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第32話 リクの覚醒

 

 両膝のあたりがほんのりと熱を持っている。リクはその暖かさに覚えがあった。懐かしい記憶だ。幼い頃、公園で見た不思議な生き物。夕暮れの中、2匹の小さなかまいたちが残していった“点”のような温もり。

 

 リクは立ったまま、その温もりに集中する──やっぱり、あの時と同じ位置だ。リクは栄生たちと出会って確信している。父さんも母さんも信じてくれなかったが、記憶の中の白い生き物は、間違いなく“かまいたち”だ。風の中をひらひらと舞い、膝の上に降り立った小さな妖……。


 リクはゆっくり目を開けて、栄生を視界に捉える。栄生があれほど怒る理由は分からないが、これはいよいよ完全なワンサイドゲームだ。


 この戦いを止めなくてはならない。


 相手はおそらく栄生の動きが見えていない。そして栄生は我を忘れている。このままではふたりとも四肢がバラバラにされてしまうかもしれない。そんな光景は見たくないし、そもそも、そんな栄生をリクは見たくなかった。



「やめろ、モカに手を出すな」


 モカの髪を鷲掴みにする栄生に向かって、ランは声を荒げた。

 

「手を出すな?」


 栄生は懐に入れた蒔絵の腕に一瞬目を落とす。


「モカは僕の指示で動いたに過ぎない。責任は僕が負う」


「責任? 何を言っているの? 少し黙って」


 栄生は冷たく言い放つ。


「僕からやればいい。彼女は後まわしにしろ」


 栄生は鼻で笑う。


「それを決めるのは私。安心して。次はあなただから」


 赤い瞳が光を帯びると、栄生の身体は青白いヴェールに包まれた。その表面を小さな稲妻が走り出す。


 やはり妖術ではない、とランは分析する。


 この王女の妖力は桁外れだが、その膨大な力を妖術に変換することができない。おそらく妖力の“出力弁”がほとんど開いてない。だから僅かな妖力を風に流して自身の力へ変えている。ある意味、かまいたちにとって、最も原始的な力の使い方だ。


 ランは目を細めて、栄生が纏う光のヴェールを観察する。縦横無尽に駆け巡る稲妻は、まるで小さな龍が踊っているようだ。


(妖術で言えば“風刀(ふうじん)”あるいは“雷刀(らいじん)”の類か。どちらも基本的な妖術……だが、それをこの王女は術式も使わずに、風と妖力だけで発動させている。モカの首を刎ねるつもりか……)


「ラ、ラン……ちゃん……助けて……」


 栄生がさらに髪を引っ張り上げると、モカはしゃがれた声で助けを求めた。


(古来3役に捉われない、新たな戦闘体系を構築するとカタクリ様は仰られた。薬役(くすりやく)を使わず欠損部分を自動再生する実験体──それが僕たちだ。しかし胴体から離れた頭部だけは再生が効かない。今この王女を止めなければモカは確実に死んでしまう)


「ま、待てっ……!!」


 ランの思案などお構いなしに、栄生の右手が空を斬った。容赦のない一撃。紫色の閃光が走る瞬間、モカは反射的に首を反らして刃の軌道から逃げる。だが頭を掴まれた状況でそれは十分ではなかった。刃は首筋をかすめ、モカの頸動脈を切断する。スパッと切られた首筋から、おびただしい血が吹き出した。 


「下手に避けるからだよ。余計に苦しむことになる」


 栄生の浴衣が返り血を浴びて、みるみる赤く染まっていく。


「もし、この人が薬役(くすりやく)だとしても」


 と、栄生はランに向けて顎を上げる。


「あなたの治療は叶わない。この人もすぐ後を追うことになる」


 栄生の右手が再び空を斬ろうとしたその瞬間、砂利を巻き上げるほどの強い突風が吹き抜けた。

 その風は気配も前触れも色もなく、栄生の銀髪を後ろから出鱈目に掻き乱し、ランを数メートル吹き飛ばした。


 栄生の振り上げた右腕は手首を強く掴まれ、ぶるぶると震えていた。栄生は驚いて、視界の横に見えた影に顔を向ける。


「リ……リク……?」



 ドクン。リクの鼓動が音を立てた。膝の熱が少しずつ広がっていく。今や足全体がほんのりと熱い。同時に頭の中がやけにクリアになり、五感が研ぎ澄まされるような感覚がある。


