて」
ほんとだよ!
どんくさいよこの子!
「本当に……?」
いまいち信じ切れず、ついつい確認してしまう。
いや、こんなハム○郎似の顔でまったり油断させておいて、実はキレ者ということも!
「ハッ……まさか、私の反応を見るために、わざと怪我を……!?」
「いえ、そんなつもりはなかったのですが、まさか陛下に声をかけられるとは思わなかったので、びっくりしてしまいました」
やっぱり私のせいか!
どうやら純粋にドジを踏んだだけらしい。
「と、とにかく、すぐに戻りましょう。侍医を手配します」
突然の急展開に動揺しつつも、私は極力平静を装って、怪我をしたカール大公を連れて宮殿へと戻った。
……やばい。まだ対策考えてなかった。
※
宮廷に戻った私は、早速カール大公に侍医を手配し、ラベンスタイン男爵らと共に客室に案内した。
どうやらお忍びで来ているようなので、あまり大袈裟にならないよう気を配りながらも、礼は尽くさねばならない。
切り傷だけだから、治療自体はすぐに終わるだろう。後は着替えてもらって、落ち着いたら1度どこかで腰を据えて話をせねばなるまい。
さて、その前に……
私の中で、1番に行くところは決まっていた。
帰る道すがら、カール大公とラベンスタイン男爵に事情を聴いていると、今回の件については、あらかじめセシルにのみ話を持っていっていたらしい。
国王第一秘書兼主席国務大臣は、ヘンリー8世の元で国政を掌握した独裁者トマス・クロムウェルにより、行政に関するあらゆる権力を握る地位となったが、彼の死後、あまりにも強力過ぎるその権力は、徐々に解体されていった。
それでも、未だセシルの管轄する行政事務は多岐にわたり、外交問題や国内外への人の出入を管理する、いわゆる外務大臣の職務も兼任している。
ラベンスタイン男爵とセシルは親しかったように思うし、2人の間で密約が交わされ、今回の女王にすら内緒でのお忍び訪問が実現したのだろう。
とりあえず、どういう了見か聞かせてもらおうじゃねーの!
そう思い、セシルの執務室へと足を運ぼうとした時――
「陛下! 至急お耳に入れたいことが!」
聞きなれたデカい声に、後ろから呼び止められる。枢密院委員の1人、クリントン海軍卿だ。この人、絶対血圧高いと思う。
五十を過ぎた厳つい髭のオッサンが、顔を輝かせながら突進してくる姿には、無駄に迫力があるが、ここで動じて身を引いては女王が廃る。
「何ですか、クリントン海軍卿」
「聞いて驚かれますな! なんと、サー・ウィリアム・セシルの話では、どうやらカール大公がすでに、このロンドンにお出でになっているらしいのです!!」
「あ、うん。知って……」
「しかもなんと! 物好きにもラベンスタイン男爵の従者に扮し、お忍びでいらっしゃっているとか……」
「だから」
「おお、ちょうどラベンスタイン男爵がいらっしゃった! やや、ということはあの方ですな。実に芯の通った良い若者ではありませぬか」
私が説明する前に、興奮気味の海軍卿は、どうやら治療を終えたらしいカール大公一行が歩いてくるのに目を止め、大股に歩み寄った。
男爵と大公と従者2名の前に膝をつき、礼を尽くしたクリントン海軍卿は、遅れて近づいてきた私に向かって、1人の男を紹介した。
「陛下! こちらが陛下の未来の夫、オーストリア大公カール2世であらせられます!」
自信満々に、大公の隣に立つ長身イケメンの従者の方を指し示す。
違う。
「あれ?」
なんとなく予想していたボケではあるのだが、微妙に無反応な周りの空気に、さすがに違和感に気付いたらしい海軍卿が首を傾げた。
ここであまり大袈裟な反応をすると、ただでさえ赤っ恥な海軍卿の顔を丸潰ししてしまうので、私は落ち着きを払ったまま、本物のカール大公に向き直った。
「ごめんなさい、殿下。どうやら間違った噂が出回ってしまったようで」
