ひかりの庭―ブログといいねが嘘を本当にする
※本作品はフィクションであり、登場するアレルギー症状や対応方法は実際とは異なる場合があります。
スマホで調べものをしていたときに偶然、そのアイコンが目に入った。
画面に映っていたのは、ハンドルネーム「ひかりの庭」のブログ。
見覚えのある顔――娘の顔だ。
慌ててクリックすると、実家の庭、食卓、娘・みゆの顔が次々と表示された。
ブログのタイトルは「ひかりの庭」。
ハンドルネームとまったく同じで、ひねりのなさが母らしいと思えた。
「お母さん……?」
まさか、こんなことをしていたなんて。
「みゆの写真、勝手に載せないでよ――」
驚くほど単純で、話が通じない。昔から、母のそういうところが苦手だった。
母は一時期、毎日、日記を書いていた。
確か、私が高校二年生になったばかりの頃だったと思う。
テレビで「願いを言葉にすれば現実も変わる」という“願い事日記”の特集をやっていたのだ。
ただの流行りだと思って、気にも留めなかった。
けれど、ある日たまたま目に入ったページには、こう書かれていた。
「真由が地元の大学に合格しました。ありがとう」
まだ、受験すら始まっていなかったのに。
私は思わず、日記をこっそり読んでしまった。
「真由が大会で優勝しました」
「真由は毎日勉強を頑張っています」
「真由が料理を作ってくれました」
すべて私のことばかり。でも、どれも事実じゃなかった。
母が見ているのは私ではない。
母が“こうあってほしい”と願う、理想の娘だった。
心が、すうっと冷えていった。
実は、私も願い事を日記に書いていた。
母の姿を見ていたら、なんだか恥ずかしくなって、書きかけの日記を誰にも見られないようにこっそり捨てた。
そして私は、あえて家から通えない大学を選んで進学した。
母は私がいなくなってから、毎朝、通学中の小学生に声をかけていた。
いわゆる“勝手ボランティア”だ。誰にも頼まれていないことをやる。是非はさておき、勝手にやっていたせいで、保護者とトラブルになったとも聞いた。
大学卒業後、地元で就職したが実家には戻らなかった。
……今度はネットで、日記を始めたの?
ちょうど最新のページには、こんな文章が載っていた。
***
2025/09/23 14:03 いいね:4 コメント:0
今日は孫と自転車の練習をしました。
転んでもすぐに立ち上がって、元気に走っていく姿に、私は涙が出そうでした。
「ばあば、練習つきあってくれてありがとう」
ありがとう、みゆ。
***
気づけば、スマホの角が指に食い込んでいた。
画面を消しても、母の笑顔が瞼の裏に焼きついて離れない。
息が浅い。喉の奥が詰まったように苦しい。
無意識に、みゆの部屋のドアに手をかけていた。
みゆはぐっすり眠っていた。
――あの日、みゆは一日中、家にいた。
おやつをねだって、スマホでゲームをしていただけ。
自転車の練習なんて、一度もしていない。
せっかく買ったのに、と私が言っても、みゆは「ゲームするの!」と言うことを聞かなかった。
なのに母は、まるで事実のように投稿していた。
しかも、こんな文章に「いいね」を押している人がいることにも、妙に腹が立った。
そして、最悪の可能性に気づく。
知らない誰かが、みゆの写真を見ている――。
一刻も早く対処しなければ。
私はしぶしぶ、久しぶりに母に連絡を取ることにした。
「みゆの写真を載せないで」と言うと、母は「あらあら」と、いつもの調子で答えた。
ちゃんと理解しているのか不安だったが、数分後には娘の写真を削除していた。
ひとまず、安心するしかなかった。
念のため、他にも載せてはいけない写真がないか、ブログを確認することにした。
一番古い投稿から見ていこうと、ページを開く。
***
2023/05/01 11:13 いいね:0 コメント:0
真由はあまり実家に顔を出しません。
昔からあの子は、何でも自分で決めてしまう子でした。進学する大学も、就職する会社も、結婚相手も、全部あとから知らされました。
孫の名前の相談もありませんでした。でも、私は心の中で「みゆ」と呼びかけていました。
名前が「みゆ」に決まったのは、私がそう呼んでいたことを、きっと知っていたからでしょうね。
***
「……何これ」
娘に「みゆ」と名付けたとき、母が「やっぱりね」とニコニコしながら言ったのを思い出す。
また、よく分からないことを言っていると思って流したけれど、まさか。
でも、母は昔から、あとから聞いた話をまるで最初から知っていたかのように話す人だった。
一通りブログを確認したが、娘の写真はほかに見当たらなかった。
とはいえ、あの母のことだ。また「うっかりして」写真を載せる可能性もある。
私は母にブログの削除を求めた。
「ブログはね、見てくれる人がいるの。だから、小さなお願いは叶うのよ」と母は言い、ブログは消されることはなかった。
