第46話 太陽を透かし見るように
青山の路地裏に西風が吹く。風には、排気ガスと何かを油で揚げる匂いが混ざっていて、ここが自分の世界だとリクは実感した。
この感覚はなんだろう。リクはうすら笑いを浮かべる物部を見据えながら、身体の奥から湧き上がる得体の知れない破壊衝動に支配されていく。
駆け巡る血は熱く、身体の芯から湧き上がる高揚に耳がジンと弾け飛びそうになる。
「壁、何がおかしい?」
ローブのフードから顔を覗かせた物部が鋭利な視線を放つ。
(笑ってる? そうか、俺、笑ってたんだ──)
物部が漆黒のローブを脱ぎ捨てると、その下は黒の着流しに臙脂の袴という格好だった。袴の裾には、金糸の刺繍で漠と蛇の紀章が描かれている。
第7教導隊がローブを脱ぐことは滅多にない。任務のほとんどが隠密・諜報であることから、白兵戦を想定していないからだ。そのローブを隊長自らが脱ぎ捨てるということは、ある意味、異常事態といえた。華源も慌ててローブを脱ぎ捨てた。
「華源、こいつは任せる」
物部は晶から目を離さずに言った。
「はい、お任せください!」
華源は目を爛々と輝かせて言った。隊長が私に期待しているのだ。ここで成果を出せば、隊長も私に振り向いてくれるかもしれない!
「その壁は下賜の力をまだ制御できていない。雫石の安否も気になる。油断するな」
華源はくすっと小さく笑う。
「あら、隊長。生まれたての壁に遅れをとるほど、私は──」
それはまさに一瞬だった。物部と並び立つ華源の間にリクが現れたと思うと、華源の顔面に衝撃が走った。華源はそのまま回転しながら弾き飛ばされ、神社の鳥居に嫌というほど背中をぶつけた。
なおもリクの追撃は止まない。ヨロヨロと立ち上がる華源の首元に手刀を打ち込む。しかもただの手刀ではない。手先は風の鋭い刃となって、白い首筋をざっくりと切り裂いた。
血飛沫が舞う中、華源はそれでも僅かに軌道を逸らし、バックステップで距離をとる。真顔になった華源の左頬は赤く腫れ、首筋から鮮血が流れ落ちる。
「……さっきの栄生はそんなもんじゃなかった」
そう呟くリクの瞳が、前髪の奥で怪しげに光る。
リクは軸足で地を蹴り、華源との距離を一気に詰めようとするが、華源も合わせて後退して一定の間合いをとる。
「ちょっとアンタ速すぎ! さっきから、やられっぱなしじゃんよ、私」
華源は空中を踏み台にして、鳥居の上に立った。
「妖術・風刀輪!」
鳥居のまわりに、金色の光が無数に現れた。それはリング状に変形しながら激しい回転を始める。
妖術・風刀輪は、東の森の代表的な妖術で珍しいものではない。だが、華源は複数の風刀輪を自在に制御することができた。その数はおよそ100。おまけに独自の術式によって回転を加え、貫通力までもが強化されている。
「第7教導、ナメんなよ」
100の風刀輪が一斉にリクを襲う。
「バラバラになれ、壁人間!」
しかし、華源は目を疑った。風刀輪はヒュンヒュンと音を立てるだけで、回転したまま宙に留まり、一向に動こうとしない。
「な、なんで、動かないのよ……」
ふと、背後に気配がした。
「嘘でしょ……」
手刀が、再び華源を捉えた。リクはそのまま空中で華源の背中を斬りつける。淡い水色の2尺袖は袈裟がけに切り裂かれ、白い背中から鮮やかな血が飛び散った。華源は力無く鳥居から落ち、うつ伏せのまま地面に転がった。
「栄生はこんなもんじゃなかった」
呟きながら、リクは動かない華源を見下ろす。
そのときリクは強烈な眠気に襲われた。視界の色が薄くなり、黒に侵食されていく。暗い闇の中で、一点だけが丸く光り輝いている。黒い紙に穴を開けて太陽を透かし見るように。
やがてリクの意識は遠のいていく。それは体験したことのない快感だった。自分自身を解放し、責任を放棄し、何者かにすべてを明け渡すような、そんな感覚だった。
(ああ、なんだこれ……めちゃくちゃ気持ち良いな)
そして、リクの瞳は光を失った。




