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最後の異世界転生譚 ――Echoes Beyond the Aurora Manuscript――  作者: 莞爾
10 勇名の矜持 後編

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79話 おぇあ、ずぅっと見張っえた

 玄関広間の分かれ道で脚を止めた二人は、絹を裂くような侍女の叫び声とガラス窓の割れる音を聞く。食堂だ……!


「くそ!」セルレイは一目散に駆け出す。


 取り残されたアーミラは叫び声がナルのものだと分かり青褪める。


「ナル! 無事か……!」


 二階に上がったセルレイは食堂の扉を蹴り開けた。


 目に飛び込んできたのは割れた窓と血飛沫に染まる食堂。そして袈裟斬りに腹を裂かれうずくまるニールセンの後姿だった。

 切り伏せた者は斧槍を腰に構えてセルレイと向かい合う。


「……イクス……」


 またも部下が手にかけられた。セルレイは過去の記憶と目の前の光景が重なり、一瞬で頭に血が昇る。


「何をやっている……!」


 片手剣を構えてイクスに詰め寄ろうとしたときナルが声を張り上げた。


「お待ち下さい!」


 彼女はイクスの後ろ、食堂の隅で身を丸め怯えていた。

 涙に濡れる少女の瞳が訴えている。


 追いついたアーミラは食堂の光景を見て状況を推察する。

 床に倒れたニールセン。彼を切り伏せたイクス。目撃者として立つセルレイ……話に聞いた部下殺しの場面が、ここに再現されていた。


「彼はやっていません……!」縋るようにナルは訴えた。


 反駁するようにニールセンも呻きながら訴える。


「……こ、こいつは……部下殺しの狂人だ……!」


 セルレイは奥歯を噛み締め、イクスとニールセンの両者を睨む。

 まただ……怒りが渦巻く脳内で伯爵は憤っていた。――危うくまた、過ちを犯す所だった。


「誰も動くなよ……」


 伯爵から見て、この二人のどちらかがトガであることは理解できていた。

 過去に起こった部下殺しの件……その中で語られる人の皮を被ったトガの存在は、まさに今、この目で見て知るところだ。


「イクス、お前はここで何をしていたんだ」


 討伐隊が平原に向かい、鎧と次女継承者が出払った邸で、何を企てていたのか。

 過去の一件をなぞるこの状況……今、真実を明らかにする。


「おぇあ、ずぅっと見張っえた」


 赤子の喃語のような不器用な言葉だが、はっきりと聴き取れた。


 『俺はずっと見張ってた』


 ――この日だけの話ではないのだろう。イクスの言葉は、その年月の分だけ重たいものだった。

 部下殺しの汚名を被り、狂人と罵られながら過ごした日々……胸に宿すは復讐ただ一つである。


 イクスは一日たりとも恨みを忘れてはいなかった。

 それと同じく、兵としての矜持も捨ててはいなかった。


 いつかまた人の皮を被ったトガが現れる……そのときに備えて彼は闇に潜む道を選んだ。後ろ指をさされても、嘲笑の謗りを受けても、仮面に傷を隠し、この邸を――平原を見張っていた。


「違う……!」ニールセンは遮るように声を荒げる。「私もずっと信じてた……、でも違う! この人はイクス隊長じゃない……!」


「お前は隊を連れて邸を出たはずだ」セルレイの声は冷たい。


「ガントールにやられたんです……っ、部下がみんなやられて……邸も狙われてる……、だから、急ぎ戻ってきたんです……」


「我々は前庭にいたが、君の帰還を見ていない」


「……偶然、見ていないだけです……」


「鏑矢を鳴らさなかったのは何故だ」


「鏑は壊されていた。音が鳴らないように……イクスが細工していたんですよ……!」


 ニールセンの主張は出任せな響きがあった。綻びが生じ始める。


「ちがう……そんな、信じてください……」


 目の前で命乞いをする部下の姿。

 セルレイは眉間に深い皺を寄せ、悲痛な表情を浮かべる。

 頭では敵だと分かっていても、人に化けた偽物だと分かっていても、彼の仕草を見ていると心を引っ張られそうになる。仕留める勇気が削がれてしまう。脳裏に、ほんの僅かに……ニールセンなのではないかという疑念が湧いてしまう。


