第3話 借りものの刃 後編
はじめまして。初投稿作品、エピソード5・第3話です。
ゆっくり楽しんでいただけたら嬉しいです。
感想・ご指摘、歓迎します。
咲が放ったナイフは、赤く染まる視界を切り裂き、ひと筋に飛んでいく。
「骨と化せ、かまいたち!!」
栄生は目を逸らさない。
白い刀身が鈍く光る。無駄を省いた動作から繰り出される鋭い投擲。先ほどの攻撃とはまるで密度が違う。瞬きをした瞬間にそれは額に突き刺さるだろう。
ナイフは空気を切り裂きながら向かってくる。その軌跡には一縷の迷いもない殺気が込められている。
栄生の視線はナイフの切先を捉え続けた。
──どうしてこんなに憎めるのだろう。私はなんにもしてないのに……。
「お姉ちゃんっ!!」
瞬時に現れた蒔絵が、素手でナイフを叩き落とした。それから蒔絵は栄生の前に立ち、咲から守るように小さな両手を広げる。
「な……」
信じがたい光景に、咲は愕然とする。気配にまったく気がつかなかった。
(こんなガキに見切られた……それに……)
足元の地面が揺らぐ。体の感覚がなくなり、深い闇に落ちていくようだ。鼓動が高鳴り、うまく呼吸ができない。
全身全霊を込めた一投を子供に止められた。
でもそれだけではなかった──あまりに残酷な偶然。
「萌……」
口の中が渇き、膝が震える。
その少女は、連れ去られた妹によく似ていた。
咲は無意識のうちに妹の影を追い求める。
──お姉ちゃん。
妹の声が、遠くから聞こえた気がした。
妹と同じ制服のかまいたち、妹とよく似た顔のかまいたち──こいつらはどこまで私をコケにすれば気が済むのだろうか。
「かえせ……」
咲は震える声で小さく呟いた。
◇◇◇
「サコちゃん、信じすぎだぜ」
三太の声が頭上から降ってきた。
「まったくです、姫さま。お戯れもほどほどになさいませ」
晶が続いた。その言葉には安堵の色が滲んでいる。
ふたりは電光看板のてっぺんに腰掛け、栄生を見下ろしている。
「さっきから見てないで、助けに来てくれてもいいじゃんっ」
栄生が抗議の声を上げる。
「いや、だってさ、なんか、サコちゃん楽しそうってゆーか……お邪魔かなと」
三太はバツが悪そうに頭をかくと、看板から飛び降りる。
(さっきの3人!?)
陽平は今さら自分のミスに気づく。
(この娘に気をとられ過ぎた。こいつら上から見ていたのか……)
咲は呆然と立ちすくんだままだ。
無理もない。プライドの高い咲のナイフが2度も止められた。今のは相手が動く刹那を狙った完璧な近距離投擲だった。だが、それすら宙で易々と叩き落とされた。
小学生くらいの子供が素手で……。
「咲さん、相手が悪い。撤退しましょう」
返事はない。咲は目の色を失い、立ち尽くしている。
『──お姉ちゃん』
咲の脳裏に、ふたたび無邪気な萌の声が響く。
制服に初めて袖を通した日も、自慢げに部屋へ見せに来た。
『どう、似合う、お姉ちゃん?』
くるりとまわって、スカートをふわりとなびかせる。
その屈託のない笑顔には希望が満ち溢れていた。
陽平は蒼白となった咲の横顔を見ながら、逃げることだけに集中して思考をフル回転させる。
(咲さんは自尊心の塊みたいな人だ。こうなると脆い。逃げる気力もなさそうだ)
「高みの見物はひどい! 王女を守る気がぜんぜんない!」
「サコちゃん、ズルいなー。こーゆーときだけパワーワード」
「蒔絵は、お姉ちゃん、助けたもん!!」
(間違いない──こいつらは遊んでいる。相手は4人。しかも桁外れに強い。残りのふたりも実力者と考えていい。無線で応援要請しても間に合わない。咲さんの放心タイムはまだ続きそうだし……文字どおりの四面楚歌だ)
言い合いをしているかまいたちを見て、陽平は思いつく。
(ただ、こいつらには情がありそうだ。ここはひとつ、命乞いでもしてみようか……)
陽平は大真面目に思案して、結論に至る。生き残ることを最優先に考えれば、決して悪くない選択肢だ。そもそも第1種とは初の接触だ。データがない。なければ行動あるのみだ。
──取り引きをしないか。
陽平が声をかけようとしたそのとき、栄生はふいに北の夜空を見上げる。
こんなに明るい街の上でも、いくつかの星々が瞬いている。
──なんだろう。
違和感があった。
栄生は食い入るように夜空を眺め見つめて、風の色を探る。
色合いが奇妙だ──何かが近づいてくる。
栄生は足元に転がる白いナイフを拾う。そして咲の前に立つと、2本のナイフを手のひらにのせて差し出した。
「これ返すよ。大事なものなんでしょ」
「……」
咲は力のない目でナイフを見つめてから、蒔絵に視線を向ける。小学生だった頃の萌に瓜ふたつだ。
栄生は咲の足元にナイフを置いた。
「お姉ちゃん、この人たち、いいの?」
蒔絵は咲を指差すと、不思議そうな顔をして訊く。
「ほかに行くところができそうなの。それより蒔絵、さっきはありがとね」
栄生は膝をついて、蒔絵の頭を撫でる。
「んふふふ」
蒔絵は自慢げな顔で喜ぶと、空を見上げる。
「お姉ちゃん、お空の風が……怖くなってる」
「そうだね。早く行かないと」
栄生は背を向け、手すりに飛び乗る。
夜風を小さく吸い込み、かすかに白い息を吐く。
「今日はこれでおしまい。君たちは殺さない。ハッピーエンド。良かったね?」
栄生はそう言って振り返ると、歯を見せずに小さく笑う。
そしてかまいたちは夜の闇に溶け込んだ。
ふたりの鎌狩りを残して。




