非対称の設計図
私は友人の香澄からカフェで相談を受けていた。
「行くならやっぱりドレスが良いよね?」
コーヒーに砂糖を入れながら香澄が話し始めた。
「私はドレスで行くよ。」
私たちはホテルで開かれるガラパーティーに招待されていた。
「でも家にドレスなんか無いんだよね。」
考えながら香澄はコーヒーを口に含んだ。
「それならこないだ寄った骨董市で買ったアンティークのドレスがあるよ。」
「どうせ使わないしあげようか?」
私は少し考えるふりをした。
「ほんとにいいの?」
香澄は心底嬉しそうに私のことを見つめていた。
「ちょっと早めの誕生日プレゼントってことで。」
あと一か月ほどで香澄の誕生日が来るのを私は知っていた。
「ありがとう!」
「骨董市で買ったし鑑定書が付いてなかったからレプリカかもしれないけど……」
「全然!どうせ家にドレスなんかないしね。」
「私はこの後も用があるから行くね?」
私は時間を確かめるふりをして、腕時計に視線を落とした。
「分かった。私はこれを飲み終わったら出るよ。」
「今日は奢らせて?」
財布を取り出した私を制止した。
「ありがとう。」
「またね。」
手を振っている香澄に手を振り返しながら店を出た。
これで香澄はドレスが本物でさえあれば、それ以外のことは気にしない。
「ごめんね。香澄。」
小さな呟きは、背後で鳴ったドアベルの音にかき消された。
タクシーを降り、ホテルのロビーに入ったところで私は声を掛けられた。
「あ!沙耶!」
声の方を見ると鮮やかな緑のドレスに身を包んだ香澄がいた。
「こないだぶり。」
私は駆け寄ってきた香澄に手を振った。
「ドレスありがとう!」
ドレスは、カフェで別れたその日のうちに香澄の家へ送っていた。
「気に入ってくれた?」
「もちろん!」
予想通りの答えが返ってきた安心感から私は自然に笑うことが出来た。
「久しぶりだね、中野さんと石田さん。」
「お久しぶりです一条さん。」
声を掛けてきたのはホテルオーナーの一条恒一だった。
「君達のおかげで理想のホテルを建てることが出来たよ。ありがとう。」
「いえいえお礼なんてそんな。」
私は建物のデザインを依頼されていた。
「私なんてほとんど何もしてないですって。」
香澄は内装と外装の監修を依頼されていた。
「どうしてもリアルに再現したくて、二人のおかげで助かったよ。」
一条は異様なほどにヨーロッパ建築を愛していた。
「日本じゃなくヨーロッパの観光地にいるような気分だよ。」
「もうしばらく談笑しておきたいのはやまやまだけど僕は挨拶に行かなくちゃならなくてね。」
また後でと言い残し一条は私たちの前から姿を消した。
「私たちも入ろう。」
香澄に手を引かれパーティー会場に足を踏み入れた。
「こんにちは。」
パーティー会場に入るとすぐに人に囲まれた。
「あなたがこの建物をデザインしたんですよね?」
「そうですね。」
「あらゆるところがシンメトリーになるように設計されていてとても素晴らしいです。」
「ありがとうございます。」
笑顔が少しひきつっているのを感じた。
「ヨーロッパに居るように感じていただけたのならこちらの香澄の功績です。」
「え、私?」
突然名前を出され、香澄が振り返った。
「そうなんですの?」
話しかけてきた相手の興味が香澄に移ったのを確認してから私はトイレに向かった。
「はぁっ……はぁっ……!」
トイレに人がいないのを確認してから水で顔を洗った。
「何も分かってない!」
ホテルはシンメトリーのように見えるが正面と側面以外はシンメトリーになっていなかった。
「本当に吐き気がする!」
洗面台に拳を叩きつけた。
「はぁ……はぁ……ふぅー……」
深呼吸をしてもなかなか吐き気は収まらなかった。
「沙耶だぁー」
どうにか気持ちを落ち着かせ戻ると酒の回った香澄がいた。
「ちょっとしっかりしてよ。」
香澄を引っ張ってソファーに座らせた。
「こっちの気も知らないで呑気なやつ。」
無防備に寝息を立てる香澄を見る目が険しくなっていた。
「これじゃダメだな……」
顔を整え、誰が見ても介抱している優しい友人に見えるようにした。
「大丈夫ですか?」
心配そうにウエイターに声を掛けられた。
「水を置いといてくれる?」
ウエイターが水を置いたのを確認して、香澄のもとを離れた。
今殺したら疑われてしまう。
「そろそろダンスを始めさせていただきたいと思います。」
見るとテーブルが端に寄せられ、広い空間ができていた。
「起こさなきゃ。」
香澄はまだ眠っていた。
「香澄。」
肩を叩くと薄っすらと目を開けた。
「しっかりしてよ。」
香澄は水を受け取り、ゆっくりと立ち上がった。
「ダンスだって。」
「一緒に踊ろう?」
誘われるのは予想していた。
「いいよ。」
断りたいのを堪え、笑顔を作った。
「ドレス着てきてよかったー」
ダンスをしながら無邪気に香澄は笑っていた。
「ならあげてよかった。」
香澄に微笑む沙耶は誰が見ても仲の良い友人に見えた。
演奏が終わると一条が近づいて来た。
「僕とも一曲踊ってくれるかい?」
「私は少し疲れてしまって……」
私は飲み物を取り、口に流し込んだ。
「私は別にいいですよ?」
香澄が一条の腕を掴んだ。
「大分酔ってないか?」
心配そうに香澄を覗き込んでいた。
「早く行かなきゃ始まっちゃいますよ?」
「それもそうだな。気分が悪くなったらすぐに言うんだぞ?」
