第33話 混乱の暗幕
「緑アタマの人!! この子はあんたの仲間だろう!!」
突如として現れた少年が必死に何かを叫んでいる。その声は遠く、歪んでランの耳に届く。
この少年は誰だ?
どこから現れた?
僕は何を見ている?
少年は王女の腕を掴み、僕にも見えなかった“風刀”をいとも簡単に止めた。そして今、彼はモカを助けようとしている。
彼は味方だろうか。いや違う。彼は──人間だ。ああ、そうだ、この匂いは間違いなく人間だ。人間がなぜ東の煉界にいる? 人間風情がかまいたちの、しかもこの王女の動きを見切り、止めた……?
そんなことがあるだろうか。そんなことが可能だろうか。
彼は王女の“壁役”かもしれない。だとすれば、彼がここにいる理由は説明がつく。しかし……僕の知る限り、この王女の動作速度は異常だ。速すぎる。
分からない。
分からないことだらけだ。
なぜ人間がモカを救う?
ランの視界は奇妙にねじれていく。目の前の光景がスプーンに映した顔のように歪んで、灰色の空が頭上から落ちてくる。地表はどろどろに溶け出し、足が地中に埋まっていく。
分からない。
ワカラナイ。
わからない。
東の森の第3王女・嬰円栄生。王直系の血族でありながら人間への転身に失敗し、あまつさえ妖術もろくに使えないポンコツ姫。あまりのデキの悪さに、いよいよ王国を追放されたという噂は、北の森にも届いていた。
昨夜の被験体を使った実証実験でも、彼女はその無能ぶりを露呈していた。鎌狩りの狙撃すら止められず、小さな被験体さえ救えなかった。
面白い素材になりそうだ。暇つぶしにポンコツ姫と遊んでやろう──軽い気持ちだった。好奇心。そう、最初はただの好奇心だ。そして僕には確信があった。自信があった。簡単なはずだった。だから幼稚なモカの提案に迷わず賛同した。
『弱者は常に強者の玩具にすぎぬ』
カタクリ様の口癖だ。弱き者はそれだけで罪なんだ。だからこの王女を玩具に僕たちは遊ぶつもりでいた。なんなら北の森に拉致してやろうと。モカの解剖趣味に付き合うつもりはなかったが、もし王族を被験体にできるなら、こんな好機はないと思った。
僕はどこで間違えた?
ひとつは、帝の御技を呼び出した芝崎蒔絵のせいだ。人界での妖帝術使用……あれだけの妖圧密度だ、四方の森すべての王に感知されたはずである。
一国を滅ぼしかねない妖帝術は、王の承認が不可欠だ。それをいち従者が発動したことも驚きだが、これは確実に大きな問題になるだろう。
芝崎蒔絵は間違いなく罪に問われる。おそらく“修羅の森”で四王裁判にかけられる。そこで使用に至った経緯が明るみになれば、僕たちが遊び半分で東の煉界を侵犯したことも露見する。
相手が東の森だけなら事実の捏造は容易い。しかし西や南が出てくるとなれば話は別だ。
このままでは処罰を免れない。カタクリ様は面子を重んじるお方だ。僕らは間違いなく処分される。だから明確な目的が生まれた。遊び半分だった王女の誘拐を確実に成し遂げなくてはならない。東の第3王女という土産があれば、きっとカタクリ様は僕たちをお許しになるはずだ。なにより、どんな形であれ、まだモカを失うワケにはいかない。
ふたつ目は、今日対峙した王女が、昨夜とは違うとんでもない化物だったということだ。
なぜだろう? 芝崎蒔絵の腕を見た途端、王女を取り巻く風の流れがガラリと変わった。従者を傷つけられた憤りが力を増幅させたとでもいうのだろうか……。
ワカラナイ。
妖力のみで生み出す圧倒的な速度、弁明を許さぬ無慈悲な態度、躊躇と容赦が存在しない攻撃──妖術の使えないこの王女が、これほど凶暴で冷淡な性格だとは思わなかった。そして、その王女の速度に反応し、片腕で風刀を止めた人間の少年……。
そう、お前は何者だ?
オマエハナニモノダ。
ワカラナイ、ワカラナイ、ワカラナイ、ワカラナイ、ワカラナイ。
視界が黒に染まる。
ランの思考はそこでプツリと途絶えた。




