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最後の異世界転生譚 ――Echoes Beyond the Aurora Manuscript――  作者: 莞爾
11 災禍の龍 前編

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83話 まさか龍ではあるまいな

 次女継承者アーミラを中心とした者達の活躍によりスペルアベル平原の動乱は平らげた。しかし、向かう前線では長女継承者ガントールの消息は依然として不明。この地を任され、一人残されたオロルに訪れた試練の顛末についてもここで語らねばならない。


 時は少し遡り、四代目長女国家ラーンマクにて。

 曇天の空は今しも雨粒が砂埃に混じり、荒れた戦場の景色を気休めに癒し涼風を控えめに飾る。


 戦場は巴のごとく敵味方が入り乱れ、奪い合う陣形は卍を描いていた。前線の中で誰もオロルを感知しない。視線を向けられ見つめ合う敵でさえも、静止した時間のなかでは眼差しが交差していることを知る由もなかった。


 オロルは引き伸ばされた時間の中で腕を組み、おとがいに指を添えて、前方に立つ敵にじっくりと視線を注いでいた。


 普段のオロルといえば不遜な振る舞いが目立ち、己の背の低さもお構いなしに相手をつんと鼻越しに見下ろすような態度であるが、それは油断や慢心を意味していない。唯一与えられた長考の時間と鋭敏な警戒心が彼女にはあり、常に勝機を見出してから先へ進む。オロルという人間は、石橋を叩いて渡るが如く、紐解けばこの世の誰よりも手堅く賢人種の血を窺わせる質である。隠した努力に裏付けられた自信に由来する超然とした物腰は、彼女特有の魅力であり、継承者の姉達はそのどっしりと構えた姿に背中を支えられていたものであった。


 当然、此度現れた見慣れぬ敵に対しても、オロルは十分な警戒を怠らない。


 こちらに向かい脚を前に踏み出したまま動きを止めているその敵は、オロルとは対照的な体躯を持ち戦場に現れた。


 ほっそりとした体に常人の倍はあろうほどの長く伸びた手脚が揃い、草臥くたびれた布の鎧を纏う。その襟から伸びた首は長くしなりがあり、末端に据えられ徒花あだばなのように揺れている人面は窶れた女の顔立ちであった。落ち窪んだ眼窩に影を抱えた双眸は一点を射抜き、長い黒髪が吹き荒れる風に流れている。

 まるで蒲柳ほりゅうの質の者が病床から起き上がり、敷布を身にくるませてこの場に迷い込んだようだった。だが、その者が持つ余裕の挙措、悠然とした歩みは、病弱なる者のそれではない。むしろ死を連れ歩き病を先導する悪鬼である。


 引き伸ばされ、堰き止めされた時の中。誰もが指先一つ、思考の刹那先へ進むことのできない世界で……それでもオロルは息を呑む。


何者なにもんじゃあ……あいつは……」


 禍人種にしては異形。だがトガにしては人に近しいその姿は、戦場に躍り込んできた客人まろうどではなく、この前線を縄張りとする主のような振る舞い……もし禍人種にも何かしらの権能けんのうを賜る者がいるとするならきっと奴がそうだと、オロルは理解する。

 継承者がこの戦場において無二の存在であるように、奴もきっと同種なのだろう。


「まさか龍ではあるまいな……」


 静止した領域で敵はまだ遠く距離があるが、目を凝らして望めば日に晒している肌は鱗のような光沢があった。腰に留めている布鎧の裾からほっそりとした青白い脚とともに長い尾が垂れている。

 頭角に長い尾、これで翼まで揃っていたらなら、書物に記され人々に口伝する龍と言えるのだろうが、目の前の敵は翼が欠けていた。

 例えるならその姿は半人半蛇というべきか。


 ふむ、とオロルは少し考え、「……敵に倣うか」と呟いた。


 奇襲を狙う――とりあえずの方針を決めた。とはいえ敵はすでにこちらを見据えて向かってきているため奇襲とはならないが、不意を打つ手段ならいくらもある。例えば、静止しているうちに術の構えを済ませておくだけでも先手を取ることができるだろう。

