第5話 見つけた人
鎌狩りの待ち伏せをやり過ごした栄生たちは、国道246号線から道玄坂を下る。栄生は何かが近づいてくることを予感していた。
◇ ◇ ◇
(やっぱりなんか来る)
栄生はその気配を空に感じる。
上空から吹き下ろす風の色が奇妙だ。
「蒔絵、この坂道を真っ直ぐに」
栄生は先行する蒔絵に声をかける。
「りょーかい」
蒔絵の道案内は、相変わらずバラエティに富んでいる。ガードレールを踏み台にトラックの荷台へ飛び乗る。路地から吹く横風を捉えると、小さな身体をクルクル回転させて看板を蹴る。まるで曲芸だ。お気に入りのゴスロリ服が夜空に映える。
蒔絵を追いながら栄生は感心する。戦いの疲れを微塵も感じさせないどころか、さらにスピードが増していた。栄生は小さい頃から上手く妖力を扱えなかったが、風を泳げば、王家でも屈指の速さと評された。
優秀な姉と妹に挟まれた栄生は、それだけが取り柄のひとつだった。
「お前の武器は速さだけだな」
自分にあまり関心を示さない父が、珍しく褒めてくれたことを、今も覚えている。そんな栄生から見ても、蒔絵のスピードは並外れている。広い視野と身体能力、緻密な妖力制御、なにより風を選ぶセンスが天才的だった。
「こら、蒔絵。いい加減にしなさい」
晶が後ろからたしなめる。
「遊びが過ぎます。速度が上がりすぎていますよ」
「お爺ちゃん、かけっこ、きらい?」
「好き嫌いの問題ではないのです。なにより──」
と晶はいったん言葉をきり、振り返る。
「三太がまったく着いてこれません」
栄生が振り返ると、遥か遠くに三太が見えた。フラフラで今にも倒れそうだ……。
「三太、おそーい!」
栄生は大きく手を振った。
「うう〜、キモチワルイ……あんたらが異常なんだよ」
三太は恨めしそうに呟く。
「置いてくよー」
三太は顔をしかめて視線をそらす。
──完全に馬鹿にしてるな。あれのどこがポンコツ姫だよ!
「お兄ちゃん、遅すぎる。さっきも、狙われた」
蒔絵は近づいてきた晶に答えると、三太に構わず、速度を落とさない。
街の音は一瞬で過去のものになる。遠くから聞こえるクラクション、空き缶の転がる音、学生たちの笑い声、高速移動下ではすべての音が額を突き抜け、消えていく。
遠くに渋谷駅が見えてくると、蒔絵が栄生に声をかけた。
「お姉ちゃん、あれが、スクランブル、交差点だよ」
初めて見る大きな交差点は光で溢れていた。遠くから見ると、そこは月の光のように白い輝きを放っている。色とりどりの電光看板がアスファルトを照らし、その光の中を黒い人並みが行き交っていた。
綺麗……。
人々の営みが生み出した夜の光。東の森で見る月も綺麗だが、人がつくり出した光もまた美しく見える。
栄生は街路樹の上からしばらく交差点を眺めると、タクシーのルーフへ跳び、すぐさま向かい側の街灯に──
──そのときだ。
歩道を行くひとりの少年と目が合う。
栄生の視界は色を失い、なにも聞こえなくなる。
世界は動きを止める。
(えぇぇぇ、うそっ、また見つかった?)
転身前のかまいたちは鎌狩りにしか見えない。しかし転身後は完全な人間だ。とうぜん人の目に映る。栄生は転身に失敗したが、人としては完成されている。背中にいる“分け身”が残ってしまっただけだ。
だから目が合っても不思議ではない。だが今は違う。
この移動速度で見えるはずがない。
(鎌狩り……違う……?)
その少年には、鎌狩り独特の憎悪と殺意に満ちた雰囲気がなかった。
(何者だろう──)
少年は間違いなく、驚いた表情で、栄生を“見た”のだ。
どこにでもいそうな高校生だ。5分も経てば思い出せないような顔立ち。かまいたちが転身したら、あんな顔にはならない。あれでは人を堕とし込めない。
少年は、栄生がただ可愛いという理由で選んだ制服とよく似た学生服を着ていた。白いブレザーに紺のネクタイとズボン。黒いリュックを背負っている。
(ちょっと試してみよ)
栄生は目の前で起きた出来事を信じていない。あの父にも褒められた“速さ”だ。
それでも好奇心がくすぐられる。栄生は姿勢を低くして、人波に紛れ込む。そして彼の左側を駆け抜ける。
すれ違いざま、栄生はちらりと彼を見上げる。
ふたたび彼と目が合う。
今度は至近距離で、はっきりと視線が交錯する。
(信じられない……この人には私が見えている)
──彼は私を“見つけて”いる。
こんなこと、あっていいはずないのに……。
これが“壁役”六村リクとの出会いだった。