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  作者: 劉・小狼☆
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第六章 命の行き先

 六角の陣は、低い山あいにあった。

 朝の空気は冷たく、焚き火の煙が地を這う。


 胡蝶は、膝をついていた。

 頭を下げ、視線を伏せる。

 この姿勢は、長く身に染みている。


「浅井は、動く」


 低く、短い命令だった。


「小谷城の動きは鈍い。

 だが、尼僧がいる」


 胡蝶の指先が、わずかに動いた。

 それを咎める者はいない。

 誰も、見ていないからだ。


「尼僧の正体を探れ。

 動きを、すべて報せよ」


 それだけで、十分だった。


 ――選択肢はない。


 胡蝶は、うなずいた。


 陣を出ると、空はすでに明るかった。

 戦は、待ってくれない。


 道すがら、

 胡蝶は思い出していた。


 夜の雨。

 名も告げぬまま、手を差し出した尼僧。

 礼を言われた瞬間の、胸の違和感。


 ――あれは、何だったのか。


 城下へ入る前、

 胡蝶は姿を変えた。

 忍びではなく、ただの通りすがりの女になる。


 人の話は、そうした姿のときに、

 最も無防備になる。


「兵が集まってるそうだ」

「逃げた方がいいらしい」


 言葉は断片的で、

 確かな情報ではない。

 だが、恐れだけは、すでに広がっていた。


 城の裏手、

 胡蝶は香蓮の気配を探した。


 祈りの場。

 灯のある部屋。


 そこに、香蓮はいた。


 一人で、座している。

 占具は置かれていない。

 祈ってもいない。


 ただ、目を閉じている。


 胡蝶は、声をかけなかった。

 間者としては、

 今が好機だった。


 それでも、動かなかった。


 ――今、何を見ている。


 香蓮の表情は、

 静かだった。

 だが、安らぎではない。


 決めている顔だった。


 胡蝶は、初めて理解した。


 ――この女は、

 ――自分の行き先を、もう決めている。


 城の鐘が鳴った。

 合戦の合図ではない。

 兵を集める、予鈴だった。


 香蓮は、目を開いた。


 胡蝶の存在に、気づいていたわけではない。

 それでも、その視線は、

 闇の一点を正確に捉えた。


 胡蝶は、思わず息を止めた。


 見られている。

 だが、暴かれてはいない。


 その瞬間、

 胡蝶は決めた。


 ――すべては、伝えない。


 城を離れ、

 六角の陣へ戻る。


 報告は、簡潔だった。


「浅井は備えを進めている。

 尼僧は、城にいる」


 嘘ではない。

 だが、真実でもない。


 重臣は、満足そうにうなずいた。


「ならば、よい。

 戦は、予定通りだ」


 胡蝶は、頭を下げた。


 その帰り道、

 山の向こうに、

 小谷城の輪郭が見えた。


 あの城の中に、

 語られぬ決断があり、

 語られぬ焔がある。


 胡蝶は、初めて思った。


 ――命とは、

 ――命じられるものではない。


 だが、その思いは、

 まだ形にならない。


 戦は、もう始まっている。


 焔は、

 誰の意思よりも先に、

 風を選んで燃え広がろうとしていた。

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