ブログサービスの運営にも連絡したが、「本人同士で解決してください」と定型文の返信が来ただけだった。
誰かに相談したかったが、人には言いづらい。
私は、母のブログを「お気に入り」に登録し、更新通知が来るように設定した。
そのまま、監視し続けることしかできなかった。
***
2025/09/26 10:03 いいね:5 コメント:0
この前、娘に「みゆの写真をブログに載せないで」と怒られました。
なぜダメなの?と聞くと、娘はいらだったように言いました。
「ネットはいろんな人が見るんだよ?載せちゃダメでしょ。それにお母さんは自分の写真は載せてないじゃない。自分だけ安全なところにいて、孫は危険な目にあってもいいわけ?いい加減にしてよ」
私は「そんなつもりはない」と言おうとしましたが、娘は一方的に言いたいことを言って、電話を切ってしまいました。
怖い人なんて、いないと思うのに。ここを見ている人は、みんな良い方ばかりです。
でも、真由が怒るので、みゆの写真は消します。
これできっと、優しいあの子に戻ってくれるはず。
***
「……そのまんま書いてる」
昼休み、思わず声が漏れた。同僚に何を見ているのか聞かれたが、適当にごまかした。
自分の母が、こんなことをネットに書いているなんて、知られたくなかった。
それにしても、ここまで詳細に書いていたら、私が誰か、いずれバレるんじゃないか。
ブログを読んだ翌日。懸念は現実のものとなった。
「真由ちゃんは、建設現場で働いているんだって?」
外出先で、偶然、実家の近所に住む年配の女性と出会った。
「違いますよ。確かに建設会社の社員ですけど……」
「お母さんが言ってたのよ。“ヘルメットで颯爽と建設現場を駆け回ってる”って」
「まあ、たまには現場に行くこともありますから。勘違いされたのかも」
そう笑って答えながら、うんざりした気分を顔に出さないよう気をつける。
私は営業事務だ。ヘルメットなんて、たまたま訓練のときにかぶったくらいだ。
「でも、お母さんのブログで写真を見たわよ。ヘルメットかぶった、かっこいいやつ」
あの日、職場の近くに母が来ていたのだろうか?
誰かが撮っていた? いや、まさか――母が?
わからない。ただひとつ確かなのは、その写真、私は誰にも送っていないということだった。
「この前もね、駅で見かけたわよ。ヘルメット姿でお母さんと一緒に歩いてた」
「……駅で?」
――そんなはず、ない
私は普段、会社で事務作業をしている。
営業の人と外出することもあるが、服装はシンプルなパンツスーツだ。
私の知らない“私”が、町の中を歩いている。
急いでブログをチェックしたが、それらしい記事はなかった。
見落としていたのか、私が気付かない間に掲載され、削除された――?
新たな不安が芽生え、私は母のブログから目が離せなくなっていった。
「この前のお休み、ばあばと自転車の練習したよね?」
突然みゆがそんなことを言い出した。
「いつ?」
「いつだっけ……でも、やったよね?」
練習なんて、してない。
自分の記憶さえ、少しだけ自信がなくなった。
「ここに書いてあるよ」
みゆが私のスマホを見せてきた。
あまり良いことではないとは思いつつ、みゆに大人しくしてほしい時はスマホを与えている。
画面に母のブログが表示されていた。
そこにあったのは、例の自転車の話。
ブログが下までスクロールされていたので、日付を見ようと画面を操作した。
いつの間にか、「いいね」順に投稿が並ぶようになっていた。
いいねの数字だけが増えていた。
背筋を冷たいものが撫でた。
「……まさか」
もしかして、母の投稿を最後まで読んだ人間は、その内容を"事実"だと思い込むのではないか――。
翌日。仕事の休憩中に更新の通知がきた。
***
2025/09/29 12:11 いいね:2 コメント:0
今日は言葉のお話です。
昔、願いは書けば叶うと聞きました。だから、たくさん書いてきました。
娘が最近、連絡してくれるようになりました。ブログのおかげ。読んでくださる皆さまのおかげです。
そして、孫のみゆが、私と一緒に暮らすことになりました。
みゆが「ばあばに会いたい」と言ってくれたから。
今日も「ばあば、おはよう」と元気に挨拶してくれました。ありがとう。
***
スマホを見つめながら、私は声も出せなかった。
決算時期で忙しいのに、仕事にまったく身が入らない。
夜、母に電話をかけた。
「これ、どういう意味?」
受話器越しに、母の笑い声が響いた。
「本当になるの。読んでくれる人がいるわ。みんな、分かってくれる」
その笑い声に、背筋が寒くなった。
「でも、これは事実じゃない。みゆの言葉も──」
「現実なんて、言葉にすれば変わるものよ」
母はそう呟くと、電話を切った。
朝、みゆが「ばあばに会いたい」と言い出した。
「どうして?」
まさか、ブログの通りに──?
