プロローグ 1 終わりの詩、はじまりの声
かまいたちは風の中に在り、風はいつも彼らのそばにあった。
彼らの骨は、彼ら自身を滅ぼす。
背反と慟哭の記憶──
これは、人と戦い、人を愛した妖怪──かまいたちの、生きた痕跡を辿る物語だ。
◇◇◇
みんないなくなってしまった。“壁役”の私を置いて。
それでもこの歳まで生きたのには、何か理由があるはずだ。
──記すこと。そうだ、今の私にはそれくらいのことしかできない。
契約を終え、長い年月が経った。
私は最期まで、私の愛した人の“手”に触れることは許されなかった。
その想いを、この命が尽きる前に、書き記そう。
“私”がまだ“俺”として生きた、若い頃の出来事を。
自分のため、彼女のため、そして彼らのために書き遺そう。
私たちが生きた“跡”が、たとえ誰かの目に触れなくとも。
それでも、もしこれを読む者がいたら、ひとつ願いがある。
あなたの記憶の片隅でいい。どうか忘れないで欲しい。
そして、ときおり、思い出してほしい。
“かまいたち”と呼ばれ、蔑まれた彼らが、力強く生きた痕跡を。
人に憧れ、人を愛し、私を堕とした1人の“女性”を。
忘れ去られ、消えていくことは、何よりも悲しく恐ろしいことだ。
これは彼らの物語だ。しかしそれは、きっとあなたの物語にもなる。
この物語をはじめる前に──私は私であることを終え、消えようと思う。
それはできうる限り、彼らに誠実でありたいためだ。
病室の窓には、今夜も灰色の月が浮かんでいる。
なあ、栄生。泣けるほど世界は何も変わってねぇよ。
鎌狩りは鎌狩りとしてかまいたちを狩り、
かまいたちはかまいたちとして人を攫う。
俺たちはいったい何と戦ったんだろうな──。
まあ、いい。どうせ答えはない。
さあ、そろそろはじめよう。
いまあるこの記憶を辿ろう。
背反と慟哭の記憶を。
◇◇◇
東の森、かまいたち王宮“玉座の間”は緊張に包まれていた。
家臣たちは床に顔を伏せ、父王の言葉を待っている。神妙な面持ちの者もいれば、薄ら笑いを眼前の床に向ける者もいた。
栄生は銀髪の髪を人差し指でくるくると回しながら、退屈そうな表情で溜息をついた。
「大袈裟なんだよなぁ……いちいち」
父は玉座から栄生を見下ろしている。その視線は、彼女の後ろにある何かを見ているようで、冷ややかだ。玉座の隣に立つ姉は俯いたまま、顔を上げようともしない。
『東の森かまいたち王国、第3王女・栄生……様。国王陛下より下知を下す、いや、く、下します」
年老いた法務官が、父の顔色を伺いながら、しどろもどろに声をあげた。
状況が状況だけに、言葉選びに戸惑っている。栄生は第3王女でありながら、今まさに、《人界》へ追放されようとしているのだ。
父の腰巾着が、法典を片手に冷や汗をかいている。
栄生はおかしくて、必死に笑いを堪えた。
法務官は消え入りそうな声で読み上げた。
「かまいたち王国・王室法第5条、人化及び壁役に関する規定第1項。王族を含むすべての個体は、満17歳に達した日を以て成体と見做すものとする」
人間界から取り入れたという和洋折衷の玉座の間に、神経質そうな声が響き渡る。
「第2項、人化の義務。成体と認められるためには、当該個体が完全なる人化転身を遂げることを要する。人化転身とは、自己の妖体を放棄し、恒常的に人間体として生存する状態を指す」
うわ、これってもう裁判じゃん……。
栄生はとくに見るものもないので、退屈しのぎに天井へ目を向けた。
そこには《開皇帝》と呼ばれる始祖が描かれている。銀毛に身を包んだ立派なかまいたちが、鋭い眼差しでこちらを睨んでいた。
絹糸のように精緻な筆致が、恐ろしい風の気配を閉じ込めているようで、子供の頃はこの絵を見てよく泣いたものだ。
「第3項、壁役との契約義務。王族は成体となるまでに、自らを守護する壁役を人間界より確保し、これと契約を締結することを義務とする」
栄生は黙ったまま、ぼんやりと天井を眺める。
あれ、始祖の名前ってなんだっけ……
「姫様、よろしいですかな?」
法務官が栄生に声をかけた。
よろしいも何もない。
延々と分かりにくい言葉で悪口を言われてる気がする。
栄生は天井の絵図をズタズタに切り裂いてみようかと考えたが、そこはぐっと我慢する。
この長たらしい悪口が終われば、晴れて人間の世界に行けるのだから。
「ええ、続きをどーぞ。ご老体」
一部の家臣たちがどっと吹き出した。
法務官は咳払いをしてから続きを読み上げる。
「第4項、例外の不存在。前各項に定める要件に関し、いかなる特例・猶予・免除もこれを認めない。よって──」
玉座の間の空気が変わる。審判の時である。
ああ、やっと終わる。
父王は立ち上がると、貫禄のある野太い声で告げた。
「“東森王”嬰円紫央が三女、栄生。現時刻を以って王族の資格を剥奪。人間界へ追放のうえ、以降は“鎌狩り”の駆除任務にあたることを義務とする──」




