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処女王エリザベスの華麗にしんどい女王業  作者: 夜月猫人
第8章 スコットランド動乱編・前編
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第103話 私のヒツジさん


 メアリーの劇的な脱出劇の続報として、着々と反乱軍からエディンバラを奪い返すための兵が集い出しているという報告が届いたのは、クリスマス・イブ当日の朝だった。


 兵力はこの1週間足らずで8000にも膨れあがり、この分だとエディンバラの奪還は難なく達成されるだろうと思われた。


 隣国の目を離せない動乱がようやく一息をつき、その日、私は久しぶりに晴れた気持ちで、クリスマス・イブを迎えられた。


 去年と同様に、巨大なもみの木が庭園にそびえ立ち、無数のランプを灯されて、冬の夜が輝く。

 キャンプファイヤーの周りに人が集い、温かな音楽と踊り、笑いが交錯した。


 今年は天蓋の下にソファを置き、私は膝に毛皮の毛布をかけて暖を取っていた。

 目の前では、キャンプファイアーを背景に、道化たちが喜劇的なパフォーマンスを繰り広げている。


 去年のクリスマスが、出し物が少なくてつまらなかったと漏らしたら、ロバートが色々と趣向を凝らしてくれたらしい。

 逆に、クリスマスはもっと厳粛に過ごすべき、と主張していたウォルシンガムなどは眉を顰めていそうだ。


 ソファの下には分厚い絨毯が敷かれ、その上に大小のクッションが敷き詰められていたが、パーティの時はいつも側に侍るグレート・レディーズ達も、今夜は解放してあげている。


 代わりに、ロンドンには近しい親戚がおらず、帰郷する予定もないらしいハットンが時間を持て余しそうだったので、話し相手になってもらうことにした。


 去年は暇そうにしていたウォルシンガムの姿が、今日はなぜか会場に見えない。ミサの時はいたのだが。


 ウォルシンガムはたまに、急に姿をくらます。

 数日宮廷に姿を見せなくなることもあるが、そのあたりはセシルが把握しているっぽいので任せている。

 元々、ウォルシンガムはセシルが連れてきた人材だ。


 それに今夜はクリスマス・イブなので、どこにいようがあの男の自由だ。


「あはは。見て、あのちっちゃい子可愛いー。すごい身体能力ねぇ、感心しちゃう」


 子役が出てきて大人顔負けの演技を披露するのを観賞していると、隣のハットンが笑顔でこちらを見つめていることに気付いた。


「どうしたの? ハットン」

「今日はお元気そうで良かったです」

「え?」


 嬉しそうに言われて、聞き返す。


「ここしばらくは、ご気分が優れないようでしたので」


 どうやら気が滅入っていたことに気付かれていたらしい。


「そうね……隣のゴタゴタが何とかなりそうだからかも」

「メアリー女王ですか……」


 ここのところ気が気でなかった理由を口にすると、ハットンが神妙な顔をして呟いた。


「すごい方ですね。ホリルード宮殿の脱出劇は、常識的にはとても考えられない作戦ですが、本当に成功させてしまうなんて……これも、選ばれし君主に与えられた神のご加護でしょうか」

「…………」


 マリコの強引な作戦が成功したのは、ほとんど奇跡に近かったが、それが余計に、一種の『神がかった』印象を与えたのは事実だ。


 それはまさに、ハットンが言うように、君主が『神に選ばれた人間』であることを裏付けるように、この時代の人々の心には響くだろう。


 ある意味で、その認識は正しいのかもしれない。

 

 メアリー・スチュアートは、あんなところで死ぬような運命にはない、という意味では。


 時の流れが、あるべき歴史のために、この窮地で彼女を生かしたのだとしたら――逆に彼女の『死ぬべき運命』もまた、変えられないのではないか――

 一瞬、そんな思いが胸を過ぎる。


「陛下? すみません、何かお気に召さないことでも」


 黙ってしまった私に、ハットンが心配そうに聞いてくる。


「ううん。なんでもない」


 そんな彼に微笑みかけ、私は憂い顔の少年の頭を撫でた。


 この、ふわっふわのくるっくるで、ヒツジさんみたいな髪をくしゃくしゃにするのがお気に入りである。

 

