第34話 鎌鼬(かまいたち)
ランに訪れた闇は、完全な、完璧な闇だった。世界中の闇を集めて凝縮したような、どこまでも深く妥協のない黒の世界だ。
薄れゆく意識の中で、ランは声を聞く。それは闇の奥から湧き上がるような声であり、頭の中から聞こえるような声でもあった。
男とも女ともつかぬ声は、何かを囁いている。声は小さくなったり大きくなったりしながら、少しずつランに近づいているようだった。
不吉な合図のように生暖かい風が吹いた。声は次第に大きくなり、同時に、ランの意識は声の中に沈んでいく。
──詠唱?
何者かが詠唱をしている。今ではその声がはっきりと聞こえる。
『我、摂理を裏打つ跳躍の者。我、あまねく風に住まう跳躍の者。万象の理を超える跳躍の者。黒き灰色、黒き茜、黒きすみれ。集い、反射し、現し、逆巻け──暗転・鎌鼬!』
聞いたことのない呪言だった。誰の声だ?
ランは消え行く意識の中で呟く。
モカをタスケなきゃ……トモダチの、イモウトの、モカヲ……ヤメロ、陛下ハボクのカラダニ、何をシ・た……
◇
「危ない! リク!」
栄生は叫ぶと同時に、リクの手を引き、大きく後ろへ跳んだ。
瞬間、小さな竜巻が現れ、ランの身体を包み込む。竜巻は凄まじい回転と共に唸りを上げた。
「なに……あれ?」
奇妙な竜巻だった。回転のわりに風が弱い。
「内側に巻き込んでる……?」
栄生は風の流れに目を凝らした。激しく回転する竜巻の内側に大気が流れ込んでいく。しかし、それだけだった。外側への出力がほとんどない。
(こんな竜巻は成立しない……)
仮に、内側だけに力を内包し続ける竜巻があるなら、それは必ず崩壊する。竜巻を立ち上げ、維持することすら不可能だ。ならば答えはひとつしかない──妖術だ。
(竜巻に似せた妖術……? でもこんな術、聞いたことがない……)
「栄生、あの空!」
リクが声を上げ空を指差した。
いつの間にか厚い雨雲が空を覆いつくし、辺りは夜のような闇に包まれていく。
ひと粒の雨が、栄生の額を叩いた。それは一瞬にして真夏の夕立ちが如く、前も見えないほどの雨足に変わった。
雨雲が明滅を繰りしながら、雷鳴が低い音を立てる。
前触れもなく、とつぜん空を引き裂くような乾いた音がすると、閃光が走った。あまりの眩しさに、ふたりは視界を奪われる。
(落雷……!)
ふたりは咄嗟に腕で目を覆ったが、その光はあまりに強烈で、赤い残光が瞼に焼きついた。
それでも、栄生はそこに得体のしれない何かがいることを感じ取る。
大きな、とても大きな何か。
唸り声が聞こえる。地底から湧き上がるような、低くおぞましい唸り声だ。
栄生はゆっくりと目を開ける。強い雨が世界を叩き続けている。辺りは暗いが、目の奥がちくちくと痛む。視界はまだ正確に像を結ばない。それでもぼやけた輪郭から、栄生は直感的にその者の正体を知る。
(うそ……でしょ……?)
脳は全力で否定する。うそだ。そんなこと、あるはずがない……。幻術? 違う。幻術にしては発動までの成りが派手すぎる。
現実を受け入れなくてはならない。
「リク、あり得ない者がいる……」
栄生は繋いだままのリクの手を握りしめると、呆然と目の前の者を見つめた。
ふたりの前に立ちはだかる、巨大な銀色のかまいたちを──




