イントロダクション:Hello "1200X|3"
――20XX年9月20日 千葉市・幕張メッセ 8ホール 「東日本ゲームショー20XX」イベント広場――
14時02分。それは唐突に始まった。
....................WARNING‼...................
.............AN ASSULT EXAVIRUS..............
................."HECATONCHEIR".................
..............APPROACHING FAST...............
...........FIRST WAVE PERSONNEL..........
..............TO BATTLE STATIONS.............
耳をつんざくような警報音に、神岡隆は反射的に肩をビクつかせた。イベント会場の巨大モニターと、神岡が手にしたスマートフォンのトップ画面に、昔ゲーセンでよく見た覚えのある「WARNING」の文字が浮かび上がる。ステージ上で行われていた公開録音のパーソナリティたちも、オープニングトークをやめて身をこわばらせた。
(急速接近中……“あいつ”の言うとおり……)
スマートフォンと巨大モニターを交互に見比べる。空調の整った場所にいるにもかかわらず、神岡の体中から、何かとんでもないミスをやらかしたときのような嫌な汗が、一気に、かつ大量に吹き出ている。尋常ではない緊張と焦り、そして恐怖。神岡の脳内は無数の「どうしよう」で埋め尽くされ、身体中の筋肉は、額や脇の汗に反して、背中からぞわぞわと立ち上る鳥肌とともに、金縛りのように動かなくなっていく。
(俺に……世界を、『地球を救え』だと……?30過ぎて記憶喪失になったヲタクの元記者が、何をどうやったら地球の危機に立ち向かえるっていうんだ……仮にここまでが壮大なドッキリだったとしても……ああ、むしろそうであってほしい。落とし穴に落ちて、笑われて、それで済むのなら、喜んで落ちてやるよ……)
そんな思いを巡らせていると、スマートフォンが神岡の意思とは無関係に起動をはじめた。画面には「PURASEBO BOOST」の文字。加速度センサーで神岡の体の揺れ具合を自動的に感知し、状況にあった音楽を直接骨伝道で流すアプリだ――と、開発者の職場仲間は言っていたが、選曲の精度が高すぎて、とても外的な情報だけで選曲しているとは思えない節がある。流れてきたのは緊張感のあるテクノ調の曲。神岡はすぐにあのゲームのあの曲だと理解した。
(この曲……だが、俺は“エリート”じゃない……ど素人じゃないか……)
周囲の観客――大方はパーソナリティを務める声優のファンなのだろう――は、落ち着きを取り戻しつつあった。
――なに?何か新しいイベントでも始まるん?――
――これってダレイオスじゃね?シューティングの――
――マジか!ダレイオスの最新作キタコレ!――
神岡もイベントの観客同様、この状況を楽天的に飲み込もうとしたが……。
“こちら『マナ』。カミオカ、聞こえますか?そちらの状況は?”
声が頭の中に直接響く。神岡よりは状況を理解できているであろう者が、“ここでない何処か”から、神岡を現実へと引き戻した。まるで神岡の内部から囁いているような、両耳から聞こえる、はっきりとした、抑揚の少ない、女性の声。
“カミオカ?警報は届きましたか?”
「……あ、ああ、届いている」
とっさにスマートフォンを――独り言と思われないように――耳にあてがい、会場を離れて中央の通路に出た。
「なあ、もう勘弁してくれよ。お前は誰だ?……本当の目的は何だ……どこから話してる?……俺が『地球を救う』?冗談もほどほどにしてくれよ。俺には少し昔の記憶が無い。俺の覚えていない過去の取材か何かで、お前に迷惑をかけていたのなら謝る。許してくれ……なあ、聞いてるか?本当に、俺には心当たりがないんだ。……俺が一体、何をしたっていうんだよ……」
神岡は緊張のあまり、最後はみぞおちから搾り出すような細い声を出した。
“目標、大気圏に突入。インパクトまでのカウントダウン開始……カミオカ、落ち着いて。あなたはまだ何もしていない。もし仮に、あなたがこのまま何もしないのであれば、あなたは……基幹プログラム『保持者』として連行される。確立は90%以上。そして、人類は死滅へと向かう。”
「なん……だと……?」
神岡の脳裏をよぎったのは、ここ数年、欧米を中心に世界的規模で相次いだジャーナリストの行方不明や変死。そして、一連の事件に関与したと噂される企業共同体の名。
「まさか、え、『エリュシオン』……?……俺が?……分からない。思い出せない……そんなネタ……これでも、自分の書いた記事には全部目を通しているのに……」
“守秘義務規定133-816に該当するため、質問については回答できません。基幹プログラム受信者本人、つまり、カミオカ自身による『承認』を受けての、基幹プログラムの『解凍』が必要です。なお、承認を経ても、周辺事象が『グリーン』に、または守秘義務期限超過とならない限り、秘匿する義務のある情報があります”
「『知っているが、お前の態度が気に入らない』って事か」
“こちらとしても、ある程度の情報共有の必要性は感じていますが……。目標、大気圏を通過。インパクト地点予測……幕張メッセ周辺200m圏内。インパクトまで約120sec.カミオカ、そろそろ決断の時間かと……いえ、ここからは『オペレーター』としてではなく、ひとりの『人間』…………として、あなたにお願いするわ……お願い。基幹プログラムの解凍を承認して”
不意に、頭の中の声から、感情を押し殺したような平坦さが消えた。
「……何で俺なんだよ……『目標』って何者だよ……もうやめてくれ……俺の頭から離れてくれ……プログラムなんだろう?だったら、俺じゃない誰かにダウンロードでも『コピペ』でもさせればいいじゃねえかよ……」
“それは私にも、他の誰にも出来ないの……ごめんなさい。本当に”
「どういうことだ!?」
“…………”
「また例の『守秘義務規定』か?結局あんたは、俺に承認しろとせっつく癖に、手前らのことは何も話さないじゃないか!」
“……あなたなら、いつか思い出してくれると信じてるわ”
少しの沈黙を、再度の警報音がかき消す。
“目標、インパクトまで60sec.おそらく、目標……私たちの故郷では『エクサヴァイラス』と呼んでいたわ。エクサヴァイラスは標的であるあなたを捜すため、また、地球人を殲滅するために、無差別攻撃を行うはず。あなたが戦っても、戦わなくても、死者、負傷者は出ると思う……残酷な話だけど。私のほし……故郷が、そうだったように。私の両親も……あいつらに殺された”
「そんな……じゃあ余計に、俺なんかじゃなくて、警察とか、自衛隊とか、もっと頼るところがあっただろうに!い、今からでも遅くない。警察に……」
“いえ、もう時間がない。それに、あなたは警察に行って、なんと説明するの?”