香澄を気にかけながら一条と香澄はダンスを始めた。
「……」
思っていたのとは違うが香澄を誰かと踊らせる事ができた。
「今のうちに移動しなきゃ。」
わざと一条と香澄の目に入るよう、ゆっくりと人の多いところに向かった。
「ここらへんでいいかな。」
壁にグラスを片手に寄りかかった。
「沙耶ー何してるの?」
案の定ダンスが終わると香澄は私の元に向かってきた。
「少し休んでただけ。」
私は手を上げてウエイターを呼び、水を貰った。
「ちょっと休んだら?」
すぐ近くにあるソファーを指さした。
ソファの方を見たのを確認して透明な結晶を入れた。
「そうする。」
座った香澄に水を手渡した。
ソファーに座っていた香澄は水に何かを混ぜられたのに気づいていなかった。
「ねぇ香澄言いたいことがあるんだ。」
水を飲んでから少ししたところで香澄に話しかけた。
「どうしたの?」
香澄は不思議そうに私を見つめていた。
「私は怒ってるの。この建物のデザインを崩されたのを。」
香澄が身体の異変に気づき手を上げようとした。
「だーめ。」
香澄の手を取り膝に戻した。
「大人しく聞いてて?」
「……っ」
香澄は声が出ないのか口から空気だけが漏れていた。
「あなたのことを好きだったのは変わらない。」
「最後まで迷ってたもの。」
香澄が必死に目で訴えかけていた。
「私がこの職業をどう思ってるか知ってるよね?」
香澄がかすかに頷いた。
「大丈夫。私も長く生きるつもりなんて無いから。」
私は香澄の目を手で隠した。
「おやすみ、香澄。」
「死ぬまで一緒にいてあげる。」
香澄の耳元で囁いた。
「ほら、力を抜いて。」
周りからはグラスのぶつかる音や音楽、笑い声が聞こえていた。
「ちゃんと死ぬまで隣に居るから。」
掴んでいる手の強さが強くなったのを感じた。
「おやすみ。」
私は香澄の肩に頭を置き目を閉じた。
笑い声が響く中、香澄の手が力を失いソファーに落ちた。
返事が返ってくることは無かった。
「石田さん、起きて!」
私は一条の声で目が覚めた。
「中野さんが動かない!」
香澄は冷たくなっていた。
「……うそ……。」
動かなくなった香澄を見ると涙が溢れてきた。
覚悟はしていたがやはり辛かった。
1時間ほどが経ち、ホテルの部屋で泣いていると扉をノックされた。
扉を開けると一条と警察が立っていた。
「どうしたんですか?」
「泣いているところすみませんが香澄さんのドレスからヒ素が検出されました。」
「現場の至る所からヒ素が検出されていまして……皆さんにもお話を伺っているんです。」
「そういうことだから事情聴取をしたいってことらしいんだ。」
一条は心配そうに私を見ていた。
「あのドレスからですか……?」
「はい。」
「あのドレスは私があげた物なんです……。」
「どういうことだ?」
一条が混乱したように聞き返した。
「しばらく外にいてもらえ。」
部下に指示を出し一条を廊下に出した。
「改めて説明をお願いしてもよろしいですか?」
「あのドレスは骨董市で買った物なんです。」
どこまで話すかを考えながら話し始めた。
「この間カフェでパーティーにどんな服装で行くか相談を受けて……」
その時を思い出して涙が溢れてきた。
「ゆっくりで大丈夫です。」
「すみません……私はもう決めていたんですけど香澄はドレスを持っていなくて早めの誕生日プレゼントとしてあげたんです。」
「香澄さんの誕生日はいつですか?」
メモを取りながら質問した。
「2週間後です。」
「そのドレスを自分で着ようと思わなかったんですか?」
「思いませんでした……そもそもドレス自体着ることが中々ないので……」
「そこからどうやってドレスを渡しましたか?」
「その日の内に宅配便で送りました。」
メールの文面を見せながら説明した。
「香澄はドレスが死因なのでしょうか……」
「恐らくそうだと考えられています。」
「私のせいで香澄が……」
「もう少し詳しく聞きたいので署までご同行願えますか?」
「もちろん任意ですが。」
有無を言わせない声だった。
「どうですか?」
高橋 恒一は上司である鷲尾 修一に事件のことを聞いた。
「殺意があったかどうかはまだ分からんが犯人はあの女で間違いなさそうだ。」
「取り調べはどうでした?」
「まさか骨董市で買ったドレスの染料がヒ素だなんて考えてもみなかったそうだ。」
「ほんとなら気の毒っすね。」
「本格的に動くのは司法解剖の結果が届いてからだな。」
沙耶の服からもヒ素が検出されていた。
「被害者が通った時にぶつかったりしたものにヒ素がついてるなんて大変ですよね。」
「それがそこまで問題ないらしい。」
「そうなんすか?」
「ヒ素で死んだのは間違いないと思うんだが……」
「今回の事件はそんなかからなそうっすね。」
「だと良いんだが……」
「面倒なことになった。」
翌朝、高橋が顔を出すと鷲尾が顔をしかめていた。
「どうしたんすか?」
「釈放だ。」
「ヒ素付きのドレスは合法になったんすか?」
「皮肉はやめろ。」
「死因は毒であっていたがヒ素じゃなかった。」
「何だったんすか?」
「テトロドトキシンだ。」
「ヒ素じゃなかったんすか?」
高橋は驚いて目を見開いた。
「ヒ素が付いてると知らなかった可能性があるから起訴まで持っていけねぇ。」
「すくなくともあのドレスは犯行に関係ない。」
「骨董市の裏は一応取っときますね。」
「頼んだ。」
高橋が真剣な表情になり敬語を使い始めた。
