第104話 女王のお見合い
年が明け、新しい1年のスタートを切って早々、皇帝特使のラベンスタイン男爵が謁見を希望してきた。
ラベンスタイン男爵カスパー・ブルンナーは、一昨年の夏頃から、カール大公と私の婚約交渉をまとめるために派遣されていたのだが、私のわがままと優柔不断に振り回されて難儀していた苦労人である。
「会ったこともない人と結婚するのはイヤだ」という、至極当然だが、この時代の王侯としては異例の要望を突きつける私に応えるため、彼は過去に何度か、件のやんごとなき婚約者候補をブリテン島にお連れしようと試みていた。
それもなかなか、時世と政情が許さず、頓挫し続けて今に至る。
そんなラベンスタイン男爵が、この度、『カール大公の説得のために』本国に戻りたいと暇願いを出してきたのだ。
これは……立ち消えかぁ?
私としては、もともと引き延ばせるところまで引き延ばして、良いタイミングで打ち切りor立ち消えを期待していたので、それ自体は残念でもなんでもないどころか、願ってもないことである。
1年以上引き延ばせたのだから、まぁ上出来か。
……などと思っていたのだが、3月の初旬、ラベンスタイン男爵が、再び英国の土を踏んだ。
「お早いお戻りね、ラベンスタイン男爵」
丸2カ月ほどの一時帰国の後、再訪問の挨拶のために謁見の間に姿を見せた男爵は、ここしばらくでは見なかったほどに堂々と胸を張っていた。
……まぁ、この1年で彼の背中がだんだん曲がってきたのは、主に私のせいなのだが。
外交官はつらい。
同情はするが容赦はしない。だって仕事だから。
「陛下への朗報を携えてまいりました」
ほくほく顔で報告してきた男爵に、イングランド宮廷は大いに揺るがされることになった。
※
「ついに、カール大公が、ブリテン島の土を踏む覚悟を決められたらしい!」
謁見の間で話を聞いた枢密院委員のひとりが、速攻で触れ回ったらしく、私が1日の仕事を終え、女王の私室に戻った時には、今や遅しと重臣たちが顔を揃えて部屋の前で待っていた。
うわー。
嫌な予感しかしないが、とりあえず私室で腰を落ち着け、彼らを招き入れる。
「これは朗報ですぞ!」
踊り出しそうな勢いで、前のめりに乗り出してくるのは、結婚推進派筆頭クリントン海軍卿だ。
「わざわざ大公が! 英仏海峡を渡り! イングランドへ来訪されるのです! この重みはご理解いただいておりますなぁ、女王陛下っ?」
耳が痛くなるようなデカい声で念を押しながら、露骨にプレッシャーをかけてくる。
他の重臣たちの顔にも、鬼気迫る決意と期待があり、私は気圧されながら答えた。
「わ、分かってるわよ、もちろん……素敵な人だといいわね。あー楽しみだなー」
目を逸らして扇子をパタパタしながら、最後はつい棒読みになった。
……まさか本当に来ると思わなかったから、ちょっとドキドキしてるんだぜ。
ラベンスタイン男爵からは、カール大公の来英の日取りは、来月頭に決まったと聞いていた。
あー……なんて断ろう。
気が重い。
早くも祝宴を上げそうな勢いの男たちを尻目に、私は陰鬱な気持ちで溜息をついたのだった。
※
その翌日、早速私は、ラベンスタイン男爵を遠乗りに誘った。
駆け引きを有利に持っていくため、事前に、ちょっとでも情報を引き出しておこうという魂胆だ。
いわば婚約者代理の皇帝特使に配慮するべきとして、重臣たちに注意されたため、今日は遊び友達のロバートやハットンは連れていない。
代わりに、ノーサンプトン侯爵が夫人と一緒にくっついてきて、目を光らせていた。
……何この信用されてない感。
目を離したら私が、婚約を破談するための裏工作に動くとでも思っているのかっ。
まあ、しないとは限らないがなっ。
どうもカール大公来英の話を聞いて、ひとり危機感を募らせているらしいロバートの方は、妙な動きをしないよう、他の枢密院委員が監視していると風の噂で聞いた。
風の噂というの名のウォルシンガム情報である。
このあたりの用心深い厳戒体制から、どれほど彼らが今回のカール大公とのお見合いに賭けているかが知れる。
プレッシャー。嗚呼プレッシャー。
ちょっとお腹の中年太りが目立ち始めているが、上品な紳士といった雰囲気のラベンスタイン男爵と馬を並べ、社交辞令を交えながら無難な会話を続けていた私は、いかにも興味があるというようにカール大公について聞き込みを始めた。
「大公のお人柄は、どのような方なのかしら。ええ、温厚な方とは、以前にもお聞きしましたが」
ぶっちゃけ婚約話がこうまで現実的になるまでは、そこまで興味がなかったので、詳しくは聞いていない。
