第101話 女達の戦い
若干イングランドにも飛び火したモレー伯の反乱も、狙い通りに外国大使たちが動いてくれたことで、それ以上疑惑が広がることはなく、秋の深まりと共に、割とあっさりと風化していった。
モレー伯達には一応義理を通して、私の方からメアリーに取りなしはしたのだが、反応は芳しくなく、彼らは帰国を許されないまま、スコットランドとの国境での逗留を余儀なくされた。
時世が変わるか、メアリーの怒りが解けるのを気長に待つしかないだろう。
それはそれとして、地続きの国のお家騒動を穏やかならぬ気持ちで見守っていたイングランドとしては、ようやく目が離せるかと思えた頃、当の隣国では、新たな問題が持ち上がっていた。
なんと、メアリーとダーンリー卿の不和だ。
電撃結婚からわずか2ヶ月。
『あいつ最悪。あんなやつもう好きじゃない』
懐妊の報告と共に、珍しいほどの短文で送られてきた手紙の内容は不安になるもので、私も何度か手紙を送ったが、以来返信はなかった。
それからはマリコ側からの情報は入らなくなったのだが、スコットランド在駐の大使から送られてくるダーンリー卿――現スコットランド王ヘンリー・スチュアートについての報告は、甚だ眉を顰めるものだった。
スコットランド駐在イングランド大使ランドルフからは、ダーンリー卿の『傲慢さは、普通の神経の者には我慢ができません』とまで書き送られてきた。
どうやら王になるまでは猫をかぶっていたらしいが、ヘンリー王と呼ばれるようになった途端、目下の者――要するにスコットランドにいる全ての人間――に対して、全く節度のない驕慢な態度を取るようになったのだという。
それは、彼に王位を与えた女王メアリーに対しても同様で、結婚生活でも本性を現し始めたダーンリー卿は、飲んだくれの浮気性で、愚痴や不満ばかりを垂れ流し、時には妻や召使いを罵倒し暴力までふるうという、古今東西ダメ夫のテンプレ通りの悪行を繰り広げ、その醜態は、もはや公式外交官の耳にまで筒抜けだった。
そして、現在。結婚から2ヶ月も経てば王としての仕事は一切しなくなり、毎日狩りにうつつを抜かしては、数日帰らないこともあるそうだ。
マリコがまだダーンリー卿にのぼせ上がっていた頃、結婚後は国家の重要書類には、メアリー女王とヘンリー王の2人の署名を連ねる宣言をしたが、そのおかげで家臣達は、毎日猟苑に鹿ならぬ王様を捜し回らなければならなくなったという、笑えない話も届いている。
育ちが良く行儀も良い麗しのプリンスの面影はどこへやら、見事な転がり落ちようである。
これが21世紀日本の話なら、もうこんなやつ別れろ! と言ってやりたいところだが、このご時世ではそう簡単なものではなく、カトリックの教義では離婚は許されていないので、ローマ教皇に『この結婚は無効』という宣言を取り付けなければならない。
ここまで来ると、そのロクデナシの性分は結婚する前に分からなかったのかと問いたいが……分からなかったんだろうなぁ。
私も、たいして親しくはなかったとはいえ、ダーンリー卿がそこまで人格の破綻した人間だとは思わなかったし……あんまり芯がある人間には見えなかった、というくらいで。
それに、絶頂期のあののぼせっぷりでは、恋は盲目、あばたもえくぼで、色々微妙な点もスルーしていた可能性は高い。
何にせよ、あれだけ頻繁に届いていたマリコの手紙が、ぱったりと届かなくなったことは、心配と言えば心配だ。
私に、日常の不満を吐露したいのなら、今こそ超長文のダーンリー卿の悪口が連ねられた紙束が届いてもおかしくない気がするのだが……
「……あれ?」
などと、つらつら考えていた私は、ふと思いついた可能性に、つい声を出した。
ベッドの上で本を読んでいたつもりで、いつの間にか思考が別のところに飛んでいたらしい。
「どうなさいました? 陛下」
「ううん、何でもない」
座って刺繍をしていたキャットに聞き咎められ、私は開いていた本を閉じて枕元の棚に置き、頭から布団をかぶった。
「おやすみキャット」
「はい、おやすみなさいませ」
布団の中から声を発すると、答えたキャットが立ち上がる気配がした。部屋の中の灯りを消し、就寝に備えるのだろう。
暗い空間で、思い浮かんだ可能性について検証してみる。
あの手紙の意図。急に手紙が来なくなった理由。
……もしかして、マリコは私に、自分がどれだけ幸せかをアピールしたかったんだろーか?
私を羨ましがらせたかった?
内容を思い返せば、軽い愚痴が入りつつも、基本的には明るく自信満々で、自慢が多かった。
あれは、私に見せつけるための孔雀の羽だっただろうか。
だとすると、急に連絡が途絶えたのも、自分が惨めな状況に置かれて話したくなくなったと考えれば、納得できる。
なにせ、元姑の後ろを歩くのが嫌で、フランス宮廷を飛び出したプライドの塊だ。
そうか、そういうことか!
