富良原きよみの内定報告
内定を貰った。四日前に。
今の気持ちを文字に起こしておくかとノートPCの前に向きあったら、もう土曜日だと気づいた。今週何をやったろうと思い返すと他に何も出てこない。ただ、コントローラーをかちゃかちゃやって、神獣は三体解放できた。大学には行っていない。
申し訳ない。「何も出てこない」は嘘だ。
正午を過ぎる前に無理やり体を起こしたばかりのベッドを横目に見ながら、さっき読んだpixivのログまとめを思い返したが、私はどうも見切り発車で始める傾向にある。熟慮、熟慮。
今週は色々やった。内定が貰えると思っていなかったから申し込んでいた、学校主催の就職支援プログラムに参加するとか、何も興味がないのに無理やり受けていたIT系の会社の最終面接(二十分前に起きた)とか、色んな就活系サイトからの退会とか。
そうした作業が全部終わって、PCのブックマーク欄から「就活関連」タブが消えたとき。はたまた、カレンダーアプリで真っ黒にラベリングされた「就活」欄を真っ赤に変えて、「就活 The Final」に名前を変更した時。
四日の空白期間は何とも記憶を曖昧にさせるが、その時の私も何とも曖昧な気持ちだったろうと思う。
梅雨が始まる。部屋に放っては着てを繰り返している五百円のワンピースでは、寒い。
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一年前の私は、既に就活を始めていた。
売り手市場だ何だと世間が騒いでいるらしい大学三年目。昼時のニュースコメンテーターと氷河期世代の親が全く同じことを言っていた。「今の若者はいいね」だ。
勝ったと思った。
私こそが二年後に勝ち組になるエリートの、意識の高い、頭の良いやつだと思った。二つ根拠があった。
一つ目は、純粋な自信だった。
実際、私は学歴フィルターで有利になる側の人間だった。東大ではないが。
私はとにかく勉強ができた。幼少期から読書が好きで、3DSを持っていなくて、親と漢字ゲームで盛り上がるようなお嬢さんだった。当たり前のように「すごい感じの大学」に入った。
三年の初夏に説明会に行けば「早くから就活を始める、皆さんのような計画性のある人が欲しいですね」とか、友人だの先輩だのに話をすれば「えっ、もう始めたの?すごいね」とか。鼻が高かったから、帰り際に自己分析本を買った。
二つ目は、(これは何だか変に聞こえるかもしれないが)自信の無さだった。
私はとにかく勉強しかできなかった。特技に「勉強」と書いていたぐらいには勉強しかできなかった。面接対策用に「私の長所って何だと思う?」と七人ほどに聞いたのだが、五人は「勉強めっちゃできるよね」だった。
私は他に何もなかった。
中学生まで部活動はやっていたが、高校ではやっていなかった。
本当のことを言うと、一瞬やってハブられて辞めた。
表現が分からないので適当に言葉を創るが、私の「一匹狼病」が決定的になったのは、恐らくここだと思う。因みに、ハブられた原因は私が学年一位の成績を取ったのを、部活のリーダー格に目をつけられたからだった。
で、大学でもサークルに入らなかった。入らなかったと言うより入れなかった。
一瞬、お試しで意識高い系の活動をしているサークルに入ったのだが、気づけば行かなくなった。何でかは忘れた。
「就活では価値観をマッチさせることが大事です」
ヒュッとした。
「皆さん、学歴や外見などで自分を判断されるより、性格など中身を見て欲しいですよね?」
「就活は恋愛と似ています」
「あー。じゃあ無理かなぁ」
PCの前でぶつぶつ言いながら、内心冷や汗をかいていた。
これはあれだ。人より早く始めて、やっと人並みになれるタイプの作業だ。
私は自信の無さに自覚的だった。でも、だからこそ、人より時間を使って持ち前の勤勉さで就活をこなしていければ最終的には勝てると確信していた。
