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最後の異世界転生譚 ――Echoes Beyond the Aurora Manuscript――  作者: 莞爾
11 災禍の龍 前編

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89話 綺麗だったのに

「……その記憶は確かなのか? ラーンマクからスペルアベルを経由して、涸れ井戸の中を歩いたのか……?」


 オロルの問いは、思い違いであってくれと頼み込むような圧があった。


「私は……」


 アーミラは言葉に窮した。オロルがそこまで言うからにはそれなりの説得力がなければ意味がない。だというのに、この荒れ果てた戦地ではめぼしいもの、昔と変わらずそこにあり続けるものを見つけることができない。


 それでも、この景色を眺めていると望郷の想いが溢れてくる。

 朧げな風景の面影や風に混じる独特の臭気。肌の汗ばむ日の光。それら印象の集まりが言葉にできないままに胸に迫る。

 果たしてアルクトィスでも同じ感覚に襲われるのかはわからない。ただ、内側から何かが訴えるのだ。『ここだ』と、『ここなんだ』と。


 少し離れたところでは首のないウツロがこちらに体を向けて静観している。

 また別の所には禍人だろうか、同じく首を失い倒れている。

 首のない二体の存在が、言外に示すイコンのようにアーミラの目に映る。


 ――首、首。……首が痒い。


 アーミラは知らず呼吸が浅くなり、長い髪に隠した首元に指を差し込んで思うさま掻き毟る。視界は目眩にぐるぐると廻り、白く掠れる意識にウツロの首と禍人の首が代わるわる明滅しながら既視感を伴って飛び込んでくる。そして全身を襲う死の恐怖に平衡感覚を失って、膝から崩れ落ちて頭を抱えた。


 混乱している表層の意識の奥でどこか冷静なもう一人の己がいた。

 この真に迫る死の恐怖は何なのだろう……平原で死を経験したのが原因なのだろうか。ならば恐怖と同時に去来する懐かしさの正体は……?


「思い出せ」オロルの言葉。


 手放した杖がごろりと転がる。

 両手で首を抑え地べたにへたり込んだアーミラの背中に向けて、オロルは憑き物を祓うように繰り返す。


「思い出せ。お主が師と慕う者の顔を」


 アーミラは目を瞑り、師の顔を思い浮かべる。


 髪を引っ詰めに束ねた丸い額に細い顎。

 厳しい視線と固く閉じた唇。

 顔を構成する目鼻立ちの一つ一つは鮮明に思い出せたが、かお全体を思い浮かべようとするとマナはくるりと背を向けてしまう。

 すらりと背筋を伸ばし先を歩く姿は、流浪のときから見慣れたものだ……いや、いやいや……お師様はもっと老齢だったではないか。……膝を痛めて背も曲がり、歩くことも厭うていた……この人じゃない。


「思い出せ。お主の記憶に鍵をかけた者の姿を」


 アーミラは頭を振って絞り出すように記憶を辿る。


 痩せぎすで皺だらけの老婆の姿を思い浮かべる。ナルトリポカの集落の外れ、誰も寄りつかない寂れた教会堂で師は横たわり、私は傍で手を握っていた。

 あの日、あの時の、お師様の声が聞こえる。


 『流浪の民とは、異なる……まつろわぬ者が、お主と出会う……その、ときには……婆はしんだと……つたえておくれ……』


 そう告げると師はゆっくりと褥から上体を起こし、見る間に老いを削ぎ落として立ち上がる。そして若く美しい姿でアーミラを見下ろす。

 どこか焦燥を隠した硬い面持ちは、どう見ても齢二十に届くかどうかの姿だった。若かりし頃の姿となって現れる彼女は、確かに師の面影を重ねてよく似ていた。


 オロルは問いかけを変える。


「思い出せ。師とともに何をしていた?」


 ――この地で、お師様と共に……歩いていました。ずっとずっと。

 何かに追われて、私たちはそれから逃れるために走り、追手を振り切ると走るのをやめて、歩き続けて……。


「……私、ここで死んだんじゃなかったっけ……」


「……はぁ?」


 素っ頓狂なオロルの声は遠く、アーミラの自我は頭の中、ある一点に向かって吸い込まれていく。


 その一点とは深層の意識にぽつねんと存在するはこ


 失われていた記憶が収められた匣だ。その蓋が開かれ、意識は引力に抗うこともなく、吸い込まれるようにアーミラは気を失った。





「アルミリア……っ」


 光弾飛び交う前線の一劃いっかく。ぐったりと地に横たわる少女と、そばで嗚咽混じりに呼びかける女がいた。二人は共に青白い肌に尖った耳、そして額には対の頭角を持つ――いわゆる禍人種である。