「ぐっ……」
“目標、インパクトまで10sec.9・8・7・6・5・4・3・2……カミオカ、近いわ伏せて!”
神岡は頭を抱えてその場にしゃがんだ。その時、何かが閃光とともにホールの天井を――あれは4ホールの辺りだろうか――突き破った。刹那、足元を突く振動と、全身を貫く空気の波。少し遅れて、プラスチックが焼けたような臭いと土煙が、多数の金切り声と共に神岡のもとに届いた。
「あ……あ……」
神岡は物体の落下点の辺りに視点をさまよわせながらあとずさったが、恐怖のあまり脚がもつれて尻餅をついた。イベント広場にいた観客らも一斉に席を立ち、悲鳴を上げながら出口へと走り出す。
“目標の中心核付近から微弱の放射線反応。エクサヴァイラスのコアはプログラム基盤のようなもの。周囲の物質を吸収し、組成を改良、強化した上で、自らの兵器や装甲とするわ。おそらく『局所核融合』によって、この星……地球には存在しないマテリアルを生み出すことも可能”
そんな説明も、神岡には届いていない。
「にげ…逃げ……ないと……俺には……無理だ、こんなの……」
“目標、『組成フェイズ』に移行。カミオカ、しっかりして!立って!!”
土煙の向こうに、周囲の設備や鉄骨を吸い込みながら、何かが徐々にシルエットを形作っていく。人の背丈よりは高さがあるだろうか。頭と思しき部分には五つの赤い光が点滅し、胴体の左右には無数の腕のような物がうごめいている。
「た、戦える……わけねえよ……だれだって……こんな……ば、化け物……」
“目標を強襲型エクサヴァイラス『ヘカトンケイル』と確認。カミオカ!戦えないのなら逃げてもかまわないわ!こちらである程度の防御サポートは出来るけど、あいつの火力を100%は防げない。ここで死んじゃだめ!!生き延びるの!!だから立って!!”
その時、スマートフォンの「PURASEBO BOOST」が起動し、さっきとは別の曲を再生し始めた。止まりかけのオルゴールのようなイントロが聞こえてくる。それにハッとした神岡は正気を取り戻し、眼前の「ヘカトンケイル」を見た……その手前には泣いている女児の姿。
(こんなときに“さらばわが星”なんて……)
神岡はさっきまでの体の硬直がウソのように、すんなりと立ち上がった。
「お兄ちゃーん!おにぃちゃーん!」
泣き叫ぶ女児に、神岡の記憶の片隅にある、誰かの姿が重なった。
――お兄ちゃん……ごめんね……――
(なんだ……?この既視感……)
神岡の目から、大粒の涙がぼろぼろと溢れ出す。と同時に、神岡は少女に向かって、嗚咽を漏らしながら猛然とダッシュを始めた。
「う……うふぅっ……うおおおおぁぁあああアアアアアアアアア!!!!」
カミオカは気合とも、絶叫とも付かぬ叫び声をあげながら、涙も鼻水もぬぐわずに走った。
“カミオカがあいつに向かってる!?そんな……自殺するとでも言うの!?”
神岡にも訳が分からなかった。まるで、自分とは別の意思を持つ“中の人”が彼の体を支配しているようだった。そして、その“中の人”は、自分のことをよく理解してくれているのだ、という、一種の安堵のようなものも感じていた。あの女の子を助けなければ、また同じ過ちを犯す……神岡は6ホールの辺りまで走って少女を抱きかかえると
「大丈夫だからね……絶対助けるから」
と、今度はもと来た道を出口へ向かって走り出した。
“目標胸部から高エネルギー反応!カミオカ急いで!可能な限り離れるの!……くっ!光子拡散機構出力全開……間に合って!!”
神岡が後ろを振り返る。土煙に隠れた巨人の胴体は、青白く光っている。その青白い光は、ゆっくりとこちらに向かってくるように感じられた。そしてまた、神岡は既視感を覚える。
――ああ、そうだ……俺……前に一度…死んで……――
青い光は眼前に迫っていた。