「はい。我が君はとても誠実で、穏やかな人柄でいらっしゃいます。お心根のお優しい方で、他国のことではありますが、ネーデルラントでのプロテスタント虐殺を人伝いに聞いて、胸を痛めていらっしゃいました。争いを嫌い、平和を愛される女王陛下の寛容なるお人柄には、大層共感を持たれております」
宗教政策に寛容で、平和主義者というアピールか。
「殿下は、少し変わり者でいらっしゃるところがありますが……」
「変わり者?」
「どうやら、自分以外の者の気持ちを知ることが、神の御心に近づく手がかりになるとお考えのようで、身分隔てなく人と会われ、彼らの話に耳を傾けることを好まれます」
「そう、素敵な方ね」
1年以上の付き合いで、ラベンスタイン男爵も私のことを知っている。
変わったところ、と言いながら、そのことを教えたのは、私に対してはそれが好ポイントになることを理解しているからだろう。
そのあたりの抜け目なさは、さすがの外交官だ。
実際、その話で私はカール大公に好感と共感を抱いた。
「大分来ましたね。少し休みましょうか」
「そうね。男爵もお疲れのようだし」
「めっそうもない」
言いながらも、でっぷりしたお腹を馬に乗せた男爵は息をつきながら、額から流れる汗をハンカチで拭った。
「閣下、お飲み物をご用意いたしましょうか」
「ああ」
1度休憩しようと馬を止めて降りると、疲労の見える主人に、従者の1人が飲み物を勧めた。
遠乗りでは大抵、同伴する貴人達の従者たちも同行するので、ちょっとしたお出かけでも団体様になる。
ラベンスタイン男爵も、本日は3人の従者を引き連れていた。
1人は40代くらいの、軍人っぽい髭の男性で、1人は20代半ば程の、背が高く顔の濃い青年だ。まあまあイケメン。
もう1人は、20歳前後に見える中肉中背の若者だった。
前の2人は、どうやら護衛という立ち位置らしく、男爵の剣を持ったり、飲み物を用意したりと、甲斐甲斐しく世話に動き回るのは、1番若い従者の仕事だった。
だが、この子がまた結構どんくさかった。
「閣下、お飲み物でございます……あっ……」
栓をあけ、男爵に渡そうとして手を滑らせた若い従者が水筒を取り落とす。
音を立てて地面に落ちた水筒から、派手に中身が飛び散り、男爵の足元を濡らした。
「も、申し訳ありません!」
「いや……」
慌てて足元に跪いて服を拭く従者に、女王の面前だからか、ラベンスタイン男爵は辛抱強く赦した。
大丈夫かなー。
馬に乗ってここに来る前も、預かった剣を柱にぶつけたりしてたし、戻ったらすごく叱責を受けそうだ。
一生懸命さは伝わるのだが、どうにも危なっかしく、人事ながらついハラハラしてしまう。
そして、そんな私の不安が的中し、その事故は起こった。
緩やかな山間に馬を連ねながら、雪解け水の流れ込んだ川や新芽の息吹を堪能していた時、突然の突風が一団を襲い、私の帽子を飛ばしてしまった。
ピンク色のつばの広い帽子には、春を意識した花飾りとオーガンジーの長いリボンが巻かれており、ひらひらと華やかな鳥の尾のようにリボンをはためかせながら、風に浚われたそれは、あろうことか山間に流れる川に落ちてしまった。
「うそっ! 流れる!」
気に入ってたのに!
新年にロバートからもらったばかりの帽子で、今日が初使用だったのだ。
今日使わせてもらうねーと、贈り主のロバートに見せに行ったら、同行できないことを大層悔やんでいたのに、1日でなくして帰ってきたら嘆き悲しまれそうだ。
「僕が取ってきます!」
私の従者たちが動く前に、真っ先に名乗りを上げたのは、例のラベンスタイン男爵付きの若い従者で、彼は返事も聞かずに手綱を引いて、山の斜面を駆け下りて行ってしまった。
「……ダメだ、危ない!」
だが、その行動を止めようとしたのはラベンスタイン男爵だった。
「行くぞ!」
残った2人の従者に号令し、同じように馬で斜面を下りていく。
ちょっとちょっとっ?
確かに、あのどんくささでは心配なのは分かるが、皇帝特使にまで帽子を取りに行かれては、私もついていく他ない。
さほど幅のない小川で、私の帽子は水面に突き出た岩の1つに引っかかって、かろうじて下流に流れずに済んでいた。
それも、水を含んだ大ぶりのリボンが、絶えず水流に引っ張られているので、いつまでもつかというところだが。
若い従者は、馬で慎重に川の中ほどまで進み、それ以上は帽子を刺激しないよう、下馬して近づくことを決めたようだ。
だが、意外に水深は深く、一気に腰まで浸かってしまう。
「気をつけて!」
慎重に流れの中で踏ん張りながら、岩に近づこうとする青年に、川辺まで下りてきた私は思わず叫んだ。
「わっ……?」
すると、声に驚いたのか、私に声をかけられたことに驚いたのか、身をこわばらせた青年が、その場で足を滑らせた!