本気になった証拠だった。
「ここからが正念場ね……」
私はホテルの廊下を歩いていた。
「当然疑われるけど私が犯人だって言う証拠がないもの。」
取り調べで聞かれたことを思い返していた。
「遺体発見時あなたは隣で寝ていたという話を聞いたのですが本当ですか?」
「ダンスの後お酒を飲んでいたのもあって寝ていました。」
「水はあなたが運んだんですよね?」
「はい。」
「水の中に何かを入れる事ができた人はいますか?」
「分かりません……」
「寝ていたので誰かが通ったか分からないんです。」
「すいません!骨董市の裏取れませんでした。」
「どうやら匿名でも出店できたようで……」
悔しそうに高橋が報告した。
「石田 沙耶が一番怪しいが容疑者が多すぎる。」
パーティー会場に居た人物の名簿を見て鷲尾は頭を抱えた。
「現場からテトロドトキシンは見つかってないんですか?」
ホテルの見取り図を見ながら高橋が聞いた。
「出てこなかった。防犯カメラも入口にしか付いていない。」
「犯行時あの場にいたのは235人、その内20人のオーケストラのメンバーは完璧なアリバイがあります。」
「なんだ?」
「全員の前で被害者が来るより前から演奏をしていました。」
「215人の中から少しずつ減らしていくしか無いか……」
「被害者の行動を徹底的に洗うぞ。」
鷲尾は立ち上がった。
「なるほど……中野さんの行動を知りたいと。」
鷲尾と高橋は一条のもとに来ていた。
「私が最初に会ったのはホテルのロビーです。」
「たまたま中野さんと石田さんの姿が見えたので挨拶をしておこうと思ったんです。」
「その後はダンスの時間まで一度も顔を合わせませんでした。」
一条は声が震えていた。
「石田さんと中野さんが踊っているのを見かけて中野さんをダンスに誘いました。」
「なぜ見かけて挨拶をしようと思ったのですか?」
高橋がメモを取りながら一条に質問した。
「このホテルのデザインを石田さん、監修を中野さんに依頼していたからです。」
「二人がホテル関係で揉めたことは?」
「ありません。そもそも中野さんを紹介してくれたのは石田さんなんです。」
「石田さんが?」
鷲尾は驚いていた。
「ええ、何でも高校の時から仲の良い友人だったそうです。」
「二人のおかげで理想のホテルが出来上がったので挨拶をするのは当然のことです。」
「なるほど。」
石田 沙耶の殺す動機が全く思いつかなかった。
「そしてあなたが中野さんの異変に気づいて通報したという事ですね?」
「はい。」
一条は大きく頷いた。
「そのとき石田さんは中野さんの隣にいたんですよね?」
「二人で眠っているのかと思って近づいたんですけど中野さんが息をしていなくて……」
一条は目を伏せた。
「石田さんは本当に眠っていたんですね?」
「少なくとも僕は寝たふりをしているようには見えませんでした。」
「なるほど……」
「僕は、犯人は石田さんじゃないと思います。」
思い切ったように一条が話し始めた。
「根拠はあるんですか?」
「根拠は無いんですけど……二人は本当に仲が良かったんです。」
「打ち合わせの時も楽しそうに話していたし、よく帰りに二人で出かけていました。」
「とても参考になりました。ありがとうございます。」
「足取りは掴めたが特にどうということはないな……」
集めた情報を手元に話し合っていた。
「いい知らせもあります。」
「話してみろ。」
「ホテルに調べてもらったんですが死亡推定時刻より後にパーティーに参加している人が13人います。」
高橋がメモを見ながら報告した。
「容疑者はあと202人か……」
それを調べると思うと気が遠くなりそうだった。
私は苛立っていた。
「ああもう!」
ニュースでホテルのことが言われているのを見てスマホを床に叩きつけた。
「ホテルのことを調べる人が出てくる……」
グーグルマップで見ると建物がシンメトリーになっていないのが分かるのだった。
「だめ……落ち着かなきゃ。」
完璧でない部分が露出するのが許せなかった。
「こんな風になるのは分かってたはずでしょ……」
必死に自分に言い聞かせていた。
「レビューにシンメトリーに見えるが実際はそうでは無かったなんて書き込まれたら……」
とても感情を抑えられそうになかった。
「それもこれもアイツのせい……」
一条のことを思い出していた。
「無駄にお金を持っているから素材を妥協しないし、香澄の言った通りすぐに変更されるし……」
必死に気持ちを落ち着かせていると床のスマホに電話がかかってきた。
「もしもし?」
「あぁ良かった石田さん。」
電話の相手は一条だった。
「もし自殺してたりしたらどうしようかと思ったよ……」
無事に電話に出て、ほっとしたようだった。
「心配してくれてありがとうございます……」
怒りを悟らせないように声を落ち着かせるのに必死だった。
「何かあったらいつでも言ってくれていいからね。」
「はい。」
優しくされているはずなのに苛つきは収まらなかった。
「一条さんが泊まってるのは506号室だったかしら……」
「どうやってバレずに殺そうかしら……」
今ホテルには容疑者だけでなく、警察も泊まっていた。
「自分から死にに来てもらえば良いんだわ……」
一条に電話を掛けた。
「何かあったのか?」
心配そうに聞いてきた。
「ちょっと話したくなっちゃって……後で部屋に来てくれる?」
