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最後の異世界転生譚 ――Echoes Beyond the Aurora Manuscript――  作者: 莞爾
11 災禍の龍 前編

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87話 兵戈として



 平原に雨をもたらした雲は季節風に流され、陽は足早に山の稜線へ隠れていく。

 未練がましく西陽を睨むアーミラは、スークレイと共にウツロに連れられて、ニールセンのいる場所を目指していた。


 多くの命が失われた激動の一日が沈みつつある。

 生き残った者達に称賛もなく、夜が訪れようとしている。

 あれだけのことが……全て今日の内に起こった出来事なのだと、アーミラには未だ実感が湧いてこなかった。


 気持ちの整理もつかないのに、世界は待ってくれない。

 どこか腹立たしい思いでアーミラは沈み行く太陽を見つめた。こうしていれば日没が速度を緩めてくれるのではないかと期待して、せめて熱に浮かされた心が落ち着くまで待ってはくれないかと睨むのだ。


 突き詰めれば、この腹立たしさは己に向かっていた。

 生き残ったことに対する形容し難い罪悪感があった。


 神殿の出征式典で行われた『心像灯火の儀』によって、継承者の三人はほぼ無尽蔵に治癒の恩恵を受ける。アーミラが戦闘によって負った傷も特段の手当を必要とせず、歩きながらに完治しつつあった。剥がされた顔も、穴だらけだった腹も、今は痛みもなくなっている。それが何故だか、無性に腹立たしいのだ。


 自分だけが生き残る恐ろしさ。

 あの邸の戦闘は、全力だった。死力を尽くしていた。

 戦いに決着がついた後、無念にたおれた兵達がいる中で自分が生き残ったことに安堵し、次に申し訳ない気持ちに襲われた。

 決して死にたいわけではないが、置いていかれるような寂しさが拭えなかった。


 ――ウツロはこんな思いを、二百年の間に何度経験したのだろう……。


「ニールセン!」


 スークレイの声に思考が中断され、アーミラは顔を上げる。


 ウツロの示す先に討伐隊の遺体が転がっていた。総勢二十三人のむくろ……その輪から少し離れたところにニールセンを見つけた。


「息は……」


 駆け寄ったスークレイは面皮の剥がれた彼の口に耳をそばだてる。微かに頬の産毛を撫ぜる呼吸を認めて、目を潤ませながらあらん限りの治癒術式を施した。


 見守るウツロの佇まいもどこか安堵しているように見えた。

 胸を撫で下ろすように、強張っていた肩の板金が下がる。


「よかったですね」


 と、アーミラはウツロに言う。言った後で「まるで他人事みたい」だと内省する。対してウツロは我が事のように頷いた。失われた首にもしも人の顔が備わっていたなら、ウツロは物悲しくも切ない微笑みを返したかもしれない。


 まるで心があるみたい……アーミラはもう何度目か、ウツロに対して思う。初めてそれを伝えたとき、ウツロは何と答えたか。


 『対象に心があるのかどうかについて、それは観測者側の主観に依存するだろう。その場合、俺が人であるか。ではなく、君が俺を人と見做すかが重要だ』。


 ……ウツロの言葉に従うなら、アーミラは初めから彼を人と見做していた。いや、人以上に心通じ合うものと思い、その気持ちは変わらない。

 だが今は、噛み合っていた歯車が軋み、すれ違い始めているように感じられた。


 ウツロが人らしく思えるのと反比例して、自身の心がどこか希薄に思えてならない。ニールセンの無事を祈る二人から一線を引いて、アーミラは冷めた瞳でラーンマクの防壁を眺める。


 ついにここまで辿り着いた……私は何でここまで来たんだっけ。


「誰かを護る……兵戈として」自問自答に呟く。


 私に求められているのは、敵を殺すこと。ただそれだけ。

 これが私に科せられた使命……私という存在の価値……。


 目を覚さないニールセンを担ぎ、スークレイは邸へと引き返した。

 体内に潜んでいるトガに動きはなく、おそらくは偽者――ウツロ曰くそのトガは『ハラサグリ』と固有の名があるようだ――を討伐したときに活動を止めたようだ。群生の主を失ったハラサグリは呪的な結び付きを失って休眠したか、あるいは消滅したとみえる。