 風に揺れる葉と葉の擦れ合う音や、木々を抜けてくる風の匂いを感じることができる。視界は鮮明で、目で見るすべてが、まるでスローモーションのようにゆっくりと見える。


 紫色に光る刃。栄生が風の中から生み出したその刃が、リクにははっきりと見えた。


 栄生の腕の軌道をなぞるように、その刃は少し遅れて空を斬る。栄生の動きが少し遅く見える。


(えっ? 栄生……首まで切っちゃうの?)


 それは間違いなく少女の首を切断するような軌道だった。ピンク頭の少女は間一髪で首を反らす。正確に言えば頭を少し後ろへ移動させて、紙一重で刃をかわしたように見えた。

 

 しかし、切断の軌道を免れたものの、刃は少女の首筋を斬りつけた。少女の首から大量の血が吹き出す。穴の空いたシャワーホースみたいに、鮮血が噴水のように飛び散っている。


(あの子はなぜ避けきれない? 勝ち筋を見た栄生が手加減しているように──俺の目にはそう見えているだけなのだろうか)


 栄生はそれでも攻撃の手を緩めない。再び栄生は手を振り上げる──第2撃。栄生はまだやる気なのだ。


 栄生、それ以上はダメだ!!──そう心の中で叫んだとき、膝の熱が身体全体に広がった。そして次の瞬間には身体が勝手に動いていた。


 森の木陰から飛び出して、振り上げられた栄生の細い右腕を掴む。


「栄生、もうやめよう。勝負はついている」


 栄生はまるで幽霊でも見たかのように、大きな瞳を見開く。


「リ、リク? 嘘でしょ……今、どこから」


 唖然とした表情で栄生が言う。


「どこって……あの、辺りかな?」


 リクは隠れていた木影を指差した。栄生はリクが指差した方向を何度も確認してからリクに訊く。


「え……と、あの辺りって、リク、距離、かなり……あるよね? それにどうしてついてきたの?」


 言われてみれば、確かにそこそこの距離がある。


「……俺、どうやって移動したんだ?」


「知らないわよ。私が聞きたい」


「それより、栄生さん! 怖えぇぇぇぇよ! 腕とか耳とか首とかポンポン切っちゃだめ!!」


「……ポンポン……」


「おい、そこの緑の頭の人。彼女の彼氏か? 妖に恋人がいるのか知らんけど、早く血を止めないとヤバいぞ」


 リクは学生服のネクタイを外すと、モカの首に手早く巻いて締め上げる。


「これで止血できるといいんだけど……」


「息が……く、苦しい……」


 首を絞められたモカは、声にならない声で呟く。


「ああ、悪い、締めすぎたか」


 リクはモカをその場に寝かせると、ネクタイを少しだけ緩めながら言葉を続けた。


「君たちも君たちだ。喧嘩するならちゃんと理由を言えよな。だいたい栄生がゆっくり動いて手加減してるのに、どうして避けないんだ? わざとやられて、栄生を殺人鬼に仕立てあげる作戦か?」


「私、手加減なんて……え、殺人鬼?」


 栄生が呆然としたまま呟く。


(リクには私の動きがゆっくり見えていた?)


「ちょっと、緑の人、黙って突っ立ってないでさ、他に仲間はいねぇの? ほら、傷を治せる人、連れて来ていないのか。なんとか役ってヤツ。ああ、ヤバいな、ピンクの彼女、血が止まらない」

 

 リクはネクタイの上からモカの傷口を押さえたが、ブクブクと血が泡立つばかりで、一向に止まる気配がなかった。


「栄生、救急車!」


 煉界に救急車は来ない。栄生は目の前で起きた現実に、ただ立ち尽くすしかなかった。

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