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処女王エリザベスの華麗にしんどい女王業  作者: 夜月猫人
第8章 スコットランド動乱編・前編
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第100話 仮面の女王


 スコットランド女王メアリー・スチュアートとダーンリー卿ヘンリー・スチュアート。


 ヨーロッパを驚かせたその2人の電撃的な結婚は、最初から不穏なうちに幕を開けた。


 2人がホリルードハウス宮殿の礼拝堂で結婚式を挙げて間もなく、この結婚を反対し、懐を分かった異母兄モレー伯が、反乱が起こしたのだ。


 モレー伯としては、自分がいなければ何も出来ない若い女の王など、少し武力でびびらせれば、簡単に屈服させられると考えたのだろう。


 だが驚くべきことに、女王メアリーは勇敢にも、自らも馬に跨り、兵を鼓舞してこれを鎮圧した。


 マリコがパニックにならずに行動を起こしたことは意外と言えば意外だったが、元々肝は据わっているので、開き直ってしまえば強いのかもしれない。


 ……多分、いい加減、彼女の恋路を邪魔する異母兄にキレたんだろうなーと、私は予想しているのだが……


 恋の狩人を敵に回してはいけない。穴掘って埋められる。


 実際のところ、無鉄砲と紙一重な行動ではあったのだが、ツキも味方して勝利を収めたメアリーは、勇敢なる女王と称えられ、国内の支持を高めた。


 逆にツキに見放され、敗戦の将となったモレー伯とその一派は、王国軍に追われて散り散りとなった。


 それだけなら、隣国のお家芸でもある、貴族間の派閥争いによる内乱の1つでしかなかったのだが、ことはイングランドにまで波及してきた。


 逃亡したモレー伯の一団が、イングランドの国境を越え南下しているとの情報が入ったのだ。

 目的地はロンドン。スコットランド女王に追われ、イングランド女王に庇護を求めてきたらしい。


 これは少々、やっかいなことになった。


 モレー伯たちがイングランドに逃げ込み、私に庇護を求めてくるとなると、当然、私が裏で彼らの反乱を扇動したと言う疑いがかけられるだろう。


 この反乱の件は私の耳には入っていなかったが、イングランド政府とモレー伯が繋がっていたのは事実だ。

 誰か、プロテスタントを支持するイングランドの政府高官が、反乱を助成した可能性は十分に考えられた。


 下手に疑いをかけられれば、スコットランドとの関係悪化の火種になる。


「一芝居打つしかないわね……」


 報告を受けた私は、短い伝言を持たせ、モレー伯と接触する伝令を密かに放った。 


 今回の反乱では、マリコの行動力を読み違えてしまったが、ここは、政治家としては定評のあったモレー伯の空気を読む能力に期待することにする。


 打ち合わせなしの一発勝負だ。


 モレー伯らがロンドン入りしたと情報が入った翌日、私は何食わぬ顔で、数名の外国大使を私室に招いた。

 セシルを交え政治談議に花を咲かせたり、ハットンやグレート・レディーズ達とダンスに興じたりと、交友を深める。


 そんな和やかな空気を、突如、扉の向こうから聞こえたけたたましい声と足音が破った。


「女王陛下! エリザベス女王陛下へのお目通りを願います!!」

「待て! ここから先は……!」


 扉前に立つ近衛兵と誰かの押し問答の声が聞こえ、華やかだった女王の私室は一変して、不穏な予感にざわめいた。


「何事ですか!?」


 私が鋭く問うと、扉の向こうで応対していた近衛兵の1人が部屋に滑り込み、膝をついて報告してくる。


「それが……先程モレー伯が宮廷に到着し、一刻も早く女王陛下にお目通りを願いたいと……」

「モレー伯が……!?」


 隣国から逃亡中の謀反人の名に愕然とし、私は咄嗟にセシルを見た。

 信頼に足る宰相も、何やら分からないという様子で首を横に振る。