「ハットン、ドレイクがいなくなって寂しい?」


 くしゃくしゃにした髪を今度は手櫛で整えながら尋ねる。


 早いもので、フランシス・ドレイクが船団を連れてイングランドを発ってから、もう4ヶ月が経つ。


 彼らは今、どこにいるのだろう。


 地球儀を思い浮かべても検討がつかない。そもそも無事でいるかどうかも分からない。

 そんな風に誰かを待つというのは、不思議な気持ちだ。


「少し、寂しい気もしますけど……彼は、僕たちの代わりに、海の自由をかけて戦ってくれているので、今は祈るだけです」

「海の自由……そうね」


 大航海時代の密貿易と私掠活動は、いわば形を変えた戦争だ。

 制海権を牛耳り、海と新大陸の全てを我が物顔とするスペインとポルトガルへの、諸国家の自由を求めた戦い。


「でも、不思議よね、教皇が地図の上に引いた線で、世界が簡単に2つの国に分割されちゃうんだから」


 今から半世紀以上も前、時の教皇アレクサンデル6世は、新世界の領土は、未発見の場所も含め、子午線の東側がポルトガル、西側がスペインのものになることを定めた。


 たった1人に人間よって、紙の上に1本の線が引かれた。

 ただそれだけのことで、世界が2つの国に分け与えられたのだ。


 ローマ・カトリックの世界においては、教皇が神の代弁者である以上、その決定に背くことは、神の意志に反することになる。


 この2国以外のヨーロッパ諸国も諾々とそれに従ったのは、当時のローマ教皇が世俗権力の頂点に立っていたことを示す、実に不思議な現象の1つだ。


 教皇の絶対性に馴染みのない私からすれば、それが許される世界が奇妙で仕方がないが、そういう時代だったのだろう。


 実際、カトリック教会の権威が陰りを見せ始めた今、この新世界の領土分割から締め出された国々は、その不満を行動で表し始めるようになっている。


 その急先鋒が、ネーデルラントの海賊『海乞食(ゼーゴイセン)』の反スペイン活動であり、イングランドの私拿捕活動だ。


「……まぁ、いつの時代も、国境なんて人間の都合で勝手に引いたもんなんだろうけど」


 呟き、揺らめく炎へと視線を転じる。


 そこから起こる紛争も、そこに生きて死ぬ人々の慟哭も関係なく、ごく一部の権力者たちの手によって、歴史の流れは作られていく。

 権力者の顔ぶれが変わるだけで、その繰り返しは変わらない。


「――そのように仰る陛下は、この時代の方ではないのですか?」

「……え……?」


 そう問われ、思わず見返した翡翠の目は、揺らぎもせずに私を見つめていた。

 その横顔に、キャンプファイヤーの炎が照り映え、白い頬をオレンジ色に染める。


「どうして……?」

「陛下は時々、どこか遠いところからいらっしゃったように思えることがあります――それこそ、ここよりも遙かに高い天上から、我々の生き様を見守っているような……」

「…………」


 道化師たちを鼓舞する陽気な音楽が響き渡る空間で、私の意識は、静かなハットンの声にだけ向けられていた。

 

「それとも、神の代理人たる君主とは、そういった存在なのでしょうか」


 不思議そうに問う少年に、いつかの、ウォルシンガムの忠告が頭をよぎった。


『子供だと思って侮っていたら、足をすくわれますよ――』


 この子は――


 この子には、何が見えているんだろう。


 返す言葉のない私に、ハットンが慌ててフォローを入れた。


「……失礼しました。陛下は、あらゆることを見通しておられ、時折、王侯として生まれた方のお考えとは思えぬほどに、我々下々の民のことすら、よく理解された視点をもお持ちなので……あ! こんな言い方をしたら、誤解を招くかもしれませんが……」


 言葉を選ぼうとするハットンを、まじまじと見下ろす。


 ハットンは、たまに驚くほど鋭くて、敏い。


 目が曇っていないというのだろうか。セシルやウォルシンガムのような、経験的な洞察力の鋭さというよりは、先入観にとらわれない純粋な視点が、往々にして真実を突くことがあるのだと納得させられる。


 私が、彼に一目置く理由になった宗教問題への解釈も、今のねじれた宗教闘争と政争の本質を見抜き、偏見と信仰に凝り固まった大人にはない柔軟さで、先進的な思想を理解している。


 今もまた、その曇りのない目が、女王の仮面の裏にいる私を、見通してしまっているような気がした。


「申し訳ありません。きっと、陛下の寛大さと聡明さが成せる技なのでしょう」


 答えない私に、不興を買ったと感じたのか、ハットンが肩を落として謝罪した。


「驚いた」


 勇気ある彼の問いかけに、素直な驚嘆を口にする。


「あなたには何でもお見通しね」

「え……?」


 息を飲み、ハットンが細い顎を上げた。


 賑やかなパーティ会場では、未だ道化が演奏に合わせて踊っていたが、私は1度周囲を見回してから、ハットンと向き合ってラテン語で聞いた。


 嘘はつきたくない、と思った。


「――もし、私が450年後の未来から来たって言ったら……あなた、信じるかしら?」

「450年後……?」


 ハットンが目を見開き、ラテン語で聞き返してくる。


「と言っても、未来から来たのは魂と記憶だけで、肉体は、この時代に生まれたエリザベスのものなのだけど。本来の持ち主が死んだこの身体に、不思議な巡り合わせで、21世紀の世界を生きて死んだ人間――私の魂が入り込んだ――」

