第1話 かまいたちは風に在る
栄生は躊躇なくその身を光の海に踊らせる。人々が生み出した美しいネオンの中に。
銀毛のかまいたちはその後を追うように身を投げ出すと、栄生を背中に乗せ、鉄骨の柱を垂直に駆け下りる。
その間にも縛界による赤い閃光が幾度となく走った。
「無駄な努力、ご苦労さま」
栄生とかまいたちは構わず地上へ向かう。
鎌狩りたちは何としても栄生を結界に閉じ込め、狙撃による“骨化”を目論んでいるようだ。
縛界は“鎌狩り”たちが使う上位結界術だ。風のない結界にかまいたちを閉じ込め、妖術を無効化する──そう、かまいたちは風がなければ何もできない。彼らは風に生きる妖怪なのだ。
追放はされたが、栄生は仮にも王族のひとりだ。“東の森”を統べる嬰円家の血族であり、現国王の第3王女。その妖力だけは桁外れに強い。
たとえ、人化転身すら満足にできない落ちこぼれでも、栄生にとっては無いに等しい結界だった。
それにしても……と栄生は改めて考える。
狙撃手といい、結界手といい、なぜ彼らは私の居場所が分かったんだろう……。人界に来てからというもの、鎌狩りには常に気をつけていた。痕跡を残さないように、妖術も使っていない。
幸いだったのは早めに風向きが変わったため、狙撃手が風上になり、その匂いが運ばれてきたことだ。
20台はいるだろうか、地上には青色灯を光らせた鎌狩りたちのパトロールカーを確認できた。ビルの四方を取り囲んではいるが、南側は道が狭く、おまけに重機が放置されているため手薄に見える。
栄生を背に乗せたかまいたちは、ビルの西側へ垂直に走りこみながら、ふわりと地上へ降り立つ。
栄生は飛び降りると、すぐさま走り出した。錆びついた重機の隙間を駆け抜け、背の高いゲートを軽々と飛び越える。
いつの間にか、かまいたちはリスのように小さくなり、栄生を追いかける。タイミングをみて肩に飛び乗ると、パーカーのフードにもそもそと隠れた。まるでそこが棲家のように。
地上でも北風は強かった。栄生は反射的に南に向かう。追い風だ。風の力を倍加すれば最高速を出せる。風の挙動と密度を読み、巧みに風に乗り走れば、それは一陣の風だ。
雑踏の中でも栄生には風の道が見える。人に見えず、人に触らず、最高速度で走り抜ける道筋が見える。
意識を集中すれば、そこはカラフルな風の線が重なり合う色の世界だ。街を彩るクリスマスのイルミネーションと混ざり合い、それは息を呑むように綺麗だった。
「姫さま!」
唐突に声が聞こえた。
見れば、いつの間にか隣に伴走する初老の男──芝崎晶の姿があった。いや、晶だけではない。左側にはオレンジの髪の毛をツンツンに立てた少年──芝崎三太。そして栄生の少し前を走る芝崎蒔絵が見える。小さく幼い背中に、金髪のツインテールが揺れている。
「お姉ちゃん、蒔絵、先導する。遅れたらメッだよ」
蒔絵は振り返りながら栄生に言うと、赤い小さな舌を出して笑った。
黒のゴスロリ・ドレスには金銀の刺繍が施され、裾の白いレースが夜風になびいている。小さな身体に不釣り合いなほど豪奢なその服装は、夜の街にあってなお不思議と馴染んで見えた。
芝崎家は代々王室の近侍を務める家柄だ。
“東の森”を追放された栄生に付き従い、ついには護衛と称して、人界にまでついてきてしまった。現当主である晶は良いとしても、まさか孫まで連れてくるなんて……。
蒔絵の後を追いながら、晶が顔を寄せてくる。
「姫さま!! 私が、あれほど、あ・れ・ほ・ど、危ない遊びはお止めくださいと──」
「晶、うるさい。説教はあとで聞くから。あと、顔が近い」
栄生は晶の言葉を遮る。黒い上等なスーツで身を包み、ほとんど白髪だけになった髪を後ろにまとめた晶は、最上級ホテルの支配人のようにも見える。忠誠心が高く、生真面目なのはいいのだが、とにかく話が長い。
「とにかく逃げなきゃ。どうして居場所がバレたんだろ……私、狙われたんだよ」
「ここ数日、”北の森”の動きが活発になっているとの情報がございます」と晶が答える。
「北!? マジで? あいつらこっちにいるの?」
「姫さま、お下劣であります。そのようなお言葉使いは、嬰円家、ひいては我が一族の品位を著しく損なうものでございます。第3王女には相応しくございません」
晶は真面目な表情で言う。いや真面目というより、異様な目ヂカラで迫ってくる。栄生はたまらず吹き出してしまう。
「晶はお堅いね」
「堅い、柔らかいの話ではございません」と晶は断言する。
「私はもう王族じゃないし、下劣も何もないでしょ?」
栄生は自分で言って……ちょっと虚しくなる。
横を走る三太も同調した。
「そうだよ、爺ちゃん。サコちゃんと王室はもう関係ねぇじゃん」
