82話 持っていけ
平原を餌場に育てたトガ――ハラサグリを嗾け、内地をわざとらしく暗躍することで地下通路の存在を匂わせた。誘き出された長女継承を仕留め、残る継承者は内地の娘ばかり……。
ナルトリポカの集落での失態がなければ、もっと上手くやれただろうか……否、俺は窮地さえ逆手にエンサを蹴落とした。この死線を掻い潜れば……。
「まだだ」
ダラクの面持ちが変わる。纏う空気は熱を帯びて風が逆巻く。
「俺は生き残る……それに、次女継承……お前はまだ傷が癒えてねぇな」
アーミラは努めて動揺を隠したが、ダラクの指摘は事実だった。
杖を支えにして立っているのがやっとである。この場を威圧するためにトガを焼き魔術を見せつけたが、蝕まれて穴だらけの腹は癒えていない。
「観念しなさい」
「いいや、観念しねぇ」
アーミラの言葉にダラクは反抗する。
続く両者の声は重なる。
「そうですか、なら――」
「どのみち貴様らは――」
互いが先手を狙い動き出す。
「――殺す!」
その決着は一瞬だった。
挟撃を仕掛けるウツロとセルレイは得物を前方へ突き出す。ダラクは前後から迫る攻撃に脇腹を掠めながら回避して槍の柄を掴み冷気で固める。片手剣を奪い取ると肩を凍らせた。冷やされた板金の関節が軋み、槍を手放す。
その間イクスは斧槍に魔力を込めて踏み込んでいた。縮地の術で通り過ぎ様に得物を振り抜いたが、ダラクはウツロを盾にして刃をやり過ごす。
「凍りやがれ!」ダラクの怒号。両手で印を結び術を発動させる。
雷に打たれたような衝撃と共に邸一体に霜が降り、燃え盛る熱気が凍てつく刃に刈り取られた。
ダラクはここで形をつける覚悟だった。しかし――
「氷解」
アーミラの詠唱に上書きされる。
邸の氷は砕け、湯気となり蒸発した。それだけではない。ダラクの掌も焼き爛れ、腕輪が爆ぜる。何が起こったのかダラクは理解できなかった。
熱というのは、物質をつくる小さな粒子の固定と振動によって生み出される力である。この世界には『原子』や『分子』という言葉はないが、ダラクの術式はそうした物に宿る『精』や『素』を理解し、操ることで力に変換している。
人生の殆どを費し、組み上げた秘中の秘の魔術体系。誰も到達できない高みだとダラクは自負していたし、裏付けされた努力があった。……だというのに。
――こいつ……俺の積み上げたものを、もう理解してるのか……!?
アーミラが継承する天球儀は何を測り司るか――物の距離である。つまりは邸を満たす空気の『素』の距離を操ることで、強制的に大気を震わせ熱を生み出した。
強い振動に耐えかねたものは形の維持ができなくなり、ダラクの魔力の源である腕輪が砕け、術式に悴む掌の氷も一転して灼熱となり肌を焼いた。
「いきなさい…! イクス……!!」スークレイは治癒の術式で援護する。
古傷に痛む彼の脚はとうに限界を迎えていた。それでもイクスは縮地を行使し、ダラクに迫る。
ダラクは己の身に何が起きたか理解が追いつかず、同然とアーミラを見つめる。そこにイクスの追撃を認め、懐から反撃の手段を掴み取る。
「死ね……!」
ダラクは切り出しを握り、イクスの顔に突き出す。刃は面頬の隙間に滑り込み眉間を貫いた――かに見えた。
「これで終わりだ……」イクスは囁く。
勝鬨というにはあまりに密やかな声。……それは、己の戦いに終止符を打つ、感無量の呟きだった。
切り出しは確かにイクスの仮面を捉えた。しかしイクスは、寸前で仮面を脱ぎ、切り出しを受ける盾とした。斧槍はダラクの胸を貫いて、両者はぶつかり合った勢いのまま、身を預けるように支え合う形となった。
ダラクは死力を尽くし、己の戦いがここまでだと悟ると、自身の敗北を受け入れたようにイクスに凭れる。これ以上の奇策は出てこない。恨み節の一言もなくダラクは事切れていた。
握っていた切り出しが床に転がった。同じように、面頬もイクスの手から落ちる。
二年前のあの時から、頑なに隠し続けていた彼の素顔。雨止みの光芒が照らす。
何人もの部下を失った。
人の顔を奪い、その者に化けて現れるトガによって、イクスの人生は大きく狂わされた。
部下殺しという事件はイクスの心身に深い傷を残した。慕ってくれる彼らを助けることのできなかった無念と、誰にも理解されない孤独の日々……寝ても覚めても悪夢の中に彼はいた。
汚名を背負う際、イクスは授かっていた名を捨てていた。
それは、片時も肌身離さず携えていた自身の得物、槍斧に由来する。
『平原の風』と人々に呼ばれ、厚い信頼と主人への忠誠を持つ気高い兵士として、スペルアベルでこの勇名を知らぬものはいない。
討伐隊隊長イクス・ハルバド――それが彼の名だった。