不安そうな声色で一条に頼み込んだ。
「もちろん良いよ。中野さんの部屋は309号室だったよね。」
「そうです。じゃあ2時間後に部屋に来てくれますか?」
「分かった。」
時間を決めたからには早く行動を起こさなければならなかった。
「すみません。」
一条の電話を切った後すぐにルームサービスに電話をした。
「部屋の前にお酒を置いておいてくれるかしら?」
「何のお酒にしますか?」
「ワインでお願いします。」
「グラスは1つでよろしいですか?」
「いえ、2つ下さい。」
「かしこまりました。」
「ここからが正念場ね……」
電話をかけ終わるとすぐに行動を起こした。
「やっぱりあった。」
ホテルの構造を知り尽くしている私にとってはカメラに映らずに行動するのは簡単なことだった。
「急がなきゃ。」
倉庫にあったガスボンベと大きな風船に手を掛けた。
倉庫に置かれているテーブルに乗り、屋根裏に入った。
自分の部屋がある階層の下水道に風船を差し込み、ガスを入れ始めた。
ガスボンベにはヘリウムと書かれていた。
「後は上手く行くのを願うだけね……」
ガスボンベを元の位置に戻してビニール手袋を外した。
「どうやって処分しようかしら……」
待ち合わせにはまだ45分残っていた。
「コンビニでおつまみでも買ってこよう。」
何もなかったかのようにホテルの出口へと向かった。
「石田 沙耶がホテルから出てきました。」
鷲尾と高橋はホテルの前で張り込みをしていた。
「コンビニに入ったな……」
程なくして石田 沙耶は袋を片手にコンビニから出てきた。
「特に怪しい行動はしてませんね。」
「そうだな……」
コンビニをでるとそのままホテルに戻っていった。
「石田さん?」
一条が部屋をノックした。
「扉は開いてるから入ってきて下さい。」
私はキッチンでお湯を沸かしていた。
「ワイン飲みますか?」
テーブルの上には中身の入ったワイングラスが一つだけ乗っていた。
「自分で入れれば良いのかな?」
一条は空のワイングラスを持ち上げた。
「そうですね。珈琲は飲みますか?」
インスタントコーヒーを作りながら一条に聞いた。
「いや、僕は遠慮させてもらうよ。」
一条はワインを飲み始めていた。
「その袋の中におつまみが入ってるので良かったらどうぞ。」
「先に飲ませてもらうよ。」
一条がワインを口にしたのを確認してお湯をシンクに流した。
下水道からパンと音が響いた。
「何の音だ?」
「なにか音がしましたか?」
「いや、気のせいかも知れない。」
「さっきからやけに眠くてね……」
一条は眠そうにあくびをした。
「そうなんですか?」
相槌を打ちながら私もワインに口を付けた。
一条はしきりに頭を振ったりしていた。
「大丈夫ですか?」
ワインに睡眠薬を仕込んだのだから大丈夫なわけが無かった。
程なくして一条は机に突っ伏すようにして眠ってしまった。
「ふあぁ……眠……」
自分も段々睡魔に抗えなくなってきた。
「よっと。」
わざと椅子から転げ落ちそのままの体勢で目を閉じた。
「鷲尾先輩!大変です!」
高橋が慌てて駆け込んできた。
「どうした?」
「一条さんが死亡しました。」
「なんだと?」
「石田 沙耶も救急搬送されました。」
「何があったんだ?」
困惑しながら高橋に聞いた。
「308号室から声が変になると通報がありました。」
「話を聞きに行ったところ309号室と306号室は応答がなく、301号室から305号室は異変がありませんでした。」
「306号室から310号室にはヘリウムガスと思われるガスが充満していました。」
「306号室と309号室をマスターキーを借り、突入したところ306号室は誰もいなかったのですが……」
「309号室で一条が死亡して石田 沙耶が倒れていたのか。」
「何で一条だけが死亡した?」
「それが石田 沙耶は椅子から落ち、床に倒れていたのですが一条さんはテーブルに突っ伏していました。」
「床に倒れていたおかげでガスを吸わなかったのか。」
「遺体と石田 沙耶からは睡眠薬が検出されました。」
病院からの検査結果を鷲尾に渡した。
「石田 沙耶からもか?」
「はい。」
「ガスがどこから入ったのかは調査中ですがワインボトルと二人が飲んでいたワイングラスからは睡眠薬が検出されました。」
「石田 沙耶は犯人じゃないのか?」
「先輩、もしかしたら命を狙われていたのは石田 沙耶なんじゃないですか?」
高橋が喋り始めた。
「どういう意味だ?」
鷲尾が聞き返した。
「水をウエイトレスから受け取ったのは中野さんではなく石田 沙耶ですしワインを運んだのもウエイトレスです。」
「それもそうだな。」
高橋の推理には説得力があった。
「一度ホテル関係者を洗ってみるべきでは?」
「二つの事件が全く関係ない可能性もあるな。」
「確かにそうだな……」
鷲尾は考え始めた。
「ガスの原因は分かっているのか?」
「分かってません。」
「本部から応援を呼ぶか……」
長い戦いになるのを感じた。
「応援を呼ぶんすか?」
高橋が顔をしかめた。
「あの人苦手なんすよね。」
他の班の刑事を思い出していた。
「嫌な態度を取られたくないなら情報を纏めるぞ。」
「分かりました。」
高橋がメモを取り出した。
「残りの容疑者は202人でそのうち15人はホテル従業員です。」
「その15人を洗うぞ。」
「分かりました。」
目を開けると白い天井が目に入った。
「ここは?」
