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最後の異世界転生譚 ――Echoes Beyond the Aurora Manuscript――  作者: 莞爾
10 勇名の矜持 後編

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80話 これは食えないな

 余程己の術式に自信があるのだろう。だが賢さで比べるならやはりダラクが上手うわてである。ダラクはハラヴァンの難詰を前にしても差し出す情報は絞っていた。それと同時に、興味を惹くであろうことは言葉巧みに開示することで情報の価値を補強し、誠意を取り繕う。そうして保身に命を繋ぎ果せた。かたやエンサは呪術一つを極め、身の振り方に省みることがない。気に食わないものがあれば石化の邪眼で捻じ伏せ、快楽の赴くままに我が道を歩んできた。

 そして道の先に辿り着いたのは虚ろな深淵である。


「……げ」少女は声を漏らす。


 エンサが辿り着いたのは小さな部屋だった。そこには簡素な作りのしとねがあり、尻をこちらに向けてうつ伏せに寛いでいる少女がいた。冠のような頭角、射干玉の黒く豊かな髪が背中を覆い、肌着から覗く細い腕が肘をついて顎を支えている。大きく開かれた瞳は誤算に引き攣っていた。


「なんか違うんだけどー」


 不満げに少女は言い、ばたばたと爪先で褥を叩く。

 あどけなく自由気ままな態度に警戒の色はない。それどころかエンサを無視して明後日の方に向って独り言を呟いている。


「前に来たやつは痩せっぽちだったよね? ……次は食うって言ったから怖くなったのかな」


 一方でエンサの方は歓喜に鼻息を荒くしていた。


「それはダラク殿のことですかな? その役目は不肖私が仰せ仕りましたぞ」


「骨ばってて食い出がないだろうなとは思ったけど、こいつはなんか……胃もたれしそうじゃない?」


「独り言ですか? このような場所に閉じこもっているから癖になってしまわれて……私と遊びましょう、体を動かして、ね? さぁさぁ」


 丁度お誂え向きな部屋ですし。と、エンサは気持ちの悪い笑みを浮かべて上衣を脱いだ。性欲が発酵したような独特な臭いが部屋に広がる。


「というか、腐るのはやめたんじゃないの?」


 虚空に向って呟く少女は独り言ばかりで会話は成り立っていないが、どうせ致すときは石化で口をきけなくするのだから関係ない。可憐な少女が目の前にいるだけでエンサは己の男性の部分が脈打ち膨らむのを感じていた。


「なんという僥倖でしょう……ぐひひっ、まさか本当に……あのダラクが真実を語るとは……! 今なら神を信じれますぞ!」


 脂の浮いて照りのある顔が興奮に上気して、エンサは辛抱たまらず褥に上がり、少女の背中に四つん這いで躙り寄った。腹の肉が重力に垂れて細くしなやかな少女の素足の上を滑る。


「……今、お前……」


 つい、っと黒い瞳が滑り、少女の意識がエンサに向けられた。底冷えするような冷たい声音だった。


「『神を信じる』……と言ったか? 『真実を語る』と、言ったな?」


 少女は太り肉の禍人種の言葉を繰り返し、床に伏せていた体を仰向けにすると、先程までの呑気な気配を変貌させた。


「嫌いだね」少女はエンサを蹴り飛ばす。


 細い体のどこにそんな力があるのか、エンサの巨体はごろりと転がり壁に頭を打つ。


「あたた……」


 わざとらしく顔を皺くちゃにして後頭部を手で押さえ、エンサは丸い目でおどけたように少女を見上げる。

 褥に立ち、怒りによってうねる黒髪は首を擡げた蛇のように揺らめいていた。

 まさに怒髪天である。

 少女は厳しく睨め付けた。


 部屋の内圧が上昇していく……エンサは、彼女の逆鱗に触れたのだ。


「……おっと、流石におふざけが過ぎましたな」


 未だ余裕の態度を崩さないエンサは瞳に呪力を込め、石化の邪眼を行使する。

 睨み合う視線が交差して、確かに邪眼は少女を捉えた。


「どうです……もう動けませんでしょう……?」


 エンサは勝利を確信し、ゆっくり立ち上がると腰紐を解いた。


「遊んであげますよ……楽しみましょうねぇ」


 少女の耳元で囁くと、舌打ちが返ってきた。


「遊ぶのはお前じゃない」


「なっ!? 石化が――」


「目障りだ」


 事態を理解する間もなくエンサは宙に固定される。


「――むぐぅ……っ!?」


 エンサは身動きができなくなった。石化の意趣返しとしてはあまりにも歴然とした力の差を見せつけられている。……否、見えてはいない。見えてはいないが全身の圧迫感で理解した。


 巨大な手に、全身を掴まれている……!