「だって、ばあばのお誕生日でしょ」
私は驚いた。母の誕生日なんて忘れていたのに、みゆは覚えていた。
おかしな想像が頭をかすめたことに、思わず笑ってしまう。
「お誕生日会しなきゃ、だよ。ばあばのケーキおいしいもん」
母が苦手でも、誕生日を祝うくらいは娘として当然だ。
私は母に連絡を取り、実家で誕生日会をすることにした。
その日は、母の自慢の庭で食事をすることになった。
テーブルには、手作りらしいケーキ。白いクリームに赤い苺が並ぶ。
「お祝いに、ね。みゆ、好きでしょう?」
どこか懐かしいその光景。母は“優しい人だった”。
母に文句を言った記憶も、感情のすれ違いも、今は風に溶けていく。
みゆが笑っている。
ケーキはきれいに飾られている。
「ほら、みゆちゃん。食べてごらん」
秋の光が庭に差し込み、白いテーブルクロスが眩しく輝いていた。
いい日だ――そう思った、ほんの一瞬。
甘ったるい果物の香りが鼻をつく。
胸の奥で警報のような感覚が点滅した。
「……ちょっと待って」
みゆの小さな手がフォークを握り、黄色い果肉に近づく。
淡いピンクのスポンジ。小さな黄色い粒。つや、色の濃さ。
あれは、マンゴー。
――その瞬間、私の中で何かが弾けた。
「だめっ!」
自分でも驚くほど鋭い声が出た。
反射的に椅子を倒し、みゆの手を払いのける。フォークが芝の上に落ちた。
「みゆ、それ食べちゃだめ!アレルギーが出る!」
一拍遅れて、母がきょとんとした顔になる。
「え?そうだったかしら。だって前は……」
「前も何も、病院に運んだでしょ!」
母の口元が、わずかに歪む。記憶を探すような表情だった。
「だって、みゆちゃんは元気で、なんでも食べられる子でしょう?……ブログに"みゆは好き嫌いなんてしない"って書いたもの――だから大丈夫よ」
絶句した。
母は、自分がブログに書いた内容を、現実だと信じ込んでいる――。
母の目に映る「みゆ」は、転んでも泣かない、好き嫌いをしない、理想の孫だった。
そこに、湿疹も、咳も、救急車の記憶も存在しない。
母の中にあるのは、「理想的な孫」の像だけで、現実のみゆではなかった。
「違うの。みゆは普通の子だよ。アレルギーもあるし、すぐ泣くし、ゲームばかりしてて」
母は困ったように笑った。
「でも、あなたも言ってたじゃない。“強く育てたい”って。だから私、なるべく元気な子になるようにって……」
「だからって、現実を見てよ。あの子の体に何が起きるか、分かって言ってるの?」
私は深く息を吸い、みゆを抱き寄せる。
「この子はね、お母さんが思ってるような“元気で理想的な孫”じゃない。でも、それでいいの。私はこの子を、ちゃんと守りたい」
母が作っていたのは、現実の記録じゃない。
母が“こうあってほしい”と願う世界を、ブログという形で編み上げた幻想だった。
でもその幻想は、静かに、確実に――現実の境界を越え始めていた。
「もう、帰る」
そう言って、私はみゆの手を握り、立ち上がった。
ものすごい勢いで言葉が口をついて出た自分にも驚いた。
あれほど強く怒ったのは、いつ以来だろう。
母を傷つけたかもしれない。でも、みゆを守らなければならなかった。
私は母の娘であるが――みゆの母なのだ。
みゆは家に戻ると、すぐに眠ってしまった。
私はその小さな寝息を聞きながら、スマホの画面を開く。
母のブログが、出来事をどう記録しているか、確かめずにはいられなかった。
***
2025/10/11 17:41 いいね:13 コメント:0
今日は娘と孫が遊びに来てくれました。
3人でケーキを囲んで、秋のはじまりを楽しみました。
みゆは「ばあば、また来るね」と言ってくれました。