「その申し開きも誰かの真似か……?」セルレイは突き放すように言う。


「真似じゃありませんっ! ……ニールセンです、信じて……誰か……」


「イクスの顔が奪えなかった。……そうだろう?」


 取り囲むアーミラ達は憤りの目で彼を見つめる。誰の目にも明らかだった。


 ニールセンは、偽者だ。


 先のアーミラとの戦闘で、トガはガントールの顔を失い、代わりに別の顔を被った。それがニールセンだ。邸に侵入し身を隠した先でナルと鉢合わせたのだろう。イクスはナルの危機を察知し、窓を割ってニールセンを切った。あとは見ての通りである。

 しかし、なぜこのトガは斬撃に倒れているのか……急所を突かれても再生していたはずなのに、一体何がトガを追い詰めたのか……怪訝に思ったアーミラは、ふと床に撒かれた白い粒に気付く。これは――。


「イクス、お前はこれと戦ったのか……」


 セルレイは神器である天秤の剣を握り、ニールセンの首を狙う。


「偽者だと分かっていても堪えるな……」


「畜生……! お前さえ、お前さえいなければ……!!」


 呪詛の言葉を吐きながら床を叩くニールセン。口惜しさに震え、追い詰められたトガは残された余力で飛び掛かる。


 『お前さえ』という言葉が指す対象がイクスであると皆が思った。


 セルレイが得物を構えイクスの前に立つが、ニールセンは自身の肉体を溶かしてセルレイを飛び越え、全く別の者を狙っていた――睨まれた恐怖に竦み、ナルはその場から動けなかった。





 首のないウツロは平原の一隅でエンサと向かい合ったまま固まっている。大きく開いた襟の空洞が、温い夏の雨を受け止めて、雫の音を空しく鳴らしていた。


 攻めあぐねている……という訳ではなかった。

 むしろ、勝負はとうに付いていた。


 二人を見守るように側にへたり込んでいた兵士は既に虫の息。顔の皮を剥ぎ取られ、癒えぬ傷痍が雨にふやけて出血は止まらず、喉元に細く朱色の線を引いている。金縛りに身動きを封じられたまま体力は消耗しきっていた。

 彼の意識は呆然としており、残された左の眼球も上転している。


 エンサが行ったのは石化の呪術だった。


 ダラクの術式よりも拘束に特化したもので、瞳を覗き込むだけで対象は術中に嵌まり身体が石のように動かなくなる。ウツロは人質を眼前にぶら下げられたときにはもう石化の邪眼に対抗する手立てはなかったのだ。

 兵士を助け出せるかどうか、その考えが浮かんだ時点でエンサの術式は必中である。


 こうしてウツロは、哀れにも体の自由を奪われ、その内側に招かれざる客人の侵入を許した。


 精神領域ではエンサがにやにやと丸い頬に笑窪をつくり、肉に埋まった首からかわずのような引き笑いを溢す。万事順調なことに可笑しさが込み上げてとまらない様子である。


 この逼迫した戦時下にいったい何を食えばそこまで肥れるのかと疑問に思うほど贅肉まみれの体を揺らし、迷宮の中を上機嫌に進んでいた。

 向かう先は一つ、話に聞く鎧の正体、ウツロを操る術者のところ。


「ぐふふ……ダラクも意地が悪い……」エンサは芋虫のように節が膨れた丸い手で口元を抑える。「中は迷路だと言っていましたが、これの何処が迷路なのでしょうね」


 扉を開け、目の前に待つ次の扉に向かう。

 鎧の内側は単調な一本道だった。


「それとも私とは違うものが見えていたのでしょうか、ねじくれた性格が顔に出ていますから、きっと拒まれていたのかもしれませんね……ぐひひ……わ、私は怖くないですからねぇ? このまま真っ直ぐあなたのもとに向かいますから……」


 エンサは逸る気持ちに身を任せ、ぐいぐいと精神を潜り扉の奥へ進む。エンサが扉をくぐるたびに着実にウツロの本質へ近づいている。


 変わり映えのない繰り返しの景色は不意に終わりを迎える。


「おや、もう終わりですか……私、興奮してきました」


 最後に待ち構えていたのは艶やかで平滑な硝子の扉だった。

 しかしエンサは異質な扉を前にしても警戒するどころか期待に胸を膨らませていた。これまで見たこともない建築様式の通路を前に悠然と歩を進める。

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