完全に見た目で判断したクリントン卿の先走りだが、さすがに失礼なのでフォローしておく。
「ははは、構いません。慣れていますから」
が、きっと本人にはバレバレだろう。
カール大公は鷹揚に笑ったが、青ざめたのはクリントン海軍卿だ。
「これは……! 申し訳ありません! 大公殿下、大変な失礼を!」
「いえ、構いません。ですが、あまり大きな声で大公と呼ぶのはおやめください。私は今この場にはいない者です」
「大変申し訳ございません……!」
基本的に声がデカいクリントン卿が平身低頭謝るが、やっぱり声はデカい。
「このような場所では内緒話に向きませんので、私の私室にお迎えいたしますわ」
すぐさまフォローを入れて、私は彼らを私室へと伴った。
……そんなこんなで、お忍びで来たという大公を、人目に晒さないため私室に呼び込んだのだが、噂はすぐさま広がって、今回の見合いにものすごく期待をかけている枢密院委員たちの過半数が、ハプスブルク家の王子を一目見ようと押しかけてきた。
……なんだこの、お節介な親戚のオッサンが×10名いるような状況。
ロバートの姿がここにないのは、拗ねているのか足止めを食らっているのか。
カール大公は相変わらず従者の格好をしていたが、さすがに王侯らしい優美な物腰で、私の前に一礼した。
「改めまして、女王陛下。お会いできて光栄です」
「大公殿下、よくぞここまでお越し下さいました」
右手を差し出して指輪に口づけることを許し、私も微笑んで答える。
ただの従者だと思って油断していたが、カール大公ご本人ともなれば、こちらも用心して仮面を被らなければならない。
オーストリア大公カール2世は、神聖ローマ皇帝フェルディナント1世の三男で、21歳だ。
長男は次期皇位継承者のため国外には出せず、逆に、長男以外の男兄弟は、領地持ちの高貴な女性を捕まえて、領土を拡大することが求められる。
本来なら、彼の兄である次男が、イングランド女王の夫には年齢的にもちょうど良かろうと思われていたのだが、フィリッピーネ・ヴェルザーという商人の娘との貴賎結婚が判明しため、弟にお鉢が回ってきたというわけだ。
いくらどんくさかろうと、ハム○郎に似ていようとも、彼は大きな使命と責任を負ってここに来ているはずだ。
イングランド女王に気に入られなければいけない、という。
「こうしてお目にかかれる日を夢見ておりました。ラベンスタイン男爵からは、知恵、徳、美、どれをとっても陛下に匹敵する女性はいないと伺っていましたが――」
もう1つ、イングランドという最高の持参金を持っている、とも聞かされたはずだ。
「聞きしに勝る美貌とお心根の美しさに強く心を打たれています」
そつのない褒め言葉を聞きながら、目の前で膝をつく青年を改めて見下ろす。
うん、やっぱりハムスターに似てる。
昔うちで買っていたジャンガリアンハムスターに。
黒目がちでまんまるな目と、丸い鼻、大きな口がなんとも小動物的だ。
……そういえば、カール大公の容姿については、特に何も聞こえてこなかったことを思い出す。
婚約者候補がイケメンであれば、私の気を引こうと美男子だ何だと大げさに喧伝するのがウチの臣下の常套手段なため、そういう話がなかったということは、つまりはそういうことだ。
っていうか、ウチの臣下はどれだけ人を面食いだと思っているのだろう。
いやまぁ否定はしませんけどね?
「人前で殿下、とお呼びするのは都合がよくありませんわね。あなたのこと、どう呼べばいいのかしら?」
「何なりと、陛下のお好きなように」
「じゃあ……」
命名権を与えられ、私は即座に思い浮かんだ名前を口にした。
※
挨拶とたわいもない話を終え、旅の疲れもあるだろうし、とカール大公らに退室を許した後、部屋に残った枢密院委員たちの空気が一変した。
「主よ……」
「かくして望みは絶たれたのか……」
そういう反応!?