何でいちいち私に報告して来るんだろう、と不思議に思ってたけど、ようやく腑に落ちたぞ!
全然気付かず、普通に近況報告として読んでしまっていたが、嫌味や嫌がらせを、それと気付かずスルーしてしまうことは、今までにもたまにあった。
だいたい、後から「アレってもしかして……?」と気付くパターンで、逆に「気付かなくてゴメン」と思ってしまう。
だが、仮にそうだとすると、今のマリコは私に虚勢を張れないくらい参っているということで、状況はかなり深刻なのではなかろうか。
そう思うと心配ではあったが、実はその時期――私も、彼女のことばかり気にしていられるような状況ではなかったのだ。
11月も中頃、フランスから、メアリーにも関わるショッキングなニュースが入ってきた。
春から内乱の続くフランスでは、ここ数ヶ月の間に、大きく戦局が動いた。
一時は、反カトリック勢力のユグノー軍が優位に立ち、ユグノー派の中心人物であるコンデ公とコリニー提督に率いられ、イングランドの友軍と共に、フランス諸都市を次々と占拠していった。
この時点で、カトリーヌ・ド・メディシスは、もはやユグノーとカトリックの融和は不可能と見切ったらしく、ユグノーに対して徹底的な対決姿勢に転じる。
対立していたギーズ公と同盟を結ぶことで、王国軍の巻き返しを図ったのだ。
ユグノー、カトリック両派の重要人物達が次々に斃れていく中、激しい戦闘の末、ついにはコンデ公も捕らえられた。
そしてついに先日――メアリーの叔父であり、フランスの筆頭貴族ギーズ公フランソワが、暗殺された。
「深夜に狙撃されたギーズ公は、6日間生死を彷徨った末に息を引き取りました。実行犯は、ポルトロ・ド・メレ。その青年貴族は、暗殺の首謀者としてコリニー提督の名を挙げています」
秘密枢密院会議で、書類を片手に報告するのはウォルシンガムだ。
「この件で漁夫の利を得たのは、カトリーヌ・ド・メディシスです。長年のライバルが死に、その死の憎悪が政敵であるコリニーに注がれた……中には、この暗殺事件の真の首謀者はカトリーヌであり、彼女がギーズ公殺害の罪をコリニーになすりつけたと噂する者もあるくらいです」
「その噂の信憑性は?」
「確証はありません。ですが、ギーズ公の死を前後としたカトリーヌの行動には、いくつか疑わしい点があります。いずれにせよ、カトリック強行派のギーズ公が死に、ユグノーの中心人物であるコンデ公が捕虜となった今、カトリーヌは一気に戦局の終結を計るでしょう」
「なるほどね……ん……?」
淡々と伝えられる情報を頭の中で整理していくうちに、私は、はたと嫌な結論に思い至った。
「ちょっと待って。そうなるとフランスに派遣してるイングランド軍は――」
「あの女にしてやられたと考えるべきでしょうね」
マジでか!
思わずテーブルに突っ伏す。
そして、嬉しくないことに、その嫌な予想は間もなく的中した。
フランス国内で、ギーズ公暗殺の混乱の余韻が残る中、カトリーヌはひとり、恐ろしい手際の良さで――それこそ、この事態を予想していたのではないかと思わせる程の素早さで――カトリック、ユグノー派双方と連日会談を詰め、ついに両軍の和議を成立させた。
ギーズ公の死から、1ヶ月と立たない早業だった。
アンボワーズで調印されたこの和議の内容は、捕虜となっていたコンデ公の弱味につけ込んでの、『信仰の自由』などというお題目が臍で茶を沸かすような、甚だ不平等なものだった。
権利を大幅に制限されたユグノー達の間に強い不満を残しつつも、ともあれ一旦は和平を結んだユグノー軍と国王軍を使い、カトリーヌは、さっそくイングランド軍の追い出しにかかった。
コンデ公に請われて上陸したイングランド軍としては、掌を返されたようなもので、両軍の攻撃を受ければ軍事力的にも退却する他はなく、また残る大義もなかった。
当然、ユグノー軍が国王軍に寝返ったため、最初の取引で取り決めた、援助の見返りとして得るはずだった港湾都市の件もふいにされた。
まあそんなもんですよね! ちくしょうめ!
すっかり丸損である。やっぱり戦争などするものではない。
さすが女傑カトリーヌ・ド・メディシスといったところか。
ギーズ公の暗殺から、このイングランド軍の掃討までを計画していたのだとしたら、なるほど恐ろしい陰謀家である。
こんな女を簡単に敵に回すとか、迂闊にも程があるだろう、メアリー。
結局、今回のフランス遠征によって私が得たのは、「カトリーヌさんは敵に回したくも味方にしたくもないな……」という教訓だった。