第4話 撃てない夜
はじめまして。初投稿作品です。
ゆっくり楽しんでいただけたら嬉しいです。
感想・ご指摘、歓迎します。
物語は少しだけ時間を遡る。
放棄された新都庁舎が夜に浮かび、少女はひとり立ちつくす。
◇◇◇
──撃てなかった。
遠藤千佳はライフルをしまいながら唇を噛んだ。
入隊3日目、初めての“第1種”狙撃、ジャミングによるGPS信号の喪失、追い風への弾道再計算、言い訳ならいくらでも思いつく。他界した父がここにいたら、叱られたに違いない──ただの訓練不足だと。
風は強く冷たい。千佳はひとつにまとめあげた長い髪をほどく。出鱈目に吹く風が、長い髪を夜空に巻き上げる。
正面には建設中に放棄された都庁舎が見える。巨大な鉄骨群が、無言のまま夜の街に浮かび上がっている。航空障害灯の赤い明滅が、表情のない骨組みを照らし出していた。
千佳はそこにいたはずの者の姿を、脳裏で再生しようとする。しかし上手く像を結ぶことができない。先刻までのすべてが夢だったのではないかと錯覚する。記憶が曖昧になり現実感がほどけていく。
航空機が月の下を飛んでいくのが見える。車列のヘッドライトが冬の大気に揺らいでいる。カラスが短く鳴いて、どこかへ飛んでいく。夜でも鳥が飛べるほど都会の街は明るい。
世界はいつもの落ち着きを取り戻していた。
かまいたちは人に化ける。
人を騙し、攫うために。
美しく、愛らしく、人に化ける。
何度も目にして記憶したフレーズだ。どんな訓練教本でも冒頭に記述されている一節。
かまいたちは巧妙に人に化け、人を化かす。風の刃で人を傷つけかどわかす。“森”に連れて行かれた人間は二度と戻ることはない。
古くから“神隠し”と呼ばれ、恐れられてきたものだ。
どんなに愛らしい子供のカタチでも躊躇なく撃て──そう教えられてきた。
しかし光学スコープの向こうに見えるそれは、有名高校の制服を着たごく“普通の女子高生”に見えた。
あれは人間ではないのか。私と同じ女子高校生ではないのか。そもそもが区役所の誤報ではないのか──それが千佳を躊躇させた。
そしてその“女子高生に見えるもの”は、千佳を見据え、無表情のまま左胸を指差し、届かぬ声でこう言ったのだ。
ここを狙え──と。
全身の血液が一瞬にしてその色と重さを失った。
鳥肌が立ち、悪寒が背筋を駆け降りた。
逡巡は一瞬で吹き飛び、千佳はそのとき現実を認識した。
間違いない、あれはかまいたちだ。
人に仇なす“妖怪”だ。
狙撃位置を見破られている──それでも、望みどおり打ち砕いてやる。
お前たちの骨から削り出した“骨弾”で骨に返す。
かすっただけでも一瞬でお前たちは骨になる。
有利なのは私だ。
千佳は改めて狙撃態勢に入る。
大丈夫だ。
GPSの弾道補正がなくても、私ならできる。
「お父さん」と千佳は呟く。
千佳の使う旧式のライフルは、父の形見だ。
もはや骨董品になりつつあったが、開発局に頼み込んで、最新の電子デバイスを強引に追加搭載した。
命中精度も威力も、高度な制御システムで運用される最新ライフルとは比べものにならない。
ボルトアクションではないので、弾丸の装填にも時間がかかる。
それでも千佳は育成クラスでナンバーワン狙撃手の地位を勝ち取ったのだ。
「力を貸して」
父がかまいたちに殺されたのも、冷たい北風が吹く12月だった。
迷いはない。
改めてスコープを覗き、千佳が引き金に手をかけたそのとき──かまいたちの少女は空に舞った。
◇◇◇
無駄に豪華なエレベーターで、千佳は1階に向かう。
贅をこらした高級タワーマンション、その屋上から、人知れずかまいたちを殺す。
皮肉なものだ、と千佳は思う。
足元では裕福な人たちが、きっと満ち足りた日常を過ごしている。
私は──そこまで考えて、千佳はつくづく自分に嫌気がさす。
ナンバーワン狙撃手などと“育成クラス”でもてはやされ、父の後を追うように、最年少で目黒区特殊害獣駆除係──通称“鎌狩り”になった。
その結果がこれだ。ターゲットに位置を気取られた挙句、挑発までされ、逃亡を許した。
他人の生活を羨んでどうする……。
肩がけのライフルケースが重く感じる。どう見ても楽器ケースにしか見えないそれも父の形見だ。
父の仇を討つ──そう息巻いていた自分が惨めで恥ずかしい。
エレベーターは音もなく降りていく。千佳は階数を表示するモニターをぼんやりと眺めた。
もうずっとここにいたい、と、千佳は思う。
かまいたちの最上位種、第1種の出現は数年ぶりのレアケースのはずだ。ジャミングがその証だ。彼らは身体から出す波動で通信機器を狂わせる。