「兄王子の方は美男子ではなかったのか?」
「会ったことのある者の話では、そのように。だが、兄大公はもう既婚者だ」
「どうせ周囲の反対を押し切っての、商人の娘との秘密結婚だろう。イングランド女王との婚約話の前には、教皇も離婚をお認め下さるだろう」
コラコラコラ。
勝手に失望して勝手に話を進め出す男達。
ちょっと待て、私の面食いは、そこまで全員に知れ渡っているのか?
っていうかこいつら、私にもカール大公にも失礼だな!
どう断ろうかと頭を悩ましていたくらいだから、顔が良かろうが悪かろうが、私にとってはどうでもいいのだが、こう露骨にガッカリされると何か腹立つ。
確かに決してイケメンではないが、割と愛嬌のある顔をしているじゃないか。
目とかつぶらだし。
身長は私と同じくらいだけど、頭が大きくて頭身が低い分、ちょっと幼く見えたりするし。
うん、かわいいかわいい。
天の邪鬼に良いとこ探しをしながら、私は脳みその別のところで、これから取るべき行動について頭を悩ました。
「どう断ろうかしらね~」
「会って初日から断る算段ですか」
抱えた枕にもたれかかり、悩ましく呟いた私に、寝台横に立つウォルシンガムが突っ込む。
「初日っていうか、初めっからね。別にカール大公がどうとかじゃないのよ? 結婚する気がないだけで」
「存じ上げています」
女王の寝室の奥では、キャットが素知らぬ顔で座って待機している。会話を聞いていないふりをするのは礼儀だが、別にキャットになら聞かれても困る話ではない。
カール大公対策について名案が浮かばないので、相談役にウォルシンガムを呼んだのだ。
キャットも、私がこの話を断るつもり満々なことは知っているが、本音では私に結婚して欲しいみたいだがら、あんまり相談相手にならないし。
セシルと違って、ウォルシンガムは私の結婚に賛成も反対も表明してないので、勝手に未婚同盟に組み込んでいる。
今日はそんな余裕がなかったが、今回の計画の片棒を担いだセシルは、後日事情聴取だ。
「なんか良い案ない? クマさん。出来るだけ角が立たないようにお断りする作戦」
「難しいですね」
そうは言いつつも、ウォルシンガムは真面目な顔で答えた。
「今回は少々引き延ばし過ぎました。その間にこちらが提示した条件も、相当数向こうは飲んでいる。ハプスブルク家の本気が伺えるというものです。この上、お忍びといえどカール大公自らがいらっしゃったとなれば、相手に悪感情を与えないで事を済ますというのは、かなりの技量が要されるかと」
「なにそれ、私にってこと?」
上手く断るのに必要な技量、と言うのがピンと来ず、聞き返す。
「この訪問中に大公を骨抜きに出来れば、可能性はあるかもしれません」
「出来るか!」
そっちの技量か!