 敵は得物も携えていない。恐らくは魔呪術と体術の近中距離が間合い。こちらは踏み込まれる前に先んじて魔術を放つ。効果があれば頂上。なければ次を考えればいい。


 一度、着飾った魔鉱石の残量を確かめる。前掛けに縫い付けた鉱石の輝きは随分失われてしまったが、目算で強敵一人仕留める分は優にある。


 覚悟を決めて、オロルは両手の指を内側に組んで前に構え、親指を合わせてできた三角の穴から敵を覗く。手印による術式の構築である。時止めを行っている今は魔力を注ぐことができないが、狙いを定め、オロルは大地に脚をつけた――時は動き出す。


 時が動き出すと同時に柱時計から光線を射出。真っ直ぐに伸びた光が迸りオロルと半人半蛇を直線で結んで貫いた。後に遅れて衝撃が輪を描き広がると、光線の後を追いかけて土を抉った。


 目で追うこともできない細く鋭い光線。不意をつかれれば回避できるものはいない。射出したとき必中を確信したオロルには手応えがあった。


 砂煙の中で敵の影に風穴が開いている。逆巻く爆風に鱗が舞ってきらきらと光を跳ね返し、オロルは肩の力を抜いて息を吐いた。


 ――なんじゃ、呆気ない……――そう思ったときだった。


 殆ど一瞬にして、眼前に半人半蛇の敵が迫っていた。

 鋭く尖った爪が眼前に突きつけられ、あと少し、ほんの刹那、時止めが遅れていたならば、間違いなくオロルの右目は抉られていた。驚きに目をしばたたけば睫毛が触れてしまいそうなほどに凶手はすぐ近くにあった。


 まるで放った光線がこちらに跳ね返ってきたような速度。粟立つ肌をそのままに、オロルは声も無く戦慄していた。見えなかった……!


 オロルは後ろに飛び退る形で背に繋がった神器の綱を操り、敵の懐から逃れた。全身を巡る血流が早い。神殿に預けた心臓が早鐘を打っている。


 それだけではない。光線で穿った布鎧こそ丸く焦げて消失しているが、はだけた四肢は新たに生え揃っているではないか。この治癒速度は神殿の祈祷さえも上回る呪術だった。


 もう一度構えようとして、やめた。

 あの速度、反撃と治癒、まるで効果を期待できない。


 辺りに散らばる敵の鱗と雨粒をそっと押し除けて、オロルは一人静かに窮地に立たされていた。あまり状況が芳しくない。


「……思考を止めるな……」オロルは己に言い聞かせるように呟き、勝機を探るための長考に入る。


 敵の術式はオロルが持ち合わせている知識の外にあった。挑むにはこの場で敵の術式をある程度検討を立てて推測しなければならない。ひたすらな沈思による方途の摸索。

 ある意味では、この場面、この状況こそ彼女の本領を発揮するところと言える。


 時間はある。

 時間はあるのだ。


 オロルは次の一手を検討するために、改めて敵の攻撃を分析するところからはじめた。


 強力な術式であればあるほど行使する際の難易度は上がる筈……敵の素早さには何か発動条件という縛りがあるやもしれない。そもそも、あれだけの速度で迫ることができるならば幾らでも奇襲ができただろう。何故あいつに限って歩いてやってきた……? どうしてわしに先手を譲った……?


 オロルはふと心当たりに見当が付いた。

 思考にしずく眉間が開く。


 戦場を歩くあの余裕は反撃の術式に覚えがあるからか、しかし先手を取ったとき奴の身体は光線が確かに通った。いや、治癒術式で取り戻せるのか……。敢えて先手を譲り、受けた魔呪術と同等の力で反撃するのではないか? だとしたらこちらから仕掛けるのは分が悪い。……なんとも厄介な敵じゃわい。


 幸運にも、近頃似たような縮地の使い手を見たことがある。スペルアベル平原の仮面の男――イクスと言ったか――も同様の体系を持っていた。


 奴は得物の斧槍に回路を組み込んでいたな。術式が簡易的なぶん、鋒を向けるだけで発動できていた。もっとも、速度は『目で追える』程度だったが……。

 得物がないとなると敵の術式は魔術ではないだろう。徒手をぶら下げ構えもしなかった。であれば奴の術式は呪的な構造であり、外部要因によって発動する……。


 一片ひとひらの答えを掴み、確証を得るためにオロルは時を進める。上空に止まっていた雨粒が待ちくたびれたように雨足を強めた。

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