ずっと隠してて、ごめんなさい
集落の広場は収穫祭のように灯りが飾られ、人々は上機嫌であった。
陽の落ちた今でこそむやみに絡んで来るものは居なくなったが、夕方頃までは頻りにアーミラの顔を拝みに来た客が押し寄せて家の前に人だかりをつくっていた。
シーナは困惑しながらも、最初は「ありがたいことだ」と口先で答えていたが、当のアーミラは部屋に閉じこもり顔を見せようとはしなかった。
手放しに喜べはしない。この先アーミラにかかる災難を思うとシーナもまた心に翳を落とし、苦労して人払いをした。アーミラの表情を思い出す……あの娘、泣いてたじゃないの……。
――あの時……上空に魔術陣が現れてしばらくのこと、アーミラの体に異変が起こった。
鳴り響く鐘の音と共鳴したかのように体を震わせたかと思うと、髪を振り乱してその場に膝から崩れた。シーナは人集りを掻き分けてアーミラの傍にしゃがみ込み、青褪めた表情のアーミラに声をかけた。
「アーミラっ! どしたんよ!?」
アーミラは何かを吐き出すように口を開いて河原に手をつくと目を見開いたまま堪えるようにじっとしていた。閉じられなくなった唇から涎が垂れるのも構う余裕はなく、見開かれた瞳が涙に濡れて呻きながらシーナを見つめる。息を吐いたまま吸うこともできず、額からは脂汗が噴き出す。肺の中の空気がなくなったとき、歯を食いしばってシーナの袖を掴んだ。苦悶に表情を歪めるアーミラの目が助けを求めて縋りつく。いつも悩み事を抱え込み、人に頼ることだけはしなかったあのアーミラが、助けを求めている!
シーナは状況が飲み込めていないままに尋常ではないことが起きていることは理解していた。しかし、それがどのような事態なのかがわからない。継承者というものが何なのか、選ばれたらどうなるのか、どうすれば助けることができるのか、全く判らずただ背中をさすって案ずることしかできない。
アーミラは短く息を吸い込むと悲鳴を上げた。そこで明確に痛みに苛まれていることがシーナにもわかった。衣服を掴んで胸を抑えるアーミラの姿を見て、掌に隠された内側から光が漏れていることに気付いた。
「アーミラ!! そこが痛いん!?」シーナはアーミラの両手を掴んで痛みの正体を確かめる。もし傷があるなら無闇に掻きむしってはいけない。娘の胸ぐらを覗くと、そこには傷と判断できないものが浮かび上がっていた。周りを取り囲む野次馬の何人かがそれを見て色めき立った。シーナはそのものたちを睨み、「見せもんじゃない」と怒鳴る。
まだ若い乙女の胸の谷間、かすかに浮いた胸骨の陰影の上、皮膚が火傷のように爛れている。それは細く線をひき、皮膚に刻まれているが、外傷ではなく内側から痣のように浮かび上がっている。全体の図画は記憶に新しい。上空に現れた魔術陣と同じ紋様だとシーナはすぐに理解する。そうか……これが刻印……これが継承者の証……でも、なんだってこんなに痛そうにしてんだい……。
「ア、アーミラ……大丈夫だかんね? もうすぐ、刻印、できあがるから、それが終われば、痛くなくなるから……」シーナは慰めにもならない言葉をかけるのが精一杯だった。刻印が刻まれてしまえばどうなるのか、痛みが収まる保証もないだろうにと自分の中で吐き捨てながらもなんとかならないかとアーミラの身を案じ続けた。
しばらくすると上空の魔術陣が解けるように空に消え、鐘の音も止んだ。人集りは未だ固唾をのんで二人を見守るが、一部の者は外へ馬を走らせて行ったのが見えた。
アーミラは痛みが収まると、肩で息をして体を引きずるように歩き出した。その背中に歓声が上がり、シーナは肩をびくつかせて振り返る。もう一度怒鳴ってやろうかという思いが頭に浮かんだが、継承者の誕生を祝う彼らの視線には一点の曇りもない希望の光があった。