そんなわけで、私は前者半分、後者半分の気持ちでいると周囲に言いふらしながら、内心では前者九割の気持ちで就活に挑むことになった。
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恐れはすぐに確信に変わった。一週間と経たなかった。
多分、これは私が一番苦手なやつだ。
「勉強がすごくできるんだね」以外で褒められた経験のない自分の、学力以外のどこを見て採用したいなどと思うのだろうか。
卑下のようになっているが、これは非常に客観的だと思う。私は部活でハブられたのをいいことに何もやってこなかった。
まず遅刻癖が酷い。高校の朝会も、大学の一時限目も(ともすると四時限目さえも)間に合った記憶の方が少ない。高三に限れば、遅刻しなかった日なんてないんじゃないかと思う。時間だけでなく課題も同様。
それから、人と話せない。
先述の通り「一匹狼病」を患った私は、人に対して興味関心を抱かない人間になっていた。「オレ感情無いけど質問ある?」の類いではないと思いたいのだが、同類と言われてしまっても言い返しようが無い。残念なことに。話しかけられたら答えて、でも私からは特に聞くこともないからそれまでになって、それで終わりというのが典型的なパターンである。ちなみに、進路指導はいつも五分とかからずに終了しており、数少ない友人や家族にいつも不思議がられていた。
ボロだらけだ。
私は、人に全く興味を持ってこなかったことにひどく後悔した。特に、サークルくらいには入っておけば良かったと後悔した。
ただ、私はまだ余裕だった。
なんせ、学歴がすごく良かった。ユニクロのトータルコーデにブランドバックを引っさげたような滑稽さではあるが、周囲の環境を見渡して「どこに就職してあげようかな」なんて嘯くほどの余裕っぷりだった。
上記の後悔がより重みを持ってくるのは、絶賛片思い中の女の子に対してのあれこれなのだが、まあ別の話。
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始めに「入社してあげるよ」と馬鹿をさらしたのは、新聞業界とブライダル業界だった。とんでもない取り合わせだと今見て思うが、私はまずその二業界を調べた。
理由は単純で、何となく親近感があったからだ。
新聞はずっと家にあったし、私もかなりの頻度でそれを読み、己の知について長い鼻を更に長く引き延ばしていた。身近なもので関わりたいものと言ったらそれくらいしか思いつかなかったし、書くことが趣味なのもあって記者が天職に違いないと思い込んだ。あと、社会悪を暴く感じが金稼ぎっぽくなくてかっこいいかなと思った。
ブライダルについても近所に式場があったのと、同性婚について調べまくっていたのが起因して、よく分からない近さを感じていた。
で、全部落ちた。
より細かく言うと、新聞社は書類落ちして、ブライダルはインターンだけで選考に進まなかった。
後で知ったが、全国紙新聞記者の倍率はヤバいらしい。一人で適当に書いたやつがそりゃ通るわけが無いか、と思った。あと、新聞社主催のES提出前添削イベントに遅刻した。そりゃ通るわけが無い。理屈で納得できる分、まだこの時期は良い方だった。
ブライダルは、途中で何となくやめた。ちょっと思ってしまったのだ。「結婚できないやつが人の結婚を祝えるのか?」
無理だろ。
なんかよく分からなくなってきたので、逃げた。私は夏休みにかの「水曜どうでしょう」を真似て北海道をぷらぷら旅し、貴重な一ヶ月を潰した。面接で「バックパッカー経験」とかなんとか盛って話せたので無駄だとは思ってないが。
旅をしていると、やっぱり自分の取り柄は勉強しか無いのだから、院へ進んで学者になろうかと思ってきた。もしくは適当に書いた文字が新人賞を取って作家になれれば良いななんて思うようになった。
