第16話 誰かの仇である私たち
栄生は山梨にそっと抱きつくと、胸に額を当てた。
「これであなたも道連れ──後ろから私を狙うのは誰?」
風に漂う死の匂いに、栄生は顔をしかめた。
それは火薬と骨で作られた憎悪の弾丸であり、栄生の命をいとも簡単に断ち切る絶望の火だ。
山梨の胸に額を当てたまま、栄生は少しだけ顔を横に向けて背後に視線を向けた。
そこでは、逃げたはずの千佳が小銃を構え、栄生に狙いを定めている。
「あらら、千佳ちゃん……逃げてなかったの……」
山梨は力の抜けた声で呟くと、がっくりと肩を落とした。
「隊長から離れなさい、かまいたち」
千佳の緊張した声が路地に響く。
「そこの3人も、少しでも動けばこいつを撃つ」
照準から目を逸らさずに千佳は晶たちも威圧する。
千佳は本気だった。
枝分かれした小路に身を潜め、山梨の戦闘を伺っていたが……いくらなんでも相手が強すぎる。隊長ですら遊ばれていた。だから、こうするしかない。
最悪、骨弾が栄生を貫いて山梨を被弾させても、急所を外す自信はある。上手くいけばかまいたちだけを駆除できる。
道連れになんてさせるもんか。
「あの人、また私に火を向けてる」
栄生は他人事のように呟いた。
山梨に向けた3つの質問──栄生は最後に聞きたいことがあった。
では、どうしたら許されるのだろう。
憎しみの連鎖が止められないのなら、この先も私たちは永遠に戦い続けるしかない。かまいたちは敵として狩られ、人は壁として攫われる──そんなのはきっと間違っている。いつか、誰かが止めなければならない。
遠い昔、私たちは人界の森で静かに暮らしていたという。そうなったら、どんなにいいだろう。人も妖もなく、同じ世界で生きることができたら……。
人間の世界は幼い頃からの憧れだった。
専属の家庭教師から訊く人界の話は、幼い少女の好奇心を刺激するのに十分だった。だから森を追放されたとき、落胆よりはむしろ嬉しさが勝っていた。
しかし、初日から命を狙われ、目の前でユンが殺された。
栄生は鎌狩りを殺さないと決めている。たとえそれが父の勅命に背くとしても、何か他のやり方があるはずだと考えていた。例えば──話し合う。お互いに妥協して譲歩して、約束事を交わすのもいいかもしれない。
もちろん、かかる火の粉は振り払う。でも殺しはしない。鎌狩りを殺したら、それこそ話もできなくなる。
でもそれは甘かった。かまいたちにとって人界は『殺さなければ殺される』、そういう世界だ。三太が言うように、長いこと命の奪い合いをしてきたのだ。
だから、いま、こうして銃口を向けられている。
栄生は自分が恥ずかしくなった。
王宮育ちの世間知らずが子供のような夢を描き、そして不覚にも背後をとられ、晶たちを危険に晒している。
王宮の家庭教師は教えてくれなかった。
書物庫の文献にも書いてなかった。
私たちは知らない誰かの仇でしかないのだと。
「離れろ、妖怪」
千佳の声が静寂を破った。
妖怪か……。
どこまで行っても人と妖。
殺し、攫い続ける人と妖。
栄生の中で、何かが音を立てて崩れた。
「さっき私を狙撃しようとした人」
栄生は銃口に怯むことなく振り返る。
「ユンを殺したのもあなた……でいいよね?」
小さな風が路地を這う。先ほどまで雲ひとつなかった12月の夜空に、千切れ千切れの雲が流れていく。
「蒔絵は静かにしててね」
栄生は不安そうに見守る蒔絵に、優しく声をかけた。 そして山梨から離れ、千佳と向き合う。
入れ替わるように、晶が山梨の前に立ち塞がった。
「あなたは無駄口を叩かずに、さっさと撃つべきだったと思うの」
栄生は髪を掻き上げると、首を左右に振った。
「仲良くできるかもって考えてたんだけど、うん、やっぱり無理みたいだ」
「仲良く……って、あなた、正気? 何を言っているの」
栄生は千佳の問いには答えず、腕を上げて大きく伸びをする。フードから小さな分け身が顔を出し、栄生の右肩に飛び乗った。
「あーあ、残念。本当に残念」
ただならぬ気配に、山梨は目を細めた。
すると、轟音とともに、大地を裂くような風が空から叩きつけた。暴風が唸りを上げながら、栄生を中心に渦を巻く。きぃぃぃんという甲高い音に、山梨はたまらずに耳を塞いだ。暴風はしばらくすると夜空を引き裂くように、散り散りに消え失せた。
そこに立っていたのは──もう栄生ではなかった。
瞳に禍々しい光を宿した整った顔立ちは醜く歪み、口元には軽蔑を含んだ薄ら笑いを浮かべている。そして別人のような低い声が路地を震わせた。
「控えろ、小娘。我は11代東森王・嬰円紫央が娘、栄生である。人の身で天を仰ぐな。首を垂れよ、痴れ者が」
とつぜん、千佳の前にある空間が波打った。
水面を穿つ雨の波紋のように、視界が滲んでいく。
「……な、に? これ」
千佳は金縛りにあったように動けなくなった。周囲の空気がズシリと重くなり、それは次第に密度を高めて、千佳の身体を押し潰そうとする。
しかしそう感じたのも束の間、今度は身体の内側が外に向けて膨張していく。鼓膜がパリパリと音を立て、眼球と舌が飛び出しそうになる。
膝の関節がガクガクと震え出したが、しゃがむことも座ることもできない。