「…………」

「……なんて言ったら、信じる?」


 真剣な問いかけに、返事はない。


 心の底から『女王』への忠誠を示してくれる少年に、この言葉はどういう風に届くのだろう。

 私は自嘲気味に微笑して、付け足した。


「だから私は、厳密にはエリザベス女王じゃなく、エリザベス女王の代理、ね。こう言うと、騙しているみたいで、少し心苦しいけど」


 嘘はつきたくない、と思った。


 この子に嘘は吐きたくないし、ずるい誤魔化しもしたくない。


 ただ、嘘をつかないとして、ごまかしもしないとして――本当のことを話して、信じてもらえるかどうかは、また別の話だ。

 この子に、嘘つきや異常者という目で見られるというのも、それはそれで胸が痛い。


「……信じます」


 腹をくくった私の告白に、ハットンは静かに断言した。


「信じます! 僕は、女王陛下の言葉を疑ったりなどしません」

「ハットン……」


 澄んだエメラルドの瞳を見返す。


 彼の言葉の持つ誠実さを確信し、私は、唇の前に人差し指を立てて微笑んだ。


「――じゃあ、内緒話を始めるわね」


 クリスマス・イブのざわめきに混じり、打ち明けた秘密は、2年前から始まる昔話だ。


 随分と過去のことのように思っていたが、話してみれば、こんなにも最近のことだったのかと驚いた。


 もう随分と長い間、この世界にいるような気がしていた。


 短い秘密を語り終えた時、驚きを浮かべた翡翠の瞳が、身じろぎもせずに私を見つめていた。

 その視線をただ、受け入れる。


「私は、何も嘘は言ってないわ。でも、信じられないなら――」

 

 この話は忘れて……そう、言おうとした時、


「信じます」


 断言したハットンの、力強い声が私の胸に届いた。

 

「今、はっきりと分かりました。陛下が、どうしてそんなにも遠く高い場所にいらっしゃるのか――貴女は、やはり主によって遣わされた、この地の守護者です」


 そう言って席を立ち、改めて私の前に片膝をついたハットンが、凛とした面差しで私を見上げた。


「貴女は、まごうことなき僕の女王陛下です」

「ハットン……ありがとう」 


 真実を知った上で、今の私をはっきりと認めてくれた小さな騎士に感謝する。

 右手を差し出すと、恭しくその手を取った少年が指輪に口づけた。


「ハットン、私を助けてくれる?」


 これから何十年と維持していかなければいけないエリザベスの治世で、若い力の助けは必要だ。


「勿論です。僕はきっと、貴女に出会うために生まれてきたのだと――ここに導いて下さった神のご意志に感謝します」


 真剣な顔でそう言った少年の、柔らかい黄金の髪を撫でる。


「ありがとう。私のヒツジさん」



 というわけで、秘密枢密院に新メンバーが加わった。


「から、よろしくー!」

「よ、宜しくお願いします!」


『…………』


 翌日、秘密枢密院を招集してハットンを紹介すると、3人が3人、目を丸くして立ち尽くした。


「な……」


 最初に我に返ったのはロバートだった。頭を抱え、後ろを向いて叫び出す。


「なんてことだぁぁ! 俺と陛下をつなぐ大事な秘密の絆が、いけすかない熊男だけでなく、こんな子供にまで分け与えられてしまうなんてぇぇぇ!」

「陛下……」


 そんなロバートを尻目に、ウォルシンガムが渋面で私を見下ろす。


「だって、こんな純粋な子に嘘つくなんて出来なかったんだもん」


 咎めるような眼差しにも、私はひるまずに言い返した。


「いいじゃない。信用できる仲間が増えるなら。きっと彼、これから私の力になってくれるわ」

「秘密枢密院の一員になれて光栄です! これから、女王陛下のために、ウォルシンガムさんやセシルさんのような信頼される忠臣として、陛下を護り、お助けしていけるよう精一杯努力します!」


 初々しい決意表明に感動する。


「なんて可愛い子なのー……」


 私の秘密を知り、最も難題な法と宗教の問題について、価値観を共有できる相手というのは、とても貴重だ。

 将来的には、彼を代議士として、庶民院議会とのパイプ役として育てたいという野望は密かにあったため、こんな形でハットンを秘密枢密院メンバーに入れることができたのは、結果的にはラッキーだった。


「待つんだハットン。なぜ、今の決意表明に、陛下への愛においては右に出る者の居ない俺の名前がない!?」


 私の愛人だのなんだの散々言われているロバートが抗議する。なかなか堅実な人選だ。



 そうしてクリストファー・ハットンを秘密共有者に加え、私の女王2年目の年が終わろうとしていた。






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