ちなみに、一瞬で諦めた。ゼミの先生に一旦相談してみたら、長期的な財政補助が減りまくっているせいで文系の学者は信じられないほど貧乏らしい。兄弟が下に控えているのにあと何年も親に頼るのは嫌だ。学者という選択は小さな頃からうっすらと長期的に脳裏にちらついていたものであったから、意外とすっぱり諦められた自分に驚いた。
次に候補に浮かんだのは、「なんかベンチャー」だった。
これは、私の情弱っぷりが招いた悪手だった。
旅を終えてその余韻にぼうっとしていた秋から冬にかけて、それでも進めなければいけない就活のために、私は色んな就活系サイトを見ていた。で、「無料ES添削」みたいなのに引っかかって、なんだか分からないままに、知らない会社の人に知らない会社について紹介された。
人材系とコンサル、ITなんかがあった気がするが何一つ覚えていない。言われるがままにスケジュールを組まれ、面接をして、何も用意していないから落ちた。いつか買った自己分析本は埃を被っていた。
あの時の私はどういう思考をしていたんだろうと思い返すが、他人かというくらい行動の指針が分からない。一個言えるのは、多分私は周りの人に関心が無いのと同様、自分に対しても限りなく関心が薄いのだ。無理やり書いたESは嘘の方が多かった。受験のエピソードがタブーとされているのが辛かった。それを書こうと思っていたのに「皆経験しているから書かない方が良い」って何だよそれ。
本当に何をしているのか分からないまま「こ、これも練習だよな」と思いながら面接でどもりまくり、落ちまくり。
年をまたぐ頃、私は布団から出られなくなった。
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就活鬱というやつである。今思えば。
顔の横で充電されているスマホに手を伸ばす以外、本当になにもできない時期が冬休みから二月の終わりまで続いた。因みに、この時期が早期選考のピークだったらしい。
行動もおろか、思考すらもぴったり止まっていて、この期間に関しては本当にこれ以上言うことがないので、早々に次の話をしたいと思う。
一般選考が開始される「就活解禁」時期と重なる次のフェーズは、「やっぱエリートになりたい時期」である。
旅前後くらい、つまり大学三年の秋くらいまでの私の考え方としては、「金稼ぎが人生じゃねぇよな」だった。私は優等生だったので、金を一番に考える思考はしたことが無かった。親もそういう思考だった。多分、私が昨今のコメ状況を憂いて農家になりコメ作りでもすれば、えらい鼻高々になるんじゃないかと思う。
NPOとかも一個受けていた気がする。落ちたが。
で、ここになって私はやっぱり勝ち組になりたいと思うようになった。
思考が止まった期間に人格が変わったのかもしれない。いや、うっすら憧れていた研究者が貧乏であるということを知り興味が無くなってしまった時点で、私はかなり金を重要視していたんだと思う。それ以外に説明のしようが無いのだが、やっぱり有名で、大きくて、モテそうな会社に入りたいと思うようになった。
とすれば、大学生が真っ先に思いつくものなんて一つしか無い。商社である。
面白いのが、学歴フィルターが強烈そうな会社ほどガンガン書類選考が通るのだ。あと、アルバイトという金を荒稼ぎしていたエピソードがものすごく「商社とマッチ」した書き方をできたせいか、「なんかベンチャー」期とは一線を画すような通過のしかたをし始めた。
で、全部落ちた。
GDか面接が始まった瞬間にほとんど落ちた。良いものでも二次面接で落ちた。
ここで残酷だったことは、いよいよ落ちた原因が分からないこと、ニュースで「内定者七割」と言われ始めたこと、就活鬱が完全回復したわけでは無かったことだった。
役満である。