「『遊んであげますよ』、『楽しみましょうね』」少女はエンサの言葉をわざとらしく繰り返す。


 込められた握力に応じて、肥えた体に指が食い込み締め付けられ、骨が歪みはじめる。


 エンサの表情から余裕は消え失せていた。

 四肢が、肉が、脊椎が、軋みを上げて激痛が襲った。このままでは……。


「簡単に死んでくれるなよ。生きたままでなければ食いごたえがないからな」


 叫びたいのに口元にも指が押し当てられている。不可視の壁によって息を吸うことも吐くこともままならない。目を白黒させ、額は赤紫に染まり、言葉にならない絶叫を繰り返す。

 拘束から逃れようと必死に身悶えする様を仰ぎ見て、少女はほくそ笑む。


「滑稽だなぁ。アキラよ、面白かろう」


 巨腕が握力を強める。軋みを上げて潰された四肢はついに限界を迎えた。

 ぽくん、と間の抜けた音がエンサの脂肪の内側から一つ響くと、後に続いて全身の骨が粉々にへし折られる。エンサの見開かれた目から涙が流れた。


 ――こんなはずでは……。


 彼にとって、いかなる者も脅威ではなかった。

 強者には必ず意思があり思考がある。そして内面は瞳に宿り、石化の邪眼は必ず通用する。意志の強い者であれば尚更覗き込むのは容易くなる。

 ウツロと呼ばれる魔導具を操るこの娘も、神殿が希望を託した娘達も、彼にとっては都合の良い愛玩具となるはずだった。


 誤算。

 大いなる誤算。


 エンサは地面に放られる。

 着地の体勢が取れるわけもなく、肉塊となって床に打ち付けられた。びちゃ、と腹の肉が床に弾む。血と汗と涙に汚れたエンサの顔が命乞いに少女を見つめる。


「……これは食えないな」


 少女は視線を落とす。

 迫り来る死の恐怖に遺精するそれを、不可視の指先が爪を立て取り除く。床に擦り、引き千切られた己の欠片を見つめ、怨嗟の声を上げる。


「んぐぃ、ぎぃぃぃ……!」


 悲鳴に似た絶叫に少女の笑い声が重なる。


「誰なのです……っ、あなた……!」


 エンサは未練がましく石化の邪眼を行使した状態で少女を睨む。


「知りたいか?」


 少女は呪術を跳ね返し歩み寄ると、後生だと微笑み、起き上がれない肉塊の耳元で密やかに告げる。


「……僕は、そうだな。君たちが言うところの『ふくろうを食む者』とでもいえば伝わるかな?」


「梟を……」


 エンサは少女の正体を知り、邪眼の呪力が吹き消されるように霧散した。

 表情は蒼白で、「信じられない」と怯えた視線が語る。


「そんな、嘘です……あなた――」


「ふふっ、じゃあね」


 ばく。

 少女は脂下がり悪戯っぽい笑みで手を振ると、エンサの肉体は齧り取られて消滅した。床に残されたのはエンサのくるぶしから先と片手の指先……所在なげに転がり少量の血を零す。

 少女は唇についた血を舌でちろりと舐め取り、喉を鳴らす。


「糞不味い」


 時を同じくして、朦朧とした意識の中で兵士の眼球は異変を捉えた。


 ウツロを石化させ精神領域へ潜り込んでいたエンサの身体が突然消滅した。地面には脱ぎ捨てた草履のように両足だけが残され、繋がりを失い宙に浮いた手の指が地面に転がる。次の刹那には兵士の身体にかけられていた呪術が解かれ、泥濘に倒れる。


 ウツロは駆け寄り、兵士を助け起こす。


「たお……した……のか……?」


 ウツロは頷く。


「そうか……よかった……」


 兵士は安堵に弱々しく笑みを作った。その人当たりのいい柔らかな笑みを見て、ようやく彼がニールセンだとわかった。

 ウツロは指筆で呼びかける。


 ――ニールセン。お前は隊長のニールセンだろう?


 悲しいことに彼は識字ができない。なぜ肌を指でなぞるのか、朦朧とした意識で理解するのに苦労する。

 ウツロは懸命に、言葉が届くまで呼びかけを繰り返す。


 ――ニールセン。


 兵士の顔がはっとして、ウツロを向いた。

 唯一知る文字、己の名を指で書いていることに気付いて涙が浮かぶ。


「顔を奪われても……私がわかりますか。

 ……どうやらあの化け物も、名を、奪うことは、できなかったみたいですね……」


 ニールセンは手を伸ばし、ウツロの鎧の襟元を掴む。


「私は助かりません……っ、どうか、邸を……」


 弱々しく掴む手が震えている。後悔と無念に胸咽ぶ。


「ハルバド隊長は正しかったんです……、イクスさんは、きっと今も戦っています……。どうか、どうか……!」


 ぐったりと、言葉は途切れる。

 ニールセンの願いを聞き、ウツロは槍を携え邸へ急いだ。

 ダラクはそこに向かったはずだ。

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