身体を起こすと右腕に鈍い痛みが走った。
「病院……?」
点滴に繋がれた状態で、ベッドの周囲にはカーテンが引かれていた。
「女神は私に微笑んだのね……」
自分が生きているとは思っていなかった。
「あいつが生きていたら私も終わりね。」
一条が生きていればワインを先に飲んだのは私なのに先に眠ったのは自分というところに気づかれてしまう。
「死んでいたら後はホテルを潰すだけね……」
どうやって潰すかを考えながらナースコールを押した。
「さて、説明してもらっても?」
高橋は応援に来た刑事に色々訪ねられていた。
「そんな嫌そうな顔をされても上に命令されて来ただけなんだけど?」
「分かってますよ、朝倉刑事。」
「始まりはこのホテルで行われたパーティーです。」
メモを開いて話し始めた。
――――――
「という訳です。」
「成る程ね……」
朝倉は腕を組み考え始めた。
「いくつか質問してもいいかい?」
「はい。」
「ヒ素はドレスの染料に使われていたんだよね?」
「そうです。」
「つまり会場に残っているヒ素は事件に直接関係ない。」
「君達は石田 沙耶の経歴は調べたか?」
「そこまで深く調べてないですね……」
「ここに来ることになって道を調べようと思ってホテルを調べたんだ。」
ため息を付きながら続けた。
「この建物の検索結果には実に綺麗なシンメトリーの建築だった。」
「何が言いたいんですか?」
「でもマップで見ると建物の形が少し歪んでるんだよね。」
無視して続けた。
「ぜひ石田 沙耶に話が聞きたいな。」
高橋に笑いかけた。
「刑事さんが今度は何でしょう?」
沙耶は病院で朝倉と対面していた。
「私は朝倉 颯真、新進気鋭の新米刑事です。」
「はぁ……?」
「あなたにいくつか聞きたいことがあるのですが。」
困惑する沙耶をよそに朝倉が続けた。
「なんでしょう?」
「あなたが部屋でワインを飲む前にコンビニに行ったのはなぜですか?」
「それはワインのおつまみになるものを買おうと思っただけです。」
「ワインはルームサービスで頼んだのにですか?」
「コンビニの品揃えの方が私好みだからです。」
笑顔を一切崩さなかった。
「成る程、では最後に個人的な話なのですが今まであなたが手掛けた建築は全て完璧と言っても過言ではない。」
「どうもありがとうございます。」
「何故この建物は完璧にしなかったんですか?」
笑顔が固まった。
「それはどういう意味でしょうか。」
手が震えているのを感じた。
「いえ、マップで調べた時よく見ると建物の形が歪んでいたので何か理由があったのかと思っただけです。」
「ホントですか?」
「図面が上手く伝わらなかったのかも知れませんね。」
笑顔を上手く維持できなかった。
「あなたのことを聞くととても分かりやすく、詳細な図面を出すことで有名だそうですね。」
「他の方が雑なのではないですか?」
「資料を見たのですが素人でも分かるほど丁寧でした。」
「それはどうもありがとうございます。」
「完璧に出来なかったから殺したっていうのは安直すぎますね。」
「私に随分過激なファンが付いていたりしたらもちろん警察は守ってくれますよね。」
私は朝倉の意見を笑っていなした。
「確かにあなたはワインを一条さんと飲んで死ぬ危機にあっている。」
「そもそも二つの事件に関係はないかも知れない。」
朝倉は楽しそうに続けた。
「一条さんはビジネスの中で恨みを買うことがあったかもしれないですしね。」
朝倉の意見に同調した。
「……」
二人は無言で睨み合った。
「体調もまだ良くないでしょうし、また出直しますよ。」
それではと手を振って朝倉は病室を出ていった。
「……」
ベッドに拳を叩きつけた。
「どうでした?」
帰ってきた朝倉に高橋が聞いた。
「クロだと思う。」
「根拠はあるんですか?」
「いいや?ただの勘。」
「そんなんじゃ捕まえられませんよ。」
「分かってる。僕は石田 沙耶がクロだと言う前提で考える、君達はシロだという前提で考える。これで良いだろ?」
「止めとけ高橋そいつに何言っても無駄だ。」
鷲尾が不服そうな高橋に声を掛けた。
「一つ目の事件から徹底的に調べるぞ。」
「……はい!」
「さてと、僕も考えるとするか……」
朝倉は事件現場に向かった。
「先輩、残念ながら当てが外れました。」
「中野さん殺害事件と一条さん殺害事件の日どちらも働いているホテルスタッフはいませんでした。」
「そうか……なら睡眠薬がいつ混入したか調べるぞ。」
「はい!」
「これが事件当日に一条さんと石田さんの持っていた荷物ですか?」
朝倉は事件当日の持ち物を見ていた。
「当然荷物からは毒も睡眠薬も出ていないか……」
「すみません、凄く失礼かもしれないのですが良いですか?」
立っていた女性検査官に声を掛けた。
「女性は普段から生理用品を持ち歩いていることが多いと思うのですがあっていますか?」
「持っている人が多いと思いますが……それがどうかしましたか?」
「いえ、気になっただけです。」
「はぁ……?」
「つかぬことをお聞きするのですが部屋はトイレのゴミも全て確認しましたか?」
「もちろんです。」
「あの日は一日中無風だったので窓からなにか落としても見つかっているはずですが睡眠薬のパッケージは見つかっていません。」
「ありがとうございます。」
(もし睡眠薬を持っていたとしたらバックから出てこないのはおかしい。パッケージはどこに処分したんだ?)