芝崎三太は栄生よりふたつ年下で、近侍というよりは幼なじみに近い。どこから手に入れたのか、ちゃっかりと人界の学ランを着ている。
「サコちゃん、見て見て。俺も男子高校生だ」
三太は両手を広げて自慢げにはにかむ。
「お姉ちゃん、JK、可愛い」
先導している芝崎蒔絵が振り返った。頬を赤らめ、照れくさそうに栄生を褒める──恥ずかしがり屋なのだ。
蒔絵は若干7歳にして栄生の近侍に抜擢された妖術の天才だ。言葉を丁寧に選ぶように話すので少し時間がかかる。さいきんやたらと人界に詳しい。
蒔絵は人混みをすり抜け、渋谷の車道を駆け抜ける。
タクシーの屋根を踏み台にして信号機へ飛び移ると、電線をロープ代わりにして反対車線に移動した。今年で齢70になる晶だが、遅れることなく言葉を続ける。
「いいですか、姫さま。私はお父君がご幼少の頃よりお仕えして参りました」
(めんどい……晶の説教がはじまった)
「王族ではないなどと……斯様なお言葉、私は残念でなりません。放逐されたとはいえ、姫さまは我が東の森、正統な王位継承権を持つ第3王女でございます」
晶は諭すような口調で言って、小さな声で付け加える。「──まあ、3位ではございますけれど」
いつもひとこと多い。
「王位ねぇ……」
晶は栄生の顔ばかりにチラチラと視線を向け、ほとんど前を見ていない……。相変わらず顔が近い。
「たかだか、でございます!」
晶は一段と声を張り上げた。
「たかだか“人化の儀”に失敗しただけでございます。たしかに王国1000年の歴史で、かような珍事は聞いたこともございません。姉上様は8歳のとき、妹君に至っては4歳で人化を“発現”されたとはいえ、それはそれ、姫さまは姫さまでございますぞ。ちなみに私は11のときに人化を終えましたが、たとえ17歳でご失敗されても──」
(なんか微妙に傷つく……もはやあんたを撒きたい)
栄生は蒔絵を追い抜き、渋滞で動かないクルマのルーフ伝いに移動する。栄生の速さは王族でも屈指のレベルだ。それでも芝崎家の面々は、栄生の動きをトレースして離れない。いや、よく見ると三太が少し遅れている。
とつぜん晶は豪快に笑いだす。
そのひときわ大きな声に栄生は呆れて溜息をついた。
「ご案じめさるな、姫さま」
(そんなに案じてないんだって)
「お背中の頭巾に潜むその“分け身” ──この晶が身命を賭して、必ずやお身体へ還元する方策を探し出してご覧にいれます」
晶は自信ありげに胸を叩いた。
(どういうこと?? 背中の頭巾?? )
「爺ちゃん、フードだよ、フード。頭巾じゃねーよ、フード」と三太が小声で訂正した。聞いていて恥ずかしすぎる。しかし晶は構わずに続ける。
「分け身をお戻しできれば、父君も姫さまをお許しになり、改めて国民の前で第3王女のお披露目に臨むはずでございます」
少し本音と嫌味が混ざっているが、晶は至って真剣に栄生を励ましているのだ。長い付き合いだ。彼の気持ちは痛いほど伝わってくる。追放の件でいちばん心を痛めているのは、きっと生まれた頃から寄り添ってくれた晶なんだと思う。
「お姉ちゃん、早く、壁役、見つけよ。また泣き虫になる」
蒔絵は先行する栄生に並ぶと、声をかけ、追い抜く。
(蒔絵まで壁役推し……って、え、ちょっと待って。泣き虫? さっきの見られてた!?)
「あ、いい風みっけ」
蒔絵は頭上をかすめる風に飛び移る。蒔絵の選ぶ道は独特で楽しい。栄生が選ばないような激しい流れの風ばかりに乗る。それは変則的で、不安定に横滑りする風が多い。遊び心が旺盛な年頃なのだ。
「紫央さま、壁役いれば、許してくれるよ」
蒔絵は優しく呟いた。
もし分け身を戻し、壁役を見つけたら、父は私を許してくれるのだろうか……。
蒔絵は大型トラックの荷台を蹴り、くるくると前宙を繰り返しながら、歩道橋を飛び越える。
──その時だ。
とつぜん蒔絵は空中で半回転すると、栄生の方を向く。
「お姉ちゃんっ、後ろっ!! ビルの上になんかいる!!」
蒔絵が叫んで指をさす。
栄生は瞬時に振り返る。
余計なことを考えて油断した。
蒔絵が指差した方向──雑居ビルの屋上に小さな人影がふたつ見えた。
また狙撃……いや、違う──人影の周囲が青白く光る。
鎌狩りの攻撃妖術。私たちが見えている?
(あれは“風雷撃”。人間が妖術を改良した劣化版──とはいえ、こんな人混みでも構わず放つ……)
栄生は後ろ向きに飛びながら、底意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「そんなに私の骨が欲しいの?」
──これが人界。これが鎌狩りなんだ。
栄生は街灯を足場にして、人影に向かって一直線に跳び上がる。
(おもしろい……借りものの術で、私になにかできる?)