彼らの出現は自分たち鎌狩りにとって千載一遇の機会だ。それを一瞬の迷いで無駄にした。
チーム行動が間に合わなかったとはいえ、本部からの尋問は免れない。どんなに自分を呪っても、時間を巻き戻すことはできない。
冷静になれ。私ならできる。
自信に満ちたいつもの自分を早く取り戻すんだ──
扉が1階で開くと、目の前に1人の男が立っていた。
ダークブルーのスーツに黒いブルゾンという格好。胸には小さく「目黒区特殊害獣駆除係」と刺繍されている。かまいたちの体毛を編み込んだ戦闘着だ。
「千佳ちゃん、お疲れちゃん」
男は白い歯を見せながら完璧な微笑みで言った。
その口調は軽いというより、チャラいと表現した方がいいかもしれない。
「山梨課長。申し訳ありません。撃ち逃しました」と、千佳は頭を下げた。
「気にしない気にしない」と、山梨は大袈裟に笑った。
「あれ、千佳ちゃん、育成の制服だぁ。もしかして学校帰りだった?」
「急な召集だったので、戦闘着に着替える時間がなくて」
そう答えた千佳の声は冷たく素っ気ない。山梨課長には隙を見せないと決めている。
育成の制服……栄誉ある育成クラスの制服──なにもできなかった自分にこれを着る資格はない。今すぐにでも脱ぎ捨てたかった。
「そっかそっか。制服もなんか女子高生みたいで、可愛いねぇ」と、山梨は笑う。そして自然な所作で千佳の肩に手をまわし、歩き出す。
「高校生ですから」と、千佳はため息をつく。
そしてその手をすかさず叩き落とした。
「課長、また訴えられますよ」
「人を見てやってるからね。大丈夫」と、山梨はおどけてみせる。
「あと課長はやめて。隊長ね、タイチョー」
山梨なりに千佳を励ましているのか、からかっているのか、そのだらしない表情からは真意が読み取れない。
「撃ち逃したってゆーけどさ、千佳ちゃん、骨弾、撃ってないでしょ!?」と、山梨はまるで一部始終を見ていたかのように言った。
「わかるんですか」
「火薬の匂いがね、ほら、しないからさ。ね、ね」と言って、千佳の首まわりをくんくんと嗅いでまわった。
「変態ですか。誤解されますよ」
「ああそうだ、変態といえばさ、咲と陽平は上手くやれたかなぁ……」
「え、え? ど、どっちが変態なんです!?」
とつぜん先輩ふたりの名がでて、千佳は取り乱す。
「そりゃ、咲ちゃんでしょ。ナイフの腕がヤバすぎるから。あれはドSだ。変態だよ」
「聞かれたらホントに刺されますよ」
わからない人だ──と千佳は思う。
山梨一成。30歳。目黒区特殊害獣駆除係第1課の課長にして、自ら1係を率いる鎌狩りだ。
遅刻の常習犯で部類の女好き。鋭い観察眼と卓越した近接戦闘力を上層部に評価され、課長の地位にあるとかないとか。1係を勝手に“山梨隊”と呼び、部下には隊長と呼ばせる面倒くさい男……。
車寄せには“目黒区特殊害獣駆除係”と“骨”のマークが入ったバンが停められていた。
地上でも北風が強く、冬の匂いがした。
山梨は助手席のドアを大袈裟に開ける。
「どーぞ、姫君」
山梨は芝居がかった動きで千佳をエスコートしてみせる。
「姫って言わないでください」
千佳は冷たくあしらいながら、サイドシートに身を沈めた。
(疲れた。早く帰って泥のように眠りたい)
クルマは静かに渋谷の街へ滑り込む。しばらく走るとひどい渋滞に巻き込まれた。
千佳は窓越しの歩道に目を向ける。煌びやかなイルミネーションが目に映る。
赤と緑の光がキラキラと風に揺れている。アパレル・ショップのショーケースには、可愛らしい銀色のクリスマスツリーが置かれていた。
(そうだ。明日はクリスマス・イブ……)
道行く人たちは笑顔に満ち溢れている。大きなイベントを前に胸を膨らませ、世界に悪いことなんてひとつもないのだと信じ込んでいるように見える。
(私には関係ない……か)
千佳は人混みの中に制服姿の女の子たちを見つける。似たようなマフラーをして、揃いのリュックを背負っている。なにがそんなにおかしいのか、3人で笑い合っていた。
「ね、千佳ちゃん、ちょっと残業してみない」
唐突に、山梨が思い出したように言った。
「残業? 私、高校生ですよ。変なことするなら警察に行きます」
「ひどいなぁ。俺のこと、なんだと思ってるの?」
山梨はケタケタと笑ってステアリングを叩く。そして少しだけ声色を変えて続ける。
「今夜はさ、もうひとつ、風が荒れそうなんだよね」
「風が荒れる?」
「そう。まだ終わりじゃない」
山梨はそこで言葉をきって、前を見据えた。
「……なんかね、そんな気がするんだ」
小さく呟いたその声は、イルミネーションの光の底で静かに揺れた。