 その場に居合わせた大使たちも困惑の様子を見せるが、私はあえてそちらは窺わずに、警戒心は緩めぬまま、慎重に指示を出した。


「通しなさい。この場で釈明をする機会を与えます」


 すると、すぐに扉が開かれ、旅装も解かぬままのモレー伯と数名の騎士たちが転がり込んできた。


「女王陛下に申し上げます! 突然のお目汚しのご無礼をどうかお許しください! 我々一同、陛下にたってのお願いがあり、身を低くしてお縋り致します!!」

「何事ですか、おまえたち!」


 言葉通り、足元に身を投げ出して平伏した男たちを、私は椅子から立ち上がって叱責した。


「エリザベス女王陛下! ご慈悲を!」

「ご慈悲を!」


 汚れた身体を私室の床にこすりつけ、モレー伯に付き従っていた騎士たちが懇願する。

 その先頭で、モレー伯が事情を説明した。


「すでに風の噂でお聞き及びのこととは存じますが、我ら一同、おこがましくも己が君主、天にも等しい女王陛下に刃を向け、破れ去りました憐れな子羊でございます」

「ええ、知っておりますとも。天と世の理に背き、君主に背いたその愚かさ、我が愛しい妹に刃を向けた無頼さに、私は心より憤っています!」


 私の厳しい声に、身を縮めたモレー伯が取り縋ってくる。


「おお、慈悲深き女王陛下! 私共は、誠に愚かなことをしたと、主と陛下の御前に懺悔いたします! どうかお怒りを鎮め、卑しいこの身に庇護をお与え下さいますよう……!」

「庇護を、ですって? 何という恥知らずな。知る由もなかった事とは言え、同じ信仰を持つ者がこのような愚を犯したことを、私は何よりも恥じています。消え失せなさい、裏切り者達!」

「ご慈悲を! 私共の愚かな所業により、何も知らぬ陛下の気高き信心を傷つけたこと、いかような罰をもってでも償う所存でございます。ただ1つ、願わくばどうか、その寛容なるお心、偉大なるお力をもって今1度、我が君主に御取り計らいを……!」

「お取りはからいを!」


 口々に祈り、懇願する男たちに、私は1度息をつき、椅子に腰を落ち着けた。

 熱くなった感情を落ち着けるように、広げた扇子をあおぐ。


「……もう一度言います、失せなさい。この私から、せめて告げられることがあるならば――悔い改め、正しき心を持ち、その忠心を持って自らの君主に仕えるというのならば、我が愛する妹の心にも、許しの光が差すこともあるでしょう」

「陛下……!」


 暗に、本当に反省するなら取り持ってやらないこともないと仄めかし、私はモレー伯たちを、その場から追い出した。





「ふぅ……」


 突然の闖入者に、すっかり興醒めしてしまった場を解散し、大使たちにフォローを入れて帰らせた私は、ようやく一息をついた。


「お見事でした」


 その耳元で、背後に立っていたセシルが声を落として囁いてくる。


「この話は、大使達から各国へと伝わるでしょう」

「そうね」


 ロンドン入りしたモレー伯らに、前日に密かに連絡を取らせ、今日この時間に私室に雪崩れ込むように指示したのだ。


 このような劇的な現場に、たまたま居合わせることが出来た大使たちは、その子細を喜んで祖国へと報告するだろう。


 彼らは知らぬ内に、私がモレー伯の反乱に関わっていないという身の潔白を明かす証人となる――という算段だ。


「セシル、残って」


 ハットンや楽士たちが部屋を引き揚げる中、私はセシルにだけ残るよう指示した。


 人払いをした部屋で2人きりになり、先程の狂言で気付いたことを確認する。


「あなたね、モレー伯の反乱を扇動したのは」

「…………」


 セシルは答えなかったが、返事の代わりに胸に手を当て、目を伏せて私の前に跪いた。


 気付いたのは、私との打ち合わせなしの狂言の最中、モレー伯が見せた、セシルに縋る視線からだ。


 私の迫真の剣幕に対し、本当に女王からのお許しはもらえるのか、と味方に確認するような視線だった。


「功を急いだ?」

「…………」

「あなたらしくない焦り方」


 弁明をしない相手を、静かな声で責める。

 