(コンビニに行く途中に捨てたのなら分かるはずだ……コンビニの監視カメラを見るか……)
「失礼しました。」
「いらっしゃいませー」
朝倉はコンビニに来ていた。
「店長さんはいらっしゃいますか?」
「店長になにか御用でしょうか?」
露骨に店員に怪しまれた。
「いえ、こういうものでして。」
警察手帳を見せると直ぐに呼んできます、と言いバックヤードに入っていった。
「私が店長ですが……なにかありましたか?」
「二日前の防犯カメラの映像を見せて頂きたくて。」
「奥にどうぞ。」
「ここか。」
防犯カメラに石田 沙耶が写っていた。
「トイレに寄っている?」
画面の中で石田 沙耶は最初にトイレに入っていた。
「しっかりおつまみを買っているな……」
「すみませんトイレに生理用品用のゴミ箱は付いていますか?」
「付いていますがどうかしましたか?」
「そのゴミはまだ残っていますか?」
「いえ、昨日すでにゴミとして出しています。」
「間に合わなかったか……」
(この線から追うのは無理だな……)
「ご協力ありがとうございます。」
「先輩!容疑者を一気に減らすことが出来ました!」
高橋が嬉しそうに部屋に入ってきた。
「ホテルの司会者がずっと動画を撮っていたみたいです。その画角にずっと写っている人物が37人います。」
「残りの容疑者は178人か、一歩前進だな。」
「ヘリウムの場所も倉庫の場所まで完璧に覚えていないと言われればおしまいだ……」
石田 沙耶を追い詰めるためには物証が必要だった。
(集積場に行かせてはいるが何も出てくることはないだろう……)
「どっから詰めっかなぁ。」
捜査は暗礁に乗り上げていた。
「そういや過去の建築に料亭があったな。」
石田 沙耶の経歴を調べたときのことを思い出していた。
「あの料亭も完璧だったな……」
(あの料亭は確かフグ料理を提供していたはず……)
「当たってみる価値はあるな。」
「容疑者の中に料亭でバイトをしているという者と料亭のオーナーが何人かいます。」
「料亭ならフグを注文しても怪しまれることはありません。」
「回りを徹底的に洗うぞ。」
「分かりました。」
「一日中動き回って成果なし、か……」
「僕の方も何もありませんでしたよ。」
全員捜査本部に集まっていた。
「これはと思うものはあったんですけど物証が何一つとしてない。」
「石田 沙耶が設計した料亭に当たってみたんですけど防犯カメラの映像が1年分しか保存されてない……」
「周辺の防犯カメラも見せていますが持ち主不明だったりそもそも機能していなかったり……」
朝倉はため息をついた。
「こっちは一応容疑者を178人までは絞り込めました。」
「僕もまずは最初の事件から考えるか……」
「今度は何の用でしょうか?」
私の前に朝倉と名乗った刑事が立っていた。
「いえ、少し聞きたいことがありまして。」
「あなたの今まで設計した建物のことなのですがよろしいですかね?」
「機密情報も含まれる可能性があるので場所を変えていただいてもいいですか?」
「もちろん。」
私は中庭に移動した。
「何を聞きたいんでしょうか?」
「料亭をデザインしたことがありますよね?」
「そんなこともあったかも知れませんね。」
覚えていたがしらを切った。
「覚えていない、と?」
「そんな建物をデザインしたような気もしますがしっかり覚えていませんね。」
「話はそれだけですか?」
「いえ、まだあります。」
「それは任意ですよね?」
「それはそうなんですが……」
「なら今日は疲れたのでここまでです。」
私は立ち上がって刑事の前を通り過ぎた。
「二人を殺したのは私です。」
横を通る時に聞こえるか聞こえないかくらいの声で囁いた。
「今のは自白と取ってよろしいですか?」
「何の話かよく分かりません。」
立ち尽くす刑事を置いて扉を開け病室に戻った。
「舐めやがって……!」
朝倉は病院を出て街を歩いていた。
「機密事項とか言ったのはこのためだな……!」
機密事項が含まれるかもしれないと言われボイスレコーダーを切っていた。
「絶対にひっくり返してやるからな……」
犯行を暴くという思いが強くなっていた。
「ヘリウムの侵入経路を結局聞いていなかったな。」
捜査本部に電話を掛けた。
「ヘリウムの侵入経路は下水道に入れられていた風船?」
「ビニール手袋の後が残っていたのか。」
「風船はどっから来たんだ?」
「なるほどパーティーの飾りか。」
「随分変な設計だな。」
下水道は一つの階の5部屋が繋がっているとのことだった。
「そこまで分かれば十分だ、ありがとう。」
電話を切り携帯をしまった。
「なにか一つでも物証が手に入ればなぁ……」
私は笑いが止まらなかった。
「ざまあみろ。」
自分の建築を侮辱してきた刑事に一泡吹かせることに成功していた。
「あの顔傑作だったなぁ……」
毒を手に入れたのは2年前一条を殺したときの証拠は全てコンビニのサニタリーボックスに捨てている。
物証が無ければ司法は何も出来ない。
警察は何も出来ない。勝利の女神は私に微笑んでいるのだから。
「状況証拠は組み立てられるんだけどなぁ……」
「ホテルの設計が始まったのが2年前だからそこから殺人を計画してたと考えるべきか?」
「一旦家宅捜索出来ないか取り合ってみるか。」
朝倉は電話をかけ始めた。
「まだ何かあるんですか?」
退院してホテルに戻った私のもとにまた朝倉刑事が訪ねてきた。
「あなた自殺しようと思っているわけじゃないですよね?」
「何故そんな考えになったんですか?」
「ヘリウムを使っての酸素不足で窒息死させるのはリスクが高すぎる。」
「私に言われてもどうお答えすれば良いのか分かりません。」
「まぁでもそれで死ぬならそこまでとでも思ったんじゃないでしょうか。」
一切笑顔を崩さないまま対応していた。
「そうですか……」
「自宅にはいつ頃戻られる予定なんですか?」
「今日中に戻る予定です。」
「葬儀にも参加したいですしね。」