 女の年齢は判然としないが外見で推察するならば二十よりも少し手前だろう。少女のほうは歳は十を数えるほどか、まだまだ幼さが残る。とても戦地には似つかわしくない姉妹とおぼしき二人だった。


 女は目に涙を溜めて何度も何度も少女に呼びかける。しかし蒼白となった少女は揺すられた身体もだらりと垂れて、砂質の地面に赤い染みを広げていた。

 戦場から放たれた魔呪術の流れ弾が、少女の小さな身体を焼き貫いたのだ。


「アルミリア! 頼む……死ぬな! アルミリア……!!」


 少女は女の声に瞼を開くと、霞んだ両目を女に向けた。

 左脇で膝を折り、心配そうに見つめている女は、何度も何度も名前を呼ぶ。縋りつくような青灰色せいかいしょく双眸そうぼうは涙をためては溢れ、顎を伝って襤褸ぼろを湿らせる。


「マ……ナ……? そこにいる……?」


「ああ、いるとも……っ」


 マナと呼ばれた女は少女の小さく冷たい手を握り、悔しそうに唇を噛む。魔鉱石があれば止血くらいはできただろうに、今の二人は着るものも満足になく、治癒術式さえままならなかった。

 このままでは少女の命はないだろう。


 女は忙しなく辺りを窺っている。

 幸いにも戦火は二人から離れつつあった。流れ弾こそ四方を掠めて行くが、何処かに骸を調達できれば、懐の魔鉱石を拝借できるかも知れなかった。


「……アルミリア……ごめんね、あんただけは必ず助けて見せるから。

 絶対、絶対に死なせないから……待っててね」


 決意を固め、女は少女の手を離す。そしてどこかへ向かって駆け出すと、少女はゆっくり目を閉じてしまう。


 事切れた少女の意識が次に目覚めたとき、一体どれほどの時が経ったのだろう。天上にあった太陽は消え失せて空は雲一つない星空が広がっていた。

 少女が目覚めた事に気付き、女は顔を覗き込むように視界を覆った。


「……マナ? ……あれ――」


 ――声が変だ。と言おうとした少女に、女は抱きついた。あらんばかりの力で抱きしめるので少し体が痛いけれど、それだけ心配をかけてしまったのだと理解して、今は女の肩に鼻を埋めてされるがままに身を任せる。


「よかった……、本当に……」


「うん」


「私一人じゃこの先へ進む意味がないんだ。あんたが無事でよかったよ」


「うん……」


 女の言葉の真意を測りかねたが、少女は深く考えずに頷いた。

 ひとしきり無事を喜び、ようやっと女は抱きしめる力を緩めた。互いの顔を見つめ合い、少女はあれ? と、問いかけるような顔をした。


「マナ、角どうしたの……?」


 そうたずねると女は照れたようにはにかんだ。


「集めてきた魔鉱石だけじゃ足りなくてね、身を削ったってわけさ」


「そんな! 綺麗だったのに……」


「いいんだよ。役に立ったなら額のいぼも本望さ」


 気に病む事じゃないと女が微笑むので少女も笑みを返す。

 二人には確かな絆があった。


「じゃあ、私のをあげるね」


 少女が冗談を言うと、不意に女の表情は曇る。言いづらいものがあるときに人が無意識に行う動作をした。

 女は静かに息を吸い込み、溜めて、俯いたのだ。


「それが、アルミリア……あんたのも無くなったんだ」


「え」


 少女は驚き額に手を伸ばす。しかし己の手が眼前に映ったとき、おや、と額へ伸ばすのをやめて見つめた。


「私の手……こんなだったっけ……」


 よく見れば纏う服も襤褸ぼろは襤褸だが見覚えのない布に着替えている。全身がまるで他人の体のように思えて、少女はぺたぺたと輪郭をなぞる。事実その体は他人のものだった。

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