絶望と希望の依頼人③
勢いで言ってしまった。ダリアの今の心境はまさしくそれだった。
心配そうに、足元から見上げる仔獣。作業用の机の上には一本の杖、そして後ろには、アーサー。
眼鏡越しの切れ長の目ってこんなに怖いんだね、初めて知った。眼鏡キャラ近くに居なかったもん。
緊張で震えそうになりながら、馬鹿なことを考えて意識を別の場所に持っていく、手元に集中しよう。
「では、この杖の強化をお願いできますか? ダリア・アルビレオさん」
差し出された一本の杖は、魔術学園の生徒が、自分用のオーダーメイドの杖を作る前、練習用に用いる杖で、強度も威力もそこそこの、言ってみれば、使い捨てのようなものらしい。
それを、方法は問わないので強化しろ、と言うのがアーサーからのテスト、だ。
「それでは、はじめさせて頂きます」
首だけをアーサーに向け、小さく会釈してから作業に取り掛かる。
見た目も変わってしまって構わない。その言葉に甘えて、魔力増幅の陣を表面に彫っていく。この時、先端がオリハルコンかミスリルで出来たニードルを使うのがポイントだ。彫られた部分の魔力通りが違う。
陣は『ギ』の魔具師、オリジナルの物。一見、蔦模様に見えるが、よく見ると葉っぱ部分が文字になっている。
「これに、薬草で作った特殊な絵具を流します。その上からトップコートを重ね、焼きます」
蔦と葉の一本、一枚、一文字に至るまで、丁寧に絵具を流し、透明のジェルを塗り重ねる。この、トップコートこそがポイントだ。そして焼く。
「危ないっ! これは……」
ダリアが手に持ったまま、杖に火を点けたので、驚いたアーサーが腕に手を伸ばすが、火は、一瞬、火柱を上げ、しかし、すぐに消えた。
杖は、模様の部分のみが、鮮やかな新緑色になり、焦げ跡なんてどこにもなく、陣の模様も僅かに開いていた文字の隙間が埋まり、どこからどう見ても、ただの蔦の絵にしか、見えなくなっていた。
「これで、強化は完了です。ただ……その杖、元々の魔力浸透率が凄く低いから、どこまで威力が出るか……」
アーサーが、練習用の使い捨てと、言っていた通り。杖はいかにも量産品という感じだった。もうちょっと、ちゃんと作ればいいのに。
「構いません、元の威力は僕が知っています。一度、ためさせて貰います」
差し出された手に、杖を渡す。嫌な予感を感じながら。
作業机から少し離れて、アーサーは精神を集中させるためか、瞳を閉じて、短く息を吐く。魔法って、使うのははじめて見る。ダリアはどきどき、胸の前で指を組んだ。予想が、外れますように。
「ムイリウ」
呟かれたのは、何の魔法だったのか? 先ほど、火を点けた時のデジャヴの様に、火柱が昇る。違ったのは、アーサーの手に握られていた杖が、黒い粉と塊に、変わったことだった。
「ごっ、ごめんなさい! ぇと、薬! 火傷の薬、どこぉ」
先に動き出したのは、もしかしたらと、予想していたダリア。パタパタと、二階にある住居区に上り、火傷の薬を探しに行く。なぜか仔獣はちゃっかり付いて、その場を後にする。
「……今の、初歩である、灯火の魔法なのですが」
唖然と、小さく零す。使ったのは、魔法とも言えない初歩の初歩。初等科で一番最初に習う、適正が有れば誰でも使えるようなモノ。
力を見るためだからと、気を抜いていた? 否、抜いても失敗したとしても、アレにこんな威力なんかない。
「『ギ』の魔具師、一子相伝で、技術すら盗めない、謎の流派。まさか、これ程の力が有るとは」
魔具師は、大小様々な流派がある。その中でも、トップレベルと謳われるのが『ギ』である。
『ギ』の魔具師は内部で、四流派に分かれており、確かにカメリア派はその一つ。先生が11代目と悪友だと言っていましたか。確か名前は……
「ごめんなさい、薬持って――」
「アイヴィ・ベル」
「――来ました。って、お師様?」
薬を手に、階段を、ちょっと踏み外しかけて、ダリアは入った室内で、なぜか、師匠アイヴィの名を口にする、アーサーにきょとんと瞬く。
「あぁ、失礼。僕の先生の、知り合いらしいんです。『ギ』の魔具師と聞いて、何か引っかかりまして。思い出しました」
「お師様のお友達? お師様、何も行ってなかったけど。お師様だもん。あっ、手、見せてもらっていいですか」
「手、ですか?」
そこで初めて、アーサーは手が痛いことに気付く。どれだけ、茫然自失だったんだ、自分。
「そんなに、酷くないと思います。けど、赤くなってるし、先冷やしちゃいましょう」
薬と包帯。後、一緒に持ってきたタオルと氷が入った桶を来客用応接セットに置き、アーサーを座らせる。
先刻は、前に座っていたダリアが、今度はアーサーの隣に座る。
隣じゃないと治療出来ないもん。恥ずかしいけど、仕方なくだもん。
自身に言い聞かせ、ダリアは、広げられた掌に、タオルで包んだ氷をそっと当てる。皮向けたりはしていない。良かった。
「あれは、初歩の、魔法だったんだ。灯火の、誰でも使える」
「うぅ……すみませんごめんなさい私が悪かったです」
「本来は、小さな光球が浮くくらいで、灯火と言っても火は点きません」
「ごめんさない、ごめんなさい――ぇ?」
「けれど昔、初等科の生徒で、魔力が凄く強力な方が居まして、杖を壊してしまったことがあったそうです」
「壊れたって……」
「そう、今回の様に、火柱が昇って、杖は焼け焦げた。最も、その時は炭が残ったそうです」
「と言うことは、もしかして」
「はい、その事件後、僕たちは言われました。魔力を通しすぎると、失敗すると杖が燃える、と。そして、貴女が先ほど言ったように、魔力浸透率が著しく悪い、この杖が作られました」
開いている方の手で、アーサーはベルトから、もう一本、練習用の杖を取り出す。眺めるダリアは、どこか黄昏ている。
「なので、テストは合格です。そして、僕は貴女を少し、疑っていました」
ペコリと、頭を下げるアーサー。
「そっそんなの、怪しく思って、疑っちゃうのなんて当然で、あっ頭上げてください」
慌てたダリアは、冷やしすために、固定していた腕もわたわたと動かし、必死で気にしなくて言いと言う。
その動きに、アーサーは堪えきれず噴出し、ダリアも、顔を赤くしながら、けれど笑い声を漏らす。
「それじゃあ、手伝っても、うぅん、手伝わせてもらっていいですよね」
「はい、むしろこちらからお願いします」
落ち着いて、再び掌を冷やしながら、ダリアはアーサーと、向かい合って微笑んだ。