「火を下ろせ、小娘。腕ごと切り落とされたいか」
鎌の形を成した青白い風が、千佳の頬を切りつける。
栄生は不敵な笑みを浮かべながら、ゆっくりと千佳に向かって歩き出した。
千佳の顔が次第に紅潮する。
息ができない。
言葉にならない言葉が口をつく。
(や、怖い……や……めて、もう、やめ……)
その時、ほぼ同時に晶と山梨の声が飛んだ。
「やめろっ」
「姫さまっ!!」
これは妖術ですらない──と山梨は直感した。
有り余る妖力をぶん回しているだけだ。だがこの圧力……急いで妖力を拡散しないと、千佳が死ぬ。
栄生と名乗った少女は、山梨が睨んだとおりやはり王族だった。東森王、すなわち東の森のかまいたちとは珍しいが、王族であればこの桁外れの妖力にも納得がいく。ただこれほどの妖力を散らす妖術は……
「妖術では止められませんよ」
足止めをする晶が、山梨の心を見透かすように言った。
「人でいえば、そうですね──メンチを切るってやつでしょうか。うちの姫さまは妖術が苦手でございまして」
「そりゃまた、厄介なお姫さまだねぇ」
山梨は嫌味っぽく言って肩をすくめた。
「でも、さっきは抱きつかれてちょっとドキドキしちゃったよ」
「ええ、私も驚きましたよ。まったく困ったものです」
確かに、千佳を救い出す妖術はなかった。ただこの妖圧の効果範囲はかなり狭い。現に山梨はほとんど影響を受けていないのだ。
であれば、自分が効果範囲に飛び込んで、千佳を範囲外に押し出せばいいはずだ──
しかし、誰よりも先に動いたのは三太だった。
栄生に駆け寄ると右腕を掴む。
「ひ・め・さ・ま」
三太が茶化すように声をかけた。
「これは、ちと、やりすぎだ。おまけに名乗らなくてもいいだろ」
にっこりと笑う三太を、栄生は表情のない顔で見つめた。
「しっかりしろぉぉ〜」
ペシペシと頬を叩く。
「痛い。なんで叩くのよ?」
「なんだよ、けっこう正気じゃねーか。だったら妖圧を減衰しろ。ほら、早く」
「どうして? ユンが殺された。数が合わない」
「さこちゃんさ、情緒がもう……」
三太は目を細めて首を振った。
「さっきまで、『私はやり返さない。私は、違う』みたいなこと言ってたじゃないか」
「あれはやめたの」
「ちょっと感動した俺が馬鹿だった」
「この人には対価を払わせないと」
栄生は毅然と言って、顎で千佳を指し示した。
「もういいって。それより腹が減った。さっさと帰って、爺ちゃんのハンバーグ食べようぜ」
「ハンバーグ?」
栄生の瞳から狂気の光が少し鈍くなる。
「それ知ってる。たしか挽肉を……」
「いいから、減衰しろって。死んじまうぞ」
「じゃあ、さっさと殺す」
「違う違う。殺しはなし。自分で決めたんだろ。ほら、もうやめよう」
三太に促され、栄生が渋々妖力を弱めると、千佳は力なくその場に倒れ込んだ。
「うん、それでいい」
三太は納得したように、ひとり頷いてから、栄生の肩を叩いた。
「さこちゃんはさ、亜羽様にはなれないよ」
「姉様は関係ない」
「でもさっきのあれ、完全に真似してたでしょ。なんだっけ……我は──」
「うるさい」
栄生は三太の頭を思い切り引っ叩いた。
「いってーな。蒔絵〜。うちの姫さまは、命のやり取りより“食い気”だってよ」
三太は笑いながら叫んだ。
蒔絵は恥ずかしそうに俯き、小さい拳をぎゅっと握りしめた。
「もう、バカ、名前、呼ばないで。ハンバーグとか、ほんとバカみたい」
三太はそれでもにっこりと微笑む。
バカでいい。
──さこちゃんを止められるのであれば、俺は何にでもなってやる。
静かな風が路地を吹き抜けた。
◇◇◇
山梨は倒れ込んだ千佳を抱え、脈をとった。確かな心拍が正常に血液を送り出している。気を失ってはいるが、これなら安心だ──山梨は目を瞑り、安堵のため息をつく。
圧倒的な戦力差だった。今夜、見逃されなければ、ふたりとも確実に殺されていただろう。
栄生という王女の並外れた妖力。あれで妖術が苦手というのだから、他の王族はどれほどの力があるか。今はちょっと考えたくない。
今夜の連中は、他の《第1種》とは力の質が違う。このままこちら側に居座るのであれば、これは早急に対策を練る必要がありそうだ。
山梨は千佳を抱えて立ち上がる。
「隊長……すみませんでした」
気がついた千佳が申し訳なさそうに言った。
「ふたりとも助かっちゃったね。歩けそう?」
「無理ですね。足に力が入らなくて」
「了解。セクハラで訴えないでね」
「しませんよ」
山梨は千佳を横抱きにしたまま歩き出す。
路地を抜け、再びスクランブル交差点に戻ると、ちょうど消防と警察が現場に到着したところだった。早くも重機が運び込まれようとしている。果たしてこの惨状、元通りになるまでにどれくらいかかるのだろうか。
救急車はまだ来ていないようだった。できれば、千佳を病院へ連れていきたいのだが、いろいろ訊かれても面倒だ。
とりあえず、山梨は千佳を抱え、明治通りの方向へ足を向ける。
「あの、すみません」
背後から山梨を呼び止める声が聞こえた。
振り返ると、そこには白いブレザーを着た少年が立っていた。