ただ、もう病んでいる暇はなかった。今病んだら終わりだという焦燥が私をせき立て、学校の求人票だのスカウトの承認だのごちゃごちゃとやった。中小を受けて落ち、大企業を受けて落ちた。何が悪いのか分からなかった。学校の支援センターの予約はほとんど取れなかった。取れても褒められるばっかで、改善点が一つも見つからなかったから結局また落ちた。本気度が足りないのだと思って、「絶対入社する」とタイトルをつけた生徒に感心が薄そうなゼミの先生に「体調悪いの?」と言われたのはびっくりした。ただ、「今は採用氷河期だし、転職も普通な時代だし」とかニコニコフォローしてくるのは逆効果だから辞めて欲しかった。
商社から祈られたある日、鬱の原因が分かる出来事があった。結論から言ってしまうと、仲間がいなかったのだ。
その日はまた気分の落ち込みが酷く、ゼミに行けずに布団にいた。四月に入っていたと思うが、その頃には一時間に何回もメールを確認しないと気が済まなくなっていて、以前とは別の意味でスマホが手放せなくなっていた。
寝て起きてやることが無く、いや、できることが無く、私はソシャゲなんかをぼちぼちやっていた。
そしたら、急に涙が出てきた。
就活以外のことをやっていると泣きそうになるなという感触は前々からあったので、ついに決壊したかー。なんていう割と冷静な気持ちで私はスマホを床に置いた。
ただ、家族がいつ帰ってくるか分からないし(この時家には一人だった)、ずっとこれが収まらないわけにもなあと思ったので、私は高校時代の数少ない友人にラインをした。
なぜ高校時代かというと、就活をしている友人がそれしか思い当たらなかったからだ。ゼミの同期は全員留学中だった。バイトの同い年は美大の学生しかおらず、就活方法が違いすぎた。大学の友人は宝石商だったか何だったか、もう就職先が決まっていたし参考にならなかった。残りの友人は病院実習で忙しかった。
いっつも連絡が遅いくせに、こいつはその日に限ってクソ優しかった。
『就活やばいんだが』
『どうした』
『急に涙出てくるようになった』
『ヤバいか』
『まじか』
『面接近いんか?』
『明日』
『あー、詰めこみすぎたんだね』
『そうかも わからん』
で、気づいた。『周りに愚痴れる人いないから抱え込んじゃったのね』みたいなメッセージが届いた気がする。あー、それかと気づいた。声を上げて泣いた。この後、こいつに何か驕る予定だ。
その週か、次の週くらいか。
ダメだと思っていた会社から、最終面接通過の連絡が来た。
この時点では内定では無かった。入社条件に一個試験があって、それをクリアすれば確定?のようだった。
青天の霹靂。
正しい語法か自信ないので言い直すが、急転直下。
ゴロンゴロン転がって頭がフラフラのまま「は?」という感じで。とにかく私は来るはずないと思っていた通過連絡に目を白黒させていた。
試験は十日後だった。教材は家にあった。本来なら一ヶ月以上勉強しないと危うい試験である。私はフラっとルーズリーフを取り出し、左上に落書きした。ダラダラ汗を流した鳥のイラストを描いてから吹き出しを描き、『自己開示よりマシ』と言わせてみた。
「自己開示よかマシ……」
私は大学受験ぶりに、猛烈に勉強した。
私の驚くべき試験結果をお知らせする前に、この会社についての情報がもう少し必要かもしれない。
正直、大企業である。
どのくらい大企業かというと、私の通う大学名を言った時の周りの反応と、この企業に勤めていますと言った時の周りの反応はかなり似ていると思う。
いつか参加した、学校主催の企業説明会イベントで話を聞いて選考に進もうと決めた。いつもカレーかラーメンを食べている食堂で話すその担当の人がびっくりするほどプレゼン上手で、こういう人のことをエリートと呼ぶのだろうと思った。
そんな大企業に「選考、進んでもいいかな」なんて能天気な構えで向き合っていた気がするから、当時はもう半年以上前だと思う。
汚ない虹のように、「進んでもいいかな」が「進みたい」に変わり、「落ちたくない」になって、いつの間にか「もうここしかない」になっていたのだから驚きだ。今では、飛び込み営業だってサービス残業だって厭いませんという気持ち。まぁ、比喩だが。
どうしてこうなったんだろう。
で、試験の結果が出た。基準に足りていなかった。
最初の感想としては、「バグかな?」だった。
全体の七〜八割取れていれば良い試験だったはずなのだが。解いている最中、ほぼ満点だと確信していたのに。
何より、私はこれしか取り柄がなかったのに。
六月、ここでストックが全切れした。
大学の「就活リスタート」を謳うサポートプログラムのハガキが家に届き、それに申し込んだ。
それで決めようと薄ぼんやりとは思っていた。ただ、もう空だった。
選考を進めていた会社が無くなったと同時に、私の未来への期待も空っぽになってしまった。
傍から見た私には、落ち込んでいるという言葉が当てはまるのだとは思う。しかし、主観的に己を分析するとすれば、それは無関心だった。自分の将来に対してどうでも良くなっていたし、やりたいと思えることも無くなっていた。
一個だけ残っているものがあった。クソみたいなプライドである。
この間、私はスカウトなどを受けて幾つか中小企業を受けていた。あっという間に落ちた。
恐らくの原因は分かっている。クソみたいなプライドが私のやる気を削ぎ、力半分で面接をし、今思えば見下すような酷い態度を醸成していたのだ。
大企業病は良くないと、理性の全てが叫んでいた。己の価値観を分析し、やりたいことを考え、企業を探せと。自覚もできていた。だから、できるだけ色々な説明会に顔を出したつもりだ。
しかし、クソのプライドは自覚するだけでは消えてくれなかった。良くないよな、と思いながらzoomから退出し、選考を辞退し、また振り出しに戻った。
やりたいこともなく、プライドを満たす為だけに大企業に取り憑かれ、落ちてゼロに戻る。やる気が尽きるのも当たり前かと思った。数日、脈絡なく出てくる涙を堪えてベッドに寝転がる生活が続いた。
そしたら奇跡が起こった。
親世代に言わせればなんて大袈裟な、恵まれているくせに、エトセトラだろうが、とにかくこの時の私にとっては、天から垂れる蜘蛛の糸のようだった。
試験結果こそ振るわなかったが、例の大企業から呼び出しがかかったのだ。
よく分からなかった。
いや、冷静に考えればその試験は入社までに合格していればいいものだし、そう考えれば十日の詰め込み勉強でギリギリ落ちていた私は見込みがあると判断されたのだろう。でも、冷静な判断なんてできなかった私は「面接がもう一回増えるのだろうか」とか、「直接不合格を言い渡されるのだろうか」とか本気で思って、落ち込みながら満員電車に揺られたのだ。
洒落たビルの入口で待機されるよう指示された私は、シャツの袖がスーツから見えないのを何とかしようとウンウン引っ張っては諦めていた。
間もなく担当の聡明そうな社員さんが来て、会議室に通された。小さなペットボトルが置いてあって、水かお茶どっちがいいか聞かれたのでお茶にした。
最初に、志望動機などを改めて聞かれた。(あ、やっぱりもう一回面接するんだ)と思う一方で、そのくせ何も準備しなかった私はつっかえつっかえにキーワードを手繰り寄せながら話した。
「ありがとうございます。これ以上色々面接することは無いので安心してくださいね」
社員さんはにっこり笑って言った。
「よろしければ、私達と一緒に働きませんか」
「ヒュッ」
「内定です。おめでとうございます」
採用氷河期とか、内定複数持ちが当たり前とかいう時代に、六月にもなってその言葉で込み上げてきた。
「あっ。あーっ……。ありがとうございます」
超か細い声が出た。
「どうです?今の気持ちは」
「あー……。気を抜くと泣きそうですね」
「あはは」
社員さんがちょっと引き気味に笑った。ただ、紛れもない事実だった。幸運にも感情を抑えることができ(唐突な涙を抑える技術はここ数ヶ月でマスターしていた)、事務的な手続きをちょっと踏んで、ちょっとオフィスを見学させてもらってから帰った。