 望みは繋いだとスークレイは礼を言って、ここから先の健闘を祈ると名残惜しさもなく急ぎ復路に去る。彼女の背に一人の命が、いや、平原の行末が懸かっている。


 アーミラとウツロは防壁の側で野営やえいし、ラーンマク入りは夜明けまで待つことにした。厳戒態勢の前線に於いて、夜は何より貴いものだ。門を開くにしろ飛び越えるにしろ、無用な物音を立ててしまえば衛兵は鐘を鳴らし、戦士の休息を奪うことになる。


 何よりアーミラの疲労も限界であった。

 出がけにナルから渡された有り合わせの食糧を晩飯に腹に収めると、倒れ込むように寝そべり、見張りをウツロに任せて昏昏と深い眠りについた。この地で失われた命と添い寝をするようだった。





 一夜開け、アーミラが目を覚ましたのは門衛が番に立つ頃だった。

 重い扉がゆっくりと開き、二人が分離壁の中に入ると一旦は壁の内側に閉じ込められる。


 防壁は分厚い建造物で、途方もない数の煉瓦によって国境を隔てていた。壁の中は二重の門が設けられており、アーミラとウツロは手前側の門から入り、ラーンマク入りするには奥の扉が開放されるのを待たなくてはならない。


 暗闇に閉じ込められたウツロは、欠伸を手で隠すアーミラをじっと見つめていた。


「歯車の音がしますね」と呟く声が密室に反響して、次第に鎖が巻き取られる音にかき消される。奥の扉が機巧によって力が伝わり、細く外界の光が差し込んだ。


 前線の防壁を潜り、二人はラーンマクの土を踏む。

 眩しさに目を細めていたアーミラは、言葉もなく立ち尽くす。

 踏み固められた土の窪みに雨水と血が流れ込み、不気味な景色を形成している。


 目の前は赤い干潟ひがただった。


「これが……国? ――いや、こんなものが……?」


 思わず気を失いそうだと言わんばかりにふらつき、アーミラは目の前の光景を眺める。

 古傷が疼く首を、やや乱暴に掻く。皮膚の下をまだ何かが這っているような掻痒そうよう感があった。


「こんなの、どう見ても……」


 失地している。


 何を持って国が落とされたと判断するかはアーミラにはわからない。ただ、眼前の荒涼とした土地に建物は見つからず、剣呑とした空気が満ち満ちている。これではこれでは国家など、立ち行かないのではないか。


 人々が生活を営む領土を国と呼ぶのだとアーミラは無意識に思い込んでいたし、ここにはそれがないと感じていた。

 だが、戦時下の国というのは敵国と接している前線だけが混乱に廃れるわけではない。比較的に内地側に寄っている地域だろうと輜重しちょうを運ぶ要衝は必ず戦端を開き、四代目国家ラーンマク、デレシス、アルクトィスの三国は領有地全土を二百年の戦火に焼き尽くされ進退に踏み荒らされている。それでも尚、この地は厳然と一国として数えられる。軟弱な内地の平穏があるのは、これらの国があってこそなのだ。


 すれ違う戦士も歴戦の猛者ばかり。一目見れば強者とわかる威容を保ち、野天の下、我が物顔でこの地での朝をそれぞれに過ごしている。戦場の掘に横臥おうがして、傷の絶えない身体に包帯を巻き直している者。懐の干し肉をしゃぶりながら持ち合わせの魔鉱石を確かめる者。篤い信仰に祈りを済ます者。彼らは継承者の法衣を認めても特段の驚きはない。ちらと瞥見べっけんし、横を通り過ぎるアーミラの顔を見て、すぐに支度に戻る。


 日が昇ればどちらともなく殺し合いが始まる。

 決まった一日の流れを淀みなくなぞるだけの生業なのだろう。生きる喜びだとか、そういった月並みな世俗とは遠く離れて、身も心も戦場に置き続けている彼らの瞳は、よく研がれた刃物のようだった。


 以前のアーミラなら、そそくさと彼らから逃れるように足を早め、ウツロの背中に隠れていた……けれど今は、違う。

 彼らの視線を背に受けても、ただまっすぐ前を見据えていた。静かに後ろをついて歩くのはウツロの方だった。

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