第12話 なぜならここに銃がある 後編
自問自答を繰り返しながら、千佳は山梨の背中を追う。強風をものともせず、山梨は力強く走っていく。たまに振りかえっては千佳の姿を確認する。いつもの山梨とは別人のようだ。
JRの高架橋を駆け抜けるとスクランブル交差点が見えてきた。新しく生まれた巨大な渦は、膨張と収縮を繰り返し、その回転速度を上げている。交差点はすっかり竜巻の支配下にあった。
千佳は夜空を見上げる。さっきの竜巻が龍だとすれば、これは空からそびえる塔みたいに見える。
ふいに山梨が立ち止まった。千佳はそのまま背中に激突する。
「いっ、痛いです!どうしたんですか?」
山梨は真剣な眼差しで地上の一点を見つめていた。千佳もその視線の先を追ったが、目に砂が入って何も見えない。
「──かまいたち」
山梨は呟いた。
白い制服の少女。見た目にはごく普通の女子高生に見える。
それと高齢の男と少年、幼い女の子がひとり。
(間違いない、完璧に人化してやがる。あの見た目はやはり第1種だ)
山梨は白い制服の少女に目を奪われる。身に纏う雰囲気がひとりだけ違う──いや違いすぎる。
“第1種のかまいたち”はそうそう拝めるものではない。第2種や第3種と違い、ふだん彼らは森にいて、滅多に人前には姿を現さないと言われている。山梨でさえ目の当たりにするのは久しぶりのことだった。
(それにしてもなんだ……“あれ”は)
その少女は、以前に出くわした第1種とはまるで違って見えた。あのとき戦ったかまいたちの女は、凶悪で狂気に満ちていた。しかしこの少女には禍々しさが微塵もない。人としてあまりに自然すぎる。そしてあの老人──どこかで……。
視界の中で何かが動く。山梨はそれを見逃さなかった。白い制服の少女、その肩口のあたりから、小さな影が竜巻へ向かって飛び出した。
錯覚かもしれない。この風だ。無数の塵や砂が舞っている。しかし──山梨は自分の感覚を疑わない。それは“信じられないような速度”で移動した。奴らの妖術か。それとも……。
千佳の視界がようやく開ける。渋谷駅前に人影はなかった。こっちは避難が上手くいったのだろう。路上には乗り捨てられたクルマたちが、玩具箱をひっくり返したように散乱している。竜巻は交差点のほぼ中央で動かず、渦の中は青白い霧に覆われていた。
竜巻の巻き上げる砂混じりの風で、また視界が霞む。それでも目を擦りながら視界に集中する。
──人だ。
竜巻に対峙するように、4人の人影が見えた。この風の中で、しかも巨大な渦の近くにいるのに微動だにしない。
「千佳ちゃん、あっちの4人は無視しよう」
「えっ、なんですって?」
千佳は大きな声で訊き返した。風のせいで隣にいる山梨の声がほとんど聞こえない。会話どころではない。唇の動きを読みとるしかない。
「千佳ちゃん、ゴーグルを」
山梨はそう伝えていた。そしてこう続ける。
「狙撃準備。目標は竜巻の中心」
反論する気は失せていた──やれと言われればやるしかない。千佳は横倒しになったタクシーに身を隠し、ライフルケースを手早く開ける。
山梨隊長は救助を後まわしにした。けれども千佳は救助を優先するべきだと思った。今もクルマの下敷きになって苦しんでいる人がいるかもしれない。それでも山梨から突きつけられた「ふたりで向かう」という現実に驚き、恐れ、流された。
私は──クズだ。助けを求める人たちを見捨て、かまいたちを骨にしようとしている。
父の声が聞こえる。
『好きなように生きればいい。自由でいいんだ。でも、もし誰かに助けを求められたら必ず応えなさい。しっかり“関心”を以って、真っ直ぐに人と向き合うんだ』
──お父さん。
私は……何をやっているんだろう。
千佳は唇を噛みしめる。
冷静になれ、私。
「千佳ちゃん!」山梨が耳元で叫んだ。
「あの竜巻もじきに消失する。その時がチャンスだ。必ず中にかまいたちがいる」
「本当にまた消えるんですか」
「あの強度だ。長く維持できないはずだ」
「白い制服の娘じゃなくていいんですね」
「そうだ。今は竜巻の中心を狙う。あれが消える瞬間に勝機がある」
──何も考えるな。私の役目は撃つことだ。
ここに銃があるなら、私は撃たなくてはならない。
「千佳ちゃん、あの中から何が出てきても撃つんだ。いいね?」
山梨は千佳の肩に手をかけて言った。
「何が見えても、躊躇なく引き金をひく。それが千佳ちゃんの仕事だ。ほら、そろそろ終わる」
山梨が言ったとおり、竜巻は次第に勢いを失っていく。空を支配していた青白い塔が、ゆっくりと崩れ落ちていく。だいぶ弱くなったとはいえ、それでも風は依然として強く吹いている。
千佳はスコープで狙いを定める。ジャミングの影響で電子デバイスが使えない以上、自分の腕を信じるしかない。
視界が開けていく。
竜巻が完全に消失する。
見えた!──え⁉︎
スコープの向こうに見えるのは小さな男の子だ。
まだあどけない、おかっぱ頭の男の子。
自分の手のひらを見ながら、何かを呟いているように見える。
「撃て」
山梨が小さく囁いた。
いったい私は何を見ている。
幼い子供?
さっきは女子高生だった。
違う、惑わされるな。
あれは、かまいたちだ。
どんな姿であろうと、あれはかまいたちだ。
人を切り裂き、森へと攫う妖だ。
私たちは“駆除”という名を借りたかまいたちの“狩人”だ。
あれは父の仇だ!
千佳は考えることをやめる。そして一度だけゆっくりと瞬きをする。
すべての神経が深い闇へと沈んでいく。
すべての光が動きをとめ、何も聞こえなくなる。
静かだ。
まるで世界が止まってしまったみたいだ。
身体が溶けてなくなるような感覚が千佳を包み込む。
自分だけがここにいる。この世界は私のものだ。
『風は読むのではなく見るんだ』
今では細かな光の粒子さえ千佳には見える。
その向こうに、幾筋もの輝きが流れになって見える。
風が──見える。
「さよなら」
千佳は静かに引き金をひいた。