ありがとう、みゆ。
***
「……嘘ばっかり」
声に出た。部屋の中で、自分の声がやけに大きく響く。
楽しんでなどいない。私が怒鳴り、みゆを抱えて帰ったあの数時間は、母の中で“なかったこと”にされていた。
しかも「いいね」が押されている。誰かが、現実ではないその幻想に肯定の印を押している。
私はその人たちのブログを辿ってみた。商売をしている人、同年代の趣味ブログ……ほとんどが相互フォローの義理で「いいね」を押しているらしい。
きっと、内容なんて読んでいないのだろう。
画面の向こうにあるのは、母が望んだ世界だ。
でもそこに、私もみゆもいない。
あの日以来、母とは口を利いていない。
その翌日も、その翌週も――ブログは更新され続けた。
“仲良し家族の記録”は、まるでスケジュール投稿のように続いていく。
11月に入ると、内容が変わった。
具体的なエピソードは消え、抽象的な言葉だけが並ぶようになった。
「今日も幸せでした」
「みな笑顔でいます」
「ここはあたたかい」
まるで、現実を描写する力を失っていくように。
最後の投稿は、こんな言葉だった。
「もうすぐ、ほんとうのにわにいけます」
意味が分からないまま、更新が途絶えた。
最初は、安堵した。
母が現実と向き合うようになったのかもしれない、と淡い希望を抱いた。
久しぶりに電話してみると、連絡がつかない。
「電源が入っていないか、電波の届かない……」の自動音声。
メールも既読にならない。
最初の一週間は、腹を立てていた。
また気まぐれか、ふてくされたのかと思っていた。
だが、胸騒ぎは次第に強くなっていった。
実家に足を運ぶと、ポストにチラシが溢れていた。チャイムを押しても反応はない。
合鍵で家に入る。部屋の中はきちんと整っていた。
エプロンは掛けられたまま、冷蔵庫には数日分の食材、洗濯物も干されたまま。
パソコンを開くと、パスワードはかかっていなかった。
画面には、下書き保存された投稿が残っていた。
***
下書き:公開日時未設定
今日は真由とみゆと三人で、庭でお茶会をしました。
途中で、みゆがケーキを落として、真由と顔を見合わせて笑いました。
みゆが笑ってくれました。真由も笑ってくれました。
ずっと、こうしたかった。
ここにいれば、みんなわらってくれる。
ありがとう。
***
警察に「行方不明者届」を出しに行ったときは、一度断られた。
だが数日後、母の身分証やカード類まで家に置きっぱなしになっていることが分かり、正式な捜索依頼となった。
警察からの連絡を待つのももどかしく、私は仕事を休んで心当たりの場所を探した。
昔の知り合いや親戚にも片っ端から連絡し、母を知らないか尋ねた。
それでも何の手がかりも見つからなかった。
まるで母は、自分が作った“仲良し親子の世界”の中へ、自ら姿を消したようだった。
ブログはそのまま残している。
更新はないが、過去のページはそのままだ。
何もかもがうまくいき、親子は笑い合い、孫は元気に育っている――現実とは似ても似つかない、けれど誰も否定できない、記録という形を取った幻想。
私は時折、みゆが寝静まった後に、そのブログを開いてしまう。
スクロールするたび、かすかな罪悪感と、それ以上の戸惑いが胸に残る。
帰ってくるような気がして、実家もそのままにしてある。
母が苦手だった。
いない方が楽だと思ったこともあった。
それでも、戻ってきてほしいと願っている自分がいる。
月に数度、実家に足を運ぶ。
たまに庭に見知らぬ花が咲いている。
自然に生えたのか、それとも――。
母が願った「ひかりの庭」は、今もどこかで、静かに更新され続けているのかもしれない。
私たちの知らない場所で。