「自分の殺した相手のですか?」
「それはどういう意味でしょうか?」
「……」
二人は無言で睨み合った。
「犯人捜査頑張って下さい。」
微塵も思っていなかった。
私はドアを閉め荷物の整理を再開した。
「何か進展はありましたか?」
朝倉は本部にいた高橋に声を掛けた。
「朝倉お前明日石田 沙耶の自宅を家宅捜索ってどういうことだよ?」
裁判所から許可が出ていた。
「マスコミに嗅ぎつかれてるんだ何もでてこなかったらめんどくさいことになるぞ。」
「石田 沙耶本人から自分が殺したと言われた。」
「自白か聞いたら何のことだと言われて証拠もなく逃げられた。」
「聞き間違いじゃないんですか?」
高橋は半信半疑だった。
「明日の家宅捜査で徹底的に洗ってやる。」
私は家に戻りキッチンに立っていた。
「ここらへんはこうでいいかな……」
冷蔵庫を開け考えているとチャイムがなった。
「なんでしょう?」
扉を開けると令状を持って部下を引き連れた朝倉が立っていた。
「家宅捜索ですよ、石田さん。」
「それは構わないんですけど……」
私はエプロン姿だった。
「腐ってしまう前に食材をジャムに変えたりしていたんですけど……続けるのはダメですかね?」
中途半端なところで切り上げるのは嫌だった。
「立ち会っていただかないといけないので……」
「はぁ……分かりました。」
仕方なく了承し、エプロンを脱いだ。
「一回は物置のようにしているんですね。」
「一度掃除をすると完璧に掃除したくなるのであまり開けていないし、入ってないんですけどね。」
言葉通り埃が積もっていて誰かが通った形跡は無かった。
「窓から入ることは出来ますよね?」
シャッターの閉まった大きな窓が部屋の中にあった。
「3年ほど前から壊れて上がらないので無理ですね。」
「成る程……」
部下に指示を出して次の部屋に向かった。
洗面所とトイレ、風呂は女性の捜査員に任せ、上に上がった。
リビングはキッチンに直結していた。
ダイニングテーブルの回りに椅子が置かれ下には大きめのカーペットが敷かれていた。
「しっかり掃除をされているようですね。」
部屋の端には掃除機が立てかけられていた。
「そうですね。」
テレビ台の中などを調べられているのを冷静に眺めていた。
「冷蔵庫の中を見させて貰ってもよろしいですか?」
キッチンには鍋が置かれ、ジャム作りが途中まで進められていた。
「洗い物もされていたんですか?」
シンクの中に小瓶が置かれていた。
「ジャムをお裾分けしようと思ったので。」
「あるいはテトロドトキシンの痕跡を消すため……なんてことはありませんよね。」
「そんなわけないじゃないですか。」
声が若干震えていた。
「随分と洗剤を使ったんですね。」
からのボトルの隣に半分まで減った洗剤が置かれていた。
「恥ずかしながら倒してしまって。」
「もしそうならシンクの網にテトロドトキシンが付着しているでしょうね。」
指示を出して回収させた。
「あと見ていない部屋は寝室ともう一つの部屋ですか。」
寝室を任せてもう一つの部屋に入った。
「仕事場ですか?」
机の横にはパソコンが置かれ建物の模型がいくつか飾られていた。
「古い図面もしまわれているみたいですね。」
棚からファイルを取り出した。
「自分の仕事に埃を持っているので。」
もう笑顔を作ってはいなかった。
「最後になにか言っておきたいことはありますか?」
「罪を認めるなら早いほうが良い。」
「私が殺した証拠が出てくるといいですね。」
回りに聞こえないように囁いた。
「家宅捜索はボイスレコーダーが使えないですもんね。」
「そんな言葉に私は乗りませんよ。」
「それは残念です。」
「私達はこれで。ジャム作りを楽しんで下さい。」
家宅捜索を終え帰っていった。
「急がなきゃ。」
笑顔を保っていたが内心は焦っていた。
ジャムを作り砂糖をわざと切らせ、瓶を持っていかせ買い物に行く口実を作っていた。
「瓶から検出されないことに賭けるしか無い。」
網は外しながら洗ったため網から検出されるはずが無かった。
最後まで隠し通すためのピースを揃えに家を出た。
「瓶も網からも何もでなかった?」
思わず聞き返した。
「洗剤しか出てこなかっただと?」
「排水管業者を手配しろ。」
「着実に追い詰めてはいるな。」
手応えを感じ始めていた。
「排水管からも何も出なかっただと?ふざけているのか?」
「いえ、それが固く捜査の後大量の排水管クリーナーを買っていたみたいで……」
「くそ!」
家宅捜索で排水管を押収しなかったことを後悔していた。
「なんでもいい、状況証拠でも良いからなにか無いのか……?」
「ん?」
視界の端に押収した設計図が目に入った。
「一条さんが殺害された事件で建築関係の人はいるか?」
高橋に電話をかけた。
「急にどうしたんですか?」
いきなり電話をかけてきたのに驚いたようだった。
「答えてくれ。」
「いなかったはずですけど……」
「助かった。」
「急にどうしたん……」
なにか言い終わるより早く電話を切った。
「これならいけるかも知れないな。」
「いい加減飽きてきたのですけど。」
私は朝倉にホテルの一室に呼び出されていた。
「少し探偵ごっこに付き合っていただけませんか?」
「少しなら構いませんけど……」
「まず最初に中野さんと一条さんを殺害したのは貴方だ。」
「何のこと……」
「別にそこは聞き流してくれて構いません。」
「まず何故貴方が二人を殺そうと考えたか。それはシンメトリーを崩されたからだと考えています。」
「……」
笑顔が固まるのを感じた。
「さて、貴方の今までの功績を見ると他の建築は全てオーダーどおりに完璧に仕上げられている。」
「ですがこのホテルだけ違う名前でデザインをしている。」
「このホテルだけ唯一無い共通点は完璧でないことです。」
「このホテルの設計図を見ました。」
「それがどうかしたのですか?」
「中野さんの監修によってシンメトリーが崩れ、それでもシンメトリーに近づけようとしているのが見て取れました。」
