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  作者: 劉・小狼☆
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第八章 名を持たぬ傷

 戦の翌朝、小谷城は静まり返っていた。

 勝ち鬨は上がらず、敗走の角笛もない。

 ただ、戻ってきた兵の足音だけが、城内に重く響く。


 負傷者は多い。

 死者は、数え切れぬ。


 だが、記録に残るのは、兵の数と、損耗の割合だけだった。


 評定の場で、赤尾清綱は淡々と報告を終えた。


「――以上が、戦の結果にございます」


 長政は、うなずいただけだった。

 労いの言葉も、咎めの言葉もない。


 雨森清貞が、ふと口を開く。


「……村の被害は」


 赤尾は、一瞬、間を置いた。


「避難は、間に合わなかったところもあります。

 やむを得ぬことかと」


 やむを得ぬ。

 その四文字が、場を覆った。


 香蓮は、評定の端に座していた。

 視線を上げず、何も言わない。


 言えば、責は自分に向く。

 言わねば、名もなく消える。


 長政は、香蓮を見た。

 だが、ここでは、何も言えないことも、知っていた。


 評定が終わり、人が去る。


 赤尾は、香蓮の前で足を止めた。


「……殿の情けが、民を救ったとは、私は思いませぬ」


 香蓮は、顔を上げなかった。


「情けでは、戦はできぬ」


 それだけ言い残し、赤尾は去った。


 香蓮の指先が、僧衣を強く握る。

 だが、言い返さない。


 その夜、

 城の外れで、小さな焚き火が焚かれていた。


 負傷兵と、避難してきた民が、肩を寄せ合っている。


 香蓮は、黙って、その輪に加わった。

 祈りも、説法もない。


 ただ、湯を配り、

 傷を洗い、

 名を聞く。


 名を聞かれ、

 涙を流す者もいた。


 ――覚えていてくれる。


 それだけで、人は、少しだけ救われる。


 少し離れた木立の影で、胡蝶は、その光景を見ていた。


 忍びとしての報告は、もう済んでいる。

 六角は、次の手を考えているだろう。


 だが、胡蝶は、動けなかった。


 あの夜、助けた家族のことを思い出す。

 助けたという自覚すら、持ってはいけないはずなのに。


「……何を、しているの」


 香蓮の声だった。


 胡蝶は、驚かなかった。

 見つかる気がしていた。


「……名を持たぬ者を、見ていた」


 胡蝶は、そう答えた。


 香蓮は、うなずいた。


「この戦で、

 名を呼ばれた者は、わずかです」


 焚き火の火が、揺れる。


「それでも、

 あなたは、残った」


 胡蝶は、視線を落とした。


「……残ったのではない。

 戻れなくなっただけ」


 香蓮は、それ以上、踏み込まなかった。


 二人の間に、言葉は少ない。

 だが、沈黙は、もう敵ではなかった。


 遠くで、城の鐘が鳴る。

 弔いの音だ。


 長政は、その音を、天守で聞いていた。


 勝ったとも、負けたとも言えぬ戦。

 称えられる者も、裁かれる者もいない。


 だが、

 確実に、何かが傷ついている。


 ――それでも、進まねばならぬ。


 長政は、空を見上げた。


 焔は、まだ消えていない。

 ただ、光を抑え、

 次に燃える場所を、探している。


 名を持たぬ傷を抱えたまま、

 人は、前へ進むしかないのだと、

 誰もが、知り始めていた。

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