ゴメン! 逆効果!?
「……! おい!」
水しぶきを上げて前のめりに川に沈んだ青年に、顔色を変えた男爵が一声命じると、2人の従者がすぐさま川に飛び込んだ。
「待って!」
だが、それを止めたのは川の真ん中でもがいていた青年の方で、頭までずぶ濡れになりながら、流れと川底のぬめりで滑るらしい足を踏ん張り、這うようにして岩に手を伸ばす。
しっかりとリボンの端を掴んだが、そのまま引っ張るようなことはせず、用心してもう1歩にじり寄り、大事そうに帽子の本体を持ち上げた。
「よっ……と、……ふぅ」
しっかりと掴んだそれを、胸に抱いて一息ついたところで、後から川に飛び込んだ2人の従者が辿り着き、青年を支えて川辺まで戻ってくる。
水を含んでびしょびしょになってしまった帽子を、青年は形を崩さないように気をつけながら軽く絞り、跪いて私の前に差し出した。
「どうぞ、女王陛下」
「……ありがとう」
一連の出来事を、呆気にとられて見ていた私は、恭しく掲げられた帽子を反射的に受け取った。
礼を言ってから、彼の足元の水たまりに、赤い染みが滲んでいることに気付く。
「あなた……怪我してるの?!」
「え?」
「ちょっと見せて」
しゃがみ込み、私は彼が地面につけていた方の膝を立たせた。
セシルやウォルシンガムなどは、学者や知識人に多い、足まで隠れるようなガウンやコートを着ているが、一般的な上流階級の男性や、それに仕える従者の服装は、プールポアンと呼ばれる上着とズボンの上下に、バ・ド・ショースという膝丈程の靴下を合わせるのが主流だ。
青年の白いバ・ド・ショースには血が滲んでおり、脱がせると、膝から臑の辺りにかけて、滑った時に石か何かで切ったのか、結構な鮮やかさで切り傷が開いていた。
「うわあ」
その傷に、青年が間の抜けた声で驚く。
「痛くなかったの?」
「全然気が付きませんでした」
マジで?
「帽子を取り戻すことに必死で……あ、いたた。気付くといきなり痛みが」
「そうよね、そりゃそうよね! 結構切れてるもの」
急に痛がり出した相手に、突っ込みたくなるのを堪えつつ、手当てを優先する。
「応急処置だけします。すぐに宮殿に戻りましょう。誰か、彼を一緒に乗せて……いいわ、私が乗せます」
上流階級の、身分の低い者への扱いを信用していない私は独断でそう言って、青年に肩を貸そうとした。
「大丈夫です、どうか僕のことなどお気遣いなさらないでください」
意外にしっかりとした口調で遠慮してくるが、こちらも譲る気はない。
「だめよ。放っておいたら、ばい菌が入って化膿するでしょう」
「ばい菌……?」
首をかしげる青年には答えず、半ば強制的に、川縁まで連れて行く。
「傷口を洗い流さないと」
まずは土で汚れた傷を、川の清流で洗い流す。
「……っ」
「染みる?」
「はい」
「我慢」
「……はい」
とりあえずハンカチをあてて止血していると、大人しく言うことを聞いていた青年が、ぽつりと聞いてきた。
「……陛下は、なぜ僕のような者に、そのようにご親切にして下さるのですか?」
「傷付いている者を助けるのは、民を守る立場にある者として当然のことではなくて? きっと、あなた方の主人であるカール大公もそうおっしゃるでしょう」
「…………」
ハンカチを巻く手は休めぬまま、身分を隔てず接すると聞いた大公の話を持ち出して答え、私は布の両端を固く結んでから立ち上がった。
「さぁ、手を貸して、私の馬に……」
「恐れ入りますが陛下、その御役目は私に」
青年の手を取った私に、傍らに進み出たラベンスタイン男爵が膝をついて請願した。
そして、座り込んだままの青年に、慇懃に向き直る。
「殿下、お守り出来ず申し訳ございません」
「僕が勝手にやったことだよ、気にするな」
え?
いきなりラベンスタイン男爵が従者に謝罪したので、私は戸惑った。
「ラベンスタイン男爵。陛下は、君が話した通りの女性だった」
「さようでございましょう」
え?
普通に受け答えする青年に、男爵が相槌を打つ。
……っていうか、今、殿下って言わなかったか。
「……ラベンスタイン男爵……?」
説明を求め、呼びかけると、男爵はゴホン、と言いにくそうに咳をしてから答えた。
「陛下、実は……陛下が今、手を握っておられる方が、我が主人――陛下の2年越しの求婚者でいらっしゃいます」
「へっ?」
思わず、失礼にも手を放してしまった。
「ええっ?」
このどんくさい地味な子が、オーストリア大公カール2世!?