「結局できませんでしたけどね。」
どうしても口調に悔しさが滲み出てしまった。
「近づけようとして努力した結果がこの排水管です。」
朝倉はファイルを取り出し、中から図面を取り出した。
「そんなふうにしたかもしれませんね。」
排水管は5部屋ずつ繋がっており、特殊な構造になっていた。
「これを知っているのは一条さんと中野さん工事関係者、そして貴方です。」
「……」
「まだあります。貴方は家にコーヒーを置いていませんよね?」
「それがどう関係あるんですか?」
「一条さんが殺害される少し前、貴方はインスタントコーヒーを入れている。」
「しかもワインを飲む前にね。」
「たまたま飲みたくなっただけですよ。」
笑顔を作れているかどうかもう分からなかった。
「そうかもしれませんがもっと説得力のある理由があるんですよ。」
「熱湯を流して風船を割るということです。」
「配管のことを知っている可能性のある工事関係者には全員アリバイがありました。」
「本人の目の前で堂々と犯行をしたという可能性しか私には思いつきませんでした。」
「証拠はあるんですか?」
「図面くらいしかありませんが状況証拠はバッチリじゃないですかね?」
「そうでしょうか?」
「珈琲はたまたま排水管は屋根裏に侵入した犯人が偶然見つけて利用した。」
「ありえない話じゃないと思いますけど。」
「図面を見たことのない人が防犯カメラの死角を突いてですか?」
「気を付ければ不可能ではないんじゃないですか?」
苦しいのは自分でも分かっていた。
「まだ認めて貰えませんか?」
「じゃあなんで自分も死ぬような仕掛けにしたんですか。」
「これは完全に予想なんですが……貴方の最終目的はホテルを経営不可能にすることじゃないんですか?」
「人が3人も死ねば止まりたいと思う人は少なくなるでしょうしね。」
「……」
「生きてたらラッキー程度で犯行に及んだんじゃないですか?」
「この推理を裏付けるものも一応あるんですよ。」
「パソコンを使ってSNSにこのホテルのことを書き込んでいますよね?」
パソコンのコピーを取り出した。
「それがなにか?」
「随分と嫌っているようですね。」
「客観的な感想をかいただけです。」
「中野さんにプレゼントしたドレスは自宅に保管していたんですよね?」
「それがどうかしましたか?」
「おかしくないですか?自宅に保管していたのに貴方の家からはヒ素は検出されませんでした。」
「それは……」
言葉が続かなかった。
「骨董市には自分で出店したんじゃないですか?」
「無人販売にしても気にする人なんてほとんど居なかったでしょうね。」
「貴方は倉庫を少し前まで借りていたそうですね。」
「突き止めるのには苦労しましたがそこからはヒ素と貴方の指紋が検出されています。」
「まだ認めていただけませんか?」
「そこまで調べ上げられているのならもう無理でしょう。」
「まさか倉庫にまでたどり着くのは予想外でしたけど。」
以外にも罪を直ぐに認めた。
「二人を殺したのは私です。」
私はポケットからボイスレコーダーを2つ取り出した。
「証拠が欲しいならどうぞ。」
私は朝倉に向かってボイスレコーダーを投げた。
「なっ!?」
自分から証拠を出してくるとは思っていなかったらしく驚いていた。
「待てっ!」
驚いている朝倉の横を走り抜けて私は部屋の外に飛び出した。
「仕上げをしなきゃ。」
わざわざ自分が犯人だと教えたのだから私が犯人だということにたどり着かなかったらどうしようかと思っていた。
「優秀な刑事さんでよかった。」
背後からは怒声が聞こえていた。
目立たないようにされている非常階段の扉を開け、階段を駆け上がった。
「後は信じるだけね。」
途中の階の廊下にボイスレコーダーを投げこんだ。
「はぁっ……はぁっ……!」
朝倉は屋上で石田 沙耶に追いついていた。
「飛び降りる気ですか?」
「そのつもりだったんですが……設計したときよりも柵が高くなってるみたいですね。」
自分の身長より遥かに大きい柵を見上げた。
「階段から落ちて死ぬべきでしたね。」
なんでも無いようなことのように言い切った石田 沙耶に朝倉は畏怖の念を抱いていた。
「なぜ死のうとしているんですか?」
「この辺りって空港から近かったり海から近かったりで宿泊施設が多いんです。」
「そんな中ヨーロッパ建築を完全再現したところで高い金額を払ってまで最近できた古風のヨーロッパ風のホテルに止まる人なんているわけ無いじゃないですか。」
「せっかく工夫して現代風にアレンジしてデザイン案を出したら……」
「ここが違うだの何だと言われて苦労して考えたアンを没にされるし、シンメトリーを崩される。」
「それが理由で殺したんですか?」
「ええ、2年前に料亭で見せてもらったテトロドトキシンを拝借して色んなところを巡ってドレスを手に入れて、大変でしたよ。」
別人のように落ち着いていた。
「あなたの推理には一つだけ間違いがあります。」
「ホテルを経営不可能にしたいんじゃなくて曰く付きの事故物件として完璧にしたかっただけです。」
恨めしそうに柵を見上げた。
「さっきのボイスレコーダーもマスコミに届けられるように手配してるんですよ?」
「結局このホテルはどう足掻いても完璧にはならない運命だったんですかね。」
「自首します。」
「人二人も殺してたら死刑になりますよね?」
朝倉は死刑を望んでいる様に感じた。
「それを判断するのは僕の仕事じゃありません。」
穏やかな風が吹く中手錠をかけた。
「……まぁこんな感じだ。」
事件が解決した祝に朝倉は高橋と飲みに行っていた。
「うわっ、もうSNSで事故物件扱いされたりYoutubeでまとめ動画が上がってる。」
高橋はスマホを向けた。
「自分の命すら犠牲にして完璧にしようとするには恐怖を感じたな。」
「確かに……」
「何事も適度に付き合うのが一番ってことだな。」
「ですね。」