背筋が凍る思いだった。場違いなのは私なのか、私は間違っているのか、いや、そんなことはない。シーナは己を奮い立たせ、急ぎアーミラの後を追い、押し寄せる人波を割いて部屋に避難させると、アーミラはそれきり引きこもった。錠があるわけでもないが、シーナは扉を明けて中に入ることを躊躇った。どんな言葉をかけるべきなのかわからなかったからだ。だからその脚でアダンのもとへ行き、今に至る。
「みんな嬉しそうにしてる……」シーナは言う。「あたしは、嬉しくないよ……」
隣に立つアダンはかすかに目を見開いて驚くが、気持ちは同じだった。
継承者が現れたのなら祝い事だ……それは遠い前線にとってとても重要なことで、そして内地に生きる己の生活にも根底では繋がっている。――だが、喜べない。そんな言葉を誰かに聴かれたら石を投げられるかもしれないが、喜べないのだ。
他人事ならば、どこか他の家の娘ならば、きっと両手を挙げて喜び、酒を飲んで祝っているだろう。……アーミラでなければ、うちの娘でなければ……
アダンは自身の内にある想いをはっきりと自覚して口をひき結ぶ。そしてシーナの方を見るとはっきりと目が合った。
二人は、一度だってアーミラのことをただの居候とは思っていなかった。
うちの娘だ。
血は繋がっていなくとも、アーミラは大切な娘なんだ。
二人は集落の喧騒を背にして決意を新たにアーミラの部屋の扉を叩いた。
「アーミラ、体は痛むか?」
アダンが扉越しに問うと、奥から足音がそろそろと近付いて、扉は開かれた。部屋の中は暗く、僅かな隙間から廊下の灯りが差し込みアーミラの顔を細く照らした。前髪に隠れた目は赤く泣き腫らして、初めて出会った頃の痛々しい面影を思い出させた。
「も、もう……平気、です……」アーミラはそう言って胸を衣服の上から指先で撫でる。赤く腫れた胸元は血が染みていた。「そ、それよりも……」
意を決したようにアーミラは扉を開けて部屋から出ると、一度胸を張り、そして挫けたように背を丸めて視線を逸らす。掻き抱くようにしている両手には何かを隠し持っているようで、アダンとシーナは互いに目配せしてアーミラの言葉を待った。
「私……行かなくちゃ……いけません……」
「行かなくちゃって……」シーナは不安げに言葉を転がす。「心配だよ。どこにも行ってほしくない」
「だめですよ」アーミラはきっぱりと言い、シーナに笑ってみせる。「……本当はずっと、わかってた気がするんです。こうなること……受け入れるべき運命が、あるんだと知ってたような気がして。……私は一度、生きることを諦めました。……でも、シーナさんとアダンさん……二人が助けてくれた。これまでの巡り合わせが運命だと言うなら、きっと私は、この日が来ることを……自分の運命を……全うしなくちゃいけません」
シーナはなおも心配そうにアーミラを見つめるが、アーミラはこれまでにない気丈な振る舞いでシーナに対した。どこか頼りない立ち姿ではあるが、心は決まっているらしい。
あの河辺で痛みに苛まれていたときこれほどまでの覚悟を決めていたなんて、シーナにはとても信じられなかった。しかし、アーミラの次の言葉で理解する。
「魔術が、つ、使えること……ずっと隠してて、ごめんなさい……」
そうだ。あの時、魔術陣が現れる前にアーミラは確かに魔術を使っていた。
きっと私達が出会う前にも、いくつもの困難を乗り越えて生きてきたんだろう。これまで言えなかったこと、隠していた想いだってあるかもしれない。思慮深い娘であることは誰よりわかっている。
なんの考えもなしに決めたわけじゃないだろう。なんの覚悟もなしに決めたわけじゃないだろう。
……だったら、信じてやるのが親心というものか。