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最後の異世界転生譚 ――Echoes Beyond the Aurora Manuscript――  作者: 莞爾
12 災禍の龍 後編

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94話 天秤剣は悪に傾いた



 次女アーミラを奮い立たせ、孤軍奮闘するウツロとの合流を目指すガントールは、いざ災禍の龍を間近に対すると肌が粟立つのを感じた。

 本能が鋭敏に危険を察知している……彼女の直感が外れたことはない。


 一撃だった。

 龍はたった一息で生まれ故郷を吹き飛ばし、景色を様変わりさせた。


 そんな圧倒的な存在に対し、討伐に挑む――正直なところガントール本人にも天望はないのだが、かといって逃げ帰るつもりは毛頭ない。


 例えここで斃れるとしても、覚悟はできている。


「さて……」ガントールは呼吸を整えるように微かに俯き、天秤の柄を握り直す。「――やるか」


 浮遊する龍の足元、ガントールは剣の先を地面に突き刺し斥力を発生させた。踏み固められた地盤が軋み、地鳴りが響き渡る。これは強烈な重力操作によるものだ。対象物である災禍の龍を中心とした領域は、天秤の権能によって下方へ押し潰されようとしている。


 初めに落ちてきたのはウツロだった。下へ引き寄せられる力に抗えず攻撃を中断して力場の範囲外へ斧槍を振ると、体勢を整えてガントールの側に三点着地する。


「邪魔をしてすまない」ガントールは龍を見上げたまま言う。「足止めをしたくてね」


 空に浮かぶ龍の爪先が少しずつ地面に引き寄せられている。傷から絶えず流れる血が重力に促され足を伝って滴り落ち、いかりを引きずる鎖のように地面と龍を結んでいた。

 少しずつ高度を下げた爪先はやがて座礁し、足裏が土を踏んだ。


「まだだ」ガントールは全身に力を込めてさらに斥力を強める。


 どういうわけか、山を消し飛ばしてから災禍の龍は沈黙している。頭上に飾った光輪も消え、第二波を放つ様子がない。それでも、ウツロが単身で挑んでいたときは腕を振り追い払うだけの意思はあったように思うが……。


「ウツロ、あれはどうなってるんだ?」


 ガントールは具体的な返答が返ってくることを期待していない。度々こうした問いを投げるのは彼女の癖だった。が、不思議なことにウツロは今回も、期待以上の答えを返す用意があった。


 斧槍の石突の方で地面を削る。


 ――龍は山を喰んだ。


 ガントールは文字を読み流し意味を掴みかねた。もう一度文字を目でなぞる間にウツロは続く言葉を書き連ねる。


 ――魔力を放ったのではない。世界を飲み込んだ。


「なんだと……!?」


 ガントールは意味を理解すると霹靂のように臓腑に雷が走った。

 認識に齟齬があったのだ。

 ウツロが伝えているのは災禍の龍が発した一瞬の光について……頭上に現れた光輪は確かに攻撃の予兆に間違いない。だが、マハルドヮグの山を抉った光は放たれた魔呪術マギカではなかったのだ。


 あの一撃は世界を吹き飛ばしたのではなく、齧り取ったのである。


「……じゃあ今は咀嚼中だっていうのか?」


 冗談じゃない。とガントールはウツロを詰るが、責める相手が違うと言いたげな襟元の虚無がガントールの視線を闇に受け止めている。その沈黙が答えだった。


 ぎり。と奥歯を噛み締め、ガントールは龍を睨む。

 どこまでもふざけた真似をする。ウツロの攻撃もただ目障りな小蝿くらいにしか思ってないのか……? 私の重力魔法も意に介さないって?


「舐めるなよ――」


 怒髪天を衝くガントールの力場はいよいよ地盤を破壊し、岩盤層をさえも圧砕して足元を沈ませた。彼女の瞳に宿る闘志は見るものを火傷させるほどに燃え盛り、同時に芯から痛むほど冷たく鋭いものだった。それこそ、龍が脅威を察知して首を向けたほどだ。


 ガントールはこのまま奥義の詠唱に入る。途中、災禍の龍は地に着いた足を持ち上げ踏みつけようとしたが、ガントールの纏う斥力が足裏を跳ね退かし、朗々とそらんじてみせた。


  天秤剣あまのはかりのつるぎは悪に傾いた。

  我がたなごころゆる魂魄をすくたまへ。

  善の上皿うわざら昇るならば、

  我のちかいあたう裁定をはたし給へ。

  この剣を振り上げし時、

  我は科人に永久の生を祈らん。


 この詠唱は獣人種である長女継承者に伝わるもので、ガントール個人が構築したものではない。獣人種はこうした魔呪術に適性を持たない種族であるため、唯一の詠唱を伴うこの術式は、故に奥義に相応しいものである。


