第14話 蒔絵、夜空に舞う
千佳の骨弾は見事に命中した。
それは手本のような狙撃だった。まさに一撃必殺。一流の狙撃手は、引き金に指をかけるとき、周囲の時間を止めると表現されるが、千佳の狙撃は空間と時間を支配したような一撃であった。
山梨は不穏な空気を感じとっていた。狙撃位置が見破られたかもしれない。それに──
「千佳ちゃん、逃げよう! ライフルは僕が持つ」
山梨は、狙撃を終えた千佳に声をかけた。
(たしかあれは四眼の風刀……まだ引退してなかったのか)
山梨は目を細めて初老の男を見据える。
あらゆる事象を視界に捉え、風の刀で鎌狩りたちを切り伏せる──山梨も新人だったころ、一度だけ彼の力を目にしたことがあった。
その戦い方はまさに鬼人。弾丸を素手で掴む動体視力と目に見えないほどの刀速で、山梨のいた班を壊滅に追い込んだ。
新人を庇いながら、“四眼の風刀”と戦うのは自殺行為に等しい。おまけに今夜、千佳は戦闘着を着ていない。
かまいたちの体毛を編み込んだ戦闘着は、彼らの妖術を鎌狩りに付与する。借りものの力だが、妖術戦には必須の装備だ。千佳はほとんど丸腰……近接戦闘になればひとたまりもない。
骨を回収できないのは痛いが相手は4人。今夜は千佳に撃たせる事が目標だったから、とりあえずの目的は達したといえる。
千佳は手早くライフルをしまうと、言われたとおりにライフルケースを山梨に手渡した。
「千佳ちゃん、死ぬほど逃げるよ!」
ふたりが駆け出したそのとき、路地を突風が吹き抜けた。
山梨が振り返ると眼前に影が現れる。それはすぐに実体を伴い、人の形に浮かび上がった。
黒いゴシック・ファッションに身を包んだ幼い金髪の少女だ。
「千佳っ、先に逃げろ!とにかく逃げろ!」
山梨が怒鳴り声に近い声で叫んだ。
え──呼び捨て?
今まで“ちゃん”付けだったのに?
千佳はどうでもいいことに驚いて、一度だけ振り向いたが、山梨の横顔を見るとすぐに走り出した。
それは見たことのない真剣な表情だった。いつもの彼からは想像もできない鋭い眼差しは、事態の深刻さを理解するには十分だった。
◇
山梨は目を見開き、状況を分析する。
ビルの間の狭い路地、幅はせいぜい3メートル。相手が複数なら好都合だが、かまいたちは宙を舞う。状況はかなり不利だ。見たところ相手は10歳くらいか。間合いが近すぎる。戦闘に不慣れなのがバレバレだ。さて、どう出てくるか──
山梨の視界から少女が消える。違う。速いのだ。残像すら残さないほどに。少女は無表情のまま、一直線に空中を飛んでくる。右手の──掌打。モーションがない。顔面を容赦なく狙ってくる。
(速ぇぇぇっ)
山梨は首を左に傾け紙一重で掌打を交わす。だが、突き抜けた右手がそのまま首に巻きつく。少女は勢いを殺さず、山梨の首を支点に身体を回転させた。
(ここで首にっ⁉︎ この体勢からフツー狙うか……って、このまま捻じ切るつもりか!)
山梨は少女の回転にあわせて反射的に身を翻すが、少女は即座に首から腕を放す。すかさず山梨の髪を両手で掴み、逆立ちのような態勢になる。
(上から膝?)
少女は髪を掴んだまま、容赦なく脳天に膝を落とす。
「痛い!引っ張るなっ、髪、抜けるって!」
山梨は少女の細い腕を両手で掴むと、前屈みになって、そのまま前方に投げつける。しかし少女は建物の壁を蹴り上げ、反対側のビルの室外機に着地する。
(このガキ、打撃が次打への伏線になってやがる。しかも──)
時間にしたら数秒の攻防。急所を狙った打撃に迷いがない。むしろ避けるたびに速度が上がっている。
ひと筋の血が山梨の頬を伝う。
「なんてぇ速さだ。間合いもクソもねーな。避けても風圧で肌が裂ける……って、何が楽しいのかねぇ……笑ってやがる」
山梨は首を左右に振りながら、小さく呟いた。
黒く長いスカートをなびかせながら、少女が薄ら笑いを浮かべている。
その瞳に強い殺意が浮かび上がる。両目の虹彩は血の色に染まり、ひとすじの線を引く。
ふたたび、少女が先に動いた。
室外機を蹴り宙に舞うと、横回転しながら厚底の踵で後頭部を狙う。
(回し蹴り。まだ速くなるのか)
山梨は振り向きざま、咄嗟に腕でガードする。しかし軌道を変えた少女の脚がまた首に巻きつく。
(狙いは首──いや、違う?)
少女は山梨の首を支点に半回転すると正面にまわり込み、詠唱する。
「妖術、風旋槍・昼」
(ここにきて妖術っ!)
頭上にいくつもの白い光の輪が明滅すると、風の槍が一気に降り注ぐ。
山梨の視線が逸れた隙を、少女は見逃さなかった。その体勢のまま山梨の胸部に掌打を叩きこむ。黒いスカートが綺麗な弧を描き、少女は夜空を舞う。
山梨は建物の壁に吹き飛ばされ、背中から叩きつけられた。
(妖術は囮で本命はこっちかよ……)
肋骨が数本は折れた。細い腕と脚だが、おそらく妖力で風を倍化させ、威力を上げている。
「性別も年齢も体格も関係ねぇわけだ……イテテ」
山梨は脇腹を押さえながら立ち上がった。
少女は距離を保ちながら、冷酷な赤い瞳で山梨を見下ろす。
(“四眼”が来る前にカタをつけたいが、このガキは厄介すぎる)
近接戦闘には自信がある山梨だったが、防戦一方になるとは予想外の展開だった。
少女の速度が尋常ではない。不幸中の幸いは、千佳を逃がせたことだった。庇いながらでは到底勝ち目のない相手だ。
四眼──あの老人が来たらまず勝ち目はない。ガキふたりをひと晩で駆除するのも、それはそれで寝つきが悪いが……。
(あ〜〜ったく、仕方ねーな)
山梨は立ち上がると決意する。おそらくこの攻撃を避けながら、逃げ切ることはできない。それほどにこの少女は──強い。
「お嬢ちゃん、趣味じゃないんだけどさ、この術はちょぉっと痛いよ」
山梨は頭を掻きながら不敵に白い歯を見せた。そして胸の前で手を合わせる。
「対妖術・蛇崩──」
強風が、足元から夜空へ吹き上げた。その風は12月にしては生ぬるく、湿り気を含んでいた。濃い霧が立ち込めると、それはやがて白い大蛇の姿を為して、少女の背後に迫った。