彼は部下の顔を取り戻し、トガを始末したあと、一人無力にやりきれず咳き上げていた。悲しみに溺れ、彼らの無念を忘れないために、己の顔を斧槍で削ぎ落とし、そして仮面を被ったのである。
万感の思いを乗せた一撃の果てに掴み取った勝利。ダラクは平原に倒れ、トガは焼き尽くされた。
終わりの見えない恨みに生きた道程が、ここで終わった。
イクスは込み上げる複雑な思いにうち震え、歔欷に洟を啜り、言葉にならないままに空に叫んだ。その醜貌は天を仰ぎ、部下たちと共に掲げた旗印として斧槍を掲げる。
何度も、何度も、イクスは空に雄叫びをあげる。
その姿は醜く、しかしこの世の誰よりも気高い。
「イクス……さん……」
ナルは信じていた。
父の口から語られる隊長の勇姿は、幼い頃寝床で聴かされる御伽噺として覚えている。悪い話は一つも聞かなかった。
父が帰ってこなかったときも、「きっと隊長はおかしくなんかない」と信じていた。それは彼を信頼していたというだけの話ではない。父の誇りと友情、親娘で過ごした日々も含めて信じていたのだ。
だからこそ、空に向かい雄叫びを上げるイクスの姿に胸が震えた。部下たちに捧げる勝鬨の雄叫びに報われた思いだった。……あぁ、お父さん……貴方の友は……。
「信じてた……っ! 私は、間違ってなかった……!」
イクスが成し遂げた恨みの矜持と、ナルが貫いた明察の矜持。
その二つを側で見届けたアーミラは、訳もわからず涙が滲む。
平原を襲った、長く短い動乱の一日は終わりを迎えた。
焼け焦げて半壊した邸には心地よい風が吹いた。加護に癒えたばかりの肌が少し寒い。
「イクスさん。ありがとうございました。貴方がいなければ、倒せませんでした」
アーミラの言葉にイクスは恥ずかしそうに顔を背け、仮面を拾い上げる。
「ナルさんも、ありがとう……それと塩甕をすみません」
「いいよ。食堂はご覧の有り様だしね」
「食堂だけじゃないぞ。邸は半壊だ」セルレイは疲れた顔で煙草を取り出す。「アーミラもスークレイも無茶をする……拠点を譲るんじゃなかった」
皮肉交じりの冗談を言い、口元に笑みが浮かぶ。皆もつられて小さく笑い、緊張の糸が解れる。
「ですが、まだ終わりではありません……私はラーンマクへ向かいます」
アーミラのはっきりとした声に一同は驚くが、実際問題、前線はまだ争いが続いている。継承者を求めている。
ウツロは力強く頷き、アーミラの隣に立つ。共に向かうつもりのようだ。
「……わかりました。ここは私達に任せなさい」
セルレイとスークレイがスペルアベルの指揮をとり、この地での戦闘は収まる。
邸は戦闘の被害も甚だしいが、壊れたのは二階食堂部分が主で、幸いにも従者は無事、ごっそり失った兵力は部下殺しの誤解を解いたイクスの下でどうにか兵をかき集めてもらう他ない。討伐隊が全滅とは……苦い勝利だった。
表情を曇らせる面々の中、ウツロがアーミラに語りかける。アーミラは指筆の言葉をその場で声に出して代弁した。
「『ニールセンは、助かるかも、知れない』……?」
「なに、どこにいる!?」セルレイは煙草を落としウツロの肩を掴む。
「『南方、顔を失い、倒れている。望み薄だが、放ってはおけない』」
アーミラはウツロの言葉を読み上げて、すぐにでも向かおうと目で合図した。
「私が行きます」スークレイが名乗り出る。「ニールセンのところまで案内を、治癒を施し、邸に連れ帰りますわ」
今度はアーミラが頷く。
こうしてはいられないと、三人は準備もなく歩き出す。その背に声がかけられる。
「ウツロ」
イクスの声だ。
振り返ったウツロに対し、イクスは意を決したように斧槍を差し出した。
「持っていけ」
ウツロは戸惑い、触れるのも恐れ多いと斧槍を辞して手を振るが、イクスは頑なに押し付ける。
声の出せないウツロに代わり、セルレイが問うた。
「本当にいいのか? この得物はお前の勇名だろう?」
「捨てた名だ。構わない。どのみち俺はもう走れない。……頼む。ウツロ。この先武器は必要だろう。連れて行ってくれ」
きっぱりと言うイクスに、セルレイは食い下がらない。彼はもう十分成し遂げたと納得し、棹さすようにウツロに告げる。
「本当の意味で退役か……。イクスがここまで言ってるんだ。受け取ってくれ」
ウツロは躊躇ってはいたが、覚悟を決めて斧槍の柄を握った。
失ってばかりの旅で、初めて得たものだった。
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[10 勇名の矜持 後編 完]
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