 イングランド政府が、スコットランド議会を監視し、政府の方針に間接的に口出ししているのは確かだが、スコットランド女王へのクーデターを指示した覚えはない。


 だが、メアリー側が、イングランド国内のカトリック教徒に働きかけているという情報も入っている今、こちらが同じようにスコットランド国内のプロテスタントを煽り、内側からの崩壊を誘おうとしたことで、それを姑息だと非難することはできない。


 綺麗事で済む世界ではないからだ。


「今回の件でイングランド政府の関与が明るみに出れば、メアリー支持者に私を攻撃する体の良い口実を与えることになります。『相手の戦力を見誤り、失敗する計画に加担したこと』を強く非難します」


 私がセシルを咎めることが出来るとすれば、それは行動を起こしたことにではなく、計画に失敗したことだ。


 その非難を、セシルが首を垂れ、慎んで受け止める。

 椅子に座ったまま、私は溜息をついて、私室の天井を仰いだ。

 

 だが、本音を言えば……


「確かにメアリーは、エリザベスの立場にとって、やっかいな存在だけど、彼女を陥れてまでどうこうしたいとは思っていないの」

「…………」

「あの子は、ただの女の子よ」


 そう、マリコは『ただの女』だ。


 政治の世界に顔を出されては周囲が困惑するほどに、ある種幼稚で、ある種純粋な、女らしい女。


 それこそ、21世紀の日本で生きていれば、私なんかより余程賢く女性らしい、順風満帆な人生を送っていただろう。


 だが、この時代の王という立場は、彼女には向いていない気がしてならない。

 そしてより悪いことに、マリコには、『向いていない』ことに気付かない程の、自信と行動力がある。


 いっそ早く都合の良い相手と結婚して、夫に政事を任せて、世継ぎの子供を産んで、後は大人しくダンスや遊興に耽っていてくれればいい――


 なるほど、女の王に対して、男の臣下達が切実にそれを求める理由がよく分かる。


 私も、そういう風に思われている中を振り切って突き進んでいるだけに、人ごとではなく身につまされる部分があった。


「陛下……」

「…………」


 だがこれは、私のエゴだ。


 私が漏らした本音の部分を、セシルがどう受け止めたのか、察することはできなかったが、私は切り替えて彼を諭した。


「……メアリー女王はエリザベスの従姉妹よ。彼女が王位継承権を保持しているのも事実。その中で、私が血の繋がった隣国の女王を陥れたなんて評判が立ったら、どうなるかしら? 私のイメージが傷付くだけでなく、国内外のカトリック勢力に付け入る隙を与えることにもなるわ。リスクの高い、後ろめたいことをするべきではない。そうでしょう?」

「……仰る通りです」


 私の言い分を、セシルは頭を垂れて受け入れた。


 もとより、彼自身がそのリスクを考えていないとは思わない。だが、天秤にかけた上で、彼はモレー伯の反乱を支持したのだ。


 どこまでも理性的に物事を処理するこの男を納得させるために使った建前は、我ながら実に権力者らしい、エゴの塊のような理屈で、少し笑えてしまった。


 これでは、どちらが本音で、どちらが建前か分からない。


 この上、さらに立場の違う人間に発信する時には、相手に合わせて、もう1枚、別の建前で重ねて包み込まなければならない。


 内政も外交も、使う仮面は1枚や2枚では足りないらしい。


 少しずつ器用になっている自分に気付き、これは成長なのか何なのか……

 今度、心に余裕がある時に、ひとり良心に訊ねてみようと私は思った。






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