真顔でからかわれたことを悟り、私は手にしていた枕を投げつけた。
ボスッ、と鈍い音を立てて、軽く受け止めた枕を抱いたまま、ウォルシンガムが続ける。
「それは冗談ですが、2年近く気を持たせたわけですから、向こうも相応の見返りを期待するでしょう。結婚する以外に、陛下が大公に恩を売れるなら別ですが……今からでも弱味を探りますか?」
弱味を掴んで恩を売る。素敵な悪役思考だ。
「うーん……なんか、いい人っぽいからそういうのも申し訳ない気も」
「帰ります」
「待ってー。見捨てないでー」
甘ちゃん思考でわがままを言う私に、本気で立ち去ろうとするウォルシンガムの服の裾を引いて引き止める。
こいつの見切りの早さは怖い。
「そういえば、どうして大公はわざわざお忍びでイングランドに訪問したのかしら? 話では、来月頭には公式訪問するって聞いてたのに」
「ふむ……」
話を変えた私の疑問に、ウォルシンガムが考えるように顎鬚を撫でた。
「理由は存じ上げませんが、可能性があるとすれば、そのあたりが攻略の糸口になるかもしれません。どうせ、明日は大公のお相手をすることになるのですから、その際に探ってみては」
「そうねぇ。そうしてみる」
頷き、私は手を伸ばして枕を返してもらって、それを抱き直して溜息をついた。
「はぁ……それにしても、本当に来ちゃうとはねぇ……これだけ引き延ばしたら、さすがに自然消滅するかと思ったんだけど、意外にラベンスタイン男爵がしぶとかったのよねー。いい仕事したわ」
私にとってはあまり有り難くないのだが、敵(?)ながらあっぱれと褒めておく。
「ラベンスタイン男爵は職務に対して誠実な男です。目的達成のためには、各方面に働きかける努力を惜しまぬ熱意と、名より利を取る柔軟さを持っている。人格、能力ともに現在ロンドンに駐在している外国大使の中では、上位に入る人材でしょう」
外交通ウォルシンガムの、外交官格付けチェックが入る。
「最下位は?」
「スペイン大使でしょう」
皮肉すら交えずに即答する。
宝物船漂着事件でやらかしたスペイン大使デ・スペは、私も信用していない。
外国大使の扱いは治外法権な部分があるので、取り扱いには慎重にならざるを得ない。
あの件では厳しい追及はせずに、一時的に蟄居処分にするだけで済ませたが、今度何かやらかしたら、スペインに突き返してやるつもりだ。
「しぶといと言うなら、この期に及んでも未婚主義を貫くあたり、貴女も意外にしぶといですね。女王業にすぐ音を上げて、心が変わりするかと思っていましたが」
「ほほぅ?」
付け加えられた聞き捨てならない台詞に反応する。
「ええ御蔭さまで。いい男たちが周りで支えてくれるんで、夫の助けがなくても仕事は回ってますから」
負けず嫌いが顔を出して、皮肉たっぷりに言い返す。
「でしたら、全力でお支えしましょう」
「うん、よろしく」
……うん?
今の流れに違和感を感じたが、会話を思い返そうとしてウォルシンガムを見上げると、真顔で首を傾げられた。
「何か?」
「いや、何でも」
気のせいか。
気にせず、話題をカール大公に戻す。
「ハムちゃんなんだけど、せっかく来ていただいたし、近々歓迎会でも開こうかと思ったんだけど、ご本人が一応お忍びだから、おおっぴらには参加できないって言ってるのよねー。かといって、なにも歓待しないというのも決まりが悪いし」
「別の理由をつけて夜会を開き、非公式に歓待なさっては。気付く者は気付きますし、気付かない者は気付きません」
「あ、そうねー。その案もらい」
などと話していると、ウォルシンガムが淡々と聞いてきた。
「ところで陛下」
「何?」
「何ですか、ハムちゃんとは」
「ハムスターのハムちゃん。似てるでしょ?」
大公、とおおっぴらに呼べないので、あだ名をつけることになったのだ。
私の独断だが、本人も気に入っているぽかったので、オッケーだろう。
「ハムスターというと……あの大きなネズミですか」
大きなネズミ? ゴールデンハムスターは確かにそこそこ大きいか?
私のイメージでは小さくて癒し系のジャンガリアンハムスターなのだが、この時代のヨーロッパに生息しているかは知らない。
ウォルシンガムがどんなネズミを想像しているのか分からなかったが、ネズミであることには間違いないので、まぁいいか。
イレギュラーだらけのカール大公訪問に慌てる部分は多々あったが、ともあれその日から、イングランド宮廷では、にわかに世紀のお見合いが始まってしまった。