一時間と少しかかったはずだが、気づけば家だった。家族の誰に報告することになるのだろうと予想しながら扉を開けたが、ちょうど誰もいなかった。少し拍子抜けだった。部屋で片付けをしていると、鞄にイヤホンが突っ込まれたままだった。電車内でイヤホンをつけていなかったのか。いつぶりだろうと思った。
ベッドで植物状態になっていた数ヶ月と同じくらい、自分の気持ちが分からなくなっていた。ただ、一般的に考えて就職先が決まったというのはめでたい事だと思ったので、めでたいことにはケーキだという安直な考えで私は車を走らせた。
平日のケーキ屋は暇そうで、私がショーケースを眺めて品定めをしているとやっと気がついたように店員さんがやってきた。
自分用のタルトと、内定報告を切り出すきっかけ用の家族分の焼き菓子を買った。
家に戻っても、まだ誰も帰っていなかった。
誰も見ていないのをいいことに、ケーキ箱の中敷の、ダンボール紙を皿替わりに、少なくとも上品とは言えない状態でケーキにかぶりついた。隣にはさっき貰ったお茶のペットボトルを置いた。
一口食べて、二口食べる。
『私たちと一緒に、働きませんか』
あ、ダメだこれ。
ガシャっと音がするくらい乱雑に、私は食べかけのケーキを放って二階に駆け上がり、ベッドに体を投げ出した。
で、ここ数ヶ月で何回目か分からない、大号泣をした。
ただ、それは昨日までの、理由も脈絡もないそれでは無かった。
「あー。よかった、よかっだぁ」
『私たちと一緒に働きませんか』が何度も頭に木霊した。とりあえず数年は安泰だとか、周りにもう心配されずに住むとか、色々思うことはあったが、なんてったって湧き上がるように感じたのは、承認欲が満たされる音だった。一年かかってようやく、ようやく自分にすら無関心を通されるようなクソ野郎が認められたと、一緒に働いてもいいと思ってもらえたと。
安心して、すごく長い時間泣いた。ちょっとぬるくなったケーキは、案の定しょっぱくなってしまった。
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泣き疲れて気が抜けたのか、あの日から今まではゲームしかやっていない。できていない。で、今に至る。
試験勉強をまた再開させなければいけない。内定と言ってもまだこんなにグラグラと不確実なものなのだ、急がねば。
ここまで振り返って、今回得た教訓は何だっただろうと考えると、なんだろう。
パッと思いつくのは、仲間は必須だということだろうか。友人にしかり、先輩にしかり、仲間がいない就活で精神を保ったまま成功できる確率はかなり低い気がする。特に就活が苦手だと感じる場合。周りに誰かしらいないと、生物らしい気力がどんどん減って植物になる。残酷なことに、エリート様ほどプライドだけ残ってしまう。
あぁ、次に思いつく教訓は「大企業病に効く薬など無い」という事だろうか。もちろん、人によるのは前提だ。ただし、特にやりたいこともなく、受験やその他で成功してきたように勤め先でも成功してエリートになりたいとだけ思っている人で人間的にチーズな部分がある奴は、きっとこれに悩まされる。自業自得だろうが。
ここまで卑屈たっぷりの考えを露呈しておいてなんだが、大企業に運良く受け入れてもらった私は、何だかんだ就活成功なのだろう。
だからこそ、ここまでの卑屈さが理解し難い人も多いかもしれない。いや、きっと多い。
だから頼む。君の、他の誰かの苦しみと相対化させて私のこれを過小評価しないで欲しい。私だって頑張ったんだよ。「採用氷河期」の中、恵まれた環境で失敗を重ねる情けなさを露呈しながら。
情けないのは承知だが、私はまだ誰かに認められたりないのかもしれない。
できれば祝ってほしい。望むのはそれだけだ。
カクヨムでも投稿予定です。同じ名前です。好きな方で読んでいただけますと。
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ここまで読んでいただける皆様ならきっと仲良くなれると思います。
では。
就活一段落でTRPGを再開しようと画策する富良原より