 楔のように突き立てられていた剣は唱えた言葉に呼応して、ふわりと宙に浮いた。一度ガントールの周りをくるりと踊り舞うと術式の行使者を示し、星の重力から切り離されて静止する。


 鍔の飾りの上皿が鈴のようにりんと鳴り、龍に向かい引き寄せられ、吊り合いを保って止まった。その次に刃が――まるで重力の中心が災禍の龍であるかのように――首へ向かい真っ直ぐに落下を始めた。都合ガントールから見て、剣が空へ飛翔することになるが、術式の効果が発動している今、剣は間違い無く落下しているのだ。


 刃がその首に向かい着地を目指すという単純なことわり。それは必ず斬首を成し遂げるという逃れられぬ断罪となる。しかし龍から見れば天秤の剣は小さく細い針か小石にしか見えないだろう。図体の差は歴然であり、指で摘めば済む話……とはならない。


 先代長女継承者達が磨き上げ、戦の中で紡いだ天秤の物語は言葉通りの奥義なのだ。ガントールが唱えた言葉は物語構造の中に天秤の機巧を備えており、立ちはだかる理不尽を均す神力が込められている。眼の前の巨悪に天秤が重く傾けば、もう片方の善を乗せた皿は上へ昇る。この逆境において長女継承者は失われてしまう命を掬い上げ、善の皿に上乗せすることで均衡を保つように摂理を捻じ曲げる力を生み出すのだ。


 つまり、軽やかに空へ吸い込まれるように落下する断罪の剣は、災禍の龍が持つ質量と同じ重さを備えて首へ落ちている。

 過剰な質量と鋭い剣身が空を切り裂きながら加速し、受け止めようと広げた龍の掌に鋭く沈み込み貫通した。


 首への一刀は勢いを失って、浅く掠めた。そのまま後ろに突き抜け減速。重力の軌道は再び落下へ転じる。

 あまりの威力に流石の龍も防衛本能が働くのか、侵攻は止まり身を退け反らせて回避に忙しくしていた。


 重力とは――この世で最も平等で逃れることのできない呪いである。


 何度弾かれ打ち上げられようと、剣は着地を目指し首へと落下する。


 あとは次女と三女が揃いさえすれば、望みはある。

 望みはあるのだ。





 その頃、アーミラは戦場に立つオロルを見つけ、合流を果たした。

 あのとき災禍の龍の攻撃の予兆にいち早く気付き、「伏せろ」とアーミラの身を案じたオロルは、当然己の身を守る猶予があった。衝撃波に視覚を奪われて吹き飛ばされてしまったために互いの行方がわからなくなったものの、二人揃って戦闘継続に問題はない。ただ仕留めるための決定的な一打に欠けているため、今はガントールの言う通り打開策の立案を急ぐこととなる。


 二人はガントールとは少し離れたところに杖を置き、その宝玉の内側に広がる驚異ヴンダー部屋・カンマーの上階書架の間にいた。


「砲撃では仕留められんな」


 オロルは杖内部に避難するとアーミラを柱時計に乗せ、時の運行を緩めて仕切り直すように状況の整理から始める。外界と切り離された書架の静謐は平時から時が止まっているような空間であるために、オロルの術が効いているのか不安になる。アーミラは扉に設けられた欄間らんまを覗いては窓外の景色が動き出してはいないかと確かめていた。


 オロルは続ける。


「まずもってわしとガントールの奥義では龍討伐は望み薄じゃ」


 時計に腰掛けたままびくりと背を伸ばして、アーミラはオロルの顔を伺う。


「砲撃が通用しないのなら、弓兵としての私も役立たずでは……?」


「『弓兵として』はの」オロルはアーミラの言葉を強調して否定した。「神器に備わる奥義の術式はその限りではない」


「オロルさんの、柱時計の奥義は……」


「戦闘向きではない」きっぱりと答えた。「三女の神器は未だ謎が多く扱いきれん。いたずらに時を操ったとて、制御できなければ意味がない」


 長女継承者の天秤は一対一の力の差をならす――騎士道精神に則した奥義であり、その先の勝敗は継承者の獣人種の娘の気概に依存する。……ガントールが行使しているところを目撃したわけではないオロルは、あくまで知識として先代からの奥義の全容を知っているに過ぎない。今こうして足止めをしているガントールも、龍相手では押し留めるのが限界だろう。

 三女継承者の柱時計もオロルの言ったことに嘘偽りはない。時間をどうこうしたところで直接的な火力には結びつかないのだ。アーミラとしては柱時計の奥義の効果についても知りたかったが、奥の